第256話 傷心者と小心者10


 座学庵も勉強を教える場ではあるため、魔術講師の一義たちは魔術の講義がなければ単なる暇人だ。


 姫々がお茶を淹れて差し出す。


「ありがと」


 座学庵。


 異国部。


 その教室の後ろでまったりしている一義たちだった。


 エルフの寿命は長いため、見た目以上に加齢している。


 見た目だけで言うなら異国部ほど幼くは無いにしても、十分勉強の徒であるべきだが、生憎と一義の理解力は大した物で、禅の国の哲学程度は軽く網羅している。


 西方の国はヤーウェ教という文化が在るらしいが、そちらはよく知らない。


 とりあえず文字が読めて書ける。


 識字の能力は持っているため、ティーチングアシスタント程度は出来るのだった。


「つまり胡蝶が夢という形で今この世界を見せているのか……」


 自己認識への懐疑。


 これもまた禅の国の哲学だ。


 ゼルダも頭脳明晰で講義の進行にも滞りがない。


「良い先生だね」


「ですね」


「だよ!」


「だね」


 四人ともにゼルダを褒めた。


「それではこんなところで」


 講義が終わる。


 座学庵の食堂で昼休み。


「午後から魔術の講義ですが宜しいでしょうか?」


「ま、給料分はね」


「然りだ」


 一義と花々が頷く。


 湯葉を食べてまったり。


「それにしても一義先生はどうしてそうも」


 本気全開は理解している。


 その根幹も。


 だがソレは一義にとっての傷だ。


 外傷だ。


 心的外傷トラウマ


「此処で話すことじゃないよ」


「失礼を」


「さほど引け目を感じなくても良いけどね」


 クスッと笑う。


 ゼルダが、


「良い人」


 であるのは十分に学んでいる。


「厳しさが足りない」


 は講師として落第点だが、人としては及第点だろう。


 その辺の塩梅は花々の出番。


 金剛の魔術。


 万物を弾く不朽の体。


 素手で人を千切る力。


 生徒たちが恐れ、粛然としているのは偏にそのせいだ。


「しかし魔術ね」


 基本的に斥力を得意とする。


 一義は。


 他の魔術も使えないわけではないが、


「単純な力の万能性」


 は思い知っている。


 あらゆる事象現象に干渉する。


 だからこそ四大属性すらも弾いてしまうのだ。


 質量やエネルギーを選り好みせず、防いで攻める。


「斥力一辺倒になるのも致し方なし」


 ではあった。


 まだパワーレールガンの領域には届いていないが。


 湯葉をはふはふ。


「結局生徒たちは良い感じに別れたしね」


 一義とゼルダも魔術師ではあるが、どこまでも凡庸。


 さらに一義は斥力を使うため現象が目に見えない。


 これは初心者には痛痒だ。


 イメージの体外投射。


 魔術の根幹だ。


 であればイメージしやすい現象ほど魔術での再現は容易い。


 四大属性がシンボリック魔術と呼ばれる所以だ。


「では午後からよろしく御願いします」


「オーキードーキー」


 湯葉をはふはふ。

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