テミスちゃんとレアちゃん

 アタシ……テミスは今、悩んでいる。

 それは、あの時から始まった。


 アタシ達が、この大陸に辿り着いた直後の事だった。

 テッシーがホボス司教に人工呼吸をしている姿を見たアタシは、自分がマリアだけでなくテッシーにも口付けをされたんだな……と、改めて思い知らされた。


 そして胸が高鳴った。

 いけない事だと分かっていたけど、ドキドキするのが抑えられなかった。

 こうして自室にいても、その時の事を考えると……勝手に指が動いてしまう。


 ──ダメ……ダメだよ……こんなの……。


 でも指の動きは、止まってくれない。

 むしろ、より激しくなってしまう。

 アタシは押し殺していた息を荒げ始める。


 ──テッシーは人の命を救う為にした事だって……仕方の無い事だったって……ヨアヒムからも教えて貰っていたのに……。


「はあ……はあ……」


 婚約中だけれどもヨアヒムとは、部屋が別で良かったと心の底から思った。

 こんな涎まで垂らして喘いでいる姿なんて彼に見られたくないから……。


「ああ……あと……もう少しで……キそう……」


 アタシは高みを目指してラストスパートをかける。

 指の動きが激しくなってアタシの昂ぶる気持ちは、頂点へと向かった。


「デキたああああああああぁーっ!」


 アタシは描き上げた絵を高らかに持ち上げた。

 その絵はテッシーがヨアヒムにキスをしている絵だった。


「あは、あはは、あはははははっ! ……はあぁーっ……」


 ──アタシ、なんてものを描いているんだろう……?


