第35話

「あんたさー、自分で選んでやったことなのに自己嫌悪すんの、ほんっと昔から変わんねぇのなー。」

 リテラの重要施設のひとつ、受令堂メティガウス

 活動員が任務の令達を受けるための施設であり、統括長フラーテルの許可を受けたもののみが出入りできる場所。

 その堂内に立つ、影のひとたり。均整のとれた高い上背に、豊かに波打つ長の金色をかんむる影は、すっくと仁王立つような格好で、明朗かつ歯切れのよい声を発した。

 此処への出入りは念動による転移のみ。扉に類するものはなく、ある種の隔離空間となっている。

 ゆえに、新たな令達、あるいは緊急の召集などがない限り、普段は人影があること自体珍しい。

 だが、今は少し、様子が違っていた。

 声の向く先には、もうひとたりの影。

 金色よりも高い上背の頂点から、逆立つ長の銀色が流れるように落ち、その隆隆たる背を覆っている。

 真向かいの金色と対比するように、これもまた仁王立つ。ただし、こちらはひたすら無言と沈黙を以て応じ──否、それは「応じている」というよりも、むしろ「窮している」と言い表す方が正確だろう。

 金色スートエースと、銀色ダンウィッチ

 ほんの先刻まで、この場には最年長の一人ひとたりを欠いた四人よたりのレジェンドがいた。

 ゾハールによって召集されて以降、ほとんど此処に詰めっぱなしになっている状況。話し合うべきは山とあり、しかしそのどれもが、刻刻と最悪に近付く不確定の行き詰まり。

 精神の堂堂巡りは、彼等のような歴戦の士をしてすら、大きな負荷となる。時間が経てば経つほど、無言になる時間も増えていった。

 そんな中、アラミツと太郎がそれぞれに別の呼び出しを受け、一旦此処を出て行った。人影の密度こそ薄れたが、重く沈む空気が減じることはない。

 スートエースの言葉は、そんな中で唐突に投じられたものだった。

 いや、唐突と感じたのはダンウィッチだけだ。スートエースの態度や様相を見れば、今日や昨日の単なる思いつきから出たようなものではなく、考えを巡らせた上での言葉であると十分容易に察せられる。

「あんたがそういう性質たちなのはしゃーないと思うぜー、性格なんざ簡単に治しようがないわけだしな。でもよー、それも此処んトコ、ちぃとばかり度を超えてね? シンのことにしても、あんたの子供のことにしてもよー。」

 続く言葉にも、返事はやはりない。もっとも、そんな反応しか返らないことなど、スートエースとしても予測済みだったのだろう。

「どうせよー、昔の自分を見てるような気分にでもなってたんだろ、あンとき。」

 つぶらに大きな青の瞳をぐりっと剥いて、ぶむっと下唇を突き出し、憤然と言い放つ。

 年こそダンウィッチよりも下だが、物怖じすることも歯に衣着せることもないラフな物言いは、いつも以上に遠慮がない。

 あのとき、と指すのがいつのことなのか。言及はなくとも、ダンウィッチには通じていた。だから、ダンウィッチには言い返せる言葉もなかった。

 ただただ寡黙を通し、顰め面を浮かべるしかできない。

「そりゃま、自分の子供があんなンなってたら、不甲斐ないとか思っちまうのもわからなくはないぜー? ただ、だからって相手を吊し上げる態で自分への自己嫌悪を子供におっかぶせるなんぞ、幾ら何でも親の、っていうかイイ大人のすることじゃないだろーが。」

 我が子に何処か似通うその態度に、ダンウィッチは顔をにがらせきった。その間に頭に過ぎるのも、まさにそんな態度でむくれる我が子の顔である。

 無論、そのを知ってのことだろう。スートエースはなおも、お構いなしに言葉を続けた。

 遠慮のえの字もなく吐き出されるそれは、ダンウィッチに対する盛大な「文句垂れ」である。

 ダンウィッチが、我が子ノーティと直接顔を合わせた最後の機会。衛星埠頭フィロルでのやりとりについて。

 スートエース自身はあの場にいなかったが、報告係を請け負っていたアラミツから、経緯と情景と状況の仔細を受け取って「見た」のだろう。

 凝視といっても過言ではない、強い視線。己に向けられるそれに、言いようのない気まずさを覚えたダンウィッチは、更に苦苦しげな強張りを貼り付けた顔で、黙ったままふいっと目を逸らした。

