第四章

 金曜日の夜、このエリアでもトップクラスと謳われるラグジュアリーホテルの会場では、石森産業(株)が主催する新社長就任披露パーティーが盛大に催されていました。


 今年度で、会社創業40周年の節目を迎えるということもあり、新社長の就任と同時に、社名もこれまでの『石森産業(株)』から『ISHIMORI(株)』に変更されます。


 会場内には多くの招待客が列席し、中には著名人の顔もちらほら見受けられ、来賓以外にも、取材に来ている新聞社や企業向け雑誌の記者さんの姿もありました。





 主だったゲストの祝辞に続き、石森新会長による『40周年にあたり関係者各位への感謝』のスピーチが終わり、いよいよ『新社長就任のご挨拶』をする石森くん。


 いつになく緊張したその表情から、今後の彼の双肩に掛かる責任の重さが伝わります。



「…という次第でございます。まだまだ若輩者ではございますが、先代に引き続き、何卒宜しくお願い申し上げます」



 スピーチを終え、深々と頭を下げる石森新社長と、その横で同じく頭を下げる新社長夫人の美晴さんに、会場からは、割れんばかりの拍手が鳴り響き、この晴れの舞台をより一層盛り上げています。


 かつて20代の頃から、何でもかんでも後回しにしては、ギリギリになって焦り始め、ぶっつけ本番で失敗するという彼の武勇伝を数えきれないほど見て来ただけに、スピーチの間中、こちらまで緊張してしまい、無事大役を終えた姿に、まるで出来の悪い子を見守る親のような心持ちで安堵した私たち。



「それでは皆様、グラスをお取りください。(株)国枝商事、国枝会長さまより、乾杯の音頭を頂戴したいと思います」



 司会者にご指名され、壇上に向かう国枝会長。


(株)国枝商事といえば、国内屈指の大手商社であり、工作機械の製造販売を手掛けるISHIMORI(株)にとって最大の取引先でもありました。


 国枝会長が壇上に上がり、スピーチを始めるまでの間に、ホテルのパーティースタッフによって、すべての招待客に手際よくグラスが配られる様はお見事、さすがにこのホテルが一流と言われる所以です。



「え~、ご紹介に預かりました、国枝商事の国枝でございます。本日は、創立40周年と、新社長就任、まことにおめでとう! …と、まあ、新会長の石森のお父っつぁんとは、そりゃ~もう長っっい腐れ縁でねぇ~。ほんでもって、なんか喋れと言われたから出てきたけど、年寄りはやたら話が長くて嫌われるもんですわ。皆さんも、そろそろ腹が減ってることでしょうし、食べ物の恨みは怖いと言うし、ちゃっちゃと乾杯の音頭を取って、飯にしたいと思います」



 その言い草に、会場の至るところから笑いが溢れ、石森会長も、手を叩きながら大笑い。


 国枝会長の軽妙なスピーチに感心しながら、全員が持っているグラスを胸の前に準備しました。



「それでは、石森産業(株)改め、ISHIMORI(株)の益々の発展と、皆様のご健勝を祈念し、乾杯!」


「乾杯!」



 再び会場は大きな拍手に包まれ、その後は歓談となりました。





 今回の就任披露パーティーは、大広間での立食形式になっていました。


 休憩用の椅子も用意されてはいましたが、全員分はありませんので、早い者勝ちとなります。


 椅子取り合戦に敗れた私たちは、椅子エリアから近い場所に陣取り、同様に椅子取りを狙う他の方々と静かに牽制しつつ、空席が出来るのを虎視眈々と待ち構えながら、歓談していました。



「それはそうと、こうめちゃん、今日は莉帆がお世話になって、ありがとうね」


「どういたしまして! お互い様だから」


「我が侭言ったり、迷惑掛けたりしなかった?」


「全然! 莉帆ちゃんと一緒だったから、私も会場までの道中楽しかったし。ホントに良い子だよね~」


「良い子~? あいつめ、超分厚い猫被ってたか!」



 そう言うと、ちょっとおどけた表情で笑って見せた静花さん。





 夕方4時に、約束通り我が家へやって来た、静花さんの娘の莉帆ちゃん。ママのコーディネートなのか、お嬢様風のワンピース姿がとてもよく似合っています。


 莉帆ちゃんのことは、まだOLをしていた時代、静花さんのお腹にいる頃からいろいろと関わって参りましたので、私にとっては、姪っ子くらいの近親感がありました。


 今年の春、中学生になり、このところぐんと背も伸びて、追い越されるのも時間の問題かも知れません。


 パーティーの開始時間は午後6時でしたが、念のため早めに自宅を出ることにしていた私たち。莉帆ちゃんが持参した父、伸亮さんと、母、静花さんの衣装を間違いがないかチェックし、私の夫の物と一緒に車に積み込み、出発しました。


