パリ攻囲

 アンリ四世の軍は、再びパリを包囲していた。


 アンリは、フランス国王に即位したのに王都パリへ入れず、「王国無き国王」と敵方から揶揄やゆされている。一刻も早くパリを手中に収めなければ、誕生したばかりのブルボン王朝の威光は地に落ちてしまうだろう。


「今、パリの人口は約30万です。地方の戦火から逃げて来た民たちがかなりの数いて、食料は不足状態にあります。そこで、パリの周囲を完全封鎖し、カトリック同盟側の勢力がパリに食料を運び込めなくするのです。そうしたら、パリに立て籠もる市民やカトリック同盟軍の兵たちは2か月ほどで食料を食い尽くし、飢えることでしょう」


 軍議の席で、自らの策をロニーが披露すると、アグリッパが「そんなやり方はまどろっこしい。総攻撃をかけようぜ」と言った。


「それは駄目だ。パリ市民とカトリック同盟軍の結束はいまだ固く、士気も高い。陛下の命令で総攻撃をかけて、万が一にも手痛い敗北を喫すれば、クートラ、アルク、イヴリーの戦いでせっかく積み上げてきた陛下の常勝王としての威厳に傷がついてしまう。そうしたら、陛下の命令に従わない勢力が出てくるだろう。ここは、どれだけ戦が長引いても、絶対に負けない戦い方でいく」


「……パリの市民たちは、餓死者が出る前に降伏してくれるだろうか?」


 深刻な顔をしてアンリはそう呟き、パリの見取り図を見つめた。


 アンリは、我が王国の民たちを兵糧攻めすることに、刃物で胸を切り刻まれるような激しい痛みにも似た罪悪感を抱いていたのである。敵をすぐ許してしまう優しいこの王が実行するには、あまりにも過酷な作戦だった。


 しかし、ロニーはアンリのそんな苦悩を察していながらあえて無視し、包囲戦の具体的な作戦内容について語り続けた。


「ならば、その作戦でいこう……」


 ロニーがそのあまりにも残酷な作戦を全て語り終えると、アンリは浮かない表情のまま頷いた。ロニーが立てた作戦以上の策が思いつかなかったのである。


(耐えてくれ、陛下。パリの市民たちは、陛下に従おうとせず、カトリック同盟に煽られて好戦的になってしまっている。聖バルテルミーの虐殺の時と同じだ。

 人間から戦意を奪うには、生きながら地獄を味わう飢餓の苦しみが一番だ。彼らが「こんな思いをするなら戦争はもう嫌だ、平和がいい、降伏しよう」と武装蜂起したことを激しく後悔するまでは、俺はパリの街に餓死者の山を築く覚悟だ。

 ……神よ、これから行なう悪魔のごとき所業は、全てこの俺が考えたことです。どうか、天罰を下すのならば、俺だけにお与えください)


 ロニーは、幕舎から出た後、暗雲が立ち込めつつある夜空を仰ぎながら天にそう祈るのだった。




            ※   ※   ※




 それから1か月ほどが経った。


 ロニーは今日もモンマルトルの丘に布陣させた砲兵隊に号令をかけ、パリの街に砲撃をしていた。


 ロニーが冷徹な目でパリを見下ろしている横で、プロテスタントの教皇デュプレシ・モルネーが破壊されていく王都を眺めながら沈鬱な表情でため息をついていた。


「ロニー殿。パリではすでに餓死者が出てきているそうではないか」


「ああ。パリの市民たちは、国王軍との長期戦に備えて食糧を配給制にしたが、どうやら食糧の管理がずさんだったらしい。当初の予想よりも早くに食糧を食い尽くしてしまったようだ。俺がパリ内に忍ばせている密偵たちの報告によると、パンが食べられなくなった市民たちは馬や犬、ロバ、ネズミなど動物を食しているとのことだ。動物たちを食い尽くしたら、草を食うようになるだろう」


「あまりにも、むごすぎる。我々はパリを落とすためにここまでしなくてはいけないのか? これでは、聖バルテルミーの虐殺を行なったカトリーヌ・ド・メディシスやギーズ公アンリと同じではないか。ロニー殿よ、こんな作戦を立案した君のことを私は悪魔のように思えてしまう……」


 モルネーが不快さを隠しきれない表情でそう言うと、ロニーはモルネーを横目でギロリと睨んで「そうだ。俺はカトリーヌやギーズと同類の悪魔だ」と答えた。


「俺は子供の頃に聖バルテルミーの虐殺に遭遇し、奇跡的に命を拾った。その時、思ったのだ。この世は無慈悲で、どれだけ善良な人間でも弱かったら簡単に命を落とす。戦乱の中、抗う力を持たない者の命は奪われていく一方だ。大切な物など何ひとつ守れない。

