第22話

「ちょっと何よ! 離してよ! 下ろしなさいよ!」

 見えない何かに掴まれ、やにわに中空へと振り上げられたひかりが、じたばたと必死に抵抗する。

 抵抗した拍子に、ポケットに入れておいたカメラが落ちた。あっ、と思ったときにはもう遅い。

 高さのある位置からの落下、ガシャンと面白みも何もない衝撃音。地面には、無残に破損したフレームの破片や外れた部品が散乱する。

 リテラに来てからの、様々な景色と美形とひかりの「思い出」が詰め込まれたシャイニーピンクのカメラは、全く思わぬ形でその役目を終えることになってしまった。

 そんなぁ、とひかりの脳裏に浮かんだ残念感と感傷は、けれどすぐに途切れた。命の危険すらあるこの状況に、そんなことを考え続ける余裕などありはしない。

 同時に、それを見ているシンにも、余裕はなかった。

 ひかりを拘束したそれは、バラトシャーデの持つ能力のひとつである「分身能力」によるものである。

 作り出されたは、実際には「見えない」わけではない。

 ただし、物質としての密度が本体よりも低く、光学的に透過する特性もあって、感知や探査の能力を持たない地球人などは、認識することが難しくなる。

「……彼女を離せ、バラトシャーデ。おまえの狙いはわたしだろう?」

 低く強く、シンが言った。其処に浮かべる表情には、傍目にもそれとわかるほどの強張りが乗っている。

「ははは! いいぞ……貴様のその顔、実に愉快だ!」

 蝦名が、否、バラトシャーデと呼ばれた蝦名の姿をしたものが、シンの焦燥にも似た表情を見て、快哉を叫ぶように笑った。

「あなた誰よ! 蝦名さんじゃないでしょ! 蝦名さんどうしたのよ?!」

「……観客になってもらうのはいいが、耳障りなことこの上ないな。」

 鬱陶しげに言うバラトシャーデに、臆するよりも先にひかりが叫ぶ。

 怖さを紛らわせるために叫んだのもあろうが、ひかりはそれ以上に、相手に対して、本気で怒っているらしい。自分を捕らえるものを、それでも懸命に、身体を揺らして振りほどこうとしている。

「安心しろ、すぐに殺すような真似はせん。……そうとも、俺の狙いは確かに貴様だ。だが……貴様には、こうする方がよほど効果があるからな!」

 言いながら、バラトシャーデは片手を高く掲げた。同時に、その手の先に、あの赤黒い毀裂と等質の気配が現れる。

 それはたちまち不定形に膨れ上がって、荒くいびつな網目をもった「檻」のようなものを作り上げた。

「せっかくの観客とはいえ、やかましくされるのは困るからな。そら、防音の効いた特別室VIPルームを用意してやったぞ。」

 その中に、叩きつけるように放り込まれるひかりの姿。したたか身体を打ち付けて、痛みにうめいている姿が見えた。

 声は聞こえないが、現時点において、ひかりの命は無事である。意識もしっかりしている。そも、バラトシャーデの思惑を考えれば、少なくとも今のところ、ひかりの意識を失わせるつもりはないのだろう。

 もっとも、最後までひかりの身が無事である保証は、全くないのだが。

「ひかり!」

 其処に、もうひとつの声。

 直後、矢じりのような形の光波が、ひかりの放り込まれた檻に向けて放たれる。当たった衝撃から測るに、威力は十二分だった。

 だが、檻の空間を僅かに揺らしはしたものの、檻を破壊するまでには至らない。

 光の矢の射手は、フィニットだった。

 ひかりがバラトシャーデに捕らえられたとき、子供たちに決してこちらに来ないように言い聞かせ、此処より下層のドゥルゼへ避難させたあと、一散に此処に飛んできた。そして、捕らえられたひかりを目にして、咄嗟に光波を放ったのだ。

 ひかりの護衛という、自身の最も重要な役目を怠ってしまった──明白で痛切な自責が、その顔に色濃く窺える。

「護衛のガキの片割れか。」

「ひかりを返せ!」

「ちょうどいい、こいつにも栄えある聴衆として……いや、場を盛り上げる出演者として参加してもらおうではないか。」

 にやりと口端をゆがめながら、バラトシャーデがフィニットに向き直った。

 それまでに聞こえていた会話で、が、蝦名であって蝦名ではないことは、フィニットも知っている。

「ウスルのバラトシャーデ……って……記録上ではに入ってたのに……」

 狼狽のこもる呟きをフィニットが洩らしたのは、からこそのものだろう。

 ウスル。

 かつて、高度な科学力を持ち、栄華と繁栄を極めた外星系惑星の名称。そして、その科学力に驕った結果、自らの故星を失い、宇宙を放浪することとなった宇宙人の名称。

 バラトシャーデ。

 その「ウスル」が過去、彼等の移住先として地球を検討した折、その調査のために派遣された、先見隊の隊長の名称。そして、ウスル上層の意思を無視した挙げ句、独断で侵略行為を始め、ナマートリュシンによって斃された、宇宙人の名称。

