第四章 校歌斉唱02
<秋人>
「お宅の学校で起きた、卒業式におけるちょっとした一騒動」
「アナウンス役の担任が生徒名を順に呼び上げ、呼ばれた生徒は壇上に立つ校長の前に向かう。そして校長は、生徒一人ひとりに証書を手渡していく」
「そんな、よくある式流の中で。しかしある場面で、本来ならば含まれていないはずだった生徒の名が呼ばれるという不測の事態が起こった。さらには……」
「なぜか在るはずのない証書自体もまた、同じタイミングで証書の束の中から現れた」
「もっとも、奇妙なことに裏返しの状態ではあったみたいだが」
「さて」
「各担任が式で読み上げに使う名簿に、予定にない名前を一つ加える。このこと自体は、そう難しい話ではない。で、良いんでしたっけね?」
<工藤>
「そうだ。式用のバインダーに挟まれていた名簿を、予め別に印刷しておいた偽物と丸ごと入れ替える。これだけで事が足りる以上、困難とは言いがたいだろうな」
「しかしだ」
「偽造した証書を束の中から出現させる必要もあるとなれば、やはりそちらについては困難だと言わざるを得んと思うのだがね?」
<秋人>
「ところが、意外とそうでもない」
「実のところ、想像以上に簡単な方法で、今回の状況を作り出すことは可能なはずでしてね」
<優希>
「簡単だと? これまでの話しぶりを聞く限りだと、榎本の証書はクラス担任のチェックをすり抜けた上で、卒業式の舞台へ上がったと考えているのだろう?」
<秋人>
「ああ、そのつもりだよ」
<優希>
「しかしだ。いくら何でも、そう易々と見逃されるような異物だとは思えん」
「一年間、3年D組を受け持ってきた担任が、名簿片手にD組の束を一枚ずつ確認しながらめくっていくのだぞ? それを簡単な方法で欺くなど──」
<秋人>
「できるんだよ、簡単にな。つーか、言っただろ?」
「例え、D組の担任って奴がどれだけ注意深くチェックしてたとしても、束の中から『榎本正成』の証書を見つけ出すことは、絶対に不可能だって」
<優希>
「また不可能か。『可能』と言ったり『不可能』と言ったり、どこまでも節操の無い案件だ」
<秋人>
(……ごもっともで)
<聖司>
「まあまあ、良いじゃないですか」
「とにかく今は、だて男さんが言う『簡単な方法』と言うものを、もう少し具体的にお聞きしましょうよ」
「それに対する『可不可』の判断なら、その後でも遅くはないですからね」
<秋人>
(可不可ねぇ)
<双葉>
「でさ。結局、どんな方法を使えば、D組の先生のチェックをパスできるのよ?」
「言っとくけど、催眠術とか洗脳とかの類なら、簡単な方法には含まれないからね?」
<秋人>
「誰がそんな物騒な手を使うつったよ、小娘め」
<双葉>
「こむ……」
<秋人>
「卒業式の前日にD組担任が行った、D組分の証書束における並び順のチェック。『榎本正成』の証書は、この担任チェックをどうやって突破し、卒業式の舞台に上ったのか?」
「それを知るためにはまず、“裏向き”だった理由を考えなければならない」
<双葉>
「ウラ? 裏向きって何の?」
<秋人>
「おーいおい、そこの先生が言ってただろ? 名前が呼ばれた後、榎本の証書は束の中から『裏返った状態』で出て来てたってよ」
<双葉>
「あーはいはい。そう言えば、そうだったわね」
<工藤>
「榎本の証書が裏返しだった事に、何かしらの明確な意味でもあるのかね?」
<秋人>
「そーっすね。裏向きだった意味ってのは、そのまま『D組の担任には見つけられなかった理由』ってのに直結したりは……しますかね」
<工藤>
「……ほう」
<双葉>
「まじ?」
<優希>
「実に興味深い。『裏向き』という事象が何とどうつながる?」
<秋人>
「まあつまり、こんな感じな話なんだが」
<全員>
「…………」
<秋人>
「A組の頭からE組のケツまで。全五クラス分、延べ203枚の卒業証書」
「その山の中に『榎本正成』の証書だけが、裏返った状態で混ざりこんでいたわけだが」
「では。裏向きだった証書ってのは、本当に『榎本正成』の名前が書かれた一枚だけだったのか?」
<工藤>
「今さら何を言うかと思えば。そのような物、一枚のみだったに決まっているだろう?」
「仮にもし、他にも裏向きの証書があったのなら、校長がその出来事を口にしていたはずだからな」
<秋人>
「と思いたくなるところだが、しかし実はそうじゃない」
「あったはずだぜ、他に何枚も裏向きだった証書が。そうだろ双葉?」
<双葉>
「え? ええ、私っ?」
<秋人>
「そう。だって、お前の話の中に出てきてたし」
<双葉>
「は? 何が?」
<秋人>
「だから、裏向きになった証書がだ」
<双葉>
「え、えええ!?」
<秋人>
「思い出せって」
「五クラス分に分けられていた証書を一つにまとめて作り上げた、203枚の大束」
「そいつを体育館まで運んだお前なら、そこにある『榎本正成』の一枚以外にも、裏向きになった証書を見てるはずだぞ? 最低でも10枚くらいは」
<双葉>
「じゅ、10枚も!? ……って、裏向きで10枚って……おお!?」
<聖司>
「あ、分かったかも」
<優希>
「なるほど、裏向きの証書とは『遊び紙』の事を言っているのだな?」
