第5章 おいでませ、筋肉横丁!

 東京アーバン学園高校校舎内、二五〇五年度新入生控室①。

 ここでは午前中の面接を終えた各グループの受験生たちが、午後の実技試験を前にお昼休憩もかねて、家から作って持ってきた弁当や近くのコンビニで買ったおにぎりなどを食べていた。

 彼らはこの後に控えている試験のことをまだ知らない。

 実技試験は、白樺真綾率いる生徒会のメンバー五名と前期試験合格者の柊木明を相手に、知識や運動スキルではなく純粋な戦闘形式で拳を交える試験だ。

 この学校は、全国の中学生に植えつけられている【変身】の種を開花させるまでに成長させ、近い将来起こりうる新時代の戦争への対抗手段として養成する、半分ほど軍事的施設ととらえることもできる。

 そのためこの試験では、生徒代表である彼女たちとの戦闘は、本番を意識した訓練なのであると言っても過言ではない。

 しかし、面接と違い実技は自主性の試験なのだ。受ける受けないは各自の自由。もし万が一にも受講者が一人もいなかった場合、その場で不合格を言い渡されお望み通りの学校へ流されるというシステムだ。だが受けるとなると話は別で、学園長や校長をはじめとする学園関係者のお偉い方々や戦っている彼女らの目で厳しく審査される。

 互いのくぐり抜けてきた修羅場の数が違う以上、試験においては生徒会の面々に受験生らが一方的にいたぶられるのは明白だ。可能性は限りなくゼロに近いが、彼女たちに勝ったからといって合格が言い渡されるとは限らない。認められるには溢れんばかりの熱意をぶつけることが大切だと過去の編入生は語る。

 この試験において最も重要視されるのは、進学にかける情熱。これに尽きる。

 しかしそんなことは露知らず、受験生諸君はランチタイムを楽しんでいた。


 ただ一人、震える右手をあざ笑いながら見つめる男を除いては、だが――――


 ◇


 炎条焔は緊張していた。

 いや、それが試験に怯えているわけでも尿意を我慢しているわけでもないことは、ほかでもない彼自身が一番よく分かってる。のだが、何も知らない狩根亜美は不本意ながらも心配そうに言った。

「大丈夫かよ、さっきから。手ぇ震えてんぞ。緊張でもしてんのか?」

「してねーよ。ただなあ、何か落ち着かねえんだ。何つーか、俺の中に眠りしアグニが気持ちを高ぶらせてくるんだよ。燃えろと。滾れと。焼き尽くせと」

 右手首を左手で握りしめ、力を込めながら右手をグーパーしている様は、亜美はもちろんたまたまこちらを向いた他の受験生もそう思ったのだろう。滑稽極まりない。

 どこからか「あいつ中二病こじらせてね?」とか、「お、黒歴史の実況中継じゃん」とか、決して彼に聞こえる声量ではないが、ひそひそと小言が漏れて来るのにそう時間はかからなかった。しかし、自分にも思うところがある亜美は、その言葉が自分に向けられている気がして思わず身がすくむ。形だけのお付き合いをしている焔ではなく、彼とは別の方、近くのファーストフード店で売られている様々な種類のハンバーガーを、十個ほど並べて一口ずつ交互に食べながら、2Lペットボトルに入ったコーラをがぶ飲みしている大食漢を、十年かけて増量した自慢のピンクのツインテールをいじりながら横目に見る。

 その大食漢こと岩島大は、セットではなく敢えて単品で買った十種のハンバーガーを、一口ずつ交互に何度も何度も食べ進め、それぞれ最後の一口に差し掛かろうとした時に、悲しそうに食べかけのハンバーガーを見つめながら、

「あーあ、あと十個買ってればもう少しこのバーガーちゃんたちとお遊びできたのに」

 と言って、ただでさえ周りの女子から遠ざけられていたのに、男子からもドン引きされるようなことを本心で言ってしまうという自己中心ぶり。

 その様子を少し遠いところから見ていた亜美は、ふてくされた顔で頬杖をつきながら、

「ばっかじゃねーの、あいつ」

 とぼやく。小さい声で言ったつもりだったが焔の耳に届いたらしく、

「あ? 何か言ったか?」

 と何の気もなしに聞いてきた彼に対し、亜美はたった今頬張ろうとしていたサラダに入っているトマトのように顔を赤くして、若干泣きそうになりながら、

「てめえにゃかんけーねーんだよドアホっ!」

 と怒鳴りつつ、コンビニのおにぎりを持っていたその右手ごと蹴り飛ばした。


 ◇


 こちらは新入生控室②。

 ①の受験生らとは違い、比較的おとなしい生徒が多く見える。それでも喧騒とまではいかないが、同じ中学同士の人や、中学は違えどそれ以前の知り合いである人同士で昼飯を頬張りつつ談笑している光景は所々であふれていた。

 しかしそれでも、ほぼ誰とも話すことなく限りある時を過ごしている者もいる。

 例えば、控室の奥の方で誰が見ても綺麗だと答えるほど美しい姿勢で、蓋がコップになる水筒で優雅に紅茶をすすっている銀髪の女生徒。名を雛森千尋という彼女は、中学が同じだと一目でわかる制服を着た、彼女とは対照に溌剌とした声で話しかけてきた女生徒、百合ヶ丘友里音の身も蓋もない質問に少しばかり眉を顰める。

「雛森さんって、どうしてこの高校に進学しようと思ったの?」

 千尋は悩んだ。面接の試験官にはそれらしいことを言えばやり過ごせると踏んでいたが、同じことを同級生に聞かれるとは思っていなかった。不用意に口走って本当の目的を言うわけにもいかない。少し考えてから、口角をあげて、

「特に理由はないですわ」

 と言った。聞いた友里音も、深く考えることなく「ふーん」と流す。


 また別の場所では無言ではあるが、一触即発の緊迫した状況が続いていた。

 両者ともに眼鏡をかけていて、出身中学の証である制服も同じ、ひいては知能の高さも同じという二人だ。文系と理系という方向性の違いはあるが……。

 柳瀬文香と螺旋塚数歩は中学生ながら、文学と数学、それぞれ全く別の方面で学生という枠組みを超越していた。二人がいた都内屈指のエリート中学校では、この二人のためだけに専用の研究室を作ってしまうほど、知らない人はいないと言われている。

 そんな二人は高校受験にあたって、ある一つの約束をしていた。それは実に子供らしい発想である。お互いが受験した高校は、試験当日まで先生を除いて誰にも話さないことだ。互いに知らないし、当然クラスメイトも知らないので、ついこの間まで「柳瀬さんは名門私立よねー」なり、「ラセンバカは工業高校だろうな」なりと、それぞれの進路を巡って話題が沸騰していた。

 当の二人も、今日再び会いまみえるときまでは大体あそこに行くだろうと想定していた。しかし、こうして対面した以上、二人にはどうしても気になることがある。至極真っ当だ。

「「なんでお前が(あなたが)ここにいるんだ!」のよ!」、と。


 そんな折、控室につながる廊下に足音が響いた。テッテッテッテッとあどけない足音に、今にも転んでしまうのではないかと心配したくなる者もいた。やがて開いた教室のドアより、連絡をしに来た生徒、善財幸子の声がその場にいるほぼ全員に伝わった。

「受験生のみなさーん。そろそろ後期試験の午後の部が始まる時間になります。会場に移動しますので、皆さんは廊下に二列に並んでくださーい。あ、順番は特に決まってないので早い者順です。それと、荷物は後で戻ってくるので置いといて大丈夫ですよ。ささ、急いで急いで」

 その言葉を受けて、ずっと目を瞑ったまま動かなかったある生徒がゆっくりと括目した。

 周りの受験生らが何人かの友人と手を取り合って並びに行く中、その生徒、六無斎轟は、

「時間か、いよいよだな」

 と言いつつ、一人遠くを見つめながら廊下に向かって足を運んだ。

 試験開始七分前、全受験生の整列が完了した。


 ◇


「レディースエァンドジェントルメェーン! 紳士淑女の皆々様方、お待たせいたしました! 通算五百回を超える年間を通したビッグイベントの、その第一弾が今年もやってまいりました! 長い歴史の中でこの難関を突破できた猛者は百人に届きません! 五年に一人いるかいないかという狭き門! かつてこの難関を突破した私たちの先輩にあたる偉大なる先人は言いまいたっ!」

「前振り長いよ真綾ちゃん!」

 長々と前口上をのたまっていた白樺さんは、それが佳境(?)に入りかけたタイミングで、後ろで黙っていた南郷さんに拳骨を食らって、女の子座りで涙目になった。

「うぅ……痛いよ理羅ちゃん……」

「ごめんね、あと音声拾ってるよ」

 そう言われて、付けていたイヤホンマイクの電源が入りっぱなしになっているのに気づいてまた泣きそうになる。逆に言えば、今のちょっとしたコントが会場中にもれなく届いてるわけで、それを引き金に会場には笑いが巻き起こっていた。

 おかげで試験官として臨んでいる僕の気持ちも、少し落ち着かせることが出来た。

 午前中にしていた【変身】はもう解いて、僕は男の姿に戻っている。もちろんレディーススーツから元の制服にだって戻っている。言わずもがな、下着は着替え直した。ただこの時点で僕は、女性になることに少し疲れていた。何かと言うと姿勢だ。自分で分析しながら言うとこそばゆいけど、男の人は椅子に座っているときは、ほぼ必ず無意識に少しだけ股を開く癖がある。しかし、よくテレビのひな壇にいる女優さんとかもそうであるように、女の人は大抵足を揃えている。絶対そうとは言わないけどほとんどの人がやっているこの所作に、実際に意識的にやってみて普段あまり慣れていないだけに(実際は能力的な補正なのか違和感なく座れたけれども)、僕はものすごい違和感に苛まれた。

 おそらく僕のこんな悩みなんて、なんだそんなことね、と軽く流してしまいそうなとある人の声が、今僕が座っているコロシアムの『関係者以外立ち入り禁止』の扉からすぐ横にあるベンチにも、その分厚い鉄製の扉越しに反響して聞こえてきた。