 活動員として学ぶ「共有する知識データベース」の中にあったそれを、フィニットはきちんと覚えていた。

 ウスルは、種族特性として群体を基幹とする社会を形成する。

 その特性の元となるのが、自身よりも弱い種族を思い通りに支配する「精神干渉」の能力だった。

 彼等が「精神寄生体」として認識されるその所以。

 他生物の精神を支配し、彼等の形質に似せて寄生先の身体を変容させたのち、奴隷として使役する。こうすることで、ウスルという種は高度な文明を築き繁栄を得たのである。

 だが、ウスルが故星を失った原因もまた、ある意味でその能力によるものだった。

 長らく奴隷として使役されたものたちが、あるとき、ついに反乱を起こす。弱かったはずの奴隷たちは、皮肉にもウスルの形質に似せられたが故に、じわじわと反抗に足るだけの力を溜め込んでいた。

 以降、ウスルとその支配下の惑星との間に、長い戦争の時代が始まった。

 そしてその末が、星と種の壊滅という結果となったのである。

「ほう? 俺のことなどにすぎないだろうに、わざわざ後進に学ばせるような案件として扱われているとは。だったら一応、初めましてと言っておこう。まぁ、こちらはとうに貴様たちを知っているのだから、全く今更だが。」

「……蝦名さんに寄生してたなんて……」

 フィニットの狼狽を見るバラトシャーデの、あくまでも「もののついで」とでも言いたげな、何処までも小馬鹿にあしらうような態度。実際、フィニットへ向ける関心など、シンへの敵意の万分の一もないであろう。

「なかなかどうして、それなりに居心地のいい宿だぞ、こいつは。頭の中に、貴様等への不信や不満が始終渦巻いていたからな、時間こそかかったが、侵食するのはずいぶんと楽だった。」

 笑うバラトシャーデが、を、人間の身体ではありえない不自然な角度に傾けさせる。

 ごきりと響く、耳障りな音。音とともに、に、ぐぬりと何かが

 先尖りの円錐をしなり曲げた弧状の、生物的なフォルムを持った、奇妙なトゲ。

 さながら鋭利な鉤爪の如く、肩裏の骨の辺りから生じたそれは、首の太さよりなお太く、顔の高さよりもなお長く、更にその異様を伸ばした。

 皮膚の内側で、ひっきりなしにうごめく。可聴域外で、それがギチギチと微かに鳴っている。

 身体の内部で、今この瞬間も変異が進んでいく音。そしてそれは、すぐに視覚で捉える部分にも現れる。

 体表が、うねりを打つように不定に隆起し、皮膚を割った。それにつれ、首を含めた体幹が前傾するようにせり出す。上背が、大きく膨張するように引き上がっていく。

 大きく変異したことでちぎれ裂けた衣服の隙間から、ぎらつくように垣間見える赤い色は、既に、人の皮膚のそれではなく、あえて言うならば、昆虫の外殻めいた何かであった。

「どうだ? 俺のは。まぁまだ全部とはいかないが……それも時間の問題だ。」

 バラトシャーデが、言いながら、身体の変化を確かめるように、腕から肩をぐるりと回す。

 垣間見える幾重もの体節が、連動するように動いた。可動部ごとに筋張って節くれ立つ関節も、やはり人のそれではない。

 人の形を残しながら異形のものと化し、それでもなお、頭の、顔の造作に蝦名にんげんとしての形質が保たれている。もっとも、そのアンバランスさが、却ってこの変異の異常性を後押ししてもいるのだが。

 其処にはあきらかに、「人にあらざるもの」が出現していた。

 過去にバラトシャーデと対峙したシンは、確かに、これと同じように変容する様を見ている。

 精神寄生の支配度が強ければ強いほど、宿の身体は寄生したものに似た形へと変異していくことも、だから、知っている。

 だが、その変容の速度が、シンの覚えにあるものよりもはるかに速いのは──

「……まさか……」

 其処に浮かぶひとつの仮定が、浮かぶと同時に、確定的な確信を帯びたつぶやきとなって、シンの口から洩れる。

 シンの洩らした声に、バラトシャーデが、ニヤリと笑った。

「あぁ、なかなかぞ。」

 舌舐めずるように笑って、顎をしゃくり上げるように顔を仰のかせる。

 見せつけるようにさらけ出された首の内側から、ぐにゅりと浮上するように現れる、拳大ほどの青い光──否、青く輝く

 バラトシャーデの言葉と同時に、シンの眉尻が強く上がった。常にはない、はっきりとした怒りが、其処に現れている。

「見ろ、本来なら再生にもうしばらくはかかったはずが、これを食らってほんの数日で、しかも、かつてのものより強靱な身体となっている! ……の入れ知恵に従うのは面白くなかったが、これにだけは感謝してもいいだろうな。」

「喰らった、って……それって……」

 再び、首の中へと埋没していく青い石に、血の気をなくしたような顔でフィニットが呟いた。

 あれは、生命鉱石。ナマートリュの命の核。

 それは、数日前の夜、無惨に喰い散らされ奪われた警護員の。

「……お前が!」

 怒りに沸き立つ感情が、叫びのような声になって響く。叫ぶと同時に、フィニットが跳んだ。

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