<秋人>
「おお、せーかいだ。そう、遊び紙」
「大束にまとめられる前段階では、AからEまでクラスごとに分けられた五つの証書束」
「それらの束が、綴じたクリップで痛まないようにと、束の上と下に裏返しで添えられていたという、書き損じて使えなくなった失敗作の証書台紙」
「それはつまり、A束からE束まで、各束の上下に一枚ずつ、計10枚の遊び紙であり」
「この10枚もまた、榎本正成の証書と同じく、束の中にあって裏向きの証書だったことには違いない」
「そして恐らくは」
「『榎本正成』の証書もまた、元々は束の中でクッションとしての役割を果たしていた『遊び紙』の一枚だったはずだ」
「つまり」
「今問題になっている『榎本正成』の卒業証書ってのは、実のところ何の事もなく。単純に、抜き忘れられたせいで203枚の大束に紛れ込んでしまった、一枚の遊び紙だったていうオチだ」
<双葉>
「うえ、いやちょ……」
<秋人>
「本来ならその一枚も、五クラス分が一まとめにされる際に取り除かれるはずだったんだろうが、準備係の『抜き忘れ』という怠慢な行動により、何の因果か大束の中に挟まれたまま卒業式の舞台上へ──」
<双葉>
「ちょい待ち! 怠慢とか、私ちゃんと取り除いたってば! AからEまでまとめるとき、全部取り除いたわよ! そう言ったじゃん!」
<秋人>
「残念だが『ちゃんと取り除いた』と『取り除いたつもり』では大違いなんだよ、これが。職務怠慢ここに極まれりだな、準備係め」
<双葉>
「だ、か、ら! 私はちゃんと抜いたってば!」
<秋人>
「しつこい奴だな。んじゃ、『ちゃんと抜いた』ってことを証明できるのか?」
<双葉>
「しょ……証明? しょ……しょ、しょしょ?」
<秋人>
「当然、物的証拠とかもあっての物言いなんだろうな? ん?」
<双葉>
「ぬ……ぐ……」
<秋人>
(おお、なるほど。これは確かに良い気分だ)
<聖司>
「あのー」
<秋人>
「なんだ?」
<聖司>
「何やら楽しそうにしているところ、横から失礼しますけど。牧さんがちゃんと遊び紙を取り除いたという物的な証拠なら、ずっとそこにあるのでは?」
<双葉>
「ああ霧島先輩、愛してます! 言ってやってください、このボンクラに!」
<秋人>
(誰がボンクラか)
<聖司>
「それでは早速。ええと申し訳ありませんが、工藤先生。その証書、お借りできますか?」
<工藤>
「ああ、構わんよ」
<聖司>
「ありがとうございます。では……」
「牧さんのお兄さん。お言葉ですが、これを見れば牧さんの証言に偽りがない事は明白だと思いますよ?」
<工藤>
「榎本の証書の……裏かね?」
<聖司>
「ええそうです。だってそうでしょう?」
「問題の名前が読み上げられたのは、D組の先頭でした。そして証書が出てきた順番も、“ちゃんと”D組の先頭だった」
「その状況で、もしもこの証書が遊び紙として使われていた物だと言うのなら……」
「それならこの証書は、D組証書の束において、一番上の遊び紙──つまりは表紙として使われていた事になる」
「だとしたら……」
<優希>
「ああそうか。クラス名の記述か」
<聖司>
「そうです。彼女のお話にも出てきてましたよね?」
「証書束がクラスごと、五つに分かれていた時点においては……」
「各束の一番上の遊び紙には、それが『どのクラスの証書なのか』を一目で判断できるよう、赤いマジックでクラス名が記述されていた」
「そしてこの証書が、3-Dの束の中で表紙の役割を担っていた遊び紙だったと言うのなら」
「それなら、この証書の裏面には極太の赤マジックで大きく記述されていなければならないはずです、『3-D』と」
秋人
「…………」
<聖司>
「しかし、この証書の裏にそんな記述は無い。自分や他の卒業生が受け取った卒業証書と同様、この裏面にはただ校歌の歌詞が書かれているだけ」
「ですよね?」
<秋人>
「だね」
<聖司>
「という事は、つまりですよ。この証書が遊び紙として使われていたと言う、だて男さんの仮説には無理が──」
<秋人>
「仮説じゃねーよ。事実だから言っているだけだ」
<聖司>
「いや、ですからね……」
<秋人>
「誰が、『3-D』の遊び紙に使われたって言ってるよ?」
<聖司>
「はい? ええと、それはどういう意味……」
<秋人>
「確かに、その一枚がD組の束の中で『一番上の遊び紙』をしてたってんなら、確かにお前さんの言うとおりだろうよ」
「だが、そうじゃない」
<聖司>
「と、言われますと?」
<秋人>
「3-Dの先頭。そいつを言い換えるなら、何だ?」
<聖司>
「言い換える……3-Dの先頭を……」
<秋人>
「その証書が遊び紙として使われていたとして。しかし、その場所ってのは何も『3年D組の先頭』だけだとは限らない」
「Aから順に連続して渡されていく大量の卒業証書。A組の次はB組。B組の次はC組。そしてC組が終わったなら次は──」
<聖司>
「……ああっ!」
<秋人>
(よしよし、察しがついたか)
<聖司>
「ああ、そういう事か! ああ分かった! 全部分かったかも!?」
<秋人>
(いいねえ。できれば、頃合を見てバトンタッチしても良いんじゃないか?)