 会場へ行く道すがら、莉帆ちゃんが嬉しそうに尋ねてきたのですが、



「ねえねえ、こうめさん、今日はどんなご馳走が出るのか、知ってる?」


「ううん、ビュッフェとしか聞いてないけど?」


「そっか~、そうだよね~」


「莉帆ちゃん的には、どんなご馳走だと思うの?」


「うん、そうだね~、多分、すっごいお肉とか~、すっごいケーキとか~、すっごいパフェとか~、あとね、すっごいプリンとか、マカロンとか、チョコレートファウンテンとか~♪」



 町内清掃のときに、静花さんが言っていた通り、彼女の頭の中は、私たち凡人には想像もつかないようなご馳走で溢れかえっているようで、



「え~、何、そのすっごいチョイス? お肉以外、全部スイーツなんだ?」


「うん、個人的願望として!」


「あはは! 希望が叶うことを、祈ってるわ」



 今日のご馳走を相当楽しみにしている様子でした。但し、かなり偏った妄想で脚色されてもいましたが。





 ホテルに到着し、3人分の衣装をフロントクラークに預け、ロビーに併設されたラウンジでお茶(莉帆ちゃんはクリームソーダ)をしながら、他のメンバーが到着するのを待つことに。


 麻里さんは、菜々子ちゃんを連れてご主人の園原くんの会社で合流し、そこから3人で会場に来ることになっており、静花さん夫婦とうちの夫は、各自仕事先から直行する予定で、会場で落ち合う約束をしていました。


 最初に到着したのは、麻里さんファミリーでした。



「莉帆おねえちゃ~ん♪」


「菜々子ちゃん~♪ こっち、こっち~!」



 ピンクのおリボンを付け、嬉しそうに駆け寄る菜々子ちゃんを、満面の笑みで両手を広げて迎える莉帆ちゃんの姿は、まるで少し年齢の離れた仲の良い姉妹のようで、見ていて微笑ましくなります。


 園原くんは、お仕事関係の方からの電話応対中らしく、私たちに小さく手で挨拶をしながら、他のお客様の邪魔にならないように、隅のほうの場所へフェードアウト。


 麻里さんはニコニコしながら、ソファーに座る間もなく、



「皆は?」


「まだだよ。もうそろそろ到着するころだと思うんだけど」


「そう。それじゃ、もうキッズルームの受付してるみたいだから、先に子供たちを預けてくるね」


「宜しくね。私は、他の皆が来るのを待ってるから」



 そう言うと、ふたりを連れて行きました。





 時刻は5時半を廻って、パーティーの受付も始まり、ロビーには大勢の人が集まっていました。


 程なくして、夫と伸亮さんが到着し、先ほどクラークに預けたスーツに着替えに行き、入れ違いに到着した静花さんも、大急ぎで着替えに行き、キッズルームと電話から戻って来た麻里さん夫妻と一緒に受付を済ませ…。


 あれだけ時間に余裕を持って動いていたはずなのに、気が付けばバタバタと会場へ入るありさま、ゆっくり話が出来たのは、乾杯が終わり、歓談タイムに入ってからでした。


 



 パーティーが盛大なら、ビュッフェのお料理もゴージャス。各料理テーブルでは、一流シェフが目の前で作るお料理を、その場でゲストに取り分けてくれるという贅沢な演出付きです。


 オードブルからメイン、デザートに至るまで、種類も豊富なうえ、お味も最高ときていますので、この分なら、莉帆ちゃんたちもきっと大満足に違いないと話していると、



「ここにいたか! みんな、たくさん食べてるかね?」



 そう言いながら現れたのは、先ほど乾杯の音頭で、大いに会場を湧かせた国枝会長でした。


 山盛りのご馳走を乗せたお皿を両手に持って、満面の笑顔で私たちに歩み寄って来ました。





 私の実家と国枝家とは、お互いの祖父母の代からのお付き合いで、長女の柚希ちゃんとは、幼なじみの同級生という間柄です。


 かつて国枝会長が若い頃、私の祖父が彼のピンチを救い、私の夫がピンチに陥った際には国枝会長(当時社長)に助けて頂き、それ以外にもいろいろと深いご縁で繋がっておりましたが、それはまた、別のお話。





