勅使河原くんと二人目の魔姫 Ⅱ

「え?」

 僕は思わずき返してしまった。

 マリアは僕に向けていた視線を逸らすと、右手を軽く握りしめ、その親指を口元に寄せる。

「マサタカさん……私にキャッキャッ♡ウフフ♡を教えて下さい……」

 彼女は……何度も言わせないで欲しい……と、言っているかの様に、顔を赤くしていった。


 ──キャッキャッ♡ウフフ♡って、何だっけ?

 ──聞き覚えがあるような?


 僕は記憶を辿たどってみる。


 ──ああ……だ。

 ──ホブゴブリンが目前にまでせまっていた時の……。

 ──女の子に直接的な単語を言うのは、不味いだろう……と思って、その場しのぎで考えた造語ぞうご……だったっけ?

 ──あははははは……。


 ……。


 ええええええええええええええええええっ?!


「マ、マリア? き、君は、あの時は……知りたくありません! ……って、言ってなかったっけ?」

 そう答えると彼女は、再び視線を僕へと向けてくる。

「マサタカさんになら……教わりたいです……」

 ──いや、知らないし!

 ──いや、知ってるけど、実践経験無いし!

「いや……あの時も言ったかもしれないけど青い空の下でする事じゃ無いし……」

「……絶対にですか?」

「いや……絶対にって訳じゃ無いけど……」

 マリアは、うつ伏せのまま顔だけを上げて、僕を見ながら身体を寄せてくる。

 寄せてくるのはいいけど、それに合わせて彼女の大きなおっぱいが、服越しに僕の身体をこすってきた。

「ほ、ほら……誰かが通りかかったらマズいでしょ?」

「ここは友達のレアちゃんと私の秘密の場所なんです。他の誰かが訪れる事は、滅多にありません」

「と、友達が来たらマズいよね?」

「レアちゃんなら……この時間は多分、母親のミランダさんと一緒に精霊魔法の、お勉強をしている頃だと思います……」

 ……このままだと君は、友達と違う勉強をする事になっちゃうよ? ……とは、流石に言えなかった。

「い、いや……僕達は、まだ子供だし? す、少し早いんじゃないかな?」

「私は、もう十六歳です……。子供扱いしないで下さい。もう、立派な大人です……」

 ──いや、確かに立派だけど……って、そうじゃない!

 ──僕は十七歳です!

 ──元いた世界で僕達は、立派な未成年です!

 ──君は結婚できる年齢だけれどもさっ!

 たぶん今の僕の顔は、ゆでだこの様に真っ赤になっているに違いなかった。

 マリアの求めに対して、どう答えたら良いのか分からずに混乱していると、彼女の方から口を開いてきた。

「……分かっては、いるんです。振られたからと言って、マサタカさんがミエさんの事を忘れられっこ無いって……」

 僕は彼女の無意識の思わぬ台詞で心の傷を思いっきりえぐられた……。

「そして……マサタカさんが、いつかは自分の世界に帰らなきゃならない人だって事も……」

 ……。

 ──マリア……。

「でも……それでも……」

 彼女のうるんでいた瞳からしずくこぼれる。

「好きなんです! ……あなたの事を、好きになってしまったんです……」

 彼女は僕の胸に顔を伏せると、小さな声で僕に告げる。

「マサタカさんが……自分の世界に帰るまでで、いいですから……私の事だけを見ていて貰えませんか?」

 嘘だと思った。

 彼女の言葉の事じゃない。

 この状況が……夢のようだった。

 初めて女の子から告白された。

 例えようもない多幸感と高揚感が、僕の心を包み込んで来る。

 ──僕もマリアの事は……。

 たった数日の間なのに、様々な事で互いに同じ感情をいだけている。

 小さな奇跡だと思った。

 ──でも、だからこそ……。

 彼女に嘘は、けなかった……。

「どうしよう、マリア……? 僕も君のことが……その……好きになっちゃった、みたい……」

 僕の言葉を受けて再び顔を上げた彼女の表情が、喜びに満ち溢れてくる。

「でも……」

 そんな彼女の幸せを僕は、次の言葉で区切ってしまう。

「でも、君の言う通り美恵の事も……幼馴染の事も忘れられないんだ……。まだ好きなのかもしれない……事も本当なんだと思う……」

 ──ああ……不器用だ……。

 ──我ながら、不器用過ぎる……。

「振られたからって諦めない……とか、そんなんじゃなくって……ただ単純に、今の自分が生きている事を彼女に伝えないままで、君と一緒に先へ進む事が……なんて言うか、スッキリしないんだ……」

