第70話「拉致」

「おはようございます」

「お、タウさん。おはよう! これから治療院に出勤かい?」

 家を出るとご近所で農業研究所の研究員をしているダリムさんが声をかけてきます。

 この農業都市グルンドは非常に良い都市です。

 それが人々にも見受けられます。皆さんとても生き生きしています。


「ほら、お母さん。遅刻するよー、院長さんに怒られても知らないよー」

「ははは、マリブちゃんは今日も元気だね」

「ダリムさん。年上に『ちゃん』づけは良くないよー」

「ごめんごめん。でも見た目と中身がな~」

 私もそこで笑ってしまいました。

 娘はそこで頬を膨らませて拗ねてしまいます。

 そういう所が幼く見えるのですよ?


「あー、おじさんのせいで遅れちゃう! あの学者さん時間にうるさいのよー」

 言うだけ言って駆け出す娘。


「では、私も行きますね」

「ああ、気をつけて。あんたが来てから治療院の評判いいからな。あんたが怪我とかしないようにな」

「ありがとうございます」

 こうして私はいつもの道を歩み始める。


『……だ……気付い……そ……は嘘……………』

 最近たまに幻聴が聞こえます。

 この私に魔法干渉による攻撃でしょうか。甘く見られたものです。

 ですが、攻撃の発信源がつかめないのです。

 いつもなぜか自分の中にいきついてそこから追えないのです。


「タウさん。どうしましたお疲れですか?」

「いえ、今日も終わったなと一息ついてました」

 夕方です。もう患者さんの受け付けはしていません。

 急患のみ対応するようにしていますが今日は問題なさそうです。


「そうですか。何やらお疲れの様子。今日は早上がりで構いませんよ?」

「え、よろしいのですか?」

「ええ、それに私もすぐに上がります。そして先月から魔宝技師様が始めた『ザンバ君3分クッキング』を見に行きますからお気になさらず。それまでの時間仕事してますよ」

 あくまで時間つぶしと主張する院長。

 人間で50歳超え老齢の域なのに活発なお方だ。


「あれ、ためになりますよね。ザンバ君が間違えたところをルース様が終わった後教えてくれるから。同じ間違えをしてる皆さんが上手になりますしね」

「ええ、家の嫁と娘たちも私の料理がおいしくなったと喜んでますよ」

「なるほど。ではお言葉に甘えて、今日は私が娘においしいものでも作りましょうか」

「はい、お疲れさまでした。成功したら私にも教えてくださいね~」

 そんなこんなで夕焼けに濡れる街を歩きます。

 この農業都市グルンドは抜群に治安の良い町です。

 大通りだけとはいえ夜に女の一人歩きが可能なのです。

 これは以前私がいた魔王領では考えられない事です。


『……思……出……こ……た目的……………』

 またです。本格的に調査しましょうか……。

 そんな考えにふけっていると……。


「おかーさん。珍しー。早上がり?」

 娘の声が疑念を吹き飛ばします。


「あら、マリブも早いわね。もういいの?」

「うん。あー今日はお母さんが作ってくれるの?」

 目ざとく私の買い物かごを見つけた娘は嬉しそうに言います。


「そうよ。今日はザンバ君クッキングで学んだことを試してみるわ」

「おお! 期待してます!!」

 娘がいると世界が艶やかになる。

 そんな幸せに包まれ家路につく。


「はい、お母さん。あーん」

「はい」

 薬を飲まされます。いつもの事です。

 これもすべて主にお仕えする我らの責任なのです。


「じゃあ、いただきましょう。本日も我らに糧をお与えくださった主に感謝します」

「主の恵みに感謝します」

 食事が始まりました。

 今日から精神の魔法干渉が顕著になった気がしますが、薬がその音量を抑えてくれます。

 そして娘の喜ぶ顔がそれらを忘れさせてくれます。


「あ、お母さん。明日早起きしようね。主の為に義務を果たす時が来たよ」

「ええ、わかっているわ。それも主のお恵みという事ね」

「うん、さすがお母さん!」

『……ま……こ……戦争……滅ぶ………………』

 気にしない事にしました。私は主のお恵みを賜り今が幸せなのですから。



マイルズの視点――――――――――――――――――――

 一旦衛君は調整槽に入ってもらっています。

 することは簡単なのでこちらの衛君は数か月、数年このまま眠り続けてもらいます。

 そして、こちらの衛君は先ほどこの世界への適合化手術完了したところです。

 数日後に目が覚めるでしょう。

 最終調整まで済ませてありますのであとは待ちですね。


 あちらとこちらの衛君。


 正直混乱している事でしょう。

 私も始めて認識した時は驚きました。

 それは人間とは世界とはという根幹の話だったからです。

 切欠は獣人の獣形態と人間形態についてです。

 当初これは2つの命を持っているという認識だったのですが、獣人の方々との触れ合いで違うと認識しました。

 これこそSFなのでしょう。

 どちらも本人だったのです。

 ではなぜ本来の獣形態から人間形態を生成できたのか。そして何故共通の生命体として成り立っているのか。


『それは我らの別世界での可能性が世界の狭間の力を利用して具現化しているのだ』

 獣王様談。難しいです。

 かみ砕くと異世界でありえた自分を、不安定な時空の狭間で作り出す。

 つまり自分を作るという事でしょうか。

 恐ろしい話です。

 では人間も複数の命を持てるのか。と問いかけてみたところ精神生命体として虚弱な人間には不可能。そもそも高位存在の獣人ですら消滅のリスクを掛けて作り出した。その為無限に近かった寿命を失ったとか。

