第6話

 扉の外が騒がしい。そのことに気付いて、用の足し終えたハイリッヒは、水を流しトイレのドアを開けた。


「おぉ、いつの間に来おったんじゃ?」


 自室に仲間たちがいた。トイレのドアを後ろ手にしめる。目つきの鋭い毛先だけ金髪の黒髪に青と白のオッドアイ、学生服に身を包んだアイザック・ノルヴァ。逆にたれ目で紫と赤のオッドアイ、癒し系にも見える同じく学生服を着たカミーナ・キャット。ハルカだ。


 自室と言ってもこの部屋から出られないハイリッヒにはここしか行く場所はないのだが。


「じーさんのトイレは長げえんだよ。5分くらい前だぜ」

「こんにちは、ゴートル様。お嫁さん見に来ちゃいました」

「こんにちは」


 相変わらずアイザックは口が悪いなと思いつつ、こうして質問にきちんと答えるあたり律儀である。視線をアイザックからカミーナに移し、その手がナゴミの頭を撫でていることに注目する。


 ナゴミはハイリッヒがトイレに行く前にも見た時と同じですやすやと昼寝をしていた。そんなナゴミの長めなストロベリープラチナブロンドを優しく梳いているカミーナに目を眇めるハイリッヒ。仲間でも何でも気に入らないものは気に入らないらしい。それに気づいてしまったハルカはもう、苦笑するしかない。


「にしても綺麗だな、こいつ」


 ちらりとナゴミを見ながらのアイザックの言葉に、そうだろうそうだろうと一転して満足げに頷くハイリッヒ。ほっとしたのはハルカで、首を傾げたのはカミーナだった。


 大きく頷きながらもすっすっと畳の上を歩いて、ハイリッヒはナゴミの寝ている布団の周りに座っているカミーナたちとナゴミの間に割り込む。


 大人げない態度に白い目を向けるアイザック、目を丸くするカミーナ、頭が痛そうに額を押さえるハルカ。


「ゴートル様・・・本当にナゴミ様のことがお好きなんですね」

「わしの嫁じゃからな」

「・・・人形みてぇ」

「主殿は人形と言うておったのぅ」

「嘘でしょう!? 人形は食事なんてとりません・・・よ、ね?」

「とらん。にぎは生きておる。しゃべれもするぞ」


 ほっほっほとハイリッヒが笑えば、信じられないと言わんばかりに口を開けるカミーナとアイザック。ナゴミと会話(?)したことのあるハルカは深く頷いていた。


 いまのところ、ナゴミが自発的にしゃべりかけるのも反応するのもハイリッヒだけだ。その優越感がハイリッヒにはたまらなく愛おしかった。


「・・・今の世では生きた人間を人形と呼ぶのでしょうか?」

「んなわけねぇだろ。・・・主殿は目がおかしいんじゃねぇか?」

「アイザック!」


 主に対しての疑惑ともとれる発言にハルカがあわてて叫ぶ。思わずきょろきょろと周囲を見回すが、ここは離れだ。用事や遊びに来た者以外来ない場で、話がもれるようはずもない。そのことに思い当って、ほっと肩の力を抜くものの厳しい目でアイザックを見つめたハルカ。


「わりぃわりぃ、冗談だって。ハルカ」


 胸の前でひらひらと手を振るアイザックに、ため息をつくハルカ、そんな2人をおろおろと見つめるカミーナ。3人を見ながらふと後ろを振り返ったハイリッヒは、ナゴミのとろけたような灰色の瞳がぱっちり開いて一点を見つめていることに気付く。


 それはアイザックの毛先だけ金色の髪で、それをナゴミはただじっと見ていた。面白くなかったハイリッヒは、さっそく声をかけようと身体ごと振り返る。


 その時になって、他の3人もナゴミが起きていることに気付いた。


 灰色の片目が自分を見ていることを知ったアイザックがどうかしたのかとナゴミに尋ねようと口を開く。


「どうした、嫁っこ」

「ん・・・んー? きらきら」


 きらきら、きらきら。何回も繰り返すナゴミに、はてなマークを浮かべるアイザック。ただ1人、ハイリッヒだけはこの間巫の記憶にある子守唄を歌った言葉を覚えたのかと感動していたが。


 愛いのぅと頭を撫でられ、横になったまま猫のように目を細めるナゴミ。そこではっと勘付いたハルカがアイザックの横腹を突っつく。びくっと身体を揺らし、ハルカを睨み振り返ったアイザックに、ハルカが何事かを耳打ちする。


