第23話「占いは信じない!(前編)」
星暦333年3月3日、ロドリゲス貿易自由共和国――。
ここは世界中の国々からありとあらゆる貿易品が集まる場所。そして様々な国家の貿易商が買い付けにやってくる世界有数の貿易国家であった。
アーク連邦の首都コールスマンウィンドウから東へ凡そ5600キロ離れたところに位置するこの国の心臓でもあるアーカンソー貿易港にヴィクトリアとカーサスの姿がある。ふたりはそこで貿易品を市場に運ぶ仕事をしていた。
何故そんなことをしているのかというと深い事情があった。それは今から3日前のことだ。
ふたりがロドリゲス貿易自由共和国へ初めて入国した際のこと。ヴィクトリアは世界中の貿易品を一度に見ることが出来ると興奮していた。しかしカーサスは全く興味がなかった。
ふたりが街を散策していると裏通りの道の端で、ある占い師の老婆と出会う。陰気臭かったため関わりたくなかったが彼女から声を掛けて来た。そして占いをすることになってしまったのだ。
「占い賃チンは前払いダヨ。ほれ、ほぉれ」
手を差し出して金を催促する。幾らか分からないため訊ねると金貨10枚と言われて驚いた。
「高過ぎる。ぼったくりも良いところだ」
カーサスは激怒して立ち去ろうとしたが老婆は彼を思い止まらせるためにあることを呟いた。
「お主、大分苦労しておるようじゃな。生まれは……孤児か」
何故分かったのか振り返って詰問してきた。
「見える、見えるぞよ。お主、魔法を使いたいそうじゃな。それに同じ孤児たちを救いたいと願っている」
「うわぁーっ」
突然頭を抱えて彼が叫ぶとヴィクトリアに寄り添って、
「今のは聞かなかったことにしてくれ。いや忘れろ」
激しく懇願するも彼女は笑みを浮かべると本当は魔法が使いたくてしょうがないことや、契約を結ぶ前に世界中の孤児たちを救いたいという願いを未だに忘れない気持ちに称讃の言葉を贈る。しかし彼にとって聞かれたくないことだったため老婆に対して憤りを覚えていた。
「ふぇっふぇっふぇっ。儂ならお主の望みを占ってやれるぞ」
「くっ……だが金貨10枚は高過ぎる」
「やめようか」
ヴィクトリアも現在の手持ち金は宿代と食費でいっぱいだった。また彼に貸す余裕もない。すると老婆が今度は彼女の方を向いて呟き始める。
「お前さんは会いたい人がおるな」
「うっ……」
図星だった。彼女の会いたい人とは何かカーサスは気になり訊こうとするが堅く口を閉ざしてしまう。
「その会いたい人は遠くにおる。しかし旅をしなければ直ぐにでも会える」
「そ、その通り……だけど」
彼の視線に外方を向くヴィクトリアだったが老婆が再び口を開こうとすると手を押さえて口止めする。そして金を払うから個人で占うように言い付けた。
「良いぞ良いぞ。先ずはお前からじゃ」
ヴィクトリアを指差してカーサスは聞こえない場所で彼女が占い終わるのを待った。
「では始めよう。会いたい気持ちは旅を続けるごとに増していくようじゃな」
「そう……です」
「なら今すぐやめて帰りなさい」
そうは行かない事情がある。彼女は世界中を旅し、アーク神族が産んだ子孫の様子を調査し、その裏では堕落民族とナチョスを滅ぼす使命があるからだ。しかし人前で以上のようなことは言えず黙ってしまうが老婆はまるで見てきたかのように話を進める。
「使命の気持ちは分かる。じゃが、大切な人はどうなる。長く待たされるわけじゃぞ。お主は良いかもしれない、しかし相手はどうじゃろうなぁ?」
それから暫く老婆と話しカーサスの番へと回ってきた頃には旅を続けるかどうか迷っていた。また顔色が悪くやつれているようにも見える。
「大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫、だと思う」
離れた場所で座っているように言うと彼女は俯きながら座り込んでしまった。気に病むその姿を見た彼は老婆に何をしたか声を荒げ立てるが、占いをし始める始末。