 普通に考えれば世界を構成する時空に干渉するのです。そのエネルギーは計り知れません。

 では、世界を構成する外部魔法力をつかってみればと考察したところ獣人達はそれも使ってやっとの事だったとか


 しかし、極一部の人間は生まれながらにして、もう一つの自分、を持っているのだそうです。

 そう、衛君の様に。

 つまり、衛君は2つの命を持っていることになります。

 現在の衛君、仮に衛君1.0としましょう。

 こちらの意識を眠らせ衛君を媒介にして時空のはざまに存在する衛君を引っ張り出す。

 こうすることで調整中の衛君はそのまま、もう一人の衛君が通常通りの生活をこなせることになります。


 え? 改造? しましたよ?

 だって、次元の狭間にいた体ですよ?

 そのままだと崩れるかもしれないじゃないですか(棒)。適応化手術はしませんとね。

 趣味に走った?

 ……ナンノコトデ?


 そういったことで私自身も相当力を使いまして、くたくたの状態なのです。

 ですので。


「マイルズ、おうちかえるわよ」

 祖母に一時帰省を許可いただきました。


「愛しの君よ。私もこちらでの仕事に区切りをつけてすぐ参るぞ」

 手を離してください変態王子。私の目を見つめすぎなのです。鬼畜メガネこと2号よ、しっかりとこの変態が働くのを監視するのですよ。頼みましたよ。


「のうネロよ、これってあれじゃよな?」

「ええ、男同士のくんずほぐれつです。ほほえましいです」

 腐臭がします! まだ君たち6歳だよね!


「数日とは言えいなくなるのはさみしいのう」

「貴方、いっその事養子にしましょうか」

 獣王夫妻。すごく暖かいのですが。ポチを姉と呼びたくないです。


「大丈夫、ホーネストは貴方の嫁よ」

 姉さん女房ですか、激しく抵抗したいです。

 まぁそんなこんなで祖母と権三郎と3人でグルンドへの転送に付きます。


「じゃ、またなのです!」

 一瞬でお家です。なつかしさに少し涙が出ました。


「マイルズお帰り」

「お帰り」

 微笑み迎えてくれた母と父。思わず母の胸に飛び込みます。


「……マイルズ、なんで俺の方に飛び込んでこない……」

 父よ。これでもまーちゃんは男なのです。


「お父さん。髭剃り残しがあるのです。じゃりじゃりされると痛いのです」

 お父さんは顎をさすりながら『つるつるだよな?』とザン兄に同意を求めていますが、首を横に振られます。


「久しぶりのお家なのです。のんびり農業魔法ぶちかますのです!」 

「マイルズ。自重って文字書こうね?」

「するのです。自重大事なのです」

 そしてその夜はちょっと豪華な食事で早めにお休みしました。

 朝起きると祖父と祖母が急用とかで王都へ転送していきました。

 朝の御勤めは権三郎と二人でするようです。

 グルンドの朝を悠々とあるきます。

 この程度の距離歩いても疲れなくなったのです。

 獣王国で鍛え上げたマイルズMrk2なのです!


「坊ちゃん、お帰り。獣王国は楽しかったかい?」

「1週間後また獣王国なのです! 楽しかったけどお食事はこっちの方がいいのです!」

「ははは、そいつはうれしいね」

「で、たまごサンド普及委員会は順調ですか?」

 たわいもない言葉のやり取りに故郷に帰ってきたと安心感が心を支配します。

 …‥緩んでいました。

 …‥権三郎がいるからと。

 …‥地元なのだからと。


「マイルズ様。おはようございます」

 エルフさんだ! 奇麗なお耳なのです!


「おはようございます!」

「うふふ、いいお返事ね。さすが神の御子様」

「? 何を言っているのですか? あ、それはたまごサンド!」

「献上いたします」

 うっかり信じてしまいました。

 いつものようにあーんしてもらい至福の表情で間抜け面です。

 次の瞬間両肩をつかまれエルフさんの魔法詠唱が始めります。


「何をしている下郎!」

 裂ぱくの気迫と共に権三郎の剣がエルフさんの腕を切り飛ばそうとします。

 しかし直前で止まってしまいます。

 知っています。迂闊でした勝さん一号で目にしていたはずでした…‥。

 …‥勝さん一号の記憶で見た、あのグルンドを襲った白竜がやろうとしていたのと同じ…………『結界魔法への干渉』です。

 たぶん権三郎は魔法結界に全身をからめ取られて動けないのでしょう…‥。

 ですがそれも一瞬です。

 しかしその一瞬で、私は見たことのないさびれた街に転移していました。


「ようこそ、神の御子様」

 目の前にいた髪の毛戦線が後頭部まで後退しきった壮年の太った白人男性がヒゲを触りながら言います。


「貴方を遣わした神の慈悲に感謝します」

 ヒゲのおじいさんが膝を折り神への感謝を表明すると、後ろに控えた百名以上の部下たちもひざを折ります。

 あっけにとられていると。

 ガチャン

 変な魔法道具を両手両足にはめられました。魔法力操作がうまくいきません。油断しました…‥。


「さぁ、救世主様。共に参りましょうぞ」

 邪悪な笑顔を私に向けてきます。

 どうやら、窮地に追いやられたというやつのようです…………。



(3章完)

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