「ただいまより、二五〇五年度東京アーバン学園新入生選抜後期入学試験午後の部、新入生VS生徒会によるガチバトルを開始いたします!」

 その言葉を皮切りに、会場では拍手喝采が起こり、指笛が鳴り響き、様々な叱咤激励が飛び交っているのが扉越しに聞こえた。間髪入れずに白樺さんは次のプログラムに移行する。

「それでは選手……もとい新入生入場です! 皆さん盛大な拍手でお迎えください!」

 まだまだ止まらない拍手喝采の中を、はたして何も知らない新入生たちは、大多数が整列を崩してなだれ込むように一気に入場してきた。僕は会場の様子を見るべくドアノブに手をかけて、一寸ほど鉄の扉が開いたときに、新入生たちのごもっともな罵倒を耳にした。

「これは一体どういうことだよ!」

「聞いてないわよそんな話!」

「ここは向日葵ヶ原高校じゃないのかよ!」

 僕が能力に目覚めた日、白樺さんに聞いたこととほぼ同じことを異口同音に叫ぶ受験生たち。

 確かに最初何も知らない状態でなんだかんだあって、自分で決めて僕は今ここにいる。そう考えると、ほんの数週間前のことなのになんだか懐かしく思えてくる。そんなことを考えて僕は声もなく笑った。まるで意に介さないように、白樺さんはルール説明を始める。

「ルールは単純! 受験生諸君には、あたしたち生徒会メンバー六人の中から一人選んでもらって、ガチンコでバトルしてもらいます! メンバー一人に対して一対一はもちろん多対一もOK! 手段は問いません、勝つためなら何でもしてください! あたしたちが真っ向から捻り潰します!」

 力を込めた掌を強く握りしめ、いかにも「強いですよ」とアピールしている彼女に、僕を含めた受験生の一部が少し引いていた。中にはもう意識が飛んでいる人もいる。おそらくこのコロシアムに冷静になってから気づいて、怖気づくあまり耐え切れなくなったんだと思う。

 しかし、怖気づくどころかむしろ士気が上がっている受験生が一人いた。僕が担当したあのイタかった男子、炎条君だ。

「おもしれえ、やってやろうじゃねえか。実技っつーから身体測定でもやらされんのかと踏んでたけど、バトるってなら話は別だ。ならさっそく――――」

 一歩踏み出して指名しようとした瞬間、白樺さんが補足したおかげで空回りして、炎条君はつんのめって転んだ。

「なお最初の一回のみ、デモプレイも兼ねてどの受験生が対戦するかをこちらで抽選し、二回目以降は自主的に挙手をした人からやっていきます! ここまでで何か質問ある人は挙手してください!」

 そう言ってみんなに自主性を促したけれど、白樺さんの煽動にすぐに従う人はいなかった。数秒ほど静まり返る中、おそるおそる手を挙げたのは女の子だった。僕が担当した人たちの中にはいなかったので名前までは分からない。

「あ、あの……よろしいでしょうか……?」

「はい、あ、ちょっと待ってね。よっと」

 と軽く言いつつ、白樺さんは手にマイクを持ってなんと、さっきまでずっと立っていた観客席の一角にある放送スペースから飛び降りてきたのだ。そして何事もなかったかのように颯爽と着地。僕や受験生たちは開いた口が塞がらなかった。

「マイクか拡声器がないと分かんないもんね。では改めてどうぞ!」

「ど、どうも……」

 手を挙げた彼女は飛び降りてきた白樺さんに驚きつつも、マイクを受け取って両手でしっかり持ちながら言葉を並べる。

「え、えと、この試験は戦うということらしいんですが、もし負けた場合はどうなるんですか? その場で不合格ですか?」

 確かに、まず気にするべきはそこだ。戦う以前にこれはあくまで試験なのだ。おどけながらも冷静に状況を判断している女の子に僕は少なからず感心した。

「はい、どうもありがとう。合否の判定ですが、何も勝敗がそのまま直結するわけではありません。我々六人のうち受験生と戦う人以外がそれぞれ持ち点十点、合計五十点満点の内の絶対評価で判断いたします。評価内容は、この試験に向けた熱意、ただそれだけです! その点だけは安心してください! また、もし怪我をしたとしても全力で治しますので、心置きなく挑戦してください!」

 なんだか、僕から見ても詐欺の手口っぽく聞こえる後半の説明に、余計な心配を考えてしまう。実際僕の予感は的中して、受験生の一部ではひそひそと小言を言っている。僕がいる位置は、受験生や白樺さんたちがいるのとは真反対の方なので、彼らの会話までは分からない。

 この試験における自分の職務を忘れかけ、僕がコロシアム中心部に近づこうとした時、

「あの……一応着替えてきました。これでよろしかったでしょうか……?」

 僕の後ろから女の子が、肩を軽くたたきながら訊ねてきた。振り返ってみて一瞬誰だか分からなかったけど、さっきの面接でも聞いたその声や、変装していても感じられる芸能人特有のオーラを発しているその顔を見て、度忘れしてたことを心の中で謝罪しつつ答えた。

「あ、うん、大丈夫だよ波風さん……あ! 違う、波止場町さん! ごめんね! まだ覚えたてだし、何より顔で覚えちゃうとどうしても……」

 僕が言い慣れてないその名前を間違えたことを謝ると、波風……波止場町さんは右手で口を押さえながらフフッと笑って、

「いえいえ、いいんですよ。私が土壇場であんな無理難題をしてしまったせいで、皆さんに余計な負担をかけてしまっただけですから。それに私、結構驚いてるんですよ。まさかあんなに綺麗な大人の女性が、私と年端も変わらない男の子の変身した姿だったんですもの。目の前で突然、人が性転換するところを見た私の気持ち、少しは考えてくださいね」

「あはは……ごめんなさい。そういえば言葉遣いが……もうどういう役で演じるか決めてるのかな? さすがは売れっ子女優さんだ。敬服するよ」

「あたしはそんな大層なものじゃないよ、なんて素の自分を出しても別にいいんですけどね。おそらく事務所は大混乱してるでしょうね。私がいなくなったから。しかし、大人の事情に再び巻き込まれるのは二度とごめんなので、当分の間はこの学校で素性を隠して、限られた青春を謳歌しようと思います。そのために柊木君、私に協力してくれますか?」

 色々事情があるとはいえ、誰もが知ってる芸能人の頼みを、僕は断れなかった。

「僕で良ければ構わないよ。まあ白樺さんには後で怒られるかもしれないけどね」

「うふふ、そうかもしれませんね」

 波止場町さんはおしとやかに笑いながらそう言って、当初の予定通りの場所に向かった。

 昼休み中に白樺さんから聞いた話によると、波止場町さんは午前の面接が終わってから僕らが残りの面接を行っている間、女子寮に移動して諸々の事情説明を受けていたらしい。最初は飲み込めなくて何度も質問していたそうだけど、その甲斐あってか基本的なことはほぼ網羅したという。その後学園長が呼んだ数名の女性職員と、白樺さんが呼び掛けた在校中の女生徒複数名で、彼女をこの高校の制服に着替えさせて『波風めぐる』だとばれない程度の変装を施していたんだとか。その結果が、今僕が見た彼女の姿だと思う。

 それでも、ポニテだった髪を後ろにまとめて髪留めで留めてることくらいしか、僕には波止場町さんの変化が分からなかった。

「続きまして、この試験の行く末を担う判定員をご紹介いたします!」

 波止場町さんとの会話を終えて、僕はもう一度鉄の扉を開けて今度は中に入った。

 司会進行を続けている白樺さんは、客席のもといた場所に戻っていた。

「まずは我々、東京アーバン学園生徒会より副会長、新三年生の南郷理羅さん」

 白樺さんは少しだけ振り返りつつ、自分の真後ろにいた南郷さんに振る。当の南郷さんは、起立してから一礼した後、再度座った。

「次に書記担当、新二年生の愛染突刺さん」

 愛染さんは立ってから、謝るように頭を押さえつつ会釈し、それから座った。

「その隣、事務及び広報担当、同じく新二年生、十六夜蓮華さん」

 十六夜さんは起立すると、フリルのついたスカートの端を持ちながらおしとやかに会釈した。座るときに座面を払う姿が僕にも見えた。

「南郷さんの隣、会計担当、新二年生、善財幸子さん」

 善財さんは焦燥気味に深々とお辞儀をして、素早く座った。

「そして、君たちから見て反対側、あそこの扉の前に立っているのが、今年度の前期入学試験唯一の合格者にして、生徒会役員ではありませんがこの試験では救急班を任せています、新一年生の柊木明君」

「ど、どうも……」

 そして僕の番である。イヤホンマイクもしてないので、誰に聞かせるわけでもない音量でお辞儀しつつ挨拶した。逆にそれをしてない白樺さん以外の生徒会の人たちは、僕からは少し距離があるので、話していたとしても聞こえるわけがなかった。

「最後に私、生徒会長で新三年生の白樺真綾、以上六名が皆さんの努力を判定したいと思います! 皆さんどうぞよろしくお願いいたします!」

 深くお辞儀しながら締めの言葉を述べた白樺さん。その一声に改めて会場中が盛大な拍手で包まれた。

「さて、それではいよいよ試験を始めたいと思います! 前言通り、最初の人のみ抽選で決定いたします! 皆さん心と体の準備はよろしいですか?」

 白樺さんが後ろに手招きしつつ会場を煽動する。その招きに南郷さんが応じ、丸い穴の開いた四角い箱を持って隣に立った。

「参ります! 最初の挑戦者は…………こいつだぁ‼」

 右手でガサゴソと箱の中を漁った後、白樺さんはやや乱暴に三角に折られた小さな紙を一つ取りだした。その紙を開いて高らかに宣言する。

「受験番号六番! 六番の方! いたら挙手をお願いします!」

 言う通り、右手に掲げられたその紙には算用数字で「6」と書かれていた。「9」とごちゃごちゃにならないように、下線もきちんと記されている。

 六番は確か……と僕が振り返るよりも早く、その番号の主は動揺しつつ叫んだ。

「えええええぼ、ぼぼぼ僕ぅ⁉ 嘘でしょうーわマジか~」

 大仰に驚いた後、事の重さを悟ったのか急に青菜に塩を振ったような顔になった彼。あのぽっちゃりボディを忘れるわけがない。僕が最初に面接をやった岩島大君だ。

 今だから言えるけど、岩島君は絶対に器が小さい。【変身】能力で女になった状態の僕に照れも隠さず露骨にアピールしてきて、反感を買った白樺さんから逃げるように去ったし、今も名指しじゃないとはいえ選ばれてからのあの態度、公の場に出ることを避けるむっつりスケベの典型だ。しかも面白いほど顔に出る。悪魔のような思考で僕はそう確信していた。