「おい、聞いているのか?」
「お主の苦労は全て彼女が原因じゃのう」
「な、何を言うか!」
だがその言葉で少し彼の心が揺らいでしまっていた。確かに彼女と出逢い、人生を棒に振ってしまったと思う日が幾日かあったからだ。しかし彼女は命の恩人でもある。ヴィクトリアがいなければ自分は死んでいたかもしれない。
「彼女を思う気持ちは良く分かる。恩人じゃから尚更そうじゃろう。しかし、それでお主の心は満たされるか。好きに出来ない彼女と一緒にいて、本当の自分を抑えておらぬか」
「お、俺は……」
「今、別れたいという気持ちがあれば手遅れにならずと済む。じゃが期を逃した実は滅んで行くのじゃぞ」
追い討ちを掛けるように彼の心の闇に溶け込む老婆はそのまま続けた。
「さぁ、決めるが良いぞ。彼女は悪魔だ。お前が昔抱いた夢を叶えるために。さすれば必ずや成功する。お主には秘めた力を持っているのだ」
彼との対話が終了し、老婆は20枚の金貨を巾着袋に入れると薄気味悪い笑顔を撒き散らしその場を退散する。
残されたカーサスとヴィクトリアには険悪な空気が流れていた。それは時間が過ぎると益々関係が悪くなっていくのだった。
「ねぇ、カーサス。ボクたちの旅っていつ終わるのかな」
「知らねぇよ。てめぇの問題だろ!」
口調がいつもと違うことに彼女は気が付いた。それは彼も同じだ。いつもと違う雰囲気に互いは何かを見失いそうだった。
「悪い。ただ、少し休みたいかなって」
「そうだね。疲れるよね。ボクと一緒にいると」
「そ、そうは言ってないだろ!」
再び激しく声を奮わす。ヴィクトリアは少し怯えていた。
「大体、お前は何かあるといつも自分が悪いように被害者面しやがって! あっ……」
言ってしまった。やってしまったと言わんばかりの彼は口に手を当てるが時既に遅し、彼女は涙を流し始める。
「ごめんね。ボクが君と契約をしなければ君も苦痛を味わうことはなかった」
「や、違っ……」
「決めたよ」
すると彼女は左手を胸に当て右手を前に差し出すと、
「我が僕しもべ、命を此処に残し契約解除を認める」
そう呪文を唱えだす。彼は早まることはないと止めに入るが閃光と風圧で吹き飛ばされると壁に叩きつけられた。
「痛いってぇ……」
「今までありがとう、カーサス。今日から君は自由だ。体は不老不死の儘だが、ボクとはもう二度とあうことはないだろう」
壁の下で踞る彼に声を掛けると一滴の涙を地面へ落としその場を去る。遠ざかる彼女に声を上げたかったが壁に叩きつけられた衝撃で鞭打ちの状態になってしまったため動くことさえ儘ならなかった。
「あいつ、何が契約解除だ。勝手に契約を結んでおいて自分勝手だな」
その場で暫くいるとヴィクトリアくらいの背丈の女性が小走りで近付き声を掛けてくれた。彼女はこの近くで小さな治療院をやっている。その治療院へ来る患者がこの道を通る際、彼を見つけてそれを彼女に伝えたそうで診療を終えてから様子を見に来たそうだ。
「肩を貸しますからしっかり掴まって下さい」
華奢な体付きにも拘らずカーサスを支えて治療院まで歩いた。また一文無しであった彼をタダで治療してくれたのだ。
「ありがとうな」
「こんな怪我、どうしたんですか。盗賊にでもやられたんですか」
「あはは、いやぁ、連れと喧嘩してな」
ヴィクトリアを思うと無性に腹が立ってきてしまった。彼に見切りを付けて勝手に契約を解除して散々な目に遭った自分を手厚く看病するこの女性に、今彼は癒されていたのだ。
「そのお連れ様は酷いことをしますね」
「全くだ。自分のことしか考えていないんだ。あいつは!」
「喧嘩別れという奴ですかね。まぁ他人の事情に口を挟むつもりはありませんが、気の合わない方と一緒にいるのは人生損をしていると思います」
その言葉、老婆の言った言葉にも似ていて彼はヴィクトリアと別れたことに感謝すべきかどうかの葛藤に悩まされていた。