 悪童が詰問から逃れようと耳をふさぐような、利かん坊がへそを曲げてそっぽを向くような、大人げない態度。

「……あのよー、にらめっこに負けたクソガキじゃねーんだからよー。」

「……やかましい……!」

 それを目敏く見咎めるように、スートエースが呆れ返った声で指摘した瞬間、ついに無言が崩れる。

 発したのは、短く怒鳴るような、けれど何の威力もない、反論にすらならない投げ遣りなもの。

 己がクソガキと呼ぶ我が子ノーティと大差ない態度、と言外に示されたに等しく、何より、それを否定できないのが忌忌しい。

 結局、スートエースの言うとおりなのだ。

 ダンウィッチがノーティに向けた言葉も、示した態度も、起こした行動も、落胆に端を発する怒りにかこつけた、自己嫌悪からくる八つ当たりにすぎない。

 自覚していなかったわけではない。むしろ、自覚などありすぎるほどにある。あるからこそ、「写し鏡を直視したくない己自身」を突きつけられることになって、改めて動揺している。

 馬鹿馬鹿しいほどに、「それだけのこと」なのだ。

「そもそもよー、あんたの性分なんぞ、俺等にゃとうに知れてんだからなー? それこそ自分の子供ノーティくらいだろ、あんたの身近な奴で知らないなんてのは。」

 全く以て、スートエースの言うとおりであった。

 鉄面皮と寡黙に象られた鋼のいわおなどと評されはするが、もとよりそれすら、感情の出やすい己を制して隠すための処世術そとづらにすぎない。このことは、ある程度ダンウィッチに近しいものなら、ほとんどが知っている。

 だが、その「ほとんど」の中に含まれない例外こそ、ノーティだった。

 理由はごく単純。

 見せなばあるいは、似てしまうやもしれぬ。に、向き合いたくない己に、過去の自らが振りまいた身勝手からすら逃げた己に。

 だから、そんなものを「見せない」よう、距離を置いたというのに。

 ダンウィッチは、嘆息にも似た挙動で虚空を仰ぎ見た。

 振った賽がことごとく裏目に出るというのは、まさにこういうことだろう。

 見せなかったがために、我が子ノーティは「偉大な親に対するじつのない憧れ」ばかりを抱いて育った。力と強ささえあれば、きっと自分もそうなれる、とあまりに素直に思い込んだ。

 そして偶さか、出自の優と気性の向きが合致し、其処に作用した。

 ある程度の力を最初から持ち得てしまっていたために、極み切らぬ生半なまなかなまま、それなりにこなしてやり過ごせるようになってしまった。

 だが此処に来て、今まで自覚できないままだった「それ」が、ついに露呈した。

 そういうことなのだ。

「ちゃんと育てりゃ親を超えられる可能性だってあんのに、あんたがまともに構いたがらないばっかりに、中身のない憧ればっか膨らんで、その結果がアレなんだぜー?」

 スートエースの表情に、明瞭な憤りが窺い見える。

 ナマートリュとしては珍しい「孤児」という境遇にあったスートエースにとって、自身が持ち得なかった「親子」という関係は、長じてなお深い羨望の対象だ。

 だからこそ、我が子と良好な関係を築ける距離にありながら、一向にそうしようとしないダンウィッチに対し、怒りをつのらせているのだろう。

「言っとくけど、コレ言ってんのは俺だけじゃねーかんな? 太郎も愚痴ってたからな?」

「太郎が……?」

「〝あの子の視野狭窄も、発揮しきれない実力も、詰めの甘さも、結局は親であるダンウィッチが正しく見せなかったからだよ〟っつーてたからなー?」

 太郎の口調を真似て告げるスートエースの言葉が、ダンウィッチに更なる追い打ちをかけた。思わず口を衝いて出た狼狽の声は、其処に抱える屈託の感情のほどを、如実に表している。