 国枝会長が大切そうに運んできたお皿を受け取り、



「それにしても、おじ様、凄い量を取ってらしたのね」


「そうなんだよ、こうちゃん! シェフがちょっとしか皿に盛り付けないから、『これっぽっちで腹が膨らむか! ケチケチせずに、山盛りにしてくれ!』と言ってやったんだよ」


「ええっ!? それでこんな大盛りに?」


「どうしても、ワシらみたいな戦後の混乱期に育った世代は、食べ物に関して貪欲なもんでね~」



 そう言うと、豪快に笑いました。



「いや、それ、年代関係ないですって!」


「そうですよ! 僕もいつも、ビュッフェの盛り付け、少なっ! て思ってましたもん!」



 盛り付けの量に関して、一斉に同調する男性陣。



「だろ~? けど、家内や娘には、『恥ずかしいからやめろ』って、いつも怒られるんだな~」



 その言葉に、思わず吹き出した私たち。柚希ちゃんやおば様にこっ酷く叱られ、うな垂れている姿が目に浮かびます。


 いたずらっぽく笑いながら、戦利品の山盛りのお料理を勧める国枝会長のお皿を皆で分け合い、他愛ない話で盛り上がりながら、しばし歓談。


 経済界では『ビジネスの神』と言われるほど、実業家として天才的な感性を持ち、日本の経済成長の一翼を担って来た人物なのですが、本人はとても気さくな人柄でした。



「松武~! 園原~!」



 そこへ、本日の主役、石森新社長ご夫妻がご挨拶に来ました。奥さんの美晴さんも、麻里さんと同じく、結婚する前からのお友達です。



「あ、国枝会長も、こちらにいらしたんですね! 先ほどは、乾杯のご挨拶を、ありがとうございました」


「いやいや、どういたしまして」


「石森、おめでとう!」「おめでとうございます」「良かったな~!」


「ありがとう! いや~、でも挨拶のときは、緊張したよ~!」


「ちゃんとスピーチ出来てて、良かったじゃないか」


「あれ、夕べ一晩で丸暗記したんだぜ? いや~、今回ばかりはトチらなくて、良かったわ~」


「おまえ、全っ然変わらねえな~」


「まあな!」


「褒めてねえし!」



 夫たちの、まるでコントのような遣り取りも、昔から全然変わりません。


 私たちの顔を見て、少しホッとしたのか、笑みがこぼれる石森くんと美晴さん。先ほど見た、たくさんの偉い人たちの前で見せる顔とは、全然違っています。


 さらにそこへやって来たのは、本日のもう一人の主役、父親の石森新会長です。



「おお、何だじーさん、ここで油を売ってたのか」


「おまえにじーさん呼ばわりされる筋合いはないわ」


「さっきは、乾杯の音頭、ありがとな。お礼に、次はワシがおまえの葬式でスピーチしてやるから、楽しみに待ってろ」


「馬鹿言うな! 弔辞を読むのは、ワシのほうだ。おまえの過去の悪行を、全部バラシてやるから、覚悟しとけよ~」


「ふん! その頃には、とっくにこの世からオサラバして、極楽で楽しんでおるわ」


「おまえの行き場は、地獄だろうに!」



 夫たち同様、こちらもまた、ふたりの漫才のような掛け合いに、私たちは大笑い。


 一見、仲が悪ぶってはいましたが、同世代のふたりは、高度経済成長期の日本を支えてきた戦友でもあり、それぞれ、息子世代に会社を引き継ぎ、ようやくこれで悠々自適・・・とはならないのでしょう。


 引退するにはバイタリティーに溢れ過ぎ、ついつい口を出しては、若い世代に嫌がられるという、愛すべきじーさんたち。


 どちらがどちらの弔事を読むだの、地獄行きだのと揉めていましたが、多分、後30年くらいは、どっちも元気に毒を吐きまくっていそうです。





 みんなで国枝会長がゲットしてきたお料理に舌鼓を打ちながら、しばし気心知れた友人同士の会話に花を咲かせていました。


 私たち女性陣は女性陣で、お喋りタイム。みんながずっと気になっていたのは、胸元や裾にゴージャスな刺繍が入ったデザインの、美晴さんが着ていたドレスです。



「みんな、今日は本当にありがとうね~」


「ううん、それより晴ちゃん、すごい素敵なドレスね!」


「ありがとう! これね、デザイナーさんと一緒に、生地から選んだものなの」


「社長夫人だから、お着物なのかと思ってたけど、ドレスにしたんだ?」


「そうなの。義母と相談してね、義母はお着物にするから、私はドレスにするように言われたの」



 そう言って、美晴さんが目を遣った先には、お姑さんである石森会長夫人の姿がありました。


 もう間もなく70歳になろうというのに、しゃんと伸びた背筋と美しい肌のハリ艶からは、まったく実年齢を感じさせず、優雅な物腰で、多くの来賓の方々にご挨拶をされています。