「えーそれではそこで絶望的な顔をしている君、お名前と誰と戦いたいかをどうぞ」

 白樺さんも気づいたらしく、あからさまに嫌そうなニュアンスで彼に振る。何やらブツブツと独り言を数秒間繰り返した後、指先まで皮下脂肪たっぷりの右手人差し指を掲げて、

「……岩島大です。えーどうしよっかなあ……じゃああの人お願いします」

 彼は愛染さんを指さしながら、そう告げた。

「決まりました! 最初の対戦者は受験番号六番、岩島大君VS生徒会書記の愛染突刺さんに決定です!……言っとくけど、拒否権はないわよ?」

 最後に白樺さんは、愛染さんがやりたがらないことがないように釘を刺す。しかし選ばれた以上覚悟は決まっているらしく、軽いツッコミも交えて、

「会長、分かってますって。あと今の言葉、マイク拾ってるんであしからず。んじゃ、行ってきますよっと!」

 白樺さんが「あ」と言うのを聞き流しつつ、愛染さんは観客席から飛び降りてきた。

 さっきの白樺さんといいみんな身体能力高いなあ。僕なら怖気づいて無理だな。多分能力で無傷だろうけども。

「さてと、やるからにはマジでやるからな。それと、選ばれてない人たちは壁際行けよ。真ん中に近いほど巻き込まれやすくなるからな。さあ散った散った!」

 着地して開口一番に、周囲の受験生に注意をして散開させた愛染さん。根は優しい人だからすぐに気遣いが出来て、周りの状況もよく分かっている。実は生徒会で一番真面目な人なんじゃないかと僕は思う。

 そして岩島君を呼んで、闘技場の中央からお互いに等間隔で向かい合う。

「今からこの学校の入試の恐ろしさを、あたしが代表して身を持って叩き込んでやるよ!」

 愛染さんは強気に宣言した。僕も彼女の【変身】能力を一度も見たことがない。言い方は悪いけど、その最初の餌食になるのがまだ能力を持ってすらいない人なのが、すごく可哀想だ。

「よ、よろしくお願いします」

 岩島君も最低限するべきだと思ったのか、一応の挨拶は済ませたようだ。

「それでは第一試合、レディー……ゴー‼」

 カーン!

 白樺さんが音頭を取り、それに合わせてゴングが快調に鳴り響く。と同時に、闘技場の砂が小さく舞い、少し苦しそうに駆け出した者がいた。岩島君だ。やはり体脂肪の重みが、彼の運動神経の悪さに比例していた。おなかの贅肉をたぷんたぷん揺らし、五メートルほど走った時点で二月の寒空の下とは思えないほどの脂汗を掻いている。

 そんな彼とは別に、愛染さんはスカートの中から何やら小さい棒状のものを取り出した。武器として扱うにはあまりにも細くて小さすぎる。しかし彼女は、

「お前ならこの鉛筆さえありゃ十分だ。一度も削ってない新品だ。傷残らないように加減はするが、せいぜい頑張って足掻いてくれよ!」

 と言いつつ何故かペン回しを始めた。しかも器用に両手を交互に移動させたり、手首を一周捻ったり、さらには宙にあげても難なくキャッチして回し続けるほどだ。

 このまま舐めたプレイでもするのかと思いきや、かといって例の口上ではなく唐突に、

「〝伸びろ、ナントカ棒〟」

 と、岩島君の方に鉛筆を構えながら口にした。

 するとどうだろう。鉛筆は赤いオーラに包まれた後、その言葉通り彼に向かって急速に伸び始めたじゃないか。 まるで西遊記に出て来る如意棒の様だ。どんな能力なんだろう。

 岩島君は、伸びてきたナントカ棒もとい鉛筆にそのままおでこを突かれて怯んだ。

 しかし愛染さんは容赦なく、追撃すべく駆け出した。伸ばした鉛筆を少し引き戻して中央辺りを持つと、新体操のバトンのように回しながら走り寄り、数メートルの間合いを取って彼のお腹を勢いよく突いた。そしてもう一度、今度は力強く叫んだ。

「〝伸びろ、ナントカ棒!〟」

 すると今度はさっきよりも急速に伸びて、岩島君の身体を少し宙に浮かせつつ、最初の勢いも殺さずに彼を壁に押し付けた。特に鈍い音もしなかったのはその脂肪分がクッションになったからだと思うけど、それでも岩島君が急速に青ざめた顔になったのは、突かれた鉛筆が食い込んだせいに違いない。

 幸い他の受験生が近くにいなかったため巻き添えはいないけど、彼らのほとんどが一分もかからずに相手を倒した愛染さんを見て愕然としていた。いや、愛染さん本人よりも彼女が肩に抱えている伸びっぱなしの鉛筆の方が、比較的視線を集めているだろうと思った。

 初めて見る能力に少なからず驚いていると、イヤホンが突然内部通信に切り替わって、

「今のつくっしーの能力の解説、いりますか?」

 素の口調の十六夜さんの声がした。彼女の方を見上げると、僕に向かって優雅に手を振っている。誰に見られてもいいように体裁を守るためなのかな。

 僕も小さく手を振り返して「お願いします」と小声で言った。

「つくっしーの【変身】能力は〝棒術使い《クラブマスター》〟の職業系。名前通り、棒状のものなら何でも自由に扱える能力なの。だから鉛筆に限らずシャーペンボールペン、箸に定規にリコーダーまで。極端なことを言うと、丸めた教科書でも武器として扱うのよ。まあ先生に怒られたけどね」

「きょ、教科書⁉ それ能力的に大丈夫なんですか⁉ それに大体の人が言う例の口上も言ってなかったし……」

「本当は授業がきちんと始まってから教わることなんだけど、特別に先走って言うね。職業系の能力は、他の系統と違うことが三つあるの。一つ目は、唯一【詠唱破棄キャンセル】ができること。つまり言葉にせず思念するだけで、いつでも使うことができるのよ。二つ目は、自分が持っている又は身に着けているものに作用する能力であること。他の三種類は自分の体そのものを変化させるけど、職業系の能力だけは自分が触れたものを変化させるのよ。そしてそれを踏まえての三つ目、変化できるものには決まりがあるの。これをみんなは【限定条件】と呼んでるわ。例えば私の〝管弦楽団オーケストラ〟の条件は、『指揮棒であること』。要は素材が何で出来ていようと、形がどんなものであろうとも、私が『これは指揮棒だ』と思い込めば能力が発動するの。同じように、つくっしーの条件は『高さ十センチ以上の円柱を含み、片手で持てる重さの物体』なの。能力によって条件は違うんだけど、逆に言えば、それさえ満たせば何を使っても【変身】出来ちゃうのが職業系のすごいところなの……ですわ」

 最後急にお嬢様口調になったので何事かと観客席を見やると、十六夜さんが白樺さんに睨まれてる……様に見える。こっちからは青ざめた顔の十六夜さんと、白樺さんの後頭部しか分からないから、あくまで憶測の域を出ないけど。

「よっし、戻るか。〝伸びろ! そしてしなれ、ナントカ棒!〟」

 一仕事終えた愛染さんは、観客席から少し距離をとるとまた鉛筆を伸ばして、今度は端を持ってから観客席に向かって駆け出した。鉛筆の反対側を壁と地面の境界に押し当てて、口上通り放物線のようなカーブを描いても折れる気配のない鉛筆を巧みに操って、棒高跳びの要領で一軒家の二階ほどの高さはある観客席に飛び乗った。

「……というわけで、第一試合は生徒会書記の愛染さんの勝利に終わりました! 見たところなすすべなく負けてしまいましたが、彼は過酷な状況にも屈せず果敢に立ち向かっていました! 岩島君の健闘を称え盛大な拍手をお送りしましょう!」

 これを親切と言うべきか苛めと言うべきか、白樺さんの言葉に変な意図を感じた。嫌そうな態度を抑えているのは分かるけども、それでも「なすすべなく」は可哀想だから!