 だから、俺は陛下やカトリーン様、プロテスタントの同胞たちを守るために、強くなってやると決心した。残酷なまでに、それこそ悪魔となってでも、陛下に逆らう者たちをことごとく屠って、俺の守りたい物を守り抜く。そして、やるからには徹底的にやる。甘さを見せたせいで、俺は妻のアンヌを守れなかった。この世の全ての人間に恐れられ、忌み嫌われることになったとしても、俺は自分の苛烈な戦い方を変えるつもりはない。……貴様のように善人ぶっている男には、俺の考えなど分からないだろうがな」


「……分かりたくもない」


 苦々しい顔をしながらそう呟いたモルネーの声は、震えていた。ロニーの何者であってもひと睨みで震え上がらせる恐怖の眼光がモルネーの体を射抜き、


(陛下は、とんでもない男を腹心にしてしまったようだ……)


 と、モルネーは戦慄していたのである。


「俺も、貴様に別に分かって欲しいなどとは思っていない。さっき俺が言った『守りたい物』の中に貴様は含まれてはいないからな」


「なっ……」


 お前は敵だ、と宣言したようなものだった。


 ロニーは、昔からモルネーのことが気に入らなかった。

 この男がロニーのカトリーンに対する想いを断たせようとしてアンヌという結婚相手を探してきた。アンヌとはつかの間の愛を結ぶことができたが、彼女は悲惨な最期を遂げた。ロニーの妻にならなかったらアンヌは死なずに済んだだろう。

 モルネーは俺の悲しみと苦しみの全ての元凶だ、とロニーは思い、このプロテスタントの教皇だけはいつか蹴落としてやろうと考えていたのである。


 モルネーは、宗教面において大きな権威を持っている。一方、ロニーは政治や軍事面において、アンリにとって欠かすことができない重臣である。両者とも、フランス国王アンリ四世の第一の腹心になるためには、どちらかが一方を失脚させるしかない。


(……だが、今はその時ではない。フランス統一を妨げるカトリック同盟軍を崩壊させるまでは、内輪揉めなどしている場合ではないからな)


 ロニーはモルネーにニヤリと笑いかけると、その後は彼のことなど無視をして、砲兵隊の指揮を続けるのであった。




            ※   ※   ※




 2か月経ち、なおもパリは耐えている。


 カトリック同盟軍の勢力は何度もパリに食糧を運び込もうとしたが、輸送隊はロニーの部隊の襲撃を受けてことごとく討ち取られ、ロニーは兵士たちの首をパリ市内に投げ入れた。


「よく聞け、平和を乱す輩に手を貸している愚かなパリ市民たちよ。このロニー男爵マクシミリアン・ド・ベチューヌがパリ攻囲の指揮を執っている限り、貴様らにはひとかけらのパンも食わさんぞ。……国王陛下は貴様らを哀れんでいるが、俺は反逆者たちのために流す涙など一滴も無い。恨むのなら、俺を恨むがいい。あははははは!!」


 数十の首を部下たちに市内へ投げ込ませている間、ロニーは馬上で悪魔のごとく哄笑し、固く閉ざされた門の向こうの市民たちを震え上がらせた。


「な、なんと恐ろしい男だ……。あのロニー男爵という男が行くところ、恐怖の死神がついてくる……。我々はいったいどうしたらいいんだ……?」


 戦意を喪失しつつあった市民たちはそう囁き合ったが、共に籠城しているカトリック同盟の貴族たちは市民たちの行動を常に監視している。裏切り者が出たら、容赦なく処罰するだろう。戦うも地獄、降伏するも地獄だった。


 いや、地獄というのは、まさに今のパリ市内のことを言うのかも知れない。


 動物たちを食べ尽くし、草も食べ尽くし、なめし皮や蝋燭まで食い、いよいよ人としての理性を完全に失ったパリに籠城する人々は、人肉にまで手を出すようになっていたのである。


 いくつかの宿屋では、子供の肉が料理として客に出されていた。


 また、ある貴婦人は餓死した2人の子供の肉を使用人たちに食べさせて彼らに飢えをしのがせたが、自分は悲しみのあまり口にすることができず、間もなくして餓死したという。


「フン……。ここまで追いつめられて降伏しないのは、マイエンヌ公の援軍を待っているのだな」


 いくら脅迫しても何の反応も返ってこないのを見て、ロニーはそう呟き、最後の首を自ら市内に投げ入れた。


 亡きギーズ公の弟マイエンヌの軍が、国王軍の背後を突くべく、パリに接近中という情報がロニーの元に入ってきていた。前から予測はしていたことだし、マイエンヌごとき、戦上手のアンリの敵ではない。マイエンヌは、国王軍を撃破することも、パリを救うこともできないだろう。


 だが、このパリ包囲戦はアンリの「もう、やめよう」の一言で終了することになったのである。




            ※   ※   ※




「これ以上やると、あと1週間ほどで死者は1万から2万になるだろう。パリ市民たちはカトリック同盟の貴族どもに操られているだけで、彼らに罪は無い」


 ある晩、アンリは幕舎にロニーを呼び、そう言った。


 先日、アンリの命令でパリにいた約3千人の貧困者たちをパリの外から出してやり、アンリは彼らに食事を与えてやった。その時、アンリは、彼らから王都の惨状を聞いたのである。