「傷は結構治りが良いみたいですね。でもあなたの心は治せません。悪しからずに、ね」
「あ、あぁ……ありがとう。えぇと」
「サキよ、サキ・ベルメース」
「ありがとう、サキ。俺はカーサス、バーン・カーサスだ」
そうして彼は怪我が完治するまでの間、入院することとなった。それまでの必要経費は全て無料であったわけだが流石に悪い気がし、完治後に働いて払いにくると言うと無理はしないよう注意された。しかしお礼を言われ彼は早く治ることを願う。
カーサスが怪我人として治療院に運び込まれている間、ヴィクトリアはお金を稼ぐために街の求人が集まる役場へ向かっていた。しかし、アルバイトよりも効率の良い賞金稼ぎを選ぶことにする。
役場にそのようなものはなく、今度はクエストを受けることの出来るバーバラ・バーという酒屋に行った。そこでは未成年者の入場が禁止されていた。
彼女の実年齢は推定1億歳は超えており見た目では17歳とされ、本人も公では17歳と言っている。この時、年齢を誤魔化そうかと思ったが後々収入が減ったり、罰金を取られたりするのが嫌だったため正直に言うことにした。
店先に少しだけ貼り紙が出ており、世界中の指名手配犯の情報と報償額が提示されていたがどれも金額が低く設定されていた。
「一番高くて金貨18枚……市場レートで今だと1枚、約5万アークドルだから……90万くらいか」
もう少し額の高いものを希望するため酒場に入っていく。しかし入店するもオーナーらしき男に年齢を訊かれ、咄嗟に嘘を言うも直ぐにバレてしまう。
「ガキは大人しくママンのおっぱいを吸ってるか、奴隷みたいなアルバイトでもしていろ」
その男は彼女の襟を掴んで店外へと追い出そうとするが、直前に彼女はあるクエストを見付けた。それはドラゴンの討伐だ。
「金貨140枚……、ねぇお兄さん。あれを討伐しに来たんだ。受けさせてよ」
貼り紙を指差して男はそれを見て笑いよりも先に罵声を飛ばしてきた。
「馬鹿モン! ガキがこんなものを討伐出来るわけが無いだろうが!」
店内中に響くと客は男が指差す貼り紙を見て笑い転げた。
「お前がドラゴン討伐するのか? 滑稽だな」
「しかもまだ糞生意気な野郎じゃねぇか」
「絶対に『あぁん、ママァたちゅけてぇ』って言うに決まってンじゃんか」
口々に罵声しあっているとオーナーの男が黙るよう大声で叫ぶ。そして静かに語り出した。
「このドラゴンは全長約100メートルを越す化け物だ。口から火を吹き、飛行し、剣や銃弾さえ弾くその巨体は正に不死身のドラゴンだ」
店は静まり返る。客らもそれに纏わる話をし出す。
「俺のダチが討伐に行って帰ってこなかったな」
「確か今までの討伐は60人くらいだったよな」
「生きて帰ってきたのは3人。だが、2人は出血多量で死亡、1人はのちに自殺」
つまり討伐をしてきた者で生き残りはいないというわけだ。そしてオーナーは最後に付け加える。
「金貨140枚の意味は分かるか」
酒場の客も何故だかは知らなかった。昔からこの報償額だったようだ。
「これはな、昔140人の戦士たちが挑み、そして負けた数字に因むんだ」
初耳だった客が納得して頷く。基本的に討伐は各街の討伐隊が行うか専門の組織が一括して執り行う。しかし、140人集まった討伐で生き残りは3人だった。彼らは討伐を諦め勇者が現れることを祈り、自分たちの記憶を留まらすために報償金額を金貨140枚としたそうだ。
「そんなことがあったんですね」
「そうだ。仲間を失った悔しさは今でも忘れない」
その言葉に客が驚いた。オーナーがその140人の中から生き残った3人の内の1人だったのだ。
「だからお前さん、このドラゴン討伐に許可を願い出る奴にキツく条件を出してたんだな」
「最低5人で参加させたりしてたのもそういうことだったのか」
今までの行動にも納得する客はオーナーの言うことを聞くようヴィクトリアに言い聞かす。しかしそれで引き下がる彼女ではない。