 それに、傷ついた彼を直すのは僕なんだから、もっと僕のことも考えてほしいな。

 心の中で惜しげもなく嫌味を吐き捨てて、僕は自分の仕事のために保健室へ向かった。校舎まで戻って保健室にたどり着くと、在中している養護教諭の女性と、僕が十六夜さんと話していた間に運び込まれてベッドで寝ている岩島君と、試験が始まるより前に来ていたもう一人、

「ありがとう波止場町さん。岩島君どんな感じですか?」

「最初はお腹を押さえて苦しそうだったけど、たった今胃腸薬を飲ませたの。そしたらだいぶ落ち着いたみたい。疲れがたまってるのか、ぐっすり眠ってるわ」

 着てはいないけどまるで白衣の天使のような波止場町さんの言葉に、「ホントに胃腸薬で痛みが引いたの⁉」という僕の生半可なツッコミはかき消された。

「見たところ後に響くような傷もないし、あなたの出る幕はないようね、明君。残念ねえ、せっかく治療係に選ばれたのに。はぁ、私も明君が女の子になるの見たかったなあ」

 憂鬱そうに溜息を漏らすのは、養護教諭の天野橋播磨あまのばしはりま先生。ネームプレートから窺えた名前からは想像できないほどにおっとりとした方みたいだ。名は体を表すということわざを聞いたことがあるけど、先生は明らかにこれの例外だと思う。

「まあ気落ちしないでくださいよ。これから指名されたらほぼ必ず使わなきゃいけないので。戦う人によっては、負けはしないけど勝てもしないなんて状況に陥る可能性もありますから」

「それは仕方のないことね。私も少しデータもらってるけど、明君の能力だと戦闘になったときにあなたが負ける確率は、ほとんどゼロに近いと言っていいわ。でも勝てるかと言えばゼロではないんだけど、あまり高い確率じゃないのよねえ。女の子に【変身】してあらゆる攻撃に無傷で耐えきる能力。①あらゆる外傷を受けない。②その際に痛覚は作用しない。③引力や斥力などのエネルギーは、①の効果外の程度のみ受ける。④全体的な筋力は、一般的な女子高生と同等、もしくはそれ以下の可能性あり。この学校には二十年近くいるけど、ここまで防御一辺倒な【変身】は見たこともないわ」

「でも僕自身は結構気に入ってますよ。何より怪我しないので」

「明君がそういうなら私は何も言わないわ。それに……」

 バインダーに挟んであった僕の【変身】についての資料を閲覧していた天野橋先生は、机の引き出しの中からリモコンを取り出して、保健室の一角にある液晶テレビに赤外線を飛ばした。

「こっちの様子も気になるしね」

 すると画面には、すでに始まっていた二戦目の映像が映し出された。

 しかし、少し様子がおかしい。

 戦っているのは【変身】した南郷さんと、二人の受験生。一人は炎を操っていて、もう一人は粘液のようなものを南郷さんにかけて、炎使いの受験生をサポートしていた。その受験生の内、一人は僕にも誰だかすぐ見当はついた。テレビで僕が見始めたのは、様子がおかしくなる十数秒前。その時点ではまだ受験生たちは共闘していたが、突然粘液使いの子が真っ白い液体となって炎使いの子を覆い隠して、彼の炎を纏ったままゆっくりと巨大化し、元の男の子の背丈より数倍大きい高さの炎の巨人に変化した。

 ……何て悠長にテレビの実況してる場合じゃない!

「波止場町さん! 岩島君のことお願い! 天野橋先生も彼のことお願いします! 僕がみんなを助けないと……!」

 不格好にも僕は、保健室を走り去りながらそう言い残し、一分もかからない会場までの道を全速力で駆けていった。僕がやらなくちゃ、僕が止めなきゃいけないんだ……!


 ◇


 遡ること数分前。

「さてさて、次の対戦に映りたいと思いますが、次からは受験生諸君の自主性を尊重して、やりたい人から挙手してもらって、こちらで適当に選んだ順に進めていこうかと思います! 誰かやりたい人はいませんかー?」

 岩島大VS愛染突刺の戦いの余韻が冷め止まぬ中、飄々とした口調で真綾は彼らに促す。しかし、彼らの中ですぐに手を挙げる者はいなかった。いや、挙げられなかったのだろう。

 当然と言えば当然かもしれない。何故なら彼らの中で、もうすでにこの試験に挑む意気込みを失っている者が、過半数を占めていたからだ。言うなれば戦意喪失である。その多くは、先程の戦いに感化された者たちだろう。大の運動神経があまりにも悪いのは誰しもが彼の体格から想像できていたが、それでもほとんど何もさせずに倒した突刺の容赦の無さや、彼女を含む生徒会メンバーらがアニメや漫画などでしか見たことないような奇々怪々な特異能力を、まだ他にも隠し持っているかもしれないという恐怖などが、彼らの失念を助長していた。

 中には違うベクトルで愕然としている者もいる。狩根亜美だ。

 自分が本心から大好きな人が、目の前で弄ばれた挙句何もできずに負けたのだ。彼女の悲しみは、ある意味では大よりも激しいかもしれない。幼いころから十年近くほとんど同じ空間で過ごしてきて、みるみる太っていく大をを本音で心配しつつ、建前で小馬鹿にしていた自覚は持ち合わせている亜美である。が、本人の運動不足というだけの問題に自責的になっていた。

「ああ…………大が……あんな……簡単に……」

 決して誰にも聞かせてはいけない。たとえ近くにいる焔にすらも悟られてはいけない。自分で決めていたその決まりがあったからこそ、彼女が出した声は他の誰の耳にも届くことはなかったが、それでも亜美は心の声を漏らさずにはいられなかった。

 そんな時だ。ある一人の受験生が震えながら手を挙げていた。いや、彼が震えていたのは怯えていたからではない。これからの戦いを前に勇み立ち、武者震いを起こしたに過ぎない。

 やがて天を衝く勢いで高く腕を伸ばし、彼は――――炎条焔は叫んだ。

「次は……次は俺がやる! いや、俺にやらせろおおおおっ‼」

 瞬間、まるで地獄のどん底に突き落とされたかのように意気消沈していたほとんどの受験生の目に、僅かながらも光が宿り始めた。あいつならやってくれる。受験生の誰もが、焔なら勝つだろうという限りなく低い可能性に賭け始めていた。

「一番手があのデブにかっさらわれたのは癪だが、二番手は誰にも譲らせねえぜ! それによ、こんなことでへこんでる奴らとは違えってことを今から証明してやらあ‼」

 意気揚々に宣言した焔を調子づかせるために、真綾はわざと大仰に煽る。

「ははーん。さてはあなた、よっぽど自分の実力に自信があるようねえ。まあまずは誰と戦いたいか決めてから見せてもらいましょうか。会場のみんなもそれでいいかー?」

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ‼」」」

 在校生の、特に男子の野太い声が地鳴りのごとく響き渡った。

「さあ、選びなさい! 若き挑戦者よ!」

「……南郷副会長、あんたに決めたぜ!」

 仰々しく煽っておいて自分が選ばれなかったために、思わず大胆に尻もちをついた真綾。理羅は真綾の体を起こしにかかり、近くの椅子に座らせてからマイクを持って台に立つ。

「もちろん私も愛染さん同様、やるからには本気で参りますが、何故私を選んだのか理由をお聞かせ願えますか?」

「特に理由なんかねえよ。強いて言うなら俺の直観ってやつさ。ビビっと来たんだ」

「直感ですか……いいでしょう。しかし、私は強いですよ? あなたが誰かと共闘して二対一で相対したとしても、捌ける自信はあります。本当にお一人でよろしいですか?」

 立ちはだかる壁としての突破のしづらさを、敢えて自分を不利に追い込むような条件を提示してまで焔を誘惑して教え込んだ理羅。だが全くぶれることなく彼は言い張った。

「ったりめえよ! 俺はな、強え奴と戦「はいっ! 私も一緒に戦います!」いたくてここにいんだよ。それをどこの誰だか知らねえが俺と一緒に…………ってはあ⁉」

 途中で割り込んできた闖入者に、流れるようなノリツッコミを披露した焔。突然話したせいで素っ頓狂な声をあげた焔に、謝罪の意を少し込めて「うふふ」と笑うと、

「一人より二人、二人より三人、どんなゲームでも多い方が勝ちやすいに決まってます。私は、それを投げ捨てようとしているあなたのことが気に入らなかったんです! だから一緒に戦いましょう! 文句はありませんよね? ね?」

「お、おう。お前の言わんとすることは分かったわ。だから頼む。少し離れてくれ。近す」

「いいえ、離れません。それに、私がさっき会長さんに質問したように、この試験の合否は意欲で決まるんです! 一度に多くの人がやる気を持って臨めば、合格率が上がるとはお考えになりませんか?」

 ひたすら理詰めで焔に迫る彼女。本人の言う通り、先程真綾に唯一質問をしたのは彼女である。しかし、体裁だけの付き合いとはいえ自分の彼氏を横から盗まれた亜美は、

(何よあの女。偽物とはいえ人の彼氏に馴れ馴れしく……)

 やはりイラつかずにはいられなかったのである。少なからず焔に情が移っていた。

「では、あなた方二人が戦うということで異存ありませんね?」

「はいっ!」と彼女が挙手して答え、「仕方ねえな」と焔が呆れつつ承諾した。

「分かりました……会長、行ってきますね」

「頑張ってね、副会長」

 台の上から振り向きつつ言った理羅に、片目をウインクして親指を立てる真綾。その言葉を同じ仕草で返して、理羅は背中から会場に飛び降りた。そして空中で後方に一回転して着地。途中スカートが翻ったが、防寒対策も兼ねて履いている厚手の黒タイツが役割を果たした。

「さてと、これから始めますので、他の受験生は壁際に寄ってください。それと、二人は所定の位置に移動してください。くれぐれも、及び腰で戦うのだけはやめてくださいね」

 右手を払って皆を急かし、再三にわたる忠告を焔たちにする理羅。「はい」とだけ言って女の子は歩き始め、焔は小さく舌打ちをしてふてくされながら向かった。

 やがて、定位置に移動が完了したのを見計らい、真綾が音頭をとった。

「それでは! 入学試験第二試合、スタート‼」

 彼女の言葉に一瞬遅れてゴングが響き、それに併せて会場が沸いた。

 まず動いたのは理羅だ。肩幅大に脚を広げ両の拳を強く握ると、

「ウッホオオォォォーーーーーーーーーーッッ‼」

 と奇声を絶叫しながら、その拳で交互に胸を叩いた。数秒間それを行った後間髪入れず、

「〝変身トランス〟……〝大猩々ゴリラ〟‼」

 変身コマンドを叫ぶ。彼女の全身が淡い青色に輝きだし、顔や腕に始まり足の方までむくむくと体毛が伸び始めた。制服の上からでも分かるほどの剛毛に伸びきると、次に体格に変化が起きた。全身の筋肉が元の大きさより倍以上に増大し、骨格も最低限にしか元の形を留めていない。ゴリラもヒトと同じ霊長類であるため骨の配置や形ほぼ類似しているが、二足歩行で後ろ脚が発達したか四足歩行で前脚が発達したかという違いがある。しかし、【動物系】の【変身】による変化のためか、理羅の両手両足はゴリラ並みに筋肥大しつつも後ろ脚も長いという体に落ち着いた。そして肉体の変化とほとんど同時進行で、ABANが練りこまれた繊維で織られた制服も、理羅の【変身】に合うように変化していた。彼女の肉体が輝いたときに一瞬透明になったかと思うと、まるで皮膚に同化したかのように毛が生え始め、ついには境界が分からなくなっていた。しかし、胸部や臀部などの女性の身体的特徴が表れやすい部分は、申し訳程度の装甲に覆われていた。最後に顔が変化していた。綺麗に整った輪郭は骨格に添って段々崩れていき、特に口の周りが全体的に浮き彫りに見える。だが、彼女が毎日丁寧に梳いているその長い髪は、伸びることも縮むこともなくその美しさを保っていた。

