穢れなき白銀の剣 その4

 五番城砦は、黄都こうとの中心よりやや離れた北西側に位置する。

 その一室で巨大な戦術卓を囲むのは、黄都こうと政府の最大派閥に反旗を翻したハーディ陣営――その主要を占める人物だ。


 第十八卿、片割月のクエワイ。生まれつき対人能力の障害を抱えながら、それを遥かに補う知的能力で二十九官へと上り詰めた、異形の天才。

 元第二十卿、かすがいのヒドウ。高い才覚故に自ら二十九官の席を退いた後、ロスクレイ陣営からイリオルデ陣営へと引き抜かれた若き隠遁者。

 第二十七将、弾火源のハーディ。苛烈な戦火そのものを内に灯し、数多の屍を踏み越えてこの時代に生存した、最後の老将。

 元第五卿、異相のふみのイリオルデ。黄都こうとの政治主流より追放されてなお陰謀を継続し、この大勢力を築き上げた真の黒幕。


「……ハーディ」


 額を隠す純白のローブの影では、イリオルデの表情は読めない。


「勘違いしないでもらいたいが……無論私は、軍事の判断は君に一任している……。しかし本当に向かわせて良かったのかな。ツツリに留まらず……あの星図のロムゾまでも、不確かな人質のために差し向けるというのは……些か不思議に思ってね」

「ああ、あれか?」


 戦端を控えた緊迫の空気を意にも介さず、ハーディは自らの白髭を撫でた。

 第二十一将、紫紺の泡のツツリ。ハーディ陣営の中にあって屈指の戦術家である彼女は、既にこの席を離れている。


 彼女は、ロスクレイ陣営より寝返った“最初の一行”――星図のロムゾよりもたらされた情報を元に、ある地点へと向かっているところだ。

 絶対なるロスクレイは、東外郭二条に住む何者かに……慎重に人目を憚り、接触を果たしていたという。ロムゾ程の達人でもなければ、その兆候すら悟る者のいなかったであろう、徹底的な隠蔽である。


「人質ってのは……違う。そもそも関係者を人質に取って言うことを聞かせるなんて手は、あのロスクレイには通じねえさ。いたとして、せいぜい殺して嫌がらせに使うくらいだ。俺とツツリが考えてる可能性は、別だ」


 六合上覧りくごうじょうらんの開催を控えた状況で、あのロスクレイが密かに接触していた者がいた。一度の勝利を確実なものとするために、ありとあらゆる準備を整える男である。


「勇者候補者に匹敵するの可能性がある。そうだとしたら……今回の作戦では、ロムゾを含めた奇襲で先んじて動きを止めておかなきゃあならんからな。どちらにしろ、ツツリの経路は東の連絡塔の裏を取る形になる。仮にだとしても、イリオルデ。あんたの部隊と合流して塔を挟み撃ちにできる」

「……可能性を潰すための先行か、ハーディ」

「ま、そういうことになるな」


 確認を取ったのは、かすがいのヒドウである。

 イリオルデによって半ば強制的に引き抜かれ、今は反乱に加担しているものの、心中本意ではなかった。


 それでも聡明な彼にとっては、現実的な勝算ありきの行動である――こちらの陣営には、黄都こうとの軍部の大半を掌握するハーディと、莫大な私財と私兵を蓄え黄都こうとの裏側を支配するイリオルデがいる。単純戦力はロスクレイ陣営と五分であると言えた。

 加えて、体制側であるロスクレイ陣営は今、同時多発的に対処せねばならない問題を複数抱えている。六合上覧りくごうじょうらんによって膨れ上がった政情不安だ。


(不確定要素を含めれば、攻めるこっち側が有利。それは、間違いない)


 今の黄都こうとに蠢く不穏分子は、政敵たるイリオルデ陣営のみではない。

 だが、彼らも同様、動き出すための機を伺っていたはずだ。そしてヒドウの読みの限り、その機は高確率で重なる。


(一つ目――オカフ自由都市及び小鬼ゴブリン国家)


 千一匹目のジギタ・ゾギの擁立により、黄都こうとへの政治的浸透を図ろうとした外患勢力。ジギタ・ゾギが敗死し、本来の計画が潰えた今、彼らがより政治的優位に立つべく強行手段に出る可能性が存在する。

 勇者特権を利用して既に黄都こうと内に入り込んでいる彼らが一斉に遊撃戦を開始した場合、従来の軍事作戦では対処の手が回りきらぬ難敵と化すはずだ。


(こいつらが動く場合、作戦目標は女王から与えられた行賞の更新。反乱鎮圧の実績を土産に自分たちをさらに高く売り込むか、あるいは……女王やロスクレイを暗殺して政府自体をか。どっちの動きもあり得る)