 石森産業(株)がここまでに成長して来られた裏には、彼女の内助の功による下支えが、非常に大きなウェイトを占めていることは周知の事実です。



「行かなくて平気なの?」


「うん。私たちは、夫婦セットでいるようにって言われてるから」


「そうなんだ」



 世襲をしても、まだまだ先代の勢力が優勢なのは、男性も女性も同じようです。



「それはそうと、子供たちのことまでお気遣い頂いて、本当にありがとう」


「ううん! せっかく来て頂くんだもん。子供たちのことを気にしないで楽しんで貰えなきゃ、意味ないじゃない、ねぇ!」



 そう、美晴さんにも小学一年生の長男、颯斗(はやと)くんと年長さんの長女、綾乃ちゃんの二人のお子さんがいて、今回、キッズルームを設けたのも彼女の発案でした。


 綾乃ちゃんは菜々子ちゃんと同じ幼稚園の一年お姉さんで、美晴さんと麻里さんはママ友でもありました。



「開宴前にチラッと様子を見て来たら、菜々子ちゃんと一緒に、うちの子たちも莉帆ちゃんに遊んでもらってて、本当に楽しそうで、静花さん、ありがとうございます!」


「もう~~、そんな風に言って頂けると、こちらこそ恐縮です~~」



 ここへ来て、何だかやけに莉帆ちゃんの株が急騰中です。





 国枝・石森両会長の楽しいコントで盛り上がり、新社長襲名披露パーティーであることを忘れてしまいそうなほど、皆で笑い転げておりました。


 ですが、本日の主役と、経済界の重鎮、国枝会長がいるところには、自ずと人が集まって来るわけで、いつまでも彼らを独占しているわけにも行きません。



「それじゃ、こうちゃん、おばさんに宜しく伝えといてね」


「はい、おじ様。またお時間のある時にでも、祖母の顔を見に行ってやってくださいね」


「おう!」



 じゃあまた、と軽く手を振り分かれると、空いた椅子を目ざとくゲットした私たちは、真っ先に妊婦の麻里さんを座らせました。



「大丈夫?」「無理しないでね」


「ありがとう、大丈夫よ」



 夫たちも国枝会長に倣い、山盛りにして持って来たお料理を皆で食べながら、再び他愛のないお喋りをしていると、どこかで見覚えのある男性が、ずっとこちらを見ていることに気付きました。


