そして、その音は鳴り続ける
そうして世界は書き換わる。
歴史は変わらない。あの七日間に至るまでに失われた以上の命もない。
変わったのは少しだけ。
たとえなだれかのあくびをする回数が増えたり、だれかの住む町が違ったり、だれかの選ぶ道が逆だったり。
そんな些細で、けれども胡蝶の羽ばたきのようにたしかに変わってしまった世界。
死に体と絶望する声は多い。けれど、それでも生きてみようと思った少女がいた。だから世界はまだ、幽遠と眠り続ける。
そんな救われた世界の外側で、だれかの落し物が響き渡る。
『この七日間はだれの記憶にも残らない。生きていくうえで死の知識なんて余分なものでしかないからね』
『けど、自分は覚えていますよ』
『そりゃあガラスの靴を拾ったからね。物語の縁を、きみだけが持っている』
『自分だけ……』
『彼女のすべてが変わっていて、記憶を失っていても、それでもきみは彼女を愛せるのかな?』
「愛し続けられますよ。自分は彼女
『よく言った! もはや零時は過ぎ、幻想はほどけた。ならば絶対はない。ゆえに歩き出すといい。ここから先はきみたちだけの……だれも知らない物語――あるいはそう、日常と呼ばれるものなのだから』
◇ ◇ ◇ ◇
「あっつ……」
夏も半ば。
脳みそが茹で上がりそうな気温に頭上の太陽を睨みつける。
燦々と照るおひさまは、こんなちっぽけな人間ひとりのクレームなんか耳も貸さず好き勝手に体温を放出し続ける。まあ、そんなもんだ。
いちいちちっぽけなことを気にしていても仕方がない。
かばんのポケットから個包装のあめだまをひとつ取り出して口に放り込む。
……世界が再開してから半年が経過した。
いまだにシンデレラを名乗った少女を見つけられていない。
世界が元の姿を取り戻したのだと。そう夕焼け空に理解した次の日からすぐに学校中を探し回ったが、彼女らしき人はいなかった。そもそも知っているのは顔と学年だけ。それ以外のことは名前すら知らないのだ。
町中を探したり、長期休暇を利用しては町の外まで出たりしているのだが、影もかたちもない。
ストカーじみているな、と思わなくもない。滝のように流れる汗の数合はそんな罪悪感による冷や汗と、焦燥感によるものだ。
この夏休みが終わったら本格的に受験というものについて考えはじめなければいけない。
生産性もなく毎日外をほっつき歩いていることに家族からの目が冷たいので、これをないがしろにするとこれからの人生が危ないのだ。
夏休みの宿題を詰めたかばんを肩にかけなおす。
まあ、気長に探そう。出会えたのが奇跡みたいなものだ。二度目を期待するのは酷だろう。彼女との夢の日々が燃え尽きるまでは、まあ歩いて行ける。
そろそろ正午。日差しの強さが最高潮になる時間だ。
今日はこのくらいにして、さっさと冷房の効いた図書館へ避難しようと考えた時、それが目に入った。
陽炎の向こうに揺れる白。
遠く、彼女を思い出す。
「……っ」
よく見れば黄色や青もある。夏らしい涼やかな色味の陳列だった。
打ち水された湿った色のアスファルトと相まって、誘われるようにそこへ歩き出す。
この町にひとつだけある花屋だ。何度となく通りかかっているが、化粧っ気の少ない奥様が毎度と切り盛りしているのを横目にするばかりだった。
今日は久しぶりに鮮明とあの笑顔を思い出した。感傷を慰めようるために少ない小遣いを削ろうとあけっぴろげな扉をくぐった。
「いらっしゃいませー!」
真夏の果実のような瑞々しい声に出迎えられる。
笑顔の明るい少女だ。
娘さん、にしてはあの奥様とあまり似ていない。娘さんといえば頻繁に出入りするお姉さんを見かけたことがあるので多分その人だろう。そちらは面影があったし。
たしか数駅向こうの看護の専門学校に通っているのだったか。地元の病院で耳にしたことがあった。
ということはアルバイトさんだろう。
ぼやっと店内にたたずんでいたら、閉じたの接客業。向こうから話しかけられた。びっくりしたけど当然だと自責する。コンビニとは違って花屋に来るのは花を買いに来た客なのだから当たり前だ。
「なにかお探しの花でも?」
