第4章 個性的な同級生たち

 二五〇五年、二月下旬某日。東京アーバン学園高校。

 二五〇五年度新入生選抜後期入学試験、当日。

 この日は学園全体に、言わずと知れた緊張感が広まりつつあった。

 今日、学園に対し入学の志を持つ中学生が、延べ百人ほど来場し午前・午後と分かれてそれぞれ面接と実技試験を行う。

 面接は、百人ほどいる受験生らを即興で作った約十人のグループ十個分として扱い、グループごとに分かれて受験番号順に一人ずつ応対していく。一人にかける時間は約十分。単純に十倍して約一時間四十分以上はかかるだろう。それを踏まえて、開場時間は午前九時三十分。グループごとに移動して面接する部屋の前で待機させる時間は、一人目の面接開始時間と同じ午前十時に統一することになっている。正午までに全員の面接を終わらせ、その後一時間の休憩ののちに実技試験に入る。

 実技では、在校生を代表して現生徒会長である白樺真綾ら五名と、前代未聞の前期試験合格者である柊木明を相手に戦ってもらう試験なのだ。

 受験生各自は、その六名を自由に選択して戦うことが出来る。また、一対一だけでなく二体二、一対多といった選択も可能だ。

 面接では受験生の個性や人望、将来性など精神的な部分を重要視するのに対し、実技では対応力、判断力、頭脳の柔軟性などといった、椅子に座っているだけでは分かりにくいことや、単純に戦闘センスを図るものでもある。ゆえに、この両方の試験で面接官や傍観者、そして戦った彼らに認められれば、それすなわち合格と同時に優れた才を有していると、名実ともに広く認知されることになる。

 この学園の生徒にとって、自分の存在が認められることは喉から手が出るほどに欲しい勲章でもあるのだ。なぜなら、この世に全く同じ【変身】の能力を持つ人間は存在しないため、それは自分の【変身】が認められたこととほぼ同義を意味しているからだ。

 そのため、去年たった一人だけの合格者にして今や生徒会の一角を担っている十六夜蓮華は、まさにこの学園の誇りであると校長の南郷圭一(けいいち)は自分の娘以上に褒め称えた。

 しかし、今年度の試験は波乱の展開が待っているだろうと、学園上層部は考えている。空前絶後の前期試験合格者にして、【人間系】の【変身】を持った柊木明の存在。十数年ぶりに百人に迫るだろうという受験生の多さ。また試験とは一切関係ないが、附属中学からの内部進学による学生も例年を上回り、去年の二倍にも値する人数が皆東京のこの校舎に来ることも、要因の一部ではないかと考えている者までいる。

 果たして今回の後期試験は、何事もないまま無事終了することが出来るのだろうか。

 その結末は、慣れない身体と服装に悪戦苦闘している、とある女性の肩に背負わされているなどとは、今はまだ本人を含め誰も知る由もないことであった――――。


 ◇


「君が、臨時で面接官を務めることになった、柊木明さんだね?」

「はい。今までさまざまな就職活動の現場で、人事の方々の大変さに心底心を打たれました。私にもその苦労を負えるかもしれないと思い、応募させて頂いた次第です。まだまだ社会経験の乏しい不束者ですが、皆さん今日はどうかよろしくお願いします」

 私は、人事部代表の方たちに事前面会の場で自己紹介をしていた。ヒールが高めなパンプスを履いた踵をそろえ、タイトスカートから見える肌色のストッキングに包まれた足をピシッと伸ばし、ブラウスの袖にとおった白魚のような両手をへそのあたりで重ね、腰から上を丸めずに丁寧にお辞儀をする。つくっしー仕込みの伝家の宝刀よ。

 顔をあげるときに一瞬だけ視線を泳がせ、周りの人たちの様子を窺った。おーい、そこの禿げ頭。鼻の下が伸びてるわよ。あとそいつの二つ右隣の君。俯いてないで顔上げなさいよ。頼りない先輩ね。そして一番左にいる女。笑顔を作っているようだけど、額の血管が浮き出たことは見逃さなかったからね。嫉妬なんて醜いわよ。

