3-12 母 Hapo


 軽トラに揺られ、毛布に包まれまどろみながら、山道を行き来する。

 幼少の記憶は、それが最初だった。


 タキノ山に住む猟師の家ゆえ、トキワの保育所は遠かったが、毎日のように父親、もしくは母親が運転し送り届けてくれた。よく遊び、よく怪我をし喧嘩をし、よく日に焼け、そしてよく帰りの車中で眠りこける子どもだったようだ。

 そんな俺を、毎日のように母親は労わっていた。


 父が猟をして大物を連れて帰ってくると、俺は母の料理を手伝った。

 父に解体の仕方を学んだ。山からの恵みに感謝することを忘れるな、そう教わった。

 母に味付けの妙を学んだ。言うことは難しかったが、両親はいつも喜んでくれた。

 両親の心からの笑顔が、変わらぬまま俺の目に焼き付いている。




 ............





 その顔は歳を負って移り変わりゆく。母は痩せこけて、目には彩りが消え失せる。

 そして父親の顔が大きく変わった。細長い優男が、四角くごつごつした顔に移り変わる。目鼻の形も、まるで別人のように......

 ......いや、別人だ。



 ............待て。俺...... いや、わたし? は、別人......? そして、次の俺は...だれ?




 ..................


 


「ハサミを持ったまま走っちゃダメって言ってるでしょ。怪我をさせちゃうから」

 母親は、ある日そう言ってとても怒った。

 


「飛び出す前に周りを見て」


「口に出す前によく考えて」


「付き合う友達は選んで」



 滅多に怒らず、泣かない人だったが、俺を叱り泣くと、俺もとても悲しくなった。



 とても美しい人だった。父親はよく自慢にしていた。

 だけど他の子どもから、「お前のとーちゃんはひとのお母さんを奪ったらしいぞ」と言われると、俺は怒り狂った。

 手に大きな切り傷を作って、詰問された。紙切れで切ったんだと言ったら、安堵したような顔をして「もう喧嘩したらダメよ」と言った。


 

「ちゃんと踏みしめられた道を歩きなさい。また転ぶよ」

 そう言って泣きじゃくる俺を抱きしめてくれたので、俺は道で転ぶのが治らなかった。



 いつからだろう、母から笑顔を奪う父を、刺してやろうと思うようになったのは。

 いつからだろう。微笑む母の肢体からだを、無性に貪り尽きたいと思うようになったのは。

 でもそんな思いも、いつか捨てた。のだろうか。


 父は、山の長では足らず、この国の王となろうとしていた。

 その時、母は捨てられるのだろうか。

 俺は、父を殺した。この国の王となるために。王となって、母を笑顔にしたいために。




 .........なぜだろう。

 ミラルとハルユキの顔が重なる。

 細い桃の花びらのような、伏し目がちの眼。細筆でまっすぐに引いたような眉。薄い唇。

 ......ぴったりと重なりそう。そしてそれは似ているのだ。ふたりの母親に......。



『変わっちまったな、マハワト。人妻とっ捕まえてオモチャにして、子供を産ませて愛弟子か。どうせ、“魔剣の神”を移し替えるための器なんだろ、あの子ども...... ハルユキだったか。は』


 ミラルが聞いていた、柾岡の言葉。そしてミラル自身も知っているはず。なのに......



 ......わたし、何をしてるんだろう。

 気を失ってる場合じゃない。止めなきゃ。




『正しいか正しくないかは問題じゃない。普通の人間には超えてはならない一線がある、ってだけだ』

 



 村泉ミラルは、普通の人間だ。守れなかった人のために、守ってくれた人のために。父親や母親のように誰かを守る、英雄でありたいと願う普通の人間だ。


 山中ハルユキ...... ハルは普通の人間であり、まだ幼い子どもだ。誰かを守ろうと、殺意を生み出すほどの強い決意で、空回りながらも闘う、純粋な子どもだ。



 止めなきゃ。わたしが守るんだ!!





「!!?」


「セポ! 気が付いたか」


「...... 余所見すんじゃねえっ!」

 あたりには、無数の氷の柱・杭。千切れてのたうち回る山の悪神ウェン・キムンカムイの腕、突き立つ巨大なまさかり

 ミラルは空中を飛び回って弾丸を撃ちまくり、ハルは地から動かず触手を振り回している。



 ちょっとまだ、クラクラしてるかな。足も激痛を伝えているし、身体中が冷たい。

 でも、わたしの身体はまだ立っていられている。まだわたしの決意の炉心は動いている。


 そして、ミラルも、ハルも生きている。


『セポ、よく聞け。ハルユキを止めるには封印ではダメだ』


ダメなのね。なんでまた」


『そもそも、依人が使役できるカムイの霊基は1つのみだ。一つ体内に抑えてしまえば、長時間発現できなくなるはずだった。だがハルユキは複数というべきか、複合された霊基を持っているんだ。おそらく、今までに屠った依人のカムイを縮合している。封印しても受容力不足ですぐ効力を失くすし、おまけに強化なしでさっきのあの戦闘力だ』


「なる......ほど...... じゃあ阻止するには」


『本体を殺すしかないだろう。霊力炉心を消失すればウェン・キムンカムイもこの世に形を保ってはいられないはずだ』


「へえ、わたしにを超えろと」



「いいんだセポ!! こいつは...... こいつは俺が殺る!!! うおっ」



『最前から彼はその気だがね』


 歯を食いしばり、よろよろと歩み出る。


「遊ぼうぜ、姉ちゃん。再装填まであと1分だ。人生最高の1分間にしようぜ」


 恐怖の塊のようなあの瞳、あの多腕。

 足がすくまないわけがない。でも、歩みを止めない理由はなかった。


「キリト、わたしは我儘かな? わたしは...... どちらも助けたいんだ」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る