 総じて、四肢と胸板が肥大化し顔もゴリラのそれに近くなったものの、能力補正のおかげか人間の女性らしい肢体を保持した、人類の女性の祖先が現代に現れたかのような出で立ちだ。

 理羅の変身が完了した時、観客の一部から奇妙なコールが起こった。

「よっしゃぁー生ナンゴリラだぁーーっ!」

「去年に引き続き今年も見れたぜナンゴリラ。いやーやっぱナンゴリラはナンゴリラだわ」

「このナンゴリラへの感謝と見れたことへの感動を祝って! ナンゴリラ! ナンゴリラ!」

「「「ナンゴリラ‼ ナンゴリラ‼ ナンゴリラ‼」」」

「うるさいッホォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ‼」

 先程より明らかに野太い声で、先程よりはるかに力強く胸を叩きながら、一定のリズムの柏手に合わせてこだまする妙なあだ名に、絶叫しながら抗議する。

「さあ、これで野次は黙らせたウホッ。全力でかかってきなウホッ!」

 ガンガンと胸の前で両拳をぶつけ、焔たちを威嚇する理羅。しかし、彼の隣の女の子は極めて冷静に違和感を指摘する。

「先輩、ゴリラがよくやる胸を叩く動作、【ドラミング】って言うらしいんですけど、それって実は威嚇じゃなくて、仲間を呼ぶ時や喜んだ時にする動作なんですって」

「ンホッ⁉」

「それに、それしてる時の手はげんこつじゃなくて掌なんだそうですよ。つまり先輩は、『ナンゴリラ』と言われると嬉しくて自分を殴りまくる典型的なドM……」

「違ウホォォァァァーーーーーーーーーーーーーーッッ‼」

 羞恥のあまり顔を赤くしながら『それ』をしていたことを、十数秒ほど続けてから理羅はハッと気づいた。穴があったら入りたい気分だろう。

「へえ、副会長さんってそういう能力なんだ。いやー勝てるか分かんねえや」

 そんな副会長の悲痛な叫びを無視して、頭をポリポリ掻きながら焔は感心したように呟く。

「何も勝ち負けがこの試合の目的じゃないとさっきからあれほど……」

「っせーな。わーってるよ。あと少し黙れ。集中できん」

 もはや夫婦漫才を思わせるやり取りを強引に断絶すると、焔は右手で顔を覆い、その肘を左手で支え、祝詞を彷彿とさせる言葉を並べる。

「我が肉体に眠りし焔の神よ、汝今再び我が下に舞い降りて、その業火でもって眼前の仇を焼き滅ぼさん! 〝爆炎バーニング〟……〝変身チェンジ〟ッ‼」

 最後に刮目し、そのポーズを解いて勢いよく合掌する。すると、合わさった掌から炎が上がり、巻き付くようにして腕から胴、腰から足先まで炎に覆われる。髪の毛の毛先と根元がそれぞれ赤と黄色に変色し、自らの身体が発する陽炎や熱風の所為かたなびいて、まるで火が燃え移ったかのように錯覚する。

「この状態の俺は強いぜ…! 燃えるゴミに分別されるものなら何でも燃やすからな…!」

「そりゃあ燃えるゴミだからね」

「ここの受験票書くときだって大変だったぜ…! イライラして握ってる鉛筆ごと燃やしちまったからな…!」

「そりゃ燃えるからね」

「だがようやく、ようやくだ…! ついにここで俺の実力を試せる時が来た…! 悪いがあんたにゃあ俺の燃料になっへぼがあっ‼」

「ごちゃごちゃうっさいウホ」

 小言をブツブツと繰り返す焔に呆れた理羅は、ご丁寧にツッコミを入れる女の子もよそに、焔の頬を一瞬で近づいてから殴り飛ばす。錐もみ状態で吹き飛んで、そのまま壁に勢いよく激突……はしなかった。顔が下を向いた一瞬で両手を使って地を捉え、そのまま爪を立てて勢いを殺したおかげでぶつかる前に止まった。

 立ち上がって埃を落とすように、全身を手で叩きながら釈明する。

「おー痛てて……ノーガードの奴をいきなりぶん殴るとか卑怯じゃね? こういう時にゃあ段取りってもんがあんだろうが! 段取りってもんが!」

「いえ……あなたが余裕綽々で勝つ気満々なのがイラッとして一発……」

「うっわなんつー理不尽だよそれ。こちとら全裸で戦ってるっつーのにそりゃないぜ」

「全…………ぶふぉっ!」

 焔がどさくさに紛れて言った、あまりにも唐突過ぎるワードを一瞬で妄想してしまい、脊髄反射で理羅から鼻血がこぼれる。隣にいた女の子や、壁沿いに見守っていた受験生の女子たちは然り、会場中の男女問わず大多数の人が焔のことを冷ややかな目で見つめるようになった。

「しかたねーだろ! この能力使うとぜってー服もズボンも履いてる靴も全焼しちゃうんだからよ! それくらいは許してくれねーと、俺ここ来た意味がまるでねえんだ。だから頼む」

「し、しかしンホゥ……どうしまウホッ? 会長」

 自分じゃバトル中だけあって相手の条件を許しづらかったので、理羅はマイクを通して真綾に問題を丸投げする。帰ってきた返事は屹立した左手の親指。右手は今なお噴出し続けている鼻血を抑えるために顔を覆っていた。横にいる幸子は呆れ顔で知らないふりをしている。

「大丈夫……みたいウホ」

「器のでかい生徒会で助かったー。んじゃ、改めて……!」

 今度は焔自ら大きく腕を振って走りだし、真っ直ぐに理羅を視界にとらえる。近くまで来てその勢いのまま、右足を軸に後ろに回ってキックを繰り出す。理羅がその足を難なく右手で受け止めると、足を両手で握りなおしハンマー投げの要領で焔を投げ飛ばした。足を掴んだその掌からは白煙が昇っている。互いの手で煙を払って追撃のために駆けだそうとすると、

「選手交代、です!」

 女の子が理羅をとおせんぼうするように、腕を広げて正面に立つ。

「えっと確か……〝変身〟……〝ワックス〟?」

 語尾がやや自信なさげだが、女の子は理羅に倣ってコマンドを唱える。緑色の光を放ちながら、彼女の指先からぽたぽたと雫が落ちていた。いや、指どころか手そのものが液体のように蠢いているのだ。少し暗い白色のそれを、女の子は地面にぶつけて言い放つ!

「《蝋束縛ホワイト・ホール》!」

 べちゃっと広がった白濁した液体が、生物のように自我を持って理羅に襲い掛かろうとしていた。しかし、そこは生徒会の副会長を就任している理羅である。襲い来る液体を、数回バック転をして後ろに避け、ズザザザと電車道を作る。そして、いまだに迫ってくるそれに対し反撃を試みた。

「《卒業衝書コング・ラッチュレーション》‼」

 対象の一点を鋭く狙った正拳突き。空気を砕くような音と共に、蝋の波は漏れなく霧散した。だが女の子はそれも計算済みだったようで、不敵に笑ってからパンッと両手を握り合うと、水滴のように宙を舞う蝋の液体が、理羅の方を目指して一斉に集まっていくではないか。

「《凝固ロック》!」

 やがて理羅の身体にまとわりついた蝋は、隙間なく繋がると女の子の掛け声で固まり、理羅の身動きを完全に封じ込めたのだ。

「へえ、中々やるじゃない、あの子」

「そうですね。理羅さんの動きをよく見てます。どこかで目覚めていたのでしょうか?」

「かもね。ちょっと調べてみるわ。いったん離れるから突刺ちゃんによろしく言っといて」

「分かりました」

 客席から様子を見ていた真綾は、幸子にそう言い残し席を立つ。

 女の子は、蝋に固められて思うように身動きできない理羅のもとに歩き、自慢げに言った。

「先輩、どうですか? 今年の新入生も少しはやるでしょう?」

「そウホね。まさか私を拘束するだなんて、思いもしてなかったウホ。完敗ウホ」

「いいえ、まだ負けてもらっちゃ困るわ。でないと……僕の暴走をどうやって止めるの?」

「えっ?」

 言われたことが理解できていない理羅を尻目に、彼女(?)は後ろに振り替える。その首の動きはまるで人形のような、球体関節を彷彿とさせるものだった。そして『それ』を視界にとらえた瞬間、先程とは違い今度は全身が、ほんの一瞬で白い液体になったのだ。液体は予備動作なく高速で移動を開始する。その行く先には…………

「っつーまた吹っ飛ばされたよ俺。なんかついてな……ってうわあっ⁉ なんだてめえ‼ こ、ここ、こっちくんな‼」

 焔がいた。理羅に投げ飛ばされてから、今度は受け身も取れずに壁に激突し、軽い脳震盪を起こして気絶していた。しかし、今しがた気絶が解けた矢先にこの光景である。パニックになって壁際まで後ずさった。周りで見ていた一年生は、女の子(?)が理羅を拘束した時は「これならいける!」と自信に満ち溢れていたが、手のひらを返してからは試合を見てる場合ではないと、一目散に会場の入口に殺到した。だが、肝心の扉があかない。

