穢れなき白銀の剣 その5
その一団は
彼らの多くは市街に紛れる軽装だが――それでも戦士の経験を持つ者が見れば、明らかに正規の訓練を受けた、統率された軍であることが分かる。
十数の小集団に分散しているのは、即座の散開を想定しているためだ。
第二十一将、紫紺の泡のツツリの部隊は、敢えて
「……相手方があたし達の動きに気付いてないはずがない、けど」
単眼鏡から目標の建物を覗く女は、白髪を頭の後ろで束ねている。
今は、半身に負った凍傷を何重もの包帯で覆っていた。
「ここに来るまで軍が先行してる様子はなかった。こりゃハズレかな」
「さて。あるいはロスクレイ君にとって、それほど……身内にも隠し立てする必要があるのかもしれないね」
「……」
隣に立つ“最初の一行”……星図のロムゾを、無論、ツツリは信頼していない。
本来、彼は旧王国主義者の顧問として破城のギルネスを補佐していた男だ。だが彼は理由不明のまま旧王国主義者を見限り、ロスクレイ陣営へと寝返った。彼の行動が、破城のギルネスを死に追いやったといっても過言ではない。
さらに今、この男はロスクレイ陣営すらも離反し、ツツリも属するハーディ陣営の下で武を振るっている――
(……何か、別の理想があるとか。ロスクレイが送り込んでいる間諜だとか、そういうオチじゃあないんだろ……ロムゾ)
“最初の一行”。人域としておよそ最高峰の個人戦闘能力を誇り、“本物の魔王”との交戦に生還しながら、彼は一切の栄光を掴むことがなかった。“本物の魔王”を直視してしまったかつての英雄は、誰かに信頼や評価を与えられるたび、それを自ら踏みにじらずにはいられない破綻者と成り果てていた。
最強の個人戦力であるロムゾをハーディ達が控える作戦本部から引き離した理由もそれだ。顔面の半分を覆う包帯を撫でて、ツツリは彼女の目的を今一度反芻する。
ロスクレイが密会していたこの相手は、
(あたしの目的は、ジェルキが
〈ツツリ様〉
腰に下げるラヂオへと報告が届く。市街地を見張る兵からのものだ。
〈第十試合の中止が議会より各商店に通達されたようです。柳の剣のソウジロウの負傷が深く、女王陛下の御前での万全な試合が不可能であるため……と〉
「やっぱり来たな。織り込み済みの流れだ」
〈こちらの作戦行動が読まれていたのでしょうか?〉
「当然でしょ。ロスクレイが敵の立場で考えれば、試合当日に攻撃を仕掛けてくることくらいは読む……。こっちにギリギリまで作戦変更をさせないために、当日まで予定通り試合が開催するように装ってたんだ。ロスクレイだって最初から、今日が勝負どころだってことは知ってる」
「……それは」
横に立つロムゾが疑問を挟んだ。
「ハーディ君の動きが待ち構えられていた、と見ていいのかな。ハーディ君が招集をかけたのも、今日の早朝だったね。たやすく読まれるような頃合いで急戦を仕掛けるのは失策のように思うが」
「フ……それでも今日、急に仕掛けるからこそ意味があるんだよ。こっちの目的はロスクレイが動けない日を狙うことじゃない――何もかもが終わるまで、第三卿ジェルキを動かさないことだ。作戦開始が今日だという確証がない限り、全部の商店や関係機関への根回しが事前に可能なはずがない。どうやってもジェルキ自身が十割の実務能力で試合延期を働きかけて、場合によっちゃ損害賠償の交渉までやる必要が出てくるよな。……連中の中で一番優秀な、内政の一角が欠ける。そういう状態で総攻撃に対処させる。それが狙いだ」
体制側であるロスクレイ陣営は、何を措いても
……ハーディ陣営はそうではない。冬のルクノカ討伐に投入した兵力全てを合計しても、この
(
ロスクレイの失脚を仕掛けるべく、人族最強の英雄の真実を様々な形で用いることも、無論可能であっただろう。だが……最も悪辣な陰謀家であるイリオルデすら、そうしていない。
“本物の勇者”という偶像に固執させ続けることが、最終的に全てを覆すことが前提の彼らの作戦には、何よりも都合のいい展開であったから。
(――それも、最初から)