「大丈夫です。ボクが必ず討伐してきます!」
すると男は彼女の胸ぐらを掴むと額に頭を擦り付け、
「出ていけ!!!」
と叫ぶ。ところが眉ひとつ細めない彼女の姿に彼は追い打ちを掛ける。
「このまま居座ると憲兵に突き出すぞ」
「ボクは討伐を受けに来ただけだ」
「話を聞いていただろう。この討伐はお前には無理だ」
「無理かどうかはあなた決めることじゃない」
両者共に一歩も退かないでいると店の奥からひとりの男が近付いてくるとオーナーを差し置いてヴィクトリアに向かって拳を一撃食らわせた。彼女は突然のことで受け身を取ることが出来ずにそのまま店の柱に叩きつけられる。
「この程度も避けられないんじゃドラゴン討伐は無理だ。この甘ったれが」
「おい、ジン」
彼はオーナーの知り合いだった。いや知り合いという言葉では言い表わせないかもしれない。
「ガイ、わかんねぇ奴にゃ、体で覚えさせるしかねぇんだよ。それで諦めてくれりゃ、儲けモンだろ」
彼はオーナーであるガイの友人であり、140人の討伐隊の中の3人の内、2人目の生き残りでもあった。
「おい、糞ガキ。おめぇが考えているほど世の中は甘ったるくねぇんだ。聞き分けをもちやがれ」
「それだけですか?」
「アァン?」
ヴィクトリアは柱を支えに立ち上がるとジンの方へ歩いて向かう。
「これはボクが選ぶ道です。あなた方がどうこう言って止められるものじゃありません」
「なんだと?」
「ガイさん、ボクに討伐の許可を受けてもらえますよね」
「な、なぜそうなる」
するとジンが舌打ちをして彼女の脇腹目がけて蹴りを入れる。しかし再び避けることはなくそのまま蹴を受けるが今度は吹き飛ばされることはなかった。
「な、に……!?」
さらに彼女は彼の一撃を神風の鞘で受け止めていたのだ。驚くべき瞬発力と力に彼らは驚愕する。
「マグレだぜ」
「戦場にマグレなんてない。実力と運しかないよ」
帯刀するとガイの方を向いて笑顔でもう一度申請をお願いする。しかし彼は意地でも許可することはなかった。ジンも許可する側の人間ではなかったが例えそうであっても頷くことはない。
「邪魔するよ」
そこにまたひとりの男が入ってきた。ガイとジンは深々と頭を下げて彼を席に誘導する。その際、足が覚束ないことを彼女は見ていた。
「ウルフさん、いつもので良いですか」
「あぁ頼む」
その男はウルフと言うそうだ。ガイらが慕うわけを彼女は見抜き彼に話を掛けることにした。
「ウルフさん、少しよろしいですか」
「お前さんは?」
「ヴィクトリアと申します」
ジンが彼の隣に座ろうとする彼女を止めに入るが遅かった。席に着いて話をし始める。
「あなた、ドラゴン討伐隊140人の隊長か何かだったのでは?」
「そうだよ、この方は俺たちウルフズの副隊長だよ」
やはりと思って話を続ける。彼女はその彼にドラゴン退治の許可を出すようお願いした。
「お前さんが討伐を?」
「はい」
「起立して貰って良いか?」
ヴィクトリアをその場で立たせると舐め回すように下から上まで見てこう言った。
「良いだろう。好きにしろ」
「ちょ、奴はまだガキですぜ」
ジンが食いかかる。彼の見立てが承服出来ないようだった。しかしガイは彼女に刀を抜く様にお願いする。
「構いませんよ」
ヴィクトリアは左手で鞘を押さえ右手の平を柄にそっと掴み神風を引き抜いた。息を呑む光景にガイとウルフは小さく頷いた。
「もう良い。お前に討伐をお願いする」
ガイがカウンターの下から書類を持ってサインを書くよう案内する。ジンは未だ不服だ。
「あんなガキが討伐出来るわけがない……それなら俺たちが勝った筈だ」
書き終わったヴィクトリアが店の奥に地図と資料を持ってくるガイを待つ間ウルフに注意点を聞いていた。
「奴は振り向き様に尻尾で攻撃してくる。これで幾人の仲間が巻き込まれて即死した。生き残った奴もおったが重傷だ」
