第42話 よい夢を……
「なん、で? この部屋には『
アンネマリーの魔法『
だが、歌声は部屋の外から聞こえていた。それも、ベランダの方から。
よろめく足を奮い立たせ、アンネマリーはベランダへ赴く。そして、途中で気が付いた。
(この歌、耳というより、まるで頭の中に直接響いているような……)
ベランダへ繋がるガラス扉へ辿り着いたアンネマリーはなんとか扉を押し開けて外へ出る。
そして彼女は――眼前の光景に心を奪われた。
(こ、これは……なんて美しいの)
誰もが寝静まる暗闇の王都に、白銀の星々が降り注いでいた。
まるで夜空の中に立っているような幻想的な情景に、アンネマリーの思考もしばし停止する。
だが、その瞳が大きく見開かれた。
(ま、まさかこの銀の光は……せ、聖女の魔力!? こ、こんな、可視化されるほど濃密な力が!?)
魔王の闇の魔力、聖女の銀の魔力は、通常アンネマリーやクリストファーには認識することができない。魔力の大きさ、強さは測れても、性質までは分からないのだ。
だが、今彼女の目の前には聖女を象徴する銀の魔力が王都全域を包み込んでいた。
一体どこからこれほどの魔力が。
そして、これだけの魔力をなぜ発動させているのか。
まさか魔王が……!?
アンネマリーが魔力の発生源を探して周囲を見渡すと、それらしいものを見つけた。
(あそこは、貴族区画の中腹あたりかしら? ……す、凄い)
まるで天を貫く巨大な塔のように、地上から白銀の魔力がゆっくりと立ち昇っている。王都中に降り注ぐ白銀の粒子は、あの魔力の柱から溢れ出した魔力の残滓だろう。
間違いなく歌声の源はあそこだ。普通に考えてあそこから歌声が届くわけがない。
なぜここまで歌声が届くのか。それに、この眠気は一体何なのか。
そうして眠りそうな頭で思考するアンネマリーの手に例の白銀の粒子が触れた時、彼女は理解した。また、全身の力が抜けたのだ。
(……そうか、この魔力全部に眠りを誘う効果があるんだわ。それも、魔力が強い者ほど眠りやすくなる効果があるみたい。クリスは私より魔力が上だから……うう、私ももうきつい)
ベランダで膝をつき、視線が下へ向いた。外で哨戒任務にあたっていたであろう衛兵が、随分と気持ちよさそうに眠っている姿が目に入る。
(これは、もしかして王都中の全員が眠っちゃったのかしら?)
とろんとする意識を奮い立たせ、ベランダを出る。もはや明確な意思は残っていなかったのかもしれない。ふらふらと歩きながらアンネマリーはクリストファーが眠るベッドに体を預けた。
(……なんだろう、無理やり眠らされるのに……あんまり、嫌な感じがない。むしろ……)
――すごく、安心する。
その思考を最後にアンネマリーもまた夢の世界へと旅立っていった。
◆◆◆
『ううー、いつも思うけどルシアナちゃんって可哀想だよ、杏奈お姉ちゃん』
『そうよね、
『お前ら毎回それ言うのな』
『お兄ちゃん、ルシアナちゃんが可哀想だと思わないの!?』
『いや、可哀想だとは思うけどさ、所詮はゲームだろ?』
『お兄ちゃん、サイテー』
『本当にサイテーね、秀樹。そんなだから三組の英子ちゃんに振られるのよ』
『なんでお前がそれ知ってるわけ!?』
『お兄ちゃん、女子の情報網を舐めちゃいけないんだよ』
『こえーよ! 頼むから言いふらさないでくれよ!?』
『そんな趣味ないわよ。バーカ』
アンネマリーの口角がほんの少しだけ上がった。
『そういえば五番目の攻略者って物語中盤になってもまだ出ないんだな』
『普通は最初に五人とも登場するんだけどね、このゲームは違うのよ』
『……分かった。あれだろ、最近のこの手のゲームの傾向から考えて……五番目の攻略対象者は魔王なんだろ。だからまだ攻略対象扱いされてないんだな』
『お兄ちゃん、バカなの?』
『え? 違うのか?』
『あんた、どうして魔王が封印されていた森が「ヴァナルガンド大森林」って言われているか知らないの?』
『知らねーよ。あれに意味なんてあったのか? ……おい、二人してため息つくなよ』
『お兄ちゃん、ヴァナルガンドっていうのはある有名な動物の別名なんだよ』
『動物?』
『そうよ。北欧神話の有名な怪物、フェンリル狼。ヴァナルガンドはその別名なのよ』
『……狼』
『だからね、お兄ちゃん。フェンリルがデザイン元になっている魔王は人間の姿をしていないの。狼なんだよ。だから攻略対象にはならないの。もう、いつも一緒にゲームしてるのになんで覚えてないの?』
『乙女ゲームなんて興味ないっていつも言ってるだろ!』
『いーもん。お兄ちゃんが忘れられなくなるくらい付き合ってもらうんだから』
『ふふふ、そういうのも面白いわね。付き合ってね、お兄ちゃん』
『……うっせ。とっととクリアしてくれ』
クリストファーの眉間にしわが寄った。だが、不思議と口元は緩んでいた。
『よい夢を……』
誰かの声が聞こえた気がした。
翌朝、ラブコメ的強制力でも働いているのか、それとも奇跡的に二人の寝相が悪いのか、二人はベッドの上で恋人のように抱き合った形で目を覚ますことになるのだが……まあ、余談である。
うん、全くの余談だ。
◆◆◆
一方その頃、白銀の柱の発生源……ルトルバーグ伯爵家、王都別邸では――。
屋敷を包み込むような光が薄れ、王都に徐々に静かなる暗闇が戻り始める。
使用人食堂には、囁くような優しい歌声を紡ぐ少女がいた。
やがて歌声がやみ、少女は閉じていた瞳をそっと開ける。
そして膝の上のそれを見て、まさに聖女を思わせる慈悲深い、慎ましやかな笑みを浮かべた。
「……よく眠ってる」
少女の膝の上にいたのは、一匹の子犬。
黒いスカートの上で、美しい白銀の毛並みの小さな犬が、まるで初めて安眠できたかのようなやすらかな寝顔を浮かべていた。
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