<優希>
「なんだ、どういうことだ霧島?」
<聖司>
「つまり、Cなんですよ!」
<秋人>
(うむうむ。良いではないか、良いではないか)
<優希>
「C? 何の話だ、私のカップの話なら、ぶっとばすぞ」
<聖司>
「誰があなたのカップの話をしてますか。というか、さり気なく盛らないで下さい!」
<優希>
「しね!」
<聖司>
「あう!」
<秋人>
(……おおう!?)
<優希>
「さてだ。見ての通り、霧島は散ってしまった。気兼ねなく説明を続けてもらおうか」
<秋人>
(バトンは、渡せないのか……)
「ま、んま、とにかくだ。そいつの遺言じゃねーが、あれだ。Cなんだよ」
<優希>
「ああ、貴様もぶっとばされた──」
<秋人>
「くない。誰がお前の貧相な」
<双葉>
「水城先輩! ダメです! 今ぶっとばしたら迷宮入りしちゃいます!」
<秋人>
「ああもう、ギャーギャーとやかましい。どうすんだ、続けるのか? 何ならお開きでも構わんぞ、俺的には」
<工藤>
「いや、それは困るな。出来るなら、そのまま続けてもらいたいのだがね」
<秋人>
(うおっと。静かな口調だが、果てしない圧力を感じるざんす)
「ああと、まあアレっすよ、こういう話です」
「セクハラメガネの言っていたCってのは、つまりは『3年C組』のこと。そして、この榎本正成の証書は、『3-D』ではなく『3ーC』の束に使われていた遊び紙だっつー話です」
<双葉>
「は? どゆこと?」
<秋人>
「ああ、要するにだ。お前は五つの束を一つに合体する際に、先にそれぞれの束の上下から遊び紙を外し、その後で順に重ね合わせていったんだろ?」
<双葉>
「うん、そうだけど」
<秋人>
「だとしたら、だ。仮に一枚だけ外し忘れた遊び紙があったとして、おまけにそれが203枚の中の『D組の先頭』って場所に入っていたとして」
「だがそれは、必ずしもD組先頭だったとは言い切れない。何せその場所は『C組束の一番最後』の場所でもあるんだからな」
「分かるか?」
<双葉>
「う、うん? う……うん、何となく、だけど」
<秋人>
「ああと、もっと平ペッたく言うとだ」
「お前が外し忘れた遊び紙は『3-Dの一番上』ではなく『3-Cの一番下』に入ってた奴だってことだよ」
「『3-Cの一番下』だけを外し忘れたままで、その下に次のD組の束を重ねてみろ。どうなるよ?」
<双葉>
「…………」
「……あー……おうっ! 同じ場所だっ!」
<秋人>
(おうっ! じゃねーよ)
<双葉>
「あーーー! でもでも!」
<秋人>
「今度は何だ」
<双葉>
「でもさ! 『3-C』のやつだって、私はちゃんと上と下から遊び紙を抜いてからまとめたもん! 嘘じゃないから!」
<秋人>
「往生際の悪い女だな」
<双葉>
「仕方ないでしょ、本当なんだから!」
<優希>
「ふぅむ。本当だな? 本当にちゃんと取り除いたのだな?」
<双葉>
「本当ですってば、水城先輩! AからEまで順番に、最初と最後の紙を外してから重ねていったんです!」
<優希>
「と、妹ぎみが必死に申し開きをしているのだが、どうなのだ?」
「これでは、榎本の証書が遊び紙として紛れ込んだという、これまでの推測は成り立たないのではないか?」
<秋人>
「んー……どうかな」
<優希>
「いや、どうかなって」
<秋人>
「おい準備係。お前、本当に『AからE』まで順番に、束の『一番上』と『一番下』から遊び紙を外したんだな?」
<双葉>
「だから! ちゃんと一枚ずつ外したっての! 何度もそう言ってるでしょ!?」
<秋人>
「なら、やはり間違いない。この証書は3年C組の束の中で、下の遊び紙として使われていた」
「もう一度言う。この一枚は遊び紙だった、間違いない」
<双葉>
「ど、どどどど、どーしてそーなる!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます