勅使河原くんとミランダさん Ⅶ

 僕は取り敢えずミランダさんを起こさない様に、ゆっくりと彼女を自分の身体から持ち上げて横に転がした。

 そして僕とミランダさんの荷物入れの中から、比較的大きなタオルを一枚ずつ取り出す。

 一枚を床に敷いた。

 ミランダさんの身体と床の間に、そっと両手を入れて、お姫様抱っこをする様に持ち上げようとする。

「お、重いな……?」

 流石にマリアの様には、いかなかった。

「なによう? ふざけるんじゃないわよう?」

 ミランダさんは突然に文句を言ってきた。

 僕は……彼女を起こしてしまったのでは? ……と思って、びっくりする。

「……すう……」

 どうやら寝言だったらしい。

 床に敷いた大きなタオルの上に、そっと彼女を乗せる。

「……あなた……うふふ……」

 ──旦那さんの夢でも見ているのだろうか?

 僕は軽く嫉妬の感情を抱きながらも、嬉しそうな表情をしながら寝言を繰り返すミランダさんが、可愛過ぎて思わず微笑んでしまった。

 もう一枚のタオルを彼女の上に掛ける。

「……ありがとう……」

 ミランダさんは寝言で御礼を言った。

「……どういたしまして」

 僕は呟いて答える。


 ──さて。

 ──取り敢えず僕は、トイレにでも行くかな?