「んー、これと言っては……けどそうだなぁ、お店の前にあった白い花をひとつもらえますか」
「リコリスですか? 時季外れで若いものですが、いいでしょうか」
「ええ。あれがいいと思ったんです」
代金を払い、軽く包んでもらった花を受け取る。
そしてそのまま、もらった花を目の前の少女へ差し出した。
「初めまして。君を、探していました」
「…………えっと、あの、お客様……」
「あーすみません全然意味わからないですよね」
困惑する店員さんに頭を振る。
こんなの理解不能のやばい奴だ。即通法でも文句は言えない。
「えっろ、昔また会おうねって別れた人だと思ってつい……」
「……その、そんなに似ているんですか?」
「うーん、そこまでは……」
雰囲気が違う。だから顔も影も薄い。
「それでも、そうだと思ったんです」
「……そのひとのことが好きなんですか?」
「ええ」
「なんでって、聞いても大丈夫ですか?」
「好きになったからですよ。まあ、彼女の気持ちは知らないですし、そもそも向こうはこっちのことを覚えてないみたいですけどね。だから、これはお返しします」
お花の行方はいったんカウンターに棚上げして、かばんの一番大きなポケットを開ける。宿題や文房具、水稲といっしょに入れてあったシューズケースを取り出して、中身を差し出した。
ガラスの靴。その片割れを。
「昔、あなたが忘れていったものです。かったぽだけですけど」
「ガラスの靴……シンデレラみたい」
「ええ。これはシンデレラの履いていたものですからね」
「……これを履いていたのがシンデレラなら、あなたの目から見て、その少女はシンデレラにふさわしかったですか?」
「……んー、べつにシンデレラはだれでもよかったと思います。ふさわしいとかふさわしくないとか、そんなことはなかった」
「だれでもよかった……」
「そう、だれでもよかった。だから、彼女でもよかったと思いますし、あなたでよかったと思いますよ」
それに面を食らったように目の前の少女は押し黙った。
むろん、彼女からしたらちんぷんかんぷんな話だ。付き合ってくれていることに感謝しなければいけない。
記憶のなかの彼女は即逃げ、即通報な印象があるので実は間違っているのでは――なんて懸念の首はもげている。
それこそ王子様にふさわしくない。王子様だってだれでもよかっただろうけど、その席に座ったのならば役割を果たさなければいけない。
零時まで物語を躍った彼女のように。
王子様の役割なんてただひとつ。間違えず、シンデレラを見つけ出すことだけなのだから。
……何ものにもなれないと、どこか悟ったように生きてきた自分の価値観を殴りつけてきた少女に、せめて胸を張れるように。
彼女は自分すら見失っていたように見えたのに、選び取って、シンデレラに成った。
何ものにもなれないというのは発展性のない隔絶ではない。
何ものにもなれないというのは、何ものにもなれるという余白だ。
だったらそれを使い切って、だれに褒められずとも一枚の絵を完成させてみようと思った。
「……ん」
ぼやっとした意識に声が届いた。なんていったのか、言葉は聞こえなかったけれど。
「ごめん、考え事をしていた。今なんて?」
「降参! って言ったの。ようやく見つけてくれたわね、
「……え、なんで!?」
「なんでって」
彼女は足元をまさぐる。レジの下から取り出したのは、もう片方のガラスの靴だった。
「覚えているよ、私も」
言葉も出ない。絶句、とはこのことか。
どうにか言葉を見つけるもむせ返る。驚きすぎて呼吸を忘れていた。
それを彼女はじっと待っていてくれる。
「……なんで忘れたふりなんか?」
「疑念がとけなかったの。結局は演出された恋心なんじゃないかって」
「それはまあ……たしかに」
物語は終わった。けれど、いまだにふたりはガラスの靴を持っている。
「じゃあ、なんで降参なんて」
「それでいいやと思ったから。好きになったから。だれかの真似事で縛られた偽物でも、今好きなんだもの」
はてな、と首をかしげる。都合のいい空耳が聞こえた気がした。
「察しの悪いひとは嫌い。それとも、私の言葉に価値はない?」