「くっそ、ドアノブが何かで固めてあって動かねえ!」

「こんな鉄の扉じゃ、私たちが体当たりしたところで開くわけでもないし……」

「俺たちゃぁどうすりゃいいんだよおっ!」

 受験生のむなしい叫び声が響く中、焔に魔の手が差し掛かろうとして……寸前で止まった。

「君の身体、少し使わせてもらうよ」

「は? 何言って……わぷっ!」

 焔が答える間もなく液体は襲い掛かると、彼の全身を頭から一気に覆い被さっていった。炎がいまだ燃えている彼の身体は、ゴム球のように色んな方向に伸縮を繰り返す。しばらくして治まると、今度はゆっくりと膨らみ始めたのだ。見た目の体積が増えるにつれて、段々と人の身体に酷似した輪郭を形成していく。やがて指先まで完全に形作られた時、そこに立っていたのは全身に炎を纏った顔の無い巨人だった。コロシアムの外壁の一番高いところよりは頭頂部の位置が低いが、地面に横たわった状態でその姿を見上げている理羅にとっては、まるで天まで届きそうなほどの巨体に見える。

 巨人は立ったまま前屈して理羅に顔を近づけて、くぐもった声で煽動する。

「悪いね、副会長さん。あなたはまんまと僕の策略に引っかかったのさ。隠す必要もないから全部話すと、僕はね、この学校を潰すために受験生に紛れ込んで送り込まれたスパイさ。その第一歩として、そもそもの入学試験をめちゃくちゃにして、生徒会に責任を擦り付けて学校全体の評判を下げようって計画さ。受験票は向日葵ヶ原に行くことが確定した女の子のやつを使ったらさ、ものの見事に騙されてくれちゃって。おまけに僕がちょっと高い声で女言葉喋っただけで、結果的にこんな無様な姿をさらす羽目になるなんてねえ。それもこれもみーんな、調子に乗ってるだけの生徒会長が悪いんだけど、そいつにホイホイついていく副会長も副会長だよねえ。そろそろさ、自分たちの過ちをさあ…………!」

 顔をあげると、巨人は手首をうならせた後、振り上げた拳を理羅目がけて叩きつける!

「認めちゃいなよ‼」

 自分の目の前に、炎を纏った白い拳が落ちてくる。理羅は直感で死を覚悟した。


「――――――――」


 その時、誰かが自分を守るように立ちふさがり、何かを叫びながら黄色く光り輝いていたような気がしたが、理羅はそれが誰かは分からないまま気を失ってしまった。


 ◇


 炎条君がテレビの向こうで、何か粘液のようなものに襲われているのを見た直後。

 僕は、コロシアム型体育館の闘技場入り口に向かって、全速力で走っていた。

 彼を襲っていた不思議な液体は、ながらで見ていたテレビ中継を思い出す限り、彼と一緒に戦っていた女の子が変化した姿だったはず。しかも、その子は試験開始前に白樺さんに質問していた子だったはず。何で彼女は試験を放棄するような行動をとったんだろう? 僕は彼女の行動に疑問符しか浮かべられなかった。

 と走っていると、廊下の向こうからポニーテールの女の子が早歩きで歩いてきた。細くて長いそのポニテの主は、見紛うことなき白樺さんだ。

「あれ、明君? どうしたの? そんなに慌てて」

「どうしたもこうしたもないですよ! 今試験会場が大変なことに……って白樺さんは何でこっちに来たんですか?」

「ちょっと調べ物があって、事務室に行ってたのよ。その結果、とんでもないことが分かったわ。明君も急いでるんでしょ? なら早く……何か急に暑くない?」

 唐突な話題の切り替えに、焦燥気味の僕はすぐにはリアクションをとれなかった。

 確かに空気がムワッとしてる。この時期にしてはありえないくらい気温が高く感じる。じゃあまさか……!

 僕は、ネクタイを緩めてシャツのボタンを開けて、胸元から熱気を放出している白樺さんの肩を強くたたき、無我夢中で叫んだ。

「白樺さん! もう時間がないんです! 南郷さんが危ないんです! 急いでください‼」

「大丈夫だよ、明君。あたしの【変身】ならすぐだから。六秒だけ借りるよ」

 言いながらものんびりと、マイペースにシャツのボタンを締めた白樺さんは、一瞬目を閉じた後すぐに開眼、いや刮目した。刹那の時間で僕が見たその両目は、左右で色が対照的になっていた。具体的には、右目は角膜が白くて眼球が黒く、逆に左目は角膜が黒くて眼球は薄い黄色をしていた。白樺さんは今左目を瞑っていて、黒い右目だけで正面を見ている。

「振り落とされないように注意してね! 《目抜き通り》!」

 余裕のある態度で軽々と、なんと僕をお姫様抱っこして、もはやタイムスリップでもしたのかと誤認してしまいそうな、ある種の時差ボケを起こしつつ、僕と白樺さんは一瞬でコロシアム内の闘技場に辿り着いた。といっても出入り口付近。中心からはまだ距離がある。

 くらくらする頭をふるって前を見ると、南郷さんがあの炎の巨人に迫られていた。のっぺらぼうのその顔が近づいてる所為か、この時期に掻く汗の量とは思えないほど暑そうだ。巨人が何を言ってるのかは分からないけど、南郷さんがキッと眉をしかめているあたり、とても虫のいい話とは思えない。

「いい? 理羅ちゃんが襲われそうになったらもう一回、今度はもっと早く移動して救出するわ。明君には、あいつの攻撃を受け止めてほしいの。余裕でしょ?」

 白樺さんが、未だに抱っこ状態の僕に耳打ちした。

「殴られる分には大丈夫だと思いますけど、あの炎! 制服が燃えたらどうするんですか! 新品でまだ着始めて間もないのに…………」

「それなら大丈夫。突刺ちゃんがお父さんを札束でビンタしたら、赤字になってでもたくさん作るらしいから」

 娘を溺愛しすぎてるダメな父親の典型だな! 他人の親だけど!

「一応分かりました……」

 正直不安しかない。一切傷を負わない僕の【変身】でも、身体はともかく衣服まで守れるかなあ。と、初めて変身した時に、鎌鼬で私服がぼろぼろになったことを思い出す。無理だな。

 とその時、巨人が顔をあげたかと思うと、南郷さんに殴りかかろうとして右手を振りかぶっていた。白樺さんが僕を抱える手にも力が入る。

「行くわよ! もういっちょ、《目抜き通り》!」

 ぎゅぅううううんと、空気抵抗をほとんど感じないスピードで、中心に向かって移動する僕と白樺さん。刹那ともいえるその移動中に僕が見た景色は、写真のように止まって見えた。いや、超がたくさんつくほどのスローモーション映像といえば正しいかもしれない。ほんの少しずつだけど殴りかかる腕が動いていた。

 もちろんすぐにたどり着いた。その瞬間、時間感覚が普段通りになって、頭の横くらいにあった拳がもう近くまで来ていた。

 僕は脇目も振らずただ前だけを見て、ほぼ脊髄反射で胸に手を当てて叫ぶ!

「〝変身〟……〝性〟!」

 身体の変化はすぐに起こった。他人の身体と心が入れ替わったのではないかと思うくらい、僕の――――私の身体は女になった。制服も一瞬だった。シャツやブレザーは私の体に合ったサイズに変わり、ズボンも同じ柄のミニスカートになって、私の素足はなでるように吹く風に身震いする。せめて靴下がストッキングにでもなってくれればよかったんだけど、この際過度な期待はしないわ。

 もう私の頭上には、燃える拳が数センチの距離にまで迫っていたのだから。

「ふんっ!」

 とりあえず一か八か、両手で受け止めようと触ってみる。触れた瞬間は行けると思ったけど、すぐに無理だと悟った。単純な筋力が私にはなさ過ぎて、手応えがまるでなかったからだ。

 そのまま地面に殴り潰される。その一打には私の全身に圧があるようで、体中が猛烈に熱せられてやばい。この【変身】のおかげか、黒焦げにならないだけマシだわ。

 そして蝋燭臭い。若干溶けだしてるし、それが垂れてきて余計に暑い。

 なんて文句をずっと頭で考えていたのは、殴った本人が違和感に気付いてめり込んだ拳を抜くまで続いた。

「何だ、今の手ごたえは…………⁉」

 顔の無い(今気づいた)巨人は、その手をあげたところにうずくまってる私を見て、ものすごく動揺していた。なんとなく顔が赤そう。いや燃えてるから分かんないけど。

 私もむくっと起き上がって辺りを見渡す。理羅ちゃんは真綾が私の後ろで回収して、すでに観客席で療養していた。もうゴリラではない。やっぱり普段の方がかわいいと思う。

「な、ななな何だおまっ……と、とりあえずきっ、消えろっ!」

 巨人はまだ声変わり前の無邪気な男の子みたいな声で、いきなりそう宣告してきた。

「初対面の相手にいきなり消えろだなんて、教育が成ってないわねえ。声から察するにまだ小学生みたいだし、幼稚園からやり直してきたらどう?」

「う、うるさいうるさいうるさーい! 僕はこれでも十五だ! 立派な大人だ! お姉さんとは違うんだい!」

 語彙力だけがどんどん幼稚化しているのは気のせいなの?