 僕は、もう色々と我慢の限界だったので、山小屋にある小さなトイレの中で済ませる事にした。


 翌朝。

 僕は夜明け前に目が覚めてしまった。

 山小屋の外に出る。

 外に太陽は出ていなかったけれど、明るくなり始めていた。

 空気が澄んでいて、とても気持ちがいい。

 山小屋の東の方へ少し歩くと、そこは切り立った崖になっていた。

 崖から見渡せる遠くの山々の向こう側から、今まさに陽が昇ろうとしていた。

 少しだけ顔を覗かせた朝日が、とても美しい黄金色に輝いている。

「綺麗ね……」

 後ろから、ミランダさんが声を掛けてくる。

「おはようございます」

 挨拶をする為に後ろを振り返った僕は、彼女に見とれてしまった。

 陽光に照らされた彼女の髪は、より強く金色に輝いていた。

 ミランダさんは眩しさに目を細めながら、ゆっくりと髪を、かき上げる仕草をする。

「昨日は色々と迷惑を掛けて、ごめんなさいね。大丈夫だった?」

 僕は微笑んで答える。

「大丈夫です」

 ──結局ナニも喪っていないですし……。


 僕達は横に並んで、しばらくの間は、昇ってくる綺麗な朝日を眺めていた。

 やがて太陽が完全に顔を出した所で、僕はミランダさんの方へと顔を向ける。

「それじゃ、みんなも心配してるでしょうし……そろそろ……」

 ……戻りましょうか? ……と、言い掛けた時だった。

 ミランダさんの両手に自分の頬を抑えられながら顔を上に向けられてから突然、僕は彼女に口付けをされた。

 息をするのを忘れてしまうぐらいに、とても深くて強いキスだった。

 ──女の人の舌って柔らかいんだな……。

 静かな口付けとは裏腹に僕の舌へと激しく絡まってくるミランダさんの感触を口腔内で感じながら、ぼうっとしていく頭の中で僕は、そんな事を考えていた。

 ──そうか……。

 ──これが恋人同士のキスなんだ……。

 この日、僕は初めて大人のキスを恋人ではない筈の女性から教えて貰った。


 やがてミランダさんは、彼女の中に自分の舌を仕舞うと、ゆっくりと唇を離してくれた。

「これは母親のままで、いさせてくれた御礼……そして、私自身への御褒美……」

 クラクラする頭のせいで、まるでミランダさんの声と共に夢の中にいる様な感覚になっている。

「ありがとう、テッシーくん……大好きよ? みんなには内緒ね?」

 ミランダさんは唇に人差し指をあてて、僕に向かって微笑んだ。


「どうやら来てくれたみたいよ?」

 ミランダさんは僕から離れて崖の側へと歩くと、斜め下の方向を見る。

 僕は頭を軽く振って意識をハッキリさせると、彼女の隣へと歩いてから同じ方向を確認した。

 崖の向こうの斜め下からペイルが飛びながら、こちらに昇ってくるのが見えた。

 その首から背中にかけて見覚えのある女の子達が、四人乗っていた。


「マサタカさーん! ご無事ですかー!?」

 マリアが、こちらを見ながら口に片手をあてて、大きな声で呼び掛ける。

「大丈夫だよー! ミランダさんも一緒にいるからー!」

 僕は手を振りながら元気良く、マリアに返事をした。

「政孝っ! ゴメン! 本当にゴメンねっ!?」

 美恵が涙目で謝りながらペイルや他の三人と共に眼下から近付いてくる。

 自分で責任を感じて昨夜は泣いていたのか、彼女の目は真っ赤だった。

「この通りピンピンしてるよー!?」

 僕は右腕を挙げてガッツポーズをとってみせた。

 しかし、それが良くなかったらしい。

 美恵の目に僕の右腕に巻かれた包帯が見えてしまった。

「うわーん! 政孝ーっ! ごめんなさーい!」

 美恵は泣き出してしまった。

 ミランダさんが苦笑いをしつつ僕を見る。

 僕は……しまった……と、思った。


「だから言ったろ? テシなら大丈夫だってさ」

 イアがドヤ顔しながら三人に得意気に話す。

「ヨアヒムさんから……何かあったとしたら途中の山小屋に潜んでいるだろうから、そこから探してくれ……って言われたけれど、ドンピシャだったな!」

 イアが僕らを見て快活に笑う。

「ご苦労様、イア! ヨアヒムさんに後で御礼を言っておくね!?」

 僕はイアと同じ様に快活な笑顔で答えた。


 レアは黙っている。

 なにやら彼女の様子は、おかしかった。

 ジト目になりながら、僕を値踏みする様に見ている。

 ──レアは何処を見ているんだろう?

 僕は彼女の視線の行方を必死で探った。

 そして分かった。

 彼女は僕の口元を凝視しているのだ。

 僕は慌ててポケットからタオルを取り出すと、自分の口の周りを拭った。

 唾液らしき物を拭いた感触があった。

 僕の口元が不自然に光っていた事を、彼女は見逃さなかったのだ。

 僕は何事も無かったかの様にタオルを戻すと、レアに飛びっ切りの笑顔を見せて彼女に向かって手を振った。

 背中は冷や汗で、ぐっしょりと濡れていた。

 レアは目を閉じて軽く溜息をつくと……しょうのない人……という様な表情で微笑みながら、僕に向かって小さく手を振ってくれた。

 チラッと隣のミランダさんを見ると、普通に笑顔で自分の娘に対して手を振っている。

 レアも笑顔で母親に手を振った。

 ──恐ろしい母娘だ……。

 僕は……一体どっちが魔物なんだか? ……と、呆れるほか無かった。


「じゃあ、みんなの所へ戻りましょうか?」

 ミランダさんの表情は、すっきりとしていて、とても晴れやかだった。

「美恵!」

「な、何?」

 美恵は、まだ少し涙目だ。

「僕達は来た時と同じ様に馬で野営地に帰るから、先に戻ってヨアヒムさん達に出発の準備を頼んでおいて!?」

「お願いね!?」

 僕とミランダさんの二人からの頼みに、ようやく美恵は明るさを取り戻す。

「分かったわ! 気を付けて帰ってきてね!?」

 そう言うと四人は、ペイルと共に来た空の道を戻って行った。


 僕とミランダさんは少しだけ、ゆっくりと山小屋へと戻る。

 他愛のない話をしながら荷物を纏めると、馬を繋いでいる山小屋の裏手の柵へと向かう。


 そして騎乗をすると、僕は左頬に日の光を感じながらミランダさんと共に馬を走らせた。


 ──昨夜から今朝にかけての事は、きっと一生忘れられない大切な想い出になるな……。


 先行するミランダさんの騎乗する後ろ姿を見ながら僕は、彼女の触れてくれた左の頬を、そっとさするのだった。

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