第40話
サ・レァンソ・ン。
星の中心核に限定的なブラックホールを作り出す機能を有した、人工の監獄星。
最内部には、ありとあらゆる色を伴う放射状の光条の空が、目まぐるしい勢いで落ちるように注ぐように流れ込む場所があり、その光条の空が落ちる先には、延延とした砂の地が広がっている。
此処こそが、この星の「檻」。収監者を超重力により無力化し、受動的死亡に至らしめる「枷重き獄」であった。
「此処に来るときに抜けてきた隔壁の場所は?」
「ちゃんと覚えてるさ。」
広大な砂地の只中で、言葉を交わす双つ影。声をひそめ、叛意と反骨の点る眼を爛爛と輝かせて。
「なら、隔壁を解錠する間、そっちは扉から少し離れたところで追っ手を引きつけて欲しい。扉が開いたら即座に陽動を切り上げ、
「船着き場に出る前にもうひとつ扉があるぞ。あれはどうするんだ。」
「彼等の態度に、こちらの脱走を想定している様子はない。鍵の使い回しなどという危機管理のなさを見れば、あるいはできるわけがないと高をくくっているのだろう。だとすれば、自分たちしか通らない扉の鍵の種類を増やすような手間をするはずもない。」
「こういうときのお前の見立てはハズレがないからな。これだけの施設を作っておきながら、全く不用心なこッた。」
「惰性を惰性と意識できないところに、隙は生じる。が、それはこちらも同じ。油断はしないに限る。」
フン、と鼻で笑うような声を、慎重を促すような声がたしなめる。鼻で笑った方は一瞬面白くなさげに唇をゆがめたものの、けれど正論であることには納得したように、渋渋と頷いて返した。
此処を作り上げたのは、アモンメレスという星に棲む知的生命体だ。一般的に、穏和で思慮深い性質と高い知性、調和を是とする社会性を有していることで知られている。
ただし、長く築かれる種の繁栄の裏には、表立っては明かせない、後ろ暗い側面もまた存在していた。
彼等の中には、一定周期で発生する「悪性因子」と呼ばれる個体がある。種が穏健と善性に傾けば傾くほど、その反動のように発現する凝縮された悪性、いわば「種の澱み」を持って生まれる存在。
社会に大きな悪影響を及ぼすそれを、彼等は「消極的排除」という方法で処理してきた。
たとえ、生まれのその時点で「悪性」でなかったとしても、後に「必ず」不穏と不和をもたらすものに「育ってしまう」とわかっている以上、社会の中に置いてはおけない。
だからと言って、種族社会から放逐などしようものなら、その悪性は「外」にまで向くことにもなる。
ゆえに彼等は、悪性因子を隔離して「外」へ出さぬための
種の存続と社会の秩序を守るためには、あるいはこの残酷もしかたないことだった。だからせめて、「殺す」のではなく「ただ死なせる」という方法を選んだのも、彼等なりの温情、愛情であったのだろう。
もっとも、それが今の己等において何の助けとなるはずもなく。
「で、どのタイミングで仕掛ける?」
「これから、分かれた直後に。」
問いは確認だった。答えは確定だった。それぞれに引き結んだ口端を、同時に吊り上げる。
緻密で完璧な
だからこそ、一刻も早く此処を抜け出さねばならない。
「それじゃ、できるだけ手早くやってくれ。」
「むしろそっちこそ、間に合わせられるのか心配だな。」
片方は解錠を、もう片方は陽動を。別の場にあってすら阿吽を合わせられる彼等の、だからこその「芸当」だといえよう。
互いに放言する軽口の叩き合いが、行動開始の合図になった。
「こっちのコード、さっきとパターンが違う……!」
分厚い壁を
その通路の両端を厳重にふさぐ円形の開閉孔──ふたりにとっては都合ふたつめの──の前で、解錠を試みていたフィニットがうめくように呟いた。
「うへええええ! 何とか上手いこと引き離したのに、追いつかれちまうじゃねェか!」
「機構は同じだから、開けることはできるよ。けど……」