 ただ私もこのままボーっとしているわけにもいかない。彼が動揺していたのもうなずける。

 なにせ今の私、半裸だから。

 かろうじて全裸じゃないのは、スカートだけが燃えなかったから。多分最後に変化していたと思うから、その時のエネルギーが防いだんだと思う。でもそれ以上に驚いたのは、その下にはいていた下着。パンティーじゃなかった。トランクスだった。そういえば面接の後に着替えたんだっけ。思わずてへってふざけた。脳内で。

「っつ、きゃああああああああああああああああああっっっ‼」

 まるで今更気づいたかのように、腕で胸を隠してわざとらしく叫ぶ。その時、本当なら理羅ちゃんがやられてた所為でざわざわしていたであろう闘技場内が、私の嬌声で違う意味でざわざわし始めた。

「な、何だあの子! 無傷なうえにぜん……いや、半裸で立ってるぞ! すげー!」

「なによあれ! あんな攻撃喰らっても無事だし、おまけに露出狂だなんて……破廉恥ね!」

 その中には、かすかに聞き覚えのある声もいくつか交じっていた。

 私たちが面接した受験生たちだ。

「あの人さっきの…………まさか……変態……だったなんて……」(←百合ヶ丘さん)

「予想と少し違うけど、あれはあれで大胆ね……」(←雛森さん)

「ぬぅ…………けしからん……」(←顔を赤くしている六無斎君)

「……B83……W49……H79……推定カップ数E……ほほう、中々の上玉じゃないか……ぐふふうがっ! 貴様! 何をする!」(←いやらしい目で私を見ている螺旋塚君)

「自分の行いを悔いなさい! わざわざ目算で他人のスリーサイズ測んなこのド変態! 同じ中学のものとして恥ずかしいわよ!」(←その彼を引っぱたいて叱る柳沢さん)

「また、大を狙う女が……一人……」(←この世の終わりみたいな顔をしている狩根さん)

 各々違った感想を持ち合わせていて、逆にそれが恥ずかしくて、また「きゃー」と、今度は棒読みかつ小声で口走っていた。

「おのれ……僕のことを邪魔して、おまけにここぞとばかりに馬鹿にして……許すもんか……! 許すもんかーっ!」

 駄々をこねる子供にしか思えなくなってきた巨人は、両足で地団駄を踏み苛立っていた。

「あーもうむかつく! むかついたから全部ぶっ壊してやる! 何もかも! まずはお姉さん、あなたからだ!」

 律儀に私のことをお姉さんと呼ぶのはなぜだろう。敬意を払ってるのか、それとも……。

「ねえ君さ、もしかして私のこと好――――」

「うるさい黙れ消えろいなくなれ死にやがれこんちくしょうがああああああああっっ‼」

 唐突に言いかけた言葉に反応して瞬く間に発狂し、彼の罵詈雑言が何を言っているのか分からないレベルまで急成長した。ちょっと前の改まった宣戦布告はいつ決裂したのよ。

 巨人は相当頭に来たらしく、ただ闇雲に私に攻撃を仕掛けてきた。

「うわっ! ちょっとぉ! きゃあ!」

 上から殴られたり、踏みつけられそうになったりするのを、ギリギリで避けたり時には喰らったりしても、最低限露出の危機を救ったスカートだけは何とか守ろうと必死に応戦した私。

 でも、攻撃によって歪んだ地面に脚をとられて、つい転びそうになった。何とか持ちこたえたものの、その隙を付け込まれてお腹を蹴られて、勢いよく闘技場の内壁に激突した。

 そういえば、初めてこうやって変身した時も、ビルの壁に吹き飛ばされてそして……。

 今となっては随分と昔のことに思えるあの時のことを、私はふと考えていた。蹴られた時の痛みも、壁にぶつかったときの痛みも全くないのに、それを考えているだけで心が痛む。

 何より痛むのはその後、反撃しようとして殴り掛かったとき、吹き飛ばすどころか痛みすらも与えられないほど、私に力はないと知って挫けそうになった時だ。あの時は深く考えなかったけど、二回目の今にして私は強く願った。

 私にもっと、力があれば…………!

 最後まで局部を目隠ししていたスカートは、蹴られた時に纏っていた炎によって、無残にも内側のトランクスごと灰燼に帰した。おかげで完全に生まれたままの姿になってしまい、あまりの恥ずかしさに戸惑って、股を隠す行為が一瞬遅れた。自分で言ってるだけで恥ずかしい。


 ――近い将来、あなたは服が大胆に破けます。もちろん隠そうとはしますが、いずれ下着のみの姿になると視えました――


 不意に、午前中に雛森さんに告げられた、今日の私の未来を思い出した。確かに服は破けたというより燃えたけど、下着も完全になくなるなんてあんまりよ!


 ――そこへ強敵が襲来してきます――


 おそらく目の前の巨人がそうでしょう。情緒不安定過ぎてある意味では強敵だけど。

 ってまさか、ここまでおおむね当たってるし、ボディービルダーとやらが本当に……⁉


「僕の明さんに手を出すなのっぺらぼう!」


 …………来なかった。正直この状況でほっとしている自分に、私は少し恐ろしくなった。

 代わりに来たのは、保健室で眠っていたはずの岩島君だ。…………って岩島君⁉

「ちょっと岩島君! あなた保健室で眠っていたんじゃなかったの⁉ あと数時間は保健室で休むよう言われたはずよ! 何で…………?」

 私の問いに、彼は少しだけ首をひねって答えた。

「…………大好きな人を守るのに、特別な理由なんているのかい?」

 その言葉及び彼がニカーッと歯を見せて笑い、さらに親指まで立てたその返事に、吐き気がした。今までの人生で感じたことのないほど、生理的に受け付けない存在。そう直感した。

 ダメだ。私、今の岩島君を直視できない。とりあえず背中だけ見てよう。見たくないけど。

 岩島君は向き直ると、巨人に向かって威張る。

「誰か知らないけど、僕の好きな人に手を出すな! それを守れないっていうのなら……!」

 あれ? そういえば岩島君はここまでどうやって来たんだろう? 彼の身体じゃここまでくるのに、少なくとも五分はかかりそうなのに。そう思って彼の来た方角に目をやると、内壁にぽっかりと穴が開いていた。思わず二度見する。

 彼のウエストどころか身長よりも直径が大きい。彼があの穴を開けたというの⁉ 一体どうやって…………まさか……。

 私がこの状況から考えられるだけの答えを出して、揺るぎない結果に行き着いた。

 それは…………。

「また邪魔を…………もう許さない! お前ごとふっ飛ばしてやる! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ‼」

「僕が明さんを、守るんだああああああああああああああああああああああっっっ‼」

 怒り心頭の巨人の拳が三度襲い掛かってくる。それに対し、岩島君は立ち向かっていた。

 その時、叫び声に反応したのか、岩島君の身体が黄色く光り輝く。自分の身体で何度も体験した、【変身】するときの光だ。しかもこの色は私と同じ…………。

「【人間系】……」

 私はそう呟いていた。雛森さんの占いを加味しても、結論としてはこれしか思いつかない。

 岩島君が…………ボディービルダーだ。

 彼の身体は、光を放ちながらおぞましい変化をしていた。体中を覆っている皮下脂肪が、顔のものから足の脛までどこもかしこもひとりでに動いていた。波打つように蠢く脂肪に視線を奪われるうちに、少しずつ彼の身体が大きくなってきた。一五〇もない彼の背丈がみるみるうちに大きくなって、私の身長の二倍以上はありそうに思えた。背が伸びるのと同時に、身体の各所では脂肪が成り変わったのか、ありえないほどの筋肥大が起こっていた。背中から見ている限り、腕を曲げた時の上腕二頭筋の盛り上がりは、私としても少しそそられてしまう。

 体中で爆発するかのごとく筋肥大が続いていたけど、それが完了しきる前に巨人の拳は彼のお腹を捉えた。まだ不完全な変身だったためか、両手で抑えようとも止められず、押されてずれた足で電車道が作られる。そのまま私事壁に押しつぶしそうという魂胆だったんでしょうけど、ぶつかる直前に変身が完了したらしく、間一髪で防ぎきることに成功したみたい。

 受け止めて白煙を上げるお腹をよそに、彼は不敵に笑って言った。

「ほう……どうやら私の腹直筋が、君の拳を気に入ったようだ。よかったな」

 ……………………キミ、キャラカワリスギヨ?

「だがまだ甘い。腰が入っとらん。いいか、パンチというのはな、腰をひねって、上腕二頭筋に力を込めて、膝を使って、全身をばねだと思って、そして的に向かって真っすぐに……」

 言いながら、自分の言葉通りに全身で溜めて、そして――――。

「こう打つんだ!」

 放った。顔の無い頭部がメキッとへこみ、腕を振り切ったときには、巨人は反対側の内壁に衝突して観客席を部分的に損壊させていた。

 なんて威力なの。いくら傷を負わないからって、私が喰らっても立ち上がれる気がしない。

 ガラガラとコロシアムの残骸が巨人の身体に落ちていくのを遠目に、ムッキムキのマッチョになった岩島君は、何故か嬉しそうに唸っていた。

「おお……この三角筋のうねり……広背筋の引き締め……そして大腿四頭筋の安定感……最高だあ……」

 変身する前とは真逆の方向で痛々しい。なんだろう。筋肉に酔いしれている……?


 ――【人間系】の【変身】持ちに共通する噂なんだがよ。実は変身する前と後で――

 ――性格が豹変するらしいぜ。お前も自覚あるんじゃないか?――


 いつだったか風間さんに言われたことを思い出した。確かに彼の性格は結構変わっている。私は性別ごと変わるからそんな意識なかったけど、あの人からしたら珍しいことなのかもね。

 筋肉の感傷に浸る(?)のを数秒続けた後、岩島君は巨人に向かって歩き始める。また、痛みに震えながらも、巨人はゆっくりと起き上がろうとしていた。そして今度は今までの幼い男の子のような声とは違う、野蛮でどこか不器用さを感じる少年のような声がする。

「いっつー。しばらく眠っちまってたみてぇだな、俺は。つーかここどこだ? 辺りが真っ白で何も見えやしねえ」

 たまたま私の方まで声が聞こえたのは、近くに落ちてきたマイクが音を拾ったからでしょうけど、今重要なのはそこじゃない。その声の主はここに来る直前に見た、哀れにも巻き添えを受けてこの騒動を起こす元凶に加担してしまった人物、炎条君の声だ。

「お、何かこれ燃えそうだぞ? へっへっへ…………そぅらよ!」

 炎条君は何やら企んでにやける。すると、巨人の顔が突如として赤熱し、固まっていた蝋が一気に溶け出し始めた。やがて頭部が完全に溶けてなくなると、胴体の空洞の中から人の顔が飛び出した。あのやさぐれた顔には見覚えがある。やっぱり炎条君は無事だったみたいだ。

