第71話 潜入

 オフィスビルではあるのだろうが、何階に何が入っているかを示す案内もない。

 非常灯しか点っていない暗い廊下を魔道具から漏れる光が照らす。歩を進めるごとに手元から漏れる光が上方へと移動していくのがわかる。


「ビンゴ」


 廊下の真ん中あたりで真上を指すようになっていた。


「ここみたいですね……」


 雰囲気がそうさせるのか空気を読んでか、フィアが囁くような声で告げてきた。

 振り返ると不安そうな表情で俺の服の裾を掴んでいる。


「ゆっくり、階段で行こうか」


 魔道具のレスポンスがわからないのでエレベータは使わないでおく。最上階に着いてから下向きに反応されても何階かわからないし。近づいてもわかりやすい反応をしてくれればいいんだが……。

 何かのGPS地図アプリかなんかだと、目的地周辺につくだけで案内を諦めるものもある。ああいうのでは困るのだ。


「はい……」


 物音を立てないように慎重に階段を登る。と言ってもコンクリートなので足音だけに気を付ければ問題ない。フィアもヒールを履いているいるわけでもないし。

 そもそもそこまでしないといけない状況かと言うと、まったくもってそんなことはないのだが。

 悪の居城に忍び込むわけではないのだ。むしろそんなことをすれば不法侵入になってしまう。相手の素性がわからないうちは正面から訪ねるしかない。

 なんとなく気分である。

 さっきそれで自爆して恥ずかしい思いをしたことは置いておく。


「三階かな……」


 言葉の通りに三階にくると魔道具からの光が水平方向へと変わった。

 階段からエレベーターホールまで出てくると、そこから延びる通路は正面への一本だけだ。その通路の左右に扉が二つずつついている。

 魔道具の光は右側手前の部屋へと向かっていた。


「あそこか」


 ゆっくりと物音を立てずに歩いて扉の前へとたどり着く。

 特に看板や目印といったものはなく、武骨な鉄の扉がついているだけである。チャイムやノッカーと言ったものもついていない。

 ノックしようかと思ったがやめた。ドアノブを掴んで一気に扉を開ける。鍵は掛かっていないようで、あっさりと開いた。


「お邪魔しまーす……」


 中の人に聞こえないほどの小さな声で呟く。『一応声を掛けましたよ』と自分自身を納得させるためだ。なんとなく罪悪感が減る気がするよね?


「お……、お邪魔します……」


 フィアも俺の服の裾を掴んだまま恐る恐る部屋に入っていく。

 ……と、女性の話し声が聞こえてきた。


「――を明日までに用意しておくんだな。

 ……あん? 楓の声を聞きたいだと?

 はっ! 生憎とじいさんとは話したくないって言ってるんでね。……話は終わりだ」


 そう言って、ガチャっと電話を切るような音がした。

 えーと……。身代金要求現場はここですか?

 ドラマや小説なら、身代金を要求される側の場面が出てくるのが普通だが……。

 しかし見事に小太郎のフラグが成立したもんである。ぜんぜん嬉しくないが。


 とは言えここは扉を開けて入ったすぐの場所である。四畳半ほどの空間で壁で仕切られてはいるが、天井付近に壁はなく密室というわけではない。

 オフィスであれば電話などが置いてあり『御用の方はこちらへ』というところだろうか。

 しかしここにいれば見つかるのも時間の問題だ。まだ気づかれてはいないようだが、入口の扉は開きっぱなしだし、だからと言って閉めようとすればその音で気づかれるかもしれない。


「あわわわ……、ど、どうしましょう……」


 抑えた声でフィアがオロオロと慌てている。後ろの開きっぱなしの扉と、その入り口から部屋の中を見て左側にある閉まっている扉を交互に見ながら、握っている俺の服の裾を左右に引っ張っている。

 うーむ、どうしよう。こうやって目の前で慌てている人間がいると逆に落ち着くというのは本当だな。

 俺一人だけなら【隠密】スキルで気づかれずに潜入できるかもしれないが、フィアを放置はできない。

 ……あ、そうだ。


(サイレンス)


 無詠唱で【サイレンス】の魔法を発動する。周囲の空気の振動を抑えて音を聞こえなくする魔法だ。

 これで入り口の扉を問題なく閉めることができた。


「とりあえず楓さんが本当にここにいるのか確認したいな……」


「そ、それはそうですけど……、どうするんですか?」


 フィアも同意見だが方法が思い浮かばないようで結局俺に尋ねてきた。

 本来なら正面から訪ねる予定だったんだが、扉を開けて即聞こえてきたセリフのおかげでその手段を取るのを躊躇ってしまった。かと言って今更正面から堂々と訪ねる気も起きない。

 一度外に出て俺一人でまた来た方がいいかな?


「一回出直すか……」


 そう思って入口の扉を開けようとしたとき、部屋の奥の扉が開かれ、一人の女性が出てきたのだった。

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