第35話 慎重に行きましょう。
どいつもこいつも、俺を見てニヤニヤすんじゃねーっての。
あれから3回、藤宮さんと密室の車内で話す機会があったのに、からかわれる中、人妻疑惑を釈明することに終始し、デートに誘うどころじゃなかった。
スタッフの女子たちはクスクス笑いを向けてくるし、野郎どもからは、今まで話したことのないやつまで、遠くから手を振って挨拶してくれるようになり、っておまえらどんだけ人妻が好きなんだよ、好きなのはお前らだろーが、断じて俺じゃない!
とも、断言はしない。確かに人妻の魅力ってあるもんな。って何言ってんだ俺。
そんな中、波多野の視線だけは冷ややかで、まるで氷点下ビームにさらされているようだ。つめてーよ。
刈谷崎さんに至っては「気持ちは分かるが、パートさんにだけは手を出してくれるなよ」ときたもんだ。
するかっ!
ったく。
気を取り直して、バードフィ―ルドへ向かうと、2羽とも家に例えるなら2階部分に渡してある止まり木に仲良くとまって羽繕いをしていた。だいぶ環境に慣れてくつろぎの時間が増えているようだった。よしよし、いい兆候だ。
包帯が取れて自由になった両手に皮手をし、ハヤト夫妻宅の敷きチップを取り換え、給餌場に残ったご飯を処分して新しいものを入れていく。
新鮮な刻み野菜もたっぷり入れて、水入れを素早く洗い流した。
チナツちゃんは大人しく見ているだけだが、体重が6㌔あるハヤトは相変わらず好戦的で、高い止まり木の上から、蹴爪を打ち込む機会をキラキラした瞳で狙ってくる。
俺はくるくると動き続けることで的にされないようしながら、最短で室内を整える。そう毎回毎回くらうかっつーの。
ケージの外に出て少しすると、2羽ともトンッと音を立てて降りてきた。給餌場に頭をコツコツと入れしっかりと食べているのを確認する。宿泊日誌のチェックシートに記入をしていると目の前にキラキラが広がった、と思ったらハヤトが飾り羽を扇状に開いている。
うおっ、すげえ。
チナツを正面に、開ききった飾り羽の全体を細かく震わせ求愛している。そっとその場を離れハヤトを正面から見える位置に移動した。見つからないよう柱からギリギリ顔だけ出すと、飾り羽の輝きが目に飛び込んで来る。
なんだよこれ――。こんなに綺麗なのかよ。
ハヤトが羽を振るわせる度、ひとつひとつの美しい羽模様が光を浴びてより立体的に前へ出てくる姿は、気高く高貴な空気に包まれている。
これ、俺が女だったら間違いなく惚れてるな。と思った瞬間、チナツはくるりと向きを変えハヤトに背を向けると止まり木へ飛んだ。
え?マジか、チナツってどのレベル求めてんだよ。
1日に何度も、ハヤトが求愛のポーズを見せる。チナツは、その時々によって興味があるようだったり無関心のようだったりと忙しい。少しだけ、努力を重ねるハヤトに親近感を覚えた。女ってほんと訳わかんねーよな、とても同じヒト科とは思えねえよなあハヤト、こんだけイケメンのお前が落とせねーなら俺には永遠に無理だ。
ああ、誰か俺に求愛してくれよ。
数日後の朝、いつものようにゲージに向かうと、止まり木にハヤトしかいない。
あれ、チナツは?とケージを一周すると、1階の角にいた。
チップを盛り上げるようにした上に体を丸くするようにじっと座り込んでいるように見える。
これって、これってあれだよな?
「いよいよだな守野」
いつの間に来たのか、有野が中をのぞき込むように立っていた。
「ああ」
新たな生命の息吹が、卵という形を取り静かに誕生しようとしている。
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