第147話マスターのお説教(完)

カウンター席で泣いていた女性は、少し涙がおさまってきた。

ようやく、その顔を少しあげ

「いい曲ですね、ショパンですか?」

そう言いながら、また口をキュッと結ぶ。


マスターはゆっくりと

「はい、ノクターンの四番です」

言葉はそれだけ。


「私も小さい頃、ピアノを習っていて」

女性は話がまだ途切れ途切れ。


マスターは

「少し温かいものはいかがですか?」

「トワイスアップは、また作りますから」

少し不思議な申し出をする。


「え・・・あ・・・はい・・・」

女性は、キョトン状態。


マスターは女性の拒絶が無いことを確認し、すぐにトワイスアップを下げてしまう。


「小鉢にしました」

マスターが代わりに出したのは、湯葉の玉子とじと、温かいほうじ茶。


「わ・・・これ・・・好きです」

「湯葉の味付けも、ほうじ茶の香りも」


「なんか・・・心のウミがほうじ茶で流されて」

「その代わりに、少し甘めの湯葉が・・・」

「こんなヘマばかりの私に・・・」


「大丈夫って・・・」


「言ってくれているみたいで」


「ありがたくて、うれしくて」

女性は、また泣き出してしまった。


マスターは

「人は様々、いろんな時があります」

「悔しいことや、失敗を嘆くことも、多々あります」

「みんな同じなんです」


女性は

「はい・・・ありがとうございます」

「本当に美味しくて」


マスターは

「ここの食材は、ほとんど手作りです」

「湯葉もほうじ茶も」

「湯葉の材料の大豆も、卵も、ほうじ茶の前の緑茶も」

「近所の農家さんが、丹精込めて、育てたもの」

「その大豆も鶏も緑茶も雨風に耐えてきて、ここで貴方に美味しいって言ってもらって喜んでいますよ」


「その喜びを感じていただければ」

そこまで言って、口を閉ざした。


女性は

「はい、ありがとうございます」

「力をもらえました」

「お野菜と卵とお茶と、作ってくれた全ての人に感謝です」

「私も、何か、返さないと」

ようやく泣いていた女性の顔に笑みと、その目に光が宿った。



マスターと女性客のやり取りを聞いていた美幸は

「うん、私もマスターのお説教を聞きたいなあ」

「でもなあ、ヘマしないと聞けないのかな」

「うーん・・・それはなあ・・・」

美幸は、ちょっと女性客に嫉妬気味である。

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