「お、おまえいつの間に⁉ ぼ、僕の計画をことごとく邪魔しやがって…………!」

「あ、その声忘れもしねえぞ! お前あん時の女だな! まさか共闘を裏切るなんて馬鹿だと思ったが、実はオカマだっただと? ふざけんじゃねーよ! 俺の純情返しやがれ!」

「知るかそんなこと! お前が勝手に僕の演技に騙されて自惚れただけだろ!」

「何だとコラ。やんのかてめえオラァ⁉」

「そっちこそ!」

 くぐもった声でしゃべる蝋の身体と、それに応戦する炎条君の掛け合いは、先程までの緊迫を一気に崩すほどシュールな光景だった。いつしか闘技場内では緊張がほころび、観客席にいた在校生のみなさんや、状況に合わせて必死に避けていた受験生たちは、笑顔に溢れていた。

「いいぞお前らー! もっとやれー!」

「なんだか無駄に損した気分だわ。入学試験ってこんなに楽しかったっけ?」

「さあてな。今はとりあえず盛り上がっとけよ!」

「ええ!」

 私も彼らのやり取りを見ていて微笑ましくなる。こんな格好じゃなければ、今すぐにでも立ち上がって拍手の一つや二つ、盛大に送りたいんだけど……。

「大丈夫ですか⁉」

 突然誰かに声をかけられる。振り向くとともに、声の主であるかもめちゃんに毛布を掛けられる。全身を覆うほど大きなものだったので、あと少し遅かったら風邪をひきそうになった私の身体に、ほのかに温もりを授けてくれた。

「一応すぐに彼を連れ戻そうかと思ったんですが、部分的に【変身】の力を使ったのか、壁を突き破ってここまで跳んできたみたいで、しかもあんな目立ちに行くから出るに出られなかったんです……私、初日からご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」

 自分の失敗をすぐに反省して、真摯に謝るかもめちゃんに私は心を打たれた。身体が動かせたら今すぐ抱きしめたくなるほどに。それが出来ない代わりに、私は彼女に心から感謝した。

「ありがとう」

 その一言だけで全て伝わったのか、かもめちゃんの眼鏡の奥から雫が落ちる。女優としての演技ではなく、一人の女の子としての本音の涙なのだと、私はそう思った。

「さてさてそこのお二人さん。悪いがもうこの戦いは終わりだ。大人しく負けを認めるならこれ以上の攻撃は一切しないけど、どうするかい?」

 筋肉ムキムキの大男となった岩島君が、未だ続いている男同士のいがみ合いに割って入る。

 その言葉に、炎条君は少し考えてからキッパリと言った。

「やだね。負けは認めない」

「ほう、どうしてかな?」

「俺この試合始めてからまだいいとこねえんだよ。それにさ、変なことに巻き込まれてさ会場こんな風にしちまって、俺の所為じゃないけど悪かったと思ってる。すまん」

 炎条君には彼なりの道理があるのかな。私が思っていたよりも筋の通った子かもしれない。

「だからさおっさん。最後にあんたとやりあって、それで勝ったらラッキー。負けたら素直に退場するわ。それでいいだろ? あんたも……てめえも」

 言いながら、蝋の胴体に拳骨を振り落とす。

「ちっ、分かったよ。君がそれでいいならね」

 蝋の男の子は、しぶしぶ炎条君の意見を飲み込んだみたいだ。岩島君は二人を交互に見やった後、「ではこうしよう」と提案した。

「私が今から君たちに、とっておきの一撃を食らわせる。それに耐え抜いたら君たちの、耐えられなかったら私の勝ちだ。君たちの今の体力を考えてのルールだが、異論あるかい?」

「ないぜ」「……ない」

 同時に答える。何だかんだ色んな思惑が飛び交っていたけど、結局はこうして協力し合うことが出来たんだから、結果オーライね。

「ではいくぞ!」

 岩島君は一度のバックジャンプで彼らから十分な距離をとると、地面に手をついてクラウチングスタートの構えをとる。そしてその状態で何やらブツブツと唱え始める。

「ここは名店ぞろいのとある商店街……立てば黄門括約筋、座れば大殿筋、歩く姿はヒラメ筋……その名も筋肉横丁……中でも一番通りは名産品の目白押し……とくとご覧あれ!」

 言い切ると同時に岩島君は地を蹴り、ほぼ直角に曲げた腕を高速で振って、真っ直ぐに炎条君たちの方へ向かう。走りながら腕をぐるぐる振り回し、当たる直前に、

「まずはタネをミンチにするところから……空気を入れないように!」

 殴った。さっきと違い、起き上がっている彼らが少しよろける程度の威力だけど、それでも一瞬で背後に回り込んでは殴り、あるいは横に移っては殴りと、一切の隙を与えないような立ち回りで攻撃していた。でも耐え抜くことが勝利条件なので、反撃はおろか避けようともせずに、炎条君と蝋の巨人は苦しい顔をしながらも耐え続けていた。攻撃してる岩島君も、上から飛び出ていて隙だらけの炎条君ではなく、炎を纏っていないとはいえ攻撃する意味のあまりない巨人の胴や足ばかりを狙っているのは、自分の力で彼を殺してしまうかもと危惧しているからなのかな。

「うおっ、わっ、いだっ! ちょっと! もっと加減してくれ! こっちだって痛くないわけじゃないんだぞ!」

「情けねえな。俺と違っててめえが耐えられねえわけねえだろうが! 根性見せろ!」

 やられてる側の二人も、口では貶し合いながらも最低限協力しようという心は感じられる。

「そしたら衣を……おっと、もう纏っていたんだったな。ならばここで投入だ! サクッと揚げて…………!」

 言いつつジャンプすると、岩島君は足を振り上げて巨人のお腹を蹴り上げた。まるでロケットのように一気に吹き飛んでいく巨人に、会場中の視線が一斉に泳ぐ。

 吹き飛んだ彼らが空を裂いて、周囲の雲が彼らを中心に渦巻くような形となった。そのさらに上より太陽光が照らしつけ、闘技場の地面に彼らの影を落とす。

「おいまさか、僕たちこのまま落ちるんじゃないだろうな! お前も何とか言えよ!」

「知るかよ」

「大体お前があんな条件飲むからいけないんだ! それに付き合ってる僕の身にもなれよ!」

「…………」

 蝋の巨人は、自分がこの後どうなってしまうのだろうと危機を感じ、炎条君に八つ当たりするも無視されて、怒髪天を衝く勢いで苛立っていた。

 その時、彼らに降り注ぐ太陽の光を遮るように、下からものすごい速さで岩島君が跳んできた。相手に歯を見せつけるたくましい笑顔で、地に足がついていた時と同じノリで、

「これにて完成! これぞ、筋肉横丁一番通り名物…………!」

 空中で体をひねり、腕に力を込めて、振り落とす用意が出来ていた。

 突然現れた存在に慌てふためき、巨人は炎条君にすがるように喚く。

「お、おい! もういいだろ、反撃しても! このままじゃ僕たち一緒に…………」

「やーだね」

 すると突然、ここまで巨人が受けてきた攻撃に時々苦い顔をしつつも、協力する意思を見せていた炎条君が裏切り、首の穴から宙に躍り出てそのまま闘技場に落ちていった。

「お前に裏切られたのは俺も同じだからな! アデューーーー…………」

 段々と遠くなる炎条君の声に、巨人は蝋の手が砕けるほど握りしめ、顔がない故に見えない歯を食いしばり、今までのストレスを火山のごとくただ一言に込めて、絶叫した。

「ふざけるなああああああああああああああああああああああああああああっっっ‼」

「《リンチカツ》‼」

 岩島君の技が炸裂した。怒涛の乱打。全身の筋肉を一つ残らず稼働させ、肩、肘、手首、腰などの関節も滑らかに曲げ伸ばしを繰り返し、一発の拳を目でとらえることが出来ず、実体を持った複数の拳の残像が、一撃で蝋の身体を砕き続けていた。それにしても首が疲れるわ。

 胴に始まり腕に行き、腰に続いて足先まで、巨人の四肢は全て岩島君によって木っ端微塵に砕け散った。数百メートルはある高さから、真っ白い岩石が落ちてこようとしている光景は、私たちの恐怖を煽るほどの逃走心を掻き立てたけど、同じく空から落ちてきた人の勇気ある言葉に、全員の足が踏みとどまった。

「最後くらいは派手にいくぜ! ここまで良いとこなしの俺の全力、受けてみろ!」

 炎条君だ。右手の手首を左手で支え身体の前に持ってくると、その手に力を込めながら変身した時と同じく詠唱を始めた。全裸で。

「燃ゆる焔よ、浮かぶ陽炎よ、消えることなき黒煙よ。我、汝に命ずる。其の魂の灯火をもってして、刃向かう輩を滅却せよ!《爆炎(バーニング・フレア)》‼」

 詠唱に合わせて掌に炎が生まれ、徐々に丸く、大きく形成していった。それから腕を大きく振りかぶってその火の玉を上に打ち上げ、落下してきた蝋の塊にぶつける。触れた瞬間、炎条君は掲げたままの右手で指を鳴らし、爆散させて塊をさらに粉々にした。

 少し遅れて強烈な熱風が地上に降り注ぐ。会場中の生徒や受験生は踏み止まるだけで精一杯だった。私も、体を覆ってる毛布が煽られて、裸が覗かれないか心配になる。

 やがて、白い粉と化した蝋がまるで雪のように、太陽の光を反射する光景と、たったいま空から落ちてきた人を含む、入学試験の危機を救った二人の受験生に、盛大な拍手が贈られる。

 その時、私をここに運んでから今の今まで一切の沈黙を守っていたあの人が、ここぞとばかりに大見得切ってマイク片手に語りだした。


「えー皆様、お疲れさまでした! そして大変申し訳ありませんが、会場がこのように一部崩れてしまったため、試験はここで中止とさせていただきます! つきまして受験生の皆様には、この学校に入学したいかどうか、挙手で決めていただきたい所存ですが――――」

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