 マリアの表情から、喜びは消えていた。

 しかし彼女は、真剣に僕の話を聞いてくれている。

「美恵に自分の状況を伝えられる事が出来るかどうか分からないのに、こんな事を言うのはずるいと思う……」

 僕は自分の胸の位置にあるマリアの髪に、そっと手を伸ばして優しく撫でた。

「でも、せめて首都アウロペに着くまでは……君への答えを待っていて貰えないかな?」

 マリアは、僕の目を見ながら何かを考えている様子だった。

 やがて彼女は、僕の問いに答える。

「……分かりました」

 彼女は微笑んでいた。

「でも、あかしを下さい……。貴方が私を好きだという気持ちが欲しいです……。アウロペまで私が、不安に負けないような強い証を……」

「証?」

 僕が尋ねると彼女は、ゆっくりとまぶたを閉じて唇を寄せてきた。

 僕はマリアの精一杯の求めに応じようと、自分のひじに力を込めて上半身を起こして……彼女の唇に僕の唇を……。


(しかし まいったよなぁ おやぶんにも あんなに おこること ないじゃん)

(だなだな いくら おれらが さきに にげたからって あれは ないわ)


 ……。


(けっきょく おやぶん あねご よんだってよ?)

(うえ まじ?)


 ──うん、知ってた。

 ──多分こうなるんじゃないかなー? ……って思ってた。


 考えてみれば、あの小道だってマリアと友達のレアちゃんだけで作れる筈もない。

 滅多に通らない誰かが、通り掛かる可能性は、充分にあったわけで……。

「マリア、聞こえた?」

 僕は彼女に尋ねた。

 彼女も、どうやら気が付いた様子で……目を開けて上体を反らし、しきりに辺りを気にしている。

「はい……。何か獣の鳴き声のような……?」

 ──あはは、そう聞こえたかー。

 ──まぁ、獣になりそうだったのは、僕の方だったんですけどね……。

 僕は、彼女が自分の身体の上から降りた事を確認すると、静かに音を立てない様に起き上がった。

 ──確か……あちらのあしの向こう側から、声が聞こえたような……?

 僕は、やっぱり静かに音を立てない様に葦の生い茂る場所へ近づくと、ゆっくりと背の高い葦を掻き分ける。

 そして……向こう側へと顔を出して覗いた。


 二匹のゴブリンと目が合った。


「うわああああああああああぁっ!」

「キイイイイイイイイイイイィッ!」


 僕はたまらず叫んでしまった。


「マリア! ゴブリンだ! 逃げて!」

 僕は彼女に向かって叫んだ。

 マリアは敷物だけを、そのままにして、自分の荷物を持って小道を駆け上がった。

 僕も彼女の後を追う様に走ると、途中で自分の荷物を回収して、そのまま小道へと向かう。

 その瞬間、ふくらはぎにチクリと刺すような痛みを感じた。

 ただ、それだけの事だったのに……僕の足は急に鉛の様に重くなってくる。

 そのまま僕は、倒れてしまった。

 倒れた僕が自分の足を確認すると、大きな棘みたいな矢が刺さっている。

 葦の向こう側から現れたゴブリン達の一匹が、筒を持って勝ち誇った様にわらった。

 ──吹き矢だ。

 ──しかも、これは……毒?

 もう一匹が小刀を抜くと、慎重に僕に近づいて来た。

 ──トドメを刺す……つもりだ……。

「マサタカさんっ!」

 声がする方向にわずかに顔を向けると、走って戻ってくるマリアが見えた。

「ダ……ダメだ……。来ちゃ……いけない……」

 僕は彼女に届いたかどうかも分からない程に、か細い声で注意をすると……近づいて来るゴブリンをにらんだ。

 ──まぶたが重い……。

 せばまっていく景色の中で、僕が最後に見たものは……近づいて来るニヤけた顔のゴブリンの頭に貫通して突き刺さる矢と、そのままの表情で倒れるゴブリンの姿だった……。


 ──あっけないな……。


 たぶん死んだと思うゴブリンを見ながら僕は、ぼんやりと……そんな事を考えていた。

「マリアくん!」

「ヨアヒムさん!? マサタカさんがっ!? マサタカさんがっ!」

 何も見えない中で、声だけが聞こえてきた。

「いけない! 毒か!? デモス司祭! 解毒魔法を!」

「分かった!」

 男の人達の声が、聞こえる。


 ──良かった……。

 ──誰かが、通り掛かってくれた……。

 ──これでマリアは、助かる……。


 でも、僕は?


 何か聞き慣れない呪文が、聞こえてきた。

 泥の中に魂が沈んで行く様な感覚だった僕を暖かい何かが、包んでくれていた。

 僕は、とても優しい気分になれた。


 ただ、聞こえてくる意味不明な呪文の言葉だけが……酷く鬱陶うっとうしかった……。


 僕は……そのままで意識を失った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る