「おンなじコトやるとなれば、時間もさっきと同じくらいかかる、ってことか……」
悩ましげに考え込むフィニットの横で、ノーティは焦れったげに舌打ちを叩いた。
フィニットが自分の探査の能力を応用し、開閉孔の機能を一時的に
これまでノーティは、探査という能力について、正直「探る」だけしか能がないもの、と思っていた。だから自分には向いてないと言い訳して、学習や訓練ではたびたび放り出してきた。
それが、こんなことにも使えるなんて。無論、フィニットの突出した適性を前提にしているにしても、この思考展開と応用力の高さには舌を巻くしかないのだが。
自分たちがコンビを組んだときを思い出す。
ノーティは、自分が強いから前面に立てるのだと思っていた。フィニットは弱いから探査や
が、そもそも、その認識自体がまるで了見違いのものだったとしたら。
互いの苦手を補い合い、「適材適所」を実践するためだと思っていた。
いや、今だって当然思っている。
けれど、自分が「適材」になれるような「適所」を見つけようとしたことが、ましてや、自分でそれを増やそうとしたことなど、はたして自分にあっただろうか。
この特訓中、フォレスがノーティに対し、事ある毎に「成長がない」と痛罵していたのは、もしかしてそういう意味もあった、のかもしれない。
「念のために向こうの扉は施錠してきたけど……そもそも彼等こそ此処の管理者だし、すぐ開けられちゃうんじゃないかな……」
「ンでもよ、多少なりとも時間は稼げるだろ。ならその間に少しでもやってくれ。もし追いつかれても、……そンときは、オレが何とかしてやるからよ!」
ややもすれば意気消沈しそうなフィニットの物言いに、ノーティが発破をかける。
扉は、隔壁を貫く通路の端と端。距離もそれなりにある。しばらくならば時間を稼ぐのも可能だが、今はとにかくタイムロスを減らしたい。
今のところ、自分が適材になれると言い切れそうなのは、力業が通用する場面くらいのものだ。ならば、その場面だけは自分の適所だと胸を張れるよう、全力で立ち回ってやる。
四の五の考える余裕はない。今のふたりには、絶対にやらなければいけないことがある。
この監獄星から「脱出」すること。そのために、フィニットの解錠とその時間を得るのに必要な前提を、確定させること。
おそらくはフィニットの言うとおり、遅かれ早かれ彼等に追いつかれることになるだろう。
それでも今は、今に限ってだけは、自分たちが彼等に後れをとるはずがない、と思えた。理由はない、が、不思議と揺るぎない確信がある。
此処に来て思い知った、相手に臨む心構えの足りなさ、彼我の力量差。
ともすれば自分の心を折りかけるものでもあったそれらは、けれど、嫌というほど痛感したからこそ、腹の内に覚悟を決めさせる素地となっていた。
砂原の端、がっちりと閉じられた隔壁の扉の前。
してやられた、という表情で仁王立つ、黒錆色のふたつ影。
「成程。あのクソガキども、俺たちのときとほぼ同じ行動をしつつ、更に派手な真似をしでかしていきやがったか。」
揺らめく青の睛眼を細めたフェレスが、堅牢に施錠された扉を顎先で示しながら、苦苦しく悔しげに、しかし何処か面白げに言った。
「此処の全てを把握できているわけでもないのに、なかなかどうして良い判断ができているらしい。」
整然とした輪郭の顎先を、つまむように指腹で撫で擦りながら、フォレスが憤慨とも感心ともつかない口調で言った。
称賛の態をした言葉ではあるが、声の調子の端々に、内心の痛憤を隠しきれないでいるのが窺える。
脱走など企てたところで無駄なのはわかりきっているはずだ。流石にそんな真似をするほどの馬鹿ではないだろう。
ふたりに対し、そんな高をくくっていたという事実。
かつての過去に己等が成功させた脱走は、今回のそれより「イージーモード」だった。それは確かだ。
だがそれを踏まえてすら、己等があのときの管理者たちと同じ「怠惰という轍」を踏んでいたなど、痛恨の極みとしか言いようがない。