 それを聞いて納得した表情のアイザックは、撫でまくって満足した手をひっこめたハイリッヒのかわりにナゴミの頭に手を伸ばした。


「髪か? ありがとな」


 くしゃくしゃとやや乱暴にナゴミの頭を撫でたアイザック。びっくりしたのか目をぱちぱちと瞬かせてからナゴミはきゅっと目を閉じた。


 その顔が可愛いのに小憎たらしくて、ハイリッヒは急に心臓が冷めるような感覚に陥った。周りの音が遠い、自分も撫でたいのに指先が動かない。身体が冷たくなっていく。なにより面白くない。


 和の頭をあんなに乱暴に撫でていいわけがない。よしんばしてもいいのは自分だ。だって和は自分の嫁なのだから。


 だんだんと重くなってくる雰囲気に、気づいたハルカがおそるおそるハイリッヒを振り返って、青い顔をした。


「そ、そろそろお暇しますよ。カミーナ、アイザック」

「えーハルカ様」

「もうちょっといいじゃねぇか」


 いつもだったら「好きなだけいればいい」と援護射撃してくれるハイリッヒの声がないことを不思議に思いつつ、まだこの仲間の嫁についていろいろしゃべりたかったアイザックとカミーナはぶーぶーと文句を言った。それに瞳が冷たく光るハイリッヒにさらに顔を青くさせつつ、ハルカが言い募る。


「いけません、もうすぐ出撃の時間です」

「あっ・・・じゃ、行かなきゃですね」

「ちっ、しゃあねぇな。じゃあな、嫁っこ」


 ごねてたわりには出撃と聞いてあっさり意見を変えるカミーナとアイザック。当然だろう、彼らは戦争しているのだから。本来ならハイリッヒも出撃と聞けばそうだったかもしれないのに。追い出しておきながらやるせない気分にさせられ、はぁっとハイリッヒはため息をついた。


 2人っきりに戻った部屋で、ぱたぱやと遠ざかっていく足音を聞きながら。ハイリッヒは低い声で呟いた。


「のぅ、和や」

「んー?」

「そちが悪いわけではないことはわかっておるが、どうしても納得いかん」


 布団の上で緩く首を傾げるナゴミの前までやってきたハイリッヒは、躊躇せずそのハイッリヒよりも細い身体の上にのしかかり覆いかぶさる。


 そう、別にナゴミが悪いわけではない、ただ自分の仲間と戯れていただけだ。悪いことなど一つもないのに、こんなことを思うのは自分のわがままだとハイリッヒはわかっている。それでも、止められない。


「ん? ・・・んーっ」


 音もなく唇を合わせた隙間から、ちゅるりと舌をナゴミの唇の内側へ滑り込ませる。じゃらっとなったピアスたちの鳴き声がひどく遠かった。


 つるつるとした歯列をなぞり、酸素を求めて開いたそこを狙って舌をさらに奥へと差し入れる。口の中で逃げ惑う赤い舌に吸い付けば、ナゴミはきゅっと布団の裾を握った。赤く染まった頬、とろりととろけた灰色の瞳がさらに潤み、ハイリッヒを誘う。


 舌同士をざらざらした表面で擦り合わせて感じるのは愛しい者と舌をあわせているという幸福感だけだった。ぴちゃっと音を立てて唇を離すと、ナゴミの濡れて艶めいた紅唇が障子越しの光にてらてらと光るのが見えて。腹の底がぐっと締まる。


「や」

「和や、もっと舌を出せ」

「んっ」


 命令形で言えば、おずおずと子猫のように小さい舌を出すナゴミが愛おしくて、ちゅっと舌の先を吸う。それにぴくりと身体を震わせて、ナゴミは身を小さくした。怒られていると思ったらしい。


「ん・・・愛しいのぅ。やはりそちはわしの和じゃ。誰にも渡さぬ」


 ある程度満足したところでナゴミの口を解放したハイリッヒは、色に濡れた声でナゴミの耳元に囁いた。そのまま強く抱きしめると、ナゴミの頬にすりすりとすり寄る。まろい頬、しっとりもっちりした人肌は心地が良くて、しばらく頬ずりしたままでいると。ナゴミがスーツの裾をくいくいっとひっぱりハイリッヒを呼んだ。


「はいりっひ」

「ん? なんじゃ」

「あいしてるー」


 ちゅ。


 可愛いリップ音で、ナゴミはたまたま自分の唇の近くにあったハイリッヒの頬にキスをした。ちゅっちゅと続けて3回。

 まるで、気にしないでと言っているような慰めを含んでいるかのようなそれに。ハイリッヒはきょとんと瞬いた後、ふっと唇を緩めた。


「はは、まさかそちから慰められるとはのぅ」

「ん」


 こっくり頷いたナゴミに、ハイッリヒは。


「わしも愛しておるぞ」


 と耳元で囁いたのだった。

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