偵察の兵が建物に突入する。石造りの簡素な家屋だ。
すぐさま通信が入る。
「どう、目標らしき者は確認できる?」
〈いいえ。誰もいません。ただの倉庫――〉
直後、建物の内から炎が膨れ上がる。そして爆発音が続いた。
目の眩む光と轟音に、ツツリは単眼鏡から瞳を背けた。
……罠。
「……おいおい、嘘だろ?」
――――――――――――――――――――――――――――――
「ハーディ将! 試合の延期が通達されました! エルプコーザ行商組合、ギルド“葉陰の蛇”、メルプ六の月協定、インサ・モゼオ商会、レクザード一家へと、ほぼ同時に第三卿ジェルキからの連絡が入っております!」
「そうか。予定通りだ」
反逆の軍勢を率いる将は、椅子に深くもたれながら銃を磨いている。
司令室に駆け込んだ伝令の報告にも、振り返りすらせず返した。
「その動きが来たってことは、敵は既にどこかに部隊を展開し始めているはずだ。各所からの通信を統合して不審な地点を洗い出せ」
「了解しました!」
元の持ち場に戻っていく兵の乱れのない足音を聞きながら、ハーディは呟く。
「よく訓練しているな。イリオルデ」
「……なに。優秀な人材は何も
「なんだ。どういう意味だ?」
「戦争は、将が始めるものではないというが……君ほどの求心力と力のある将が手を貸してくれたからこそ、体制に立ち向かう者も、一つになれたということだ。それは……日陰で動き続けるしかない私にはない力なのだからな」
銃の手入れを続けるハーディは、口の端で僅かに笑みを浮かべる。
“本物の魔王”の時代から握りしめてきた、血と硝煙の染み込んだ銃把は、まるで吸い付くように彼の手に馴染んでいる。
「イリオルデ。あんたは孫がいたか?」
「いやいや。子のできない体質でね。……ある意味で、同志こそが私の子のようなものだ。たまに君たちが羨ましくなる」
「そうか。まあ、あんたが相手だから遠慮なく続けさせてもらうがな。俺の孫も最近、立って歩くようになってな……色んなものを構わず手に取って遊ぶもんだから、息子夫婦も手がかかるってぼやいてたよ。クハハハハ……」
弾火源のハーディ。戦場で武功を立て、危険に身を晒す必要のない穏やかな日常を手に入れてもなお、“本物の魔王”の時代が終わってなお、この将はまだ、争乱という弾火源に身を投じようとしている。
「それで、つい最近の話だ……その孫が、木彫りの銃で遊んでたんだよ。あれだ、イリオルデ。どこかの商店が子供用に彫ってるやつがあるだろ。その時にな……心底思い知ったのさ。俺は、どうしようもなく戦争が好きなんだってな――」
その時、建物のすぐ外から爆発音が響いた。
司令室に集う将官たちは色めき立った。
「何が起こりましたか。敵襲ですか」
「この場をハーディが押さえたのはつい今朝だ。いかにロスクレイといえ、まさか、すぐさま嗅ぎつけられたということはあるまい」
「……いや。“見えない軍”相手ならこの場が筒抜けになっているかもしれないぞ」
話を遮られた形になったハーディは、しばし沈黙を続けていた。
「……直接確認した方がいいな。イリオルデ。状況を見に行かせろ」
「く、く。やれやれ……ここに来て君が出し抜かれるとは思わんが。全てが上手くは行かないものだな、ハーディ」
「それが戦場だ。そうそう都合のいいことは起こらねえさ」
イリオルデが気怠げに指先で指示を下すと、
一人一人が
「爆発物なら、ケイテの仕掛けって線もあるぞ、ハーディ」
「第六試合での小細工か。……ま、心配はいらねえさ。落ち着けヒドウ」
「……おい。マジに大丈夫なのか? “見えない軍”だってどこに潜んでるか――」
「話の続きだがな。イリオルデ」
ヒドウの懸念を一蹴して、ハーディは首を鳴らした。
「……その時に思ったんだ。俺は……自分でも信じられねえくらい、戦争が好きだ。
「知っているとも。……その破綻を理解してやることなど、ロスクレイのようなまともな者には決してできない。私が許す。君は、君の望むように戦っていい。魔王や勇者など……人の抱える業と比ぶれば、遥かに些末なことだ」