「……まさかだよ。けど、ずいぶん明るい性格になったね」
「ほかのひとと違って、私には前の世界での記憶がある。あなたと違って、この世界で歩んだ記憶があるの」
「それって……」
「世界は一から書き換わった。得られたものも失われたものも変わらない。けど、私はあの夢で生きようと思った」
あの終わりのなかで得た答えを胸に。彼女は忘れていない。
「だからそう生きてきた」
失ったものはどうあっても戻らない。けれど、そこで折れることを彼女の魂が拒絶した。
艱難辛苦に立ち向かい、今を生きるための選択を繰り返してきたのだ。
「……じゃあ、学校にいなかったのは……」
「そもそも違う学校を選んだの。あそこにもやり残しはあるけれど……いや、それももう清算できたんだった」
「やり残し?」
「文化祭」
「ああ……」
あの時の文化祭は開幕することなく閉幕した。
そして、この世界では無事行われた。彼女のいない文化祭が。
「べつに学校のひとたちに関心はなかったけど、せっかく作ったものが日の目を見ないのは悲しいからね。ちゃんと見れたからいいの。看取ることなく、見送れたから」
「来てたんだ……けど、じゃあどこの学校に行ってるの? この町にいないよね」
失態を噛み締めつつ聞き直す。いや、その時は見つけられなくてよかったとなんとなくに思う。
思い残しを置いて行くのなら、そこにかかわるべきではないだろう。
きっとそれは、彼女だけの思いだから。
「寮のある学校。だからこっちには住んでいないの。長期休暇はこっちに戻って店の手伝いをしたりしてるんだけど」
「入れ違いになっていたのか……けど、見た目の印象だって全然違うのに、そこまでされたら見つけられなかったかもだ」
「そう? 変わったとは思ってないんだけど……あれから魔女も見てないし……」
はてな、と彼女は首をかしげる。
彼女自身に自覚がないのだとしたら、きっとそういう生き方をしてきただけなのだろう。
印象なんてそれくらいあやふやで頼りないものだ。
ひとり納得してみれば、けど、と彼女はいたずらっぽく笑った。
「見つけてくれるんでしょ?」
そう言われると弱い。
周りの目なんて理性的であると自分に言い聞かせるための言い訳だ。結局、見つかるまで探し続けるつもりだったのだから。
彼女との思い出が燃え尽きるまで――その時はきっと、この命が尽きる時だ。
ガラスの靴をそろえて足元に並べる。
「見つけたよ、シンデレラ」
彼女は微笑み、リコリスを掴んだ。
カウンターに乗り上げて、ガラスの靴へ足を通す。
ガラスの靴は、音を立てて砕け散った。
破片が蛍のように儚く舞って、花火みたいに消えた。
「
彼女は笑う。
あの瞬間の笑みは、彼女にとって普通になったのだ。それをうれしく思う。
「そうね。まずは自己紹介をしましょ。だって私たち、名前すら知らないんだから」
つい先ほど考えていたことと同じことが彼女の口から出る。
まずはそう、そこから始めるべきだ、と名乗りあった。
彼女の名前はどこにもあるような、けれど今の彼女を象徴するような名前だった。
「じゃあ、改めてよろしくね」
「よろしく。……ああ、そうだ」
リコリスを抱えた彼女を見て、ではないが、前の世界での出来事を清算して歩き出すのなら、ひとつやり残しがあった。
さっきみたいに小ポケットをあさる。そこには同じ種類のあめだまがいくつも入っているのだ。
「再開の印、じゃないけど」
「えー、私あまいの苦手。絶対に君、甘党でしょ」
「まあ否定できない」
渋々、義理といった雰囲気であめだまを受け取ってくれる。
包装を切って、やけっぱちのように口へ放り込んだ。
苦々しい顔が、徐々に変わっていく。
「あまく、ない……けど、ちょっとあまい」
「そりゃミントとミルクだもん」
夏だしね、と付け加える。
「そっか!」
そう言って、彼女はさらに笑うのだった。
つられて笑う。
からん、と聞こえたのはお互いの口のなかのあめだまで。
鐘の音はもう、聞こえない。
終末時計とシンデレラ 綾埼空 @ayasakisky
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