鉛筆戦争ーこの世の中から鉛筆がなくなったら

作者 大西 明美

何を書くかではない、何を思って書くかが大事なのだ。

  • ★★★ Excellent!!!

アナログの鉛筆が姿を消し、市民の筆記活動の全てが政府に監視される22世紀の未来。
21世紀からタイムスリップした主人公は、未来世界のありように戸惑いながらも、ジャーナリストのヒロインとともに監視国家へ反旗を翻す――。

そんな「1984年」や「華氏451」、あるいは「図書館戦争」を思わせる導入から始まる本作は、タイムスリップ要素を交えたライトなタッチに、ジャーナリズム解放戦争という重厚なテーマを織り交ぜた意欲作である。
20代の若者達の仄かな恋心、主人公とヒロインそれぞれの肉親を失った過去など、数々の人間模様を織り交ぜた作劇は、等身大のヒューマンドラマとしても一定のクオリティを保っている。文章やキャラクター造形は荒削りではあるが、人情の機微を捉えた人物描写は配慮と現実味に溢れている。この点は、婚活ビジネスに携わってきたという作者の経験と感性のなせる業なのだろう。

【以下、作者様の承諾を得た辛口パート】

本作の根幹をなす未来社会の設定については、何を描きたいかというテーマが強く感じられる反面、近未来SFの読み書きに慣れた人間からすると「作り込みが甘い」と感じてしまう部分も多い。
例えば、情報統制が進み、鉛筆や紙の本の存在すら一般人は知らないという、感覚的にかなり現在と断絶した未来の話でありながら、スマホはスマホのままであり、主人公は容易く電力会社に電話をかけて通電工事に来てもらっている。
もし生粋のSF好きがこのシーンを執筆するなら、スマホに代わる何らかの通信媒体を登場させつつ、100年先の未来の通信システムに困惑する主人公の姿を描き、さらに電力供給システムの進化や21世紀の電化製品との互換性の有無にも触れるところであろう。「100年後もスマホやコンセントは何も変わっていなかった」という設定にすること自体は構わないが、それに関するエクスキューズは必ず入れなければならない。狭量な指摘かもしれないが、SFというのは、そういう感性の持ち主が、そういう感性の持ち主に読ませるために書くジャンルなのである。
こうした初歩的な「突っ込み所」は本作の随所に見られる。結果、せっかくの「鉛筆が消えた情報統制の未来」という面白いテーマが、しかるべき補強を欠き、砂上の楼閣と化してしまっている。言うなれば、「鉛筆が姿を消すほど世の中の形が変わってしまった未来」ではなく、「今のままの世の中から、鉛筆だけが不自然に消えてしまった世界」に見えてしまうのである。

「100年後の未来」という舞台設定にこだわりたいのであれば、向こう100年の科学技術の進歩を真剣に予測しつつ(例えば2045年にはAI技術が特異点を迎えると言われている)、情報統制の激化に伴って社会の全方面に起こるであろう制度や価値観の変化を事細かに考察し、それらを作中に徹底して反映するべきであろう。作中、22世紀では婚前交渉が常識の範疇外となっているという描写があるが、そのような、特異な世界であるがゆえに生じる現代との価値観の乖離を、作品の至る所でいやというほど描き尽くすことが世界観の作り込みには大切なのである。
また、あくまで情報統制社会におけるヒューマンドラマを描くことが目的で、SF的な未来描写の作り込みにはそれほどリソースを割くつもりがないというのであれば、「100年後の未来」という設定自体を放棄するという手段もある。冒頭で名を挙げた「図書館戦争」は本作と同様に情報統制社会を舞台とする作品であるが、舞台設定は刊行当時からみてせいぜい十数年先の時代でしかない。100年というスケールの時間を置かなくとも、社会の異常な変化を描くことは十分に可能である。

さて、かように甘さが目立つ本作ではあるが、それでもこの作品から、そしてこの作者から目が離せないのは、書きたいテーマに正面から向き合おうとする強い意志を感じるためだ。
作中、紙の本が世の中から抹消されるに至った歴史が語られる部分を見れば、この作者が「鉛筆が消えた未来」に説得力を与えるために本気で頭を捻っていることは一目瞭然だ。その真摯な姿勢の前には、考察の甘さやSF的創作技法の未熟さなどは取るに足らない問題と化す。
小説の書き方など勉強でいくらでも補うことができる。しかし、自身の作品に筋を通そうとする真摯な思いは、誰もが持ち合わせられるものではない。作家に最も大切な「才能」は実はそれなのではないか。
その思いがある限り、彼女の握る鉛筆は必ず良作を紡ぎ出せると私は信じている。

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