尾が危険だということ。素早い引っ掻き、間合いを取られると口から火を、そして翼を利用して竜巻を起こしたりするということを聞かされた。
「これが資料と地図だ」
「お借りします」
「気を付けて行けよ」
「ありがとう。えぇとガイさん、でしたよね」
彼は初めて笑顔を見せると彼女に謝り、
「ガイ・ベルメースだ」
「ヴィクトリア・ギャラクシーです」
互いに自己紹介をした。最後にウルフがグラスに入った酒を片手に、
「俺はウルフ・キックバック。無事に討伐したら俺の奢りで一杯やろう」
士気を上げると客らも一斉に彼女を応援する。そして遂にジンも認めた。
「逃げ帰ってきても誰も責めねぇ。とにかく生きることを考えろ。俺はもう誰かが死ぬところなんて見たくねぇからな」
「ありがとう。じゃあ行ってくるよ」
彼女は店を後にした。
日の入り前に遠ざかるヴィクトリアをガイはしかと目に焼き付ける。勇者がまたひとりドラゴン討伐へと向かうからだ。
「あいつ、帰ってくるかな」
ジンが呟いた。ウルフはそうであってほしいと願う。ガイは信じていた。
「きっと帰ってくるさ。彼女は、きっと」
「――って、あいつ女だったのか!?」
驚くジンにウルフが彼の肩に手を置いて、
「すけこまのお前が気付かなかったなんてあいつも中々だな」
気さくに笑い合う彼らは店の中へと入っていった。
ヴィクトリアのドラゴン討伐は日の出後に行うこととなる。
彼女は地図に従い町外れの小屋に一泊するため歩いていると昼間に出会った占い師の老婆と再会する。
「お主、死の兆候が見られる」
「あっそう」
「死んだら終わりじゃけぇ、今すぐ故郷くにに帰り」
「そのための費用を稼がないといけないの。大体あなたに占いを頼まなければこんなことはならなかった」
老婆は奇声にも聞こえる笑いをあげると指を差してこう言った。
「占いはあくまでお主自身の運命を見る。それに従うかはお主自身の問題じゃ。ふぇっふぇっふぇっ」
そう言い残し彼女は闇夜に消えていった。ヴィクトリアも遅くなる前に小屋へと急ぐ。
到着する頃には夜中を夜の帳は降りて虫たちが鳴いている。蝋燭立てに明かりを点けると部屋の隅に置いてある木箱の中を開ける。
資料通り、討伐者のために食料が入っていた。彼女はパンと少し濁った水を取り出して食べ始める。
「お腹空いてたから助かる」
朝から何も食べていなかったため然程時間が掛からず食べ終わった。明日の朝食分の他に幾つか木の実を懐に入れておく。小腹が空いたときのためだ。
朝も早いため、干し草で出来たベッドと薄い毛布を掛けると彼女はカーサスと別れてから初めての夜を経験した。いつもは口うるさい彼もここにはいない。少し寂しく横になるヴィクトリア。
「おやすみ」
そう言って目を閉じる。
一方の彼はというとサキの治療院で温かい食事をご馳走になっていた。彼女とは正反対である。
「ウマい! こんな美味い料理は久々に食った!」
「そんなにですか?」
「いつもは缶詰めか釣った魚や捕った虫だったからな」
「す、凄いですね」
食欲が失せてしまいそうな料理を想像する彼女。しかし自分が作った料理を美味しく食べてくれる彼に喜んでいた。
「久し振りに兄以外の人と食べるかな」
「兄貴がいたのか」
「はい。兄は滅多に帰ってきませんが偶に帰ってくると私の手料理を美味しく食べてくれるんです」
偶にしか帰ってこない兄に憤りを見せるカーサス。こんな美人で料理も美味しく、健気な可愛い妹をひとりにしてどこをほっつき歩いるのか無性に腹が立つ。
「俺がいる間に帰ってきたらヒトコト、文句言ってやりますよ」
その言葉に彼女は笑う。
「でも兄も忙しいみたい」
差し支えが無ければ教えてほしいと訊ねると彼は酒場で働いている、ガイのことである。
「喧嘩が多くて家に帰ってくるよりも怪我人を連れてくる方が多いかもしれないわね」
「兄貴が怪我人連れてサキさんが治療して、お金を貰う。なんか良いコンビネーションですね」