 さらに利害を複雑にする要因として、黄都こうとと彼らに共通の敵も潜んでいる。


(二つ目。見えない軍)


 ――六合上覧りくごうじょうらんの当初より各勢力の内で暗躍し、情報と秘密を武器に人族じんぞくを脅かし続けた、正体不明の一群。第八試合後の医療部門の調査の結果、血鬼ヴァンパイアが関与している可能性が濃厚となった。

 単独の血鬼ヴァンパイアとしては、感染の規模と速度が尋常ではないのだという。目的不明。総戦力不明。だが、こちらの情報は敵に知られている。必ず。


(奴らの動きに指向性がある……としたら、今の時点じゃあ、黄都こうとを混乱させること自体が目的としか考えられない。疑心暗鬼による自壊の誘発。反乱勢力も含めてことがこいつらの目的か……)


 目的を読みきれぬ勢力が乱立する一方で、それが明確な者たちもいた。


(三つ目。旧王国主義者)


 現在の女王セフィトを、黄都こうとの先王アウルから王位を簒奪した侵略者と見做し、旧王国への回帰を掲げる独立武装集団。


(勢力としては取るに足らない。目標も明確だ――連中の主張からして、必ず王宮を攻めてくる。こいつらに関しての問題はむしろ、裏に誰がいるか……破城のギルネスが消えた今、こいつらを本来の思想のまま統率できている奴がいるとは思えない。別の連中が手駒にしていると見たほうがいい)


 一連の考察を終え、ヒドウは顔を上げる。

 議題が次に移るまでの僅かな間の思考であった。ちょうど第十八卿クエワイが口を開いた時点である。


「不可解な点がありますがイリオルデ卿。政権の奪取に成功したとして以後の新政権には失礼ながらイリオルデ卿の関与の余地が大きいとは思えませんがどのようにお考えでしょう。今回の作戦の責任と功績はハーディ様のものと民に認識されるのでは」

「……なに、その程度」


 老い衰えた陰謀家は、くつくつと笑った。

 この反乱に際して、イリオルデは自らの目的に適う者への支援と人材提供を裏から行い続けただけに過ぎない。

 それが、長く……老いてからの十年近くの長期に渡った計画であったとしても。


「良い。それで良いのだ。私は……野望や復讐も、枯れてしまう年だ。あらゆるものを思うがままに……そのような、くだらないことはいい」


 穏やかに語る。不信を秘めるヒドウが聞いたとしても、それが真実であるかのように装うことができる。


「……ただ、停滞が崩れる様を見たい。若い……新しき力に、この行き詰まった黄都こうとを再生させてほしい。君たちがその偉業を成し遂げられるなら……それが、私の何よりの望みなのだ」

「ナメやがって」


 ヒドウは舌打ちをした。

 

「今まで通り、安全に隠居したままで……あんたに都合のいい傀儡が欲しいって意味に聞こえるぞ」

「く、く。やはり君は面白いな……ヒドウ」

「……ったく。ヒドウ。気持ちは分かるが、指揮系統には従え」

「俺の指揮系統の上はあんただ、ハーディ。イリオルデじゃない」


 イリオルデの操るハーディ陣営。その目的も、旧王国主義者と同様に、現政権の解体だ。しかもそれは、他の有象無象の勢力と比較にならぬ規模の作戦行動である。


 六合上覧りくごうじょうらんという前提を破壊し、冬のルクノカ討伐という『権威』を手に、黄都こうとの権力の座を手にする。

 敵陣営の旗印たる絶対なるロスクレイを抹殺し、女王暗殺の首謀者として仕立て上げるか、あるいは女王を殺害するまでもなく、彼女を傀儡として手元に置く。


(こいつらが……俺たちが、四つ目だ)


 作戦開始の時刻は近い。状況は恐らく、想像を遥かに越えて複雑なものと化す。


「ああ……忘れていた」

「なんだ、ヒドウ」

「いいや。こっちの話だ」


 もう一つ、動きが読めない相手がいる。

 あるいは、状況を動かす例外の存在となり得る。


(五つ目だ。姿を隠したままの……円卓のケイテと、軸のキヤズナ)


 誰が動くか。どこで戦いが激発するのか。

 武官ではないヒドウは、戦場の混沌を真に知ってはいない。

 それを完全に理解しているのはきっと、弾火源のハーディただ一人だ。


 だが、彼らが動くその機は高確率で重なる。


(どいつだ)


 それは、既に予定された……黄都こうとの民の全てが知る、絶対なるロスクレイが最もその動きを制約される一日であるから。


(――どの勢力が動く)


 時は午前。

 第二回戦第二試合当日。

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