「ク、クク……俺が今したいのは、そういう話じゃなくてな……」
ハーディは、こらえきれずに笑っていた。
期待と好奇が際限なく高まり、溢れているような笑みだった。
「俺の孫が……銃の玩具で遊んでるのを見てな。俺は、本当に羨ましいって思ったんだよ。あんな……クハハッ、小さくて、無邪気なガキに……本気で嫉妬したんだ。なあ。どう思う? 俺が老いさらばえて死んだ後でもよ……あいつは戦争ができるんだよ! こんなに楽しいことを!」
余裕の笑みで独白を受け止めていたイリオルデは、一瞬、言葉を止めた。
席を立っていた片割月のクエワイは、気迫に後退りした。ヒドウも、顔には出さなかったが、ハーディの異様さを恐れた。
「だから、俺は思ったのさ」
その兆候に真っ先に動いたのは、この場に残るイリオルデの護衛の一名であった。
彼女は射出式の刺突剣を抜き、それと同時に頭蓋が銃弾で爆ぜた。
「戦争は俺のものだ――こんな楽しいことは、この俺で最後にしてやろうってな!」
銃声だった。
誰が撃ったのか。
卓を囲み、銃を手にしており、イリオルデの護衛を上回る早撃ちを浴びせられる者など、一名しかいない。
「……ハーディ!」
イリオルデは激高と共に叫び、立ち上がろうとした。
無慈悲な銃声がそれを押さえつけた。
「グ、ウウ、オッ、あ」
弾丸の雨が、残った一名の護衛もろとも元第五卿を釘付けにして、痩せた体を立ち上がらせることすらなかった。嵐が撃ち下ろされ、血と脳漿が破裂した。
「ク、クク」
夥しい返り血を浴びて、ハーディは笑った。
撃ち尽くした銃を両手から落とすと、それは粘性の水音を立てて床に落ちた。
「クハッ、クハハハハハハハハハハハ!」
銃声。
彼の携行する銃には全て実弾が込められていた。最初から。
入口で抜剣した二名は、横合いの斬撃に斬り伏せられた。ハーディ直下の兵の攻撃であった。斬り捨てられ、倒れるよりも早く、さらに頭蓋を銃弾が撃ち抜いた。
「ハッハッハッハッハッハッハッハ……!」
銃声。銃声。銃声。銃声。
火薬の風圧で、外套が翻る。
長い戦術卓の卓上を悠然と歩きながら、狂将は歌うように弾火を踊らせた。
左。前方。下。左。右。
周辺視野のみで目標を捉え、恐ろしい速さでイリオルデの兵を射殺していく。
つい数瞬前まであり得なかった沈黙が、次々と飛び散り、広がって満ちる。
ヒドウは恐怖した。
「な、なに……何やってる、ハーディッ!?」
「ああ……クハハハハハハハ! 最高だ……戦争ッてのは!」
「ハーディ!」
呼びかけを続けようとしたヒドウは、息を呑んだ。
ハーディの後方で、クエワイが戦術卓に突っ伏しているのが見える。
頭の下から血がとめどなく広がって、流れ落ちていた。
攻撃に移ろうとした第十八卿を、ハーディは自動的に、無造作に殺していたのだ。
戦場の悪魔の歩みだけが、コツコツと靴音を鳴らす。
六名。ヒドウと、ハーディ直属の僅かな兵だけだ。
残りは全て死んだ。
「いつ、からだ……」
ヒドウは呟いた。何が起こっていたのかを悟った。
今……彼が真に恐れている相手は、悪夢めいて狂気を発露させた第二十七将などではない。それは今起こった出来事ではなく、遥かに前から起こり続けていた。
彼と手を組んでいた者こそが、恐ろしい。
誰も気づくことができていなかった。そんな発想が頭に過ぎりすらしなかった。
ハーディは戦術卓を端まで歩み終えて、机の端へと腰掛ける。
その後姿に向かって叫んだ。
「いつからだったんだ!? ハーディ!」
一つの小さなラヂオへと向かって、老将は報告している。
戦火の熱が一瞬で冷え切るような、低い無慈悲な声であった。
「待ちきれなかったぜ……ロスクレイ。“大脳”から“脳幹”へ」
あらゆる反逆は無意味だった。
たった一人の勝者を定める
勝利という必然を最初から定めることのできた者が、そこにいたのだとすれば。
「――“末端切除”を完了した」
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