「それ、良く友達に言われます。私はお断わりしているんですが、兄は迷惑料だといって徴収して私のためにお金を入れてくれるんです」
意外にも妹思いの彼にカーサスの心は怒りから尊敬へと変わった。
「是非、兄さんと呼ばせてもらいます!」
「なんですか、それ」
ふたりは笑い合いながら食事を終えると風呂を沸かしてくれた。
このロドリゲス貿易自由共和国は多額の関税で成り立っているため、街の家々に一台の風呂場が設置されている他、水は蛇口を捻れば使いたい放題であった。流石にサキは無駄遣いはしないが、今日はカーサスのためふんだんに水を使った。
「私が洗ってあげますね」
「ひょ!?」
自由に動けない彼を風呂場へ案内すると自らも服を脱ぎ始めた。カーサスは赤くなって何をしているのか問いただすと、
「一緒に入れば短い時間で済むじゃないですか」
などと言って裸になる彼女を見て彼は昇天しそうになる。
「じゃないですかじゃないですかじゃない」
自分でも何を言っているか分からない彼は落ち着こうとして腕を上げると彼女の柔らかい胸に当たってしまう。
「ひょっ!」
「痛いじゃないですか」
「じゃないですかじゃない」
彼の心臓は破裂寸前だった。サキの体付きは華奢だが貧しくない乳房に柔らかい肌、そして優しい声に彼は天国にいる気分だ。
今までヴィクトリアの裸を見てきた彼だがそれよりも美しいと感じてしまった。特に乳房の形は彼を更に興奮させる。
「美乳だ」
「あらあら、兄もそうおっしゃいますよ」
「しまった!」
ついうっかり口を滑らせてしまい慌てて口を塞ぐがもう手遅れだ。というよりもガイがなぜそう仰るのか訊くと驚くべき答えが返ってくる。
「いつも家に帰ってきたときは一緒に入ってますもの。昔からそうでしたし」
「ホワッツ!?」
衝撃の事実に彼は口だけではなく足を滑らせて浴槽に背中を強打し悶絶する。サキが介抱しようと彼を抱き抱えると彼女の乳房に顔が当たる。そして心臓の鼓動までもが聴こえていた。
「サキさんの心臓が凄く落ち着く。おっぱいも柔らかい。良い匂い。ウホッ、俺……倖せぇ。ウホッ」
そのまま意識を失い気が付いたのはベッドの上で看病されている時だった。
「大丈夫、ですか?」
「あ、えっ。多分、大丈夫」
サキ心配そうにリンゴの皮を向いて8等分に切り分けて差し出した。シャリシャリと音を立てて食べると一息付いたところで彼女に淫らな行為を謝罪する。
「私も普通に接してしまい申し訳ありませんでした。もっと節度ある対応をすべきでした」
「いや、あれはあれで良かった。かも」
「そう言って戴けるとありがたいです」
ふたりは顔を合わすと次第に笑い声を上げる。
夜も更けてきたため、カーサスは眠ることにしたがサキはカルテを整理するため仕事に戻る。邪魔しては悪いと思ったが何か手伝いは出来ないかと思い、車椅子に座りながら仕事を手助けした。
「ほぇ、こんな病気があるのか」
「あ、ダメですよ。勝手に他の方のカルテを覗き見しちゃ」
「悪い悪い」
すると行ったそばから彼女が持っていたカルテを見て、
「おっ、こんな治療の仕方があるのか。俺の時は無かったからなぁ」
などと言って聞く耳を持たない彼に少し怒った。しかし彼の話も訊いてみたかった。
「あなたも医療が分かるのですか?」
「軍隊時代に少し齧かじった程度だけどな」
詳しく聞いている内、夜中を回り流石に明日の勤務もあったためカーサスが切り上げる。サキは話し込んで申し訳ない気持ちでいっぱいだったがそれは彼も同じである。
彼女はベッドに彼を寝かせると声を掛けて寝室へと向かった。彼もまた、
「おやすみ」
と言って眠りに就く。
こうしてヴィクトリアとカーサスの双方は違った人生を歩み始めていた。しかし、これはのちに続く人生の始まりでもあるのだ。
この話の続きは後編で楽しむことにしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます