第87話 奥名先輩の独白(モノローグ) その4

 私の名前は奥名若葉。これを書くのは2度目になります。


 私には昔からある習慣がありました。なにか自分ではどうしようもないことがあると、こうやってその時の自分の気持ちを文字にするということ。文字にすることで自分の気持ちを客観的に、そして冷静になって見つめることができるからです。


 私が文字にするのは「自分ではどうしようもないこと」だけ。自分で努力すれば解決できるような問題は文字にはしません。それは時間の無駄だと思います。文字にする暇があったら解決策を考えるべき。繰り返しになりますが私が文字にするのは「自分ではどうしようもないこと」だけ。自分が係わることのできない所で起こったことの影響が自分に及んだ場合や、自分が散々努力してもどうしようもなかったことだけなんです。たとえ文字にしたところでそれが解決するはずのないことばかりなんです。


 なのになぜ文字にするのか。いやちょっと正確じゃないですね。もう少し正確に言うと“文字として紙に書くのか”。書くのにPCやスマホのたぐいは使いません。紙に手書きです。その理由のひとつは先に書いたように文字にすることで自分の気持ちを客観的に、そして冷静になって見つめることができるから。一文字ずつ手で書くことがそれには打ってつけなんです。


 そして理由はもうひとつ。それは書き終わった後にその紙を処分するから。自分が一生懸命書いた紙を自分自身でバラバラにすることで、なんだかその問題までもなくなってしまったような気になるんです。もう少し正確に言うと「なくなってしまうような」ですかね。そして実際、そうすると問題はそのうち解決するんです。少なくともこれまではそうでした。


 だから私、ひとつの問題で2度文を書いたことはなかったんです。2度書かないといけないような問題に出逢うことがあるだなんて考えたこともなかったんです。


 この前の時もそう思っていました。シュレッダーに吸い込まれていく便せんを見ながら私、「これで悩みから解放される。明日からまた瀬納君とこれまで通り付き合っていける」って思っていたんです。あれ? 今私「付き合って」って書きましたよね? もちろん「男女の関係として」って意味じゃないですよ。「単なる職場の先輩後輩として」って意味ですよ。ああ、私が意識しすぎなんでしょうか。おかしいですね。私は瀬納君のことなんとも思っていないはずなのに。


 それは上手くいったように見えました。シュレッダーを見つめた翌朝、私は瀬納君に明るく「おはよう」って言えました。他の人にかける挨拶とまったく同じでした。それは自信を持ってそうだと言えます。だって私、その後に「やった! 治った!」って思ったんですから。嘘じゃありません。彼の両隣にはいつものように美砂ちゃんと久梨亜がいました。でも全然気になりませんでした。


 はっきり言って私うれしかった。これで元に戻れる。これでまた元の日常が帰ってくる。そう思いました。そう信じていました。

 でも違ったんです。そうじゃなかったんです。

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