 こちらと目が合ったのをきっかけに、小さく会釈してこちらに歩み寄り、麻里さんに話しかけて来たのです。



「あの、園原さん…ですよね?」


「はい、そうですが」


「やっぱりそうですよね! 堀米です! 先日、町内清掃でお会いした!」


「あ…!」



 一瞬、麻里さんの表情が引き攣ったのが分かりました。驚いたのは、私たちも同じです。まさか、こんなところで彼に会うとは、夢にも思いませんから。


 動揺を悟られないよう、すぐさま、堀米さんとは初対面の夫たちに、彼が最近同じ町内に引っ越して来られた方であることを伝えました。


 事情を知らない男性陣が、にこやかにご挨拶をしている間に、麻里さんに落ち着くようにとアイコンタクト。



「堀米さんも、石森産業と取引されてるんですね。ご近所に関係先の方がいらっしゃったとは」


「今後、ビジネスでのお付き合いに発展するかも知れませんし、よろしければ、会社名を伺っても?」


「まさか! 僕はただの社員ですから!」



 堀米さんによると、彼は石森産業の営業部に勤務する社員とのこと。今日はパーティーの裏方のお手伝いのため、このホテル会場に駆り出されたそうです。



「でも、驚きました! うちの嫁の友達が、自分の会社の社長と友達だったなんて、こんなことあるんですね!」


「これも何かのご縁なんでしょうね」



 私と静花さんは、麻里さんに寄り添い、こっそりと背中を摩ったり、肩に手を置いたりしながら、彼女の動揺を鎮め、この場をやり過ごすことに専念していました。


 ご近所さんということで、夫たちも気を良くし、このまま話が弾みそうな雰囲気でしたが、



「おい! 堀米、何さぼってるんだ!」


「あ、はいっ、すぐ行きます! すみません、それじゃ、仕事戻りますね」



 先輩らしき社員から叱咤され、きまり悪そうに笑いながら私たちにお辞儀をすると、急いで自分の持ち場に戻って行きました。


 ホッとしたのでしょう、麻里さんの顔には疲れが出てしまい、咄嗟に、



「私たち、ちょっとお手洗いに行ってくるわ」



 そう言って、三人でその場を離れました。





 パウダールームの休憩スペースに設えられたソファーに腰をかけ、一息つきながら、麻里さんに声を掛けました。



「麻里ちゃん、大丈夫だった?」


「驚きだよね! まさか、こんなところで彼女のご主人に会うなんて!」



 心配する私たちに、麻里さんは小さく頷きながら、



「ありがと。私は大丈夫。っていうか、自宅ばかりか、仕事関係でまで繋がってるなんて、ちょっとびっくりしたけど」


「ホント、どういう因縁なのよ、って感じよね」


「だけど、あんな突然の状況でも、よくポーカーフェイスでいられたね」



 そう言った私に、すぐに小さく笑って、



「こうめちゃんのアドバイス、実践してた効果だわ」



 と答えました。





 私が彼女にしたアドバイスは、ちか子さん絡みで遭遇するかも知れないと思うシチュエーションを、片っ端から思い浮かべてみること。


 中でも、悪いバージョンに関しては、最悪の事態までをも想定して、繰り返し頭の中でシミュレーションしておくべしというミッションを、忠実に実行していた麻里さん。


 彼女にとっては、考えるだけでも気持ちが萎えることでしょうが、何の心の準備もなく、突発的に遭遇するよりは、いくらかでも気持ちに余裕が持てるというものです。



「えっ!? じゃあ、これも想定内?」


「いや~、さすがに、このシミュレーションはなかった~!」


「だよね~!」


「だけど、こうなってくると、もう何でもありな気がしてきたわ」



 思ったよりもダメージは受けていなさそうですし、本人も大丈夫ということでしたので、ひとまず安心した私たち。


 あまり長い時間中座して、夫たちに変に思われてもいけないと、急いでメイクを直して会場へ戻りました。





 パーティー会場に戻ると間もなく、中締めの挨拶になり、このタイミングで私たちは帰宅することにしました。


 淋しがってはいないかと、心配しながら迎えに行った子供たちは、親の思いなどどこ吹く風で、よほど楽しかったらしく、菜々子ちゃんに至っては『まだ帰りたくない』とまで言いだす始末。



「莉帆おねえちゃん、また一緒に遊ぼうね!」


「うん、また遊ぼうね~」


「きっとだよ! 僕、次に会うまでに、もっと上手に出来るようになるからね!」


「OK! 楽しみにしてるよ~」



 莉帆ちゃん株、さらに急騰中。


 一人っ子の莉帆ちゃんでしたが、小さな子供の扱いが上手なようで、颯斗くんも綾乃ちゃんも、莉帆ちゃんからなかなか離れようとしないほどでした。


 屈託のない笑顔の莉帆ちゃんを見ながら、ふと、麻里さんは丁度彼女と同じ年齢で、あの壮絶ないじめを受けていたのだと思うと、目の前の莉帆ちゃんと当時の麻里さんがリンクし、いたたまれない気持ちになります。





 帰り際、私たち来賓に用意された御祝いの記念品とは別に、子供たちにも年齢に応じたお土産を用意して頂いており、石森新社長夫妻のお気遣いに、皆で感服した次第です。


 ちなみに、菜々子ちゃんが貰ったのは、刺繍が入ったお出かけ用のハンドバッグ。莉帆ちゃんには、本人の誕生石とスワロフスキーで出来た、素敵なペンダントでした。


 どうやら、ハンドバッグは美晴さんが着ていたドレスと同じ生地、同じデザインの刺繍で出来ているようで、綾乃ちゃんとペアになっているのでしょう。





 帰宅してすぐ、会社宛のお礼状とは別に、美晴さんにメールで今日の御礼を伝えると、すぐに返信があり、



『また今度、みんなで一緒にお茶しようね』



 との一文。


 結婚する前は、よく皆で集まって遊んだものですが、時間が経ち、結婚や出産など、立場や状況が変わったことで、なかなか以前のように会う機会も少なくなっていました。



『そうだね。近いうちに、是非』



 そう返信しておきました。


 そして、その日は意外に早く実現することになるのです。


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