「俺はフランスの全国民の父だ。我が子である民衆が死んで誰もいなくなったパリを手に入れたいとは思わない。……もう、やめよう」


「…………」


 ロニーは、蝋燭の灯りに照らされているアンリの顔を見つめながら、しばし黙りこんだ。


 アンリは、この包囲戦の間にずいぶんと老け込んだように見える。頭髪に数本の白髪があった。眉間に寄せた皺も深く、その苦悩に満ちた表情には、多くの国民を餓死させたことに対する強い自責の念が感じられた。


 このままだと、パリの市民やカトリック同盟軍が根を上げる前に、アンリの精神がもたないだろう。


「……俺が立案した作戦のせいで、陛下を苦しめてしまいました。お許しください」


「……いや、最も苦しんだのはパリの市民たちだ。そして、お前もな。ここまで苛烈な作戦を立てて、神の罰を恐れぬ人間がいるだろうか。王国無き国王である俺を首都に入れるために、お前には辛い役回りをさせてしまったと思っている」


「いいえ。俺は、聖バルテルミーの虐殺の復讐ができて満足です。パリ市民たちを死なせることに何の躊躇いもありません」


「嘘をつけ。涙を流しているくせに」


「涙など……俺は流していない。変な冗談を言うのはやめてください」


 おのれの所業を少しでも正統化したり、言いわけをしたりなどしたくないロニーは強く否定したが、アンリは「いいや……。俺には見えるよ、お前の涙が」と言いながら静かに頭を振った。


「冷徹に振る舞っているが、お前は悪魔の仮面の下で泣いている。……ロニーという男は、本人が思っているよりも善良な心を持っているんだ。まだ幼かったカトリーンが母を亡くして一人で悲しんでいる時、カトリーンの孤独を思って真っ先に駆けつけてくれたじゃないか。お前はカトリーヌ・ド・メディシスやギーズのような完全な悪魔にはなれない人間だ」


「なれるなれないの話ではないのです。俺は、陛下やカトリーン様をお守りするためならば、悪魔を演じきってみせます。地獄に落ちても構わない……」


「地獄……か。ロニーよ、これはお前の考えた作戦だが、許可を与えたのは俺で、俺たちは共犯者だ。ならば、神罰を受ける時は、一緒に受けよう。俺は、親友であるお前と地獄へ行くのなら、何も恐れぬ」


「陛下……」


 アンリは、臣下であるロニーのことを親友と呼んだ。そして、ロニーが心の片隅に隠していた神への恐れに気づき、俺たちは共犯者だと言ってくれた。

 ……ここまで自分のことを理解し、愛してくれる主君を持ったロニーは幸せな家来だと言えるだろう。たとえ、後世において「苛烈にして残虐な男ロニー」と罵倒されることになったとしても、それがアンリのために行なったことならば本望だ。


「陛下。俺は敵を苛烈なまでに追いつめ、絶望を与えます。そして、敗れた敵が力尽きて地にひれ伏したら、陛下が敵であった彼らに温かく手を差し伸べ、慈悲を与えてやってください。人間は絶望だけでは屈しません。優しくされたら図に乗って逆らいます。だから、俺が敵を叩きのめした後、陛下がその人徳で人々を従わせるのです」


「そう簡単にいくかな?」


「俺たちなら、やれます。女狂いなのが玉にきずですが、このヨーロッパ全土で陛下ほど心に優しさを持った王様はいません。そして、俺ほど有能な男もこの世界のどこにもいません」


「世界、ときたか。お前のほうが、規模がでかいじゃないか」


 アンリはそう言って笑うと、


「ロニーを信じて、前へと進んでみることにする。俺は、ヨーロッパで最も偉大な王になってみせるよ」


 そう誓うのであった。




 それから数日後、スペインの援軍と共にマイエンヌ軍がパリ近郊に到着したが、アンリの国王軍は、


「ようやく来たのか、間抜けめ」


 と言わんばかりに無視をして、パリの包囲を解くとさっさと撤退した。


 パリ市民たちは、今頃になって駆けつけたマイエンヌを白眼視し、また、籠城中にパリ市内のカトリック同盟の貴族や聖職者たちが国王軍への徹底抗戦を市民たちに強制して「これは聖戦だ。従わなかったら、天罰が下るぞ!」と脅していたことに対する不満を高めていた。


 これらの敵の事情をロニーはパリに潜伏させた密偵だけでなく、カトリック同盟側にいる弟のフィリップからの密書でつかんでいて、


(今回のパリ包囲戦は無駄ではなかった。これで、パリ市民とカトリック同盟の間に大きな溝ができた。後は、陛下がパリ市民たちの心をつかめばいいだけだ。彼ら市民の心を得るためには、やはり、先王アンリ三世の遺言を実行するしかないな)


 と、考えるのであった。


 いよいよ、パリを手に入れるための最後の仕上げをする時が来たのだ。

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