それをこうも見事に思い知らせていった「あのふたり」に対し、フォレスとフェレスのどちらもが、
だからといって、感慨を優先させるわけにはいかない。最優先はあくまでも己等が利であり、あれらはその利のための条件だ。逃げるというなら徹底的に追わねばならない。
施錠された扉を再び動作させるべく、制御盤を操作し始めたフォレスはしかし、舌打つように嘆息した。
書き換えられていたのは、開閉孔の「
コードの解析を遅らせるためだろう、隠蔽するように更に幾重もの防壁が仕込まれている。無論、この防壁を取り除く上位管理コードも、全て書き換えられていた。
この辺りで流石に時間が足りなくなっていたのだろう。改竄の程度は幾らか緩く、本命のコードよりも簡易なものになっている。
とはいえ、総じて見れば相当に手の込んだシロモノだった。
この「児戯」を仕掛けたのは、無論、「賢しいばかりの子供」だろう。
それは納得できる。此処まで賢しらな真似ができるようになっていたのは驚きだったが、けれどそれ以上にフォレスに複雑な心境にさせているのは、これを仕掛ける時間を稼ぐために己等の前に立った、「力だけが能の子供」の方であった。
己等を相手取り、壁役となって時間を稼ぎ、守りきってこの扉の向こうに逃げ遂すなど、よもやそんな芸当ができるまでになっていたとは。
まがりなりにもその子供を教導した立場であるにもかかわらず、己こそがその子供の「伸び代」を見誤っていたらしいことに、何より複雑な感情を持たずにいられない。
制御盤を操作し、防壁を驚異的な速度で解き崩しながらも、フォレスの表情は極めて渋面だった。
そして、解錠の様子を眺めているフェレスもまた、複雑な表情をしている。ただし、フォレスの浮かべるそれとはかなり意を異にしていたが。
フェレスの浮かべるそれは、
「おいおい、まだかかるのか?」
「余計な口を開くな。気が散る。」
一応、フェレスもこの星の管理者ではある。あるのだが、己等兄弟を処分しようとしたものたちの産物であるこの星のことなど、不快こそ覚えど興味などさらさら持っていなかった。
そんなどうでもいいものより、自ら
だから、最初に奴からこの話を振られたとき、興味のない瑣末に
それがどうだ。確かに面倒は面倒だが、今となっては「これくらいなら首を突っ込んでも悪くない」と思える程度には楽しんでいるのだから、物事とは何がどう転ぶかわからないものだ。
「あのヒョロガキ、嫌がらせの才もなかなか筋がいいじゃないか。そのうち貴様のえげつなさに並ぶくらいにはなるかもしれんな。まぁ性格はあっちの方がクソほどマシだが。」
これを為した
フォレスの点睛が、じろりとフェレスに向く。解錠の手を止めることこそなかったが、
「貴様こそ、そんな皮肉を言えた義理か? あの子供との押し
今度はフェレスが面白くない顔をする番だった。
力負けしたわけではない。だが、己が至上とする「力」で捻じ伏せるに到らなかったことについては、確かに痛恨と言わざるを得なかった。
こんなときですら、互いの
あるいは、こんなときだから、だろうか。
偏執の根は同じでも、それが向く方向、表す方法、求める結果、その全てが正反対であるがゆえに、己等はほとんどの場合において相容れない。噛み合うときがあるとすれば、目的が同じである場合の「悪巧み」のみである。
「そら、開くぞ。」
やがてフォレスが、面倒な雑事に飽いたような口調で告げた。
言うや否やの瞬間、ゴゥン、と地響くような重たい音が鳴る。徐徐にこの場に近付いてくるように聞こえくるそれは、さながら重奏の地鳴りの如き鳴動となって場に轟く。
それが、止まった。同時に、閉ざされた扉の、砂原と船着き場を繋ぐ通路の開閉孔が開いた。
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