 レジェンドの中で最も年若ながら、訓練生たちを教え導く教官、その長を務めているのが太郎だ。生来の聡さ賢さのみならず、その立場であるからこその、「平静に物事を見る目」にも長けている。

 太郎の、あのまっすぐな眼は、ダンウィッチが今までに積み上げた失態とその因果を、しっかりと、いや、いるのだ。

「ま、今のうちに存分に落ち込んどけよ。其処に思い至れただけマシっつーか、それくらいですらマシとかいう時点で、いろいろアレだけどよー。新人どもの特訓がどう転ぶかはわかんねーけど、成長したのは子供だけでした、みたいなオチだったりしたら、それこそあんた、かなり情けない図になるかんなー?」

 とどめを刺すように投げ寄越される、これ以上なく図星を突いた指摘。

 ダンウィッチは、頭を抱える如き様相で額を強く押さえながら、低くうめくようなぐうの音を洩らした。



  衛星アグィラ、癒治院クラートォの一画。

 ほんの一日二日前まで、此処には、大きな憂慮と強い緊迫と祈るような切実の気配が立ちこめていた。

 今はただ、ひたすらに静かな空間である。

 そして、此処に呼び出された太郎の目の前にいる相手もまた、この静かな場所をそっくり写し取ったような、静謐とでも形容できそうな容姿を持った人物だった。

 銀色に透明な青を刷いたような髪は、肩下ほどの長さにすとんと落ち、ゆるやかな青の輪郭と影を落とす。滑石なめいしの如き薄白のろうけた肌面はだえに、透明な青を湛えた平静たる眼とまなざし。

「すまない、急に呼び出して。」

「大丈夫です。というか、珍しいですよね、リヒテラがそんないつな顔をするなんて。」

 この静かな青の影──リヒテラと呼んだ相手に向けて、太郎は苦笑を向けた。 

 リヒテラは「科術長シェンティア」という肩書きを持っている。

 このクラートォの管理者にして、医療を軸にした科学研究を行う研究者たちの長。ゾハールやシェルダと同世代であり、リテラの未来を負う若い指導的立場として、ダルクを構成するひとりでもある。

 今はまだ「若輩」として研鑽を積む太郎ではあるが、いずれはに立つことになる身の上。立場的にも個人的にも、リヒテラとはよく知った仲であり、何より、とあるひとりの「子供」について、悲喜こもごもを共有する同士でもあった。

「いろいろ考えてみたのだが、やはりこれは、君には知らせておかねばならないと思ったのだ。」

 物静かな印象を全く裏切らない、淡淡とした言葉。たゆみや澱みもない、なめらかな調子で紡がれるリヒテラの声は、けれどかすかに、憔悴の気配も含まれているように思われる。

「……もしかして、フィニットのことですか?」

「そうだ。」

 太郎は尋ねた。返った答えは、浮かんだ予想を過たぬ、短く明瞭なものだった。

 軽い頷きを返しながら、太郎は改めてまっすぐにリヒテラを見る。表情の動きこそ少ないが、浮かぶ色は困惑のそれにも似ていた。

「あなたが切羽詰まるような案件は概ねあの子のことですし、呼ばれた理由もその辺りだろうとは思ってましたが。」

 太郎の返した言葉もまた、静かながら明瞭。

 リヒテラは、フィニットの抱える「疑似生命鉱石」を作り上げた技術者、その当人である。そして、太郎にフィニットの個人的な「指導」を委ねた人物でもある。

「あの子は、此処を発つ前、私にあることを頼んだ。」

「あること?」 

 太郎の返事に、リヒテラもじっと太郎を見据えるように青い視線を向けた。告げようとする言葉を吟味しているのか、意を決するための間をおいているのか。やがて僅かな沈黙をおき、続く言葉が発される。

