第710話一人になりたかった史

史は、来日した有名なフランス人ヴァイオリニストのソロコンサートに、一人ででかけた。

珍しく里奈に声をかけなかったのは、チケットがどうしても一枚しか手に入らなかったため。

それと、たまには一人だけで行動したかったから。

「自分の食べたいものを食べたいだけ食べる」

「一人で神経を集中して、音楽を聴く」


母美智子だけには、「チケットが入らなかったから一人で行く」と、説明。

美智子も

「史も18歳なんだし、音楽を仕事として選ぶんだから、そういう時も必要」

「勉強なの、なんでもかんでもデートにする必要はない」

と、史の背中を押す。

何かと出がけに口を出してくる由紀は、大学のコンパで不在。

史は、かなりスッキリとした気持で、上野の小ホールに向かった。

コンサートの開始時間は、午後7時から。

史は、午後5時半に上野駅着。

小ホールは駅の前だから、かなりの余裕。


「さて、少しぐらいは何か食べようかなあ」

「演奏中におなかを鳴らしても、恥ずかしい」

「それでも、ホールのある2階に老舗の洋食店があったはず、大旦那と来たことがある」

史は、やはり慎重な性格。

あまり出歩かず、ホールのあるビルの中の洋食店を選ぶ。


洋食店に一人で入って、史が少し悩んで選んだのは、

「ふわふわオムライス 2色ソース 海老フライ添え」

ハヤシソースと仔牛肉のブランケットソースの2色のソースをとろとろふわふわのオムライスに添えてあるもの。

史が、料理を待っていると、後ろからコツコツとヒールの音が聞こえて来た。


そして

「あ!史君!一人?」

聞き覚えがある声がした。


「え?」

史が振り返ると、音大の先輩になる真衣。

そして、真衣は史の前に座ってしまった。


史は素直に白状する。

「はい、一枚しかチケットが取れなくて」


真衣はウンウンと頷く。

「そうだよね、私も遅かったから、一枚」

そこで、にっこり。

「ねえ、すっごいラッキー、史君とデートみたい」

真衣は、史のように注文に悩まない。

さっと、史と同じの「ふわふわオムライス 2色ソース 海老フライ添え」

を選んでしまう。


そんな状態で、史は一人になりきることは出来なかった。

コンサートでは、隣に真衣がピッタリ寄り添い、帰りの電車も同じ方向だから、ほぼ一緒。

珈琲も買ってもらって、電車で一緒に飲んで帰った。


夜10時少し前、家に入って、母美智子に「先輩の真衣さんと帰りの電車まで偶然一緒だった」と、ここでも史は正直。


母美智子は、笑う。

「しかたないわねえ、縁は大事にね」


ところが、いきなり二階の由紀の部屋のドアが開いた。


そして声が階段の上から降って来た。


「史!どこに行って来たの!」

「私へのお土産は?」


史は、ヘキエキとなっている。

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