 完成へ向けた悦楽の暴走が済んだ後には、後悔しか残らなかった。


 アタシとヨアヒムは、新しいエルフの森では無く、今は街の中にある城に住んでいる。

 城主は陛下……つまりテッシーだ。

 元々は古代都市の遺跡で大昔も城として使われていたらしい。

 ドワーフの連中に修繕して貰って見違える様に綺麗になっている。

 城に住んでいるのはテッシーとマリア、お姉ちゃんとイアとミエ……。

 そして村長さんとコンバさんとライデさん。

 お母さんとアタシとヨアヒム……。

 後は城の中で働いている人達が十数名だった。

 どうしてアタシが城に住んでいるのかと言うと、新居を新しいエルフの森に建築中だからだ。

 そこには新しい族長となる予定のヨアヒムと、その妻になる筈のアタシが、一緒に住む事になっている。

 アタシ達は近々、結婚式を挙げるつもりだ。

 本当だったら、もっと早くに結婚できていたのだけれど、逃避行生活など色々あって延期されていた。

 ヨアヒムと結ばれるのは、とても嬉しいし……待ち遠しい事だ。

 なのに……。


「アタシ……なんで、こんな絵を描く衝動が抑えられないんだろう……?」


 ──こんな絵をヨアヒムに見られたら婚約解消されちゃうかも知れないのに……。


 最初はホボス司教に人工呼吸をするテッシーを想い出しながら、その二人で描いて満足していた。

 でもテッシーが王様になって、剣術や狩りの指南役しなんやくとしてヨアヒムが選ばれると、その二人の組み合わせで見掛ける機会が多くなった。

 ヨアヒムは人懐っこいのか、テッシーとの距離感が近過ぎるのでは無いかと、やきもちを妬いた事もある。

 テッシーも特に抵抗が無いのか、ごく自然体で受け入れていた。

 ヨアヒムがテッシーに剣術を教えていた時に、テッシーの構えを直す為にヨアヒムが彼の後ろに回って手首を掴んで姿勢を修正していた事があった。

 その時の様子が、とても素敵だったので絵に描いてみたのだ。


 それが、いけなかった。


 描き上がった絵の出来栄えに満足しつつも物足りなさを感じたアタシは、絵の中のテッシーの首を後ろに回してヨアヒムと口付けを交わす絵を描いてしまったのだ。

 自分で描いたものなのに、その絵は激しくアタシの心を揺さぶった。

 テッシーとホボス司教の時がデコピンなら、ヨアヒムとテッシーの組み合わせは、殴られたかの様な衝撃だった。

 それ以来アタシの妄想は、テッシーとヨアヒムの組み合わせで膨らみ続けていくばかりだった。

 そんな妄想の産物が、アタシの部屋にある鍵付きクローゼットの中に山の様に隠されている。


 ──本当にヨアヒムとは、別々の部屋で良かった……。


 描き上げた絵は、愛着があるので捨てられない。

 アタシは結婚したら何処に隠しておくべきかで、真剣に悩んでいた。

 しかし、それも絵が見つかってしまい、婚約解消をされなければの話だ。


 ……たかが男同士のキス絵くらいで婚約解消なんて、優しいヨアヒムがする訳が無い……。


 彼を知る人達なら、そう思うだろう。

 アタシも、そう思う。

 だけれど、それはキスまでならの話だ。

 アタシは机に付属した鍵の付いた引き出しの中から、最近描いたばかりの絵を取り出して眺める。


「ないわー……」


 ヨアヒムのおかげと言うか、せいで……アタシは男の人の裸やエッチな事に関して、多少の免疫が出来てしまっていた。

 テッシーの裸も海水浴の時に上半身だけなら確認してしまっている。

 だから、キスどころじゃ無い絵も描けてしまうのだ。

 とても具体的な内容を明らかに出来ない絵を見詰めながら……アタシは溜め息を吐いた。


「特に今日のは、やばかったしなあ……」

 アタシは今夜の演奏会の前に見た、初めて狩りが成功したテッシーに顔を寄せながら、彼の肩に手を置いて微笑むヨアヒムを想い出す。

 あの情景を見た瞬間に、アタシの身体は熱くなってしまった。

 ──テッシーの事まで変な目で見てしまって……彼に勘違いされてないと、いいけど……。

 そう思いながら手を動かしてしまう。

 裸同士で肩に手を置きながらテッシーにキスをするヨアヒムの絵が出来上がってしまった。


「ないわー」

「何が無いの?」

「だって、こんな絵を描いてる事がバレたら……ヨアヒムに婚約解消されちゃうかも……」

「そう? ヨアヒムは優しいから許してくれると思うけど……」

「まあキスまでならアタシも、そう思うけど……」

 アタシは、もう一度キスよりアレな絵を手に取って眺めた。

「これが見つかったら……流石に終わりだと思う……」

「……これは……確かに凄い絵ね……」

「やっぱり、そう思う?」

「ヨアヒム以前に、お母様に見つかったら殺されてしまうかも知れないわ?」

「……というかコレ……相手がテッシーだから、お姉ちゃんに見つかってもヤバいのよね……」

「そうなの?」

「だって……」

 そう言いつつアタシは、椅子を回して振り返る。


 お姉ちゃんが立っていた。


 アタシの身体中から汗が吹き出てくる。

「い、いつから、そこにいらしてたんですか? お姉様……」

 口の中が突然、錆びついた様に上手く喋れない。

「少し前から……ノックをして呼び掛けても返事が無かったから、心配になって……」

 ──描くのに夢中で気が付かなかったあぁ〜っ!

 お姉ちゃんは机の上に置いてあったアタシの描いた絵を何枚か手に取る。

「か、鍵は?」

「掛かって無かったわ」

 ──テミスちゃん、一生の不覚っ!

 お姉ちゃんは手に取った絵を、しげしげと見つめながら、ぺらぺらとめくっていく。

 その真剣な眼差しに、アタシは震え上がった。

 ──こ、殺される……。

 最後の一枚を見た後で……お姉ちゃんは、ゆっくりとアタシの方へと顔を向けた。

「テミスちゃん……これって……?」

 そう言いながら首を左に回す姉。

 アタシの視線に真紅に輝く、お姉ちゃんの左の瞳が合わさってくる。

 アタシは死を覚悟した。

「他にも、あるのかしら?」

 アタシはガクガクと震えながら、首を縦に振る。

 ──証拠を洗いざらい提出させてから、抹殺する気だわ……。


「良かったら……見せて貰えないかしら?」


 ──はい?


 よく見ると、お姉ちゃんは頬が赤くなっていた。

 右手を口元に当てながら、いつの間にかアタシから目を逸らして、もじもじしている。

「他にも……こういう絵があったら……ぜひ見せて欲しいな……」

 お姉ちゃんは照れているのか途切れ途切れの口調でアタシに御願いを伝えてきた。


 アタシは実は……お姉ちゃんとは本当の姉妹じゃ無いんじゃないか? ……と、悩んでいた時期があった。

 お姉ちゃんがオッドアイの持ち主だったから……。

 精霊魔法を上手く使えなかったから……。

 それらの事も、あるけれど……何より、お母さんはアタシと似ているのに、お姉ちゃんとは似ていなかったからだ。


 ……レアは、お父さん似なのよ? ……


 お母さんは、そう言ってくれたけれど……アタシは、お父さんの顔を良く覚えていない。

 物心がつく前に亡くなってしまっていたから……。


 でも……今、確信した。

 お姉ちゃんとアタシは、血の繋がった正真正銘の本当の姉妹だと……。

 同じ趣味と嗜好を分かち合える同好の士だと……。


「お姉ちゃん!」

「テミスちゃん!」


 ひしっ!


 アタシ達は抱き締め合った。


 アタシはクローゼットに駆け寄ると、鍵を開けて扉の取っ手を掴んで勢い良く引いた。

 中からアタシの描いた絵が、雪崩の様に飛び出してくる。

「どんどん見て! 感想を聞かせて! まだまだ一杯あるのっ!」

 アタシは嬉しさの余りに興奮しながら、お姉ちゃんにアタシの全てを見せた。

「……えっ? ……ええ……」

 お姉ちゃんは苦笑いをしながら答えた。


 ──あれ?

 ──お姉ちゃん……なんか少し引いてない?

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