「疑似生命鉱石の機能を任意で解除できるようにしてくれ、と。」

「……!」

 リヒテラが告げた瞬間、露わの側にある太郎の琥珀の眼が、驚愕に大きく見開かれた。髪に隠れるもう片方の金の眼も、おそらくは同じく見開かれていたに違いない。

 何でそんな。考えるより先に思念で問いかけてしまった太郎に対し、リヒテラが首を横に振る。

「自分で操作させて欲しい、どうしてもやってみたいことがある、それを試したい、と。勿論、危険すぎると反対した。だがどうしても、と言って聞かなかった。わけがわからない。」

 訴えかけるように言ってから、リヒテラの表情からすとんと感情が抜け落ちた。そしてもう一度、「わからない」と、同じ言葉を繰り返した。

 訥訥とつとつと紡がれる、ともすれば途方に暮れたような響きは、リヒテラの、紛うことなき本心の表れだろう。

「それで、リヒテラはどうしたんですか。」

 十分に間をおいてから、太郎は尋ねた。問いかけの形をして、けれど、返るだろう答えは十割予想できていた。

「……あの子は、自分で決めたことは絶対曲げない。」

「知ってます。……つまり、最終的にあなたが折れた、ってことですね。にしても……あの子が自分でそれを言い出したのかぁ。らしいといえばらしいけど。」

 フィニットの「そういう部分」については、師弟という間柄にある太郎も十分に知っている。

 穏やかな性格に柔らかな物腰、それがフィニットの気性であり特性であるのは間違いない。だが、その底にあるのは頑とした意気地、ともすれば我が侭とでもいえるような「我の強さ」だ。

 本人は自分の「弱さ」ばかりを気にするが、この「我の強さ」を良い意味で自覚できたなら、自分自身に対する自己評価も随分と違ってくるだろう。

 とはいえ、今回ばかりは手放しに「よし」とはできない。

 疑似生命鉱石は、フィニットの命を「繋ぎ止め」「流出させない」ためにある。これを解除できるようにするというのは、「繋ぎ止めない」「流出する」状態を任意で作り出す、ということだ。

 それでも、フィニットは「何か」をしでかすつもりなのだろう。自分の身体とそのリスクを最も知る恩人リヒテラに願われても、止められても、その心配を振り切ってでも。

「……あの子は、」

 沈思黙考の面持ちにあったリヒテラが、不意に呟いた。

 その声につられて、太郎がリヒテラを仰ぎ見る。

「自分の身体が砕けたときに気付いたのだ。自分の脆さの原因、形の定まらない理由、実はそれこそが、自分の本当の能力ちからなのでは、と。だから、それを確かめたい、そして叶うなら、それをきちんと使えるようになりたいと言った。そしてそれは……おそらく、正解なのだ。」

 リヒテラの青い眼が、透徹するように、遠く遥かな先を馳せ見るように見開かれた。

 生まれたときからフィニットの身体を診てきたリヒテラが、密かにたどりついていた、とある「仮定」。

 燦然たる理知の巡りを得て、爛爛とした閃光が輝く如き、其処に生まれる予測、あるいは確信。

 ただし、それを確かめるには身体への負担があまりに大きい、との判断から、長らく確認に至りきれないでいた。

 だが今回、フィニットはその命の保持を危ぶまれるほどに砕けた。砕けて動かない自分の身体に、自分も知らぬ、自分の意思の通る「兆候きざし」を見た。

 砕けたことで、図らずもリヒテラの推測したものと同じ「答え」を見つけたのだ。

 そういうことか。太郎もまた、膝を打つ心地で思い至る。

 だとすれば、あの子供フィニットは、何というとんでもない「我が侭」を押し通そうとしているのか。

 多大な呆れと驚愕と、これまで以上の心配を、リヒテラと太郎は図らずも共有する羽目となった。

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