 どうやら人事部のメンツも変わった人たちが多いみたいね。ま、気が楽になれるから私としてはありがたいかな。

 ささやかな拍手で迎えられた後、一番立場が偉くて私の事情も理解していて、なおかつ見たこともないほど超絶イケメンの人が、

「早速だけど、君にはまだ僕らと一緒にはできないよ。経験の差もそうだし、何よりこちらはもう決まってしまっているからね。二人一組で担当してもらうのだが、その相手はすでに決めてある。誰かはご存知かな?」

 と決めておいた台詞を言ってきた。彼は真綾とも面識があり、私に決まった質問を訊ねるように、あらかじめ話を立てておいたんだそう。周りの人たちは何も知らないので、ボロを出さないようにするための策なんですって。苦肉の策とはいえ、面倒くさいわね。

 とはいえ私の答え方も決められているので、私はその通りに応える。

「存じ上げております。生徒会長の白樺真綾さんでしたよね?」

「その通りです。彼女は去年も同じく面接官を担当されていて、礼儀正しく聞き分けの良い真面目な子です。彼女もまだ高校生ですが、一つ先のことを経験している先輩として、君にも勉強になることがあるかと思う。緊張せずに頑張ってくれよ」

「はい。ありがとうございます」

 私は内心で笑いそうになるのを堪える。決められたこととはいっても、ある程度のアドリブはあった方がより自然な会話になりやすい。彼はそう考えて言ったんでしょうけど、本当の真綾とはかけ離れた言い方だったものだから、堪えるのに精一杯でとてもリアクションは取れなかったわ。昨日なんて、私が【変身】してこの身体になった途端、

「あたしの明ちゃ~~~~ん♡ もうぜええったいに離さないんだからあ♡」

 なんて言いながら、十メートルくらい先から飛びかかってきて私にキスをせがんできたのよ。騒音だったり絶叫だったりが廊下まで響いたらしく、女子寮中が大騒ぎになったわ。

 だけど、ある意味何も知らない彼にこんなことを話しても愚問ね。やめておこうっと。

「では各自持ち場についてください。今からちょうど一時間後、面接を開始いたします。受験生の動向をしっかりと見極め、できる限り多くの生徒に恵まれることを願って。解散!」

「「「はい!」」」

 彼の合図にのっとって、かくして人事部の大人たちはそれぞれが面接を行う教室や個室へと赴いた。私も、最愛の人が待っている教室へとステップを踏んで向かいだした。


「おかえり~」

 真綾はフランクに出迎える。

「ただいま~」

 私も同じノリで言葉を返し、彼女の横の椅子に座る。ふう、とため息を吐いて気を楽にすると、目をつむって集中する姿勢をとる。身体全体が黄色く光り、徐々に変化が訪れてきた。

 まず、少しふっくら目にしておいた腰回りを細く綺麗な括れを描いたものにし、それに合わせて胸とお尻を調節してやや大きくする。ブラウスのみだった上半身は上着を出現させて着込む。パンプスは、ヒールの高さはそのままに材質を変化させてハイヒールにして、ストッキングは肌色から黒に変えてデニールを低く設定する。そして髪は、茶髪のショートヘアーから黒髪のストレートロングになるまで伸ばし、まるで蛇のようにうねりながら自動で束ねられ、どこからか出現した髪留めがそれを崩さない。最後にうっすらだった化粧はルージュが鮮明な赤色になり、まつ毛がマスカラもしてないのに勝手に伸び、アイシャドウが描かれた目はカラーコンタクトなしに虹彩が茶褐色から濃い黒に変わる。

「よ~し、面接仕様に変身完了ね!」

 私は自分の容姿の出来栄えを、肩掛けカバンから取り出した手鏡で確認し、良さ気だったことを確認すると、マニキュアの塗られた指を丸める手に力を込めた。

 真綾からは『人事部で集まる時は、控えめの身体でほぼスッピンの就活生スタイルで、面接をする時は、魅力的で色気を醸し出したセクシーな女上司風スタイルで』なんて曖昧なイメージで臨むように言われ、え~そんなのムズイよ~、と返したのは過去の話。実際やってみたら、首にスカーフが巻かれていたらスチュワーデスと勘違いされそうな感じになった。

 それを指示した本人は、私の身体を感心しながら一通り眺めた後、

「しっかし便利ね、その【変身】。その制服も一役買ってるけど、そうだとしてもここまで変わるなら、年齢まで変わってもおかしくないんだけどね。無理なんでしょ?」

「いや、見た目年齢ならプラマイ五歳くらいまで変えられるわよ。ただ、誤差があまりにも微妙なので意味がないというか、しても面白みもないのよ。だからしないわ」

「いや、できるだけすごいわよ。ますます興味湧いたわ。その【変身】」

 真綾は試験開始時間までそんなにないというのに、私の身体をまさぐろうと手を伸ばしてきた。私は「めっ!」と叱ってその手を叩く。痛かったのか、患部に息を吹きかけている。

 こうなった経緯は、私が初めて人前で自力で【変身】を成功させたあの日までに遡る。

 あの日、私は久しぶりに女になったこともあって、成功した時は意外だった所為でとても驚いたわ。そりゃだって、胸に手を当てることが集中するポーズだったなんて終わってみれば意外過ぎて。言葉すら見当たらなかったわ。

 でもそれもほんのわずかの間だけ。予想だにしなかった変化が私を襲ったわ。

 変わったのはなんと制服! 私はもともとの性別が違うから、下半身が着ているものは当然ズボンなわけ。そのズボンの裾がいきなりくっついて、縫い目が無くなったらチェック模様のロングスカートみたいになっちゃったのよ。まるでスケバンと呼ばれる大昔に存在したと言われてるヤンキーみたい。だけどまだ止まらなかったわ。スカートの丈がどんどん短くなっていったの。しかも、変わりながら餃子の皮みたいな段々構造にもなっていくし。ハイソックスも、白色の無地から紺色のワンポイントへと変色し、スカートが変化してる所為で生足が空気に晒されていったの。でもね、二月のこの時期に室内とはいえ素肌を晒しているとすぐ冷えるでしょ? なのに全然寒くなかったのは、近づかないと見えないくらい自然に肌色のストッキングが履かされていた所為。

 やがてスカートの後退が止まったころ、私の足は太ももの中間くらいまで見ることが出来るようになった。そのあと上半身と足元に同時に襲ってきた、身体が縮むような感覚。正体は、ほとんど変化のないシャツとブレザーとネクタイ、そしてローファーが体のサイズに合わせて小さくなっていたそう。確かに変わる前はぶかぶかだった気もする。

 以上で、私が男装した美女から華の女子高生へと変化した経過が終わったの。

 座ってみていた二人はともに、完了した時パチパチと拍手を送ってくれたわ。

 すると、何を思ったのか知らないけど、つくっしーがニヤニヤしながら立ち上がって、私のスカートに両手を携えると、

「変身完了記念に女子高生としての洗礼を受けてもらうぜ! そりゃっ!」

 多少興奮気味に、勢いよくスカートを上にめくり上げたわ。思わず口をついて絶叫する。その時の私の姿を見たつくっしーの表情は、動画に撮ってスローモーションで再生したら、誰でもはっきりと分かるくらいゆっくりと瞳孔が開いていって、いつしか完全に括目した状態になっていたわ。そして数秒遅れて今度は彼女が絶叫。真綾もびっくりして、何事かと私の前に回ってその様子を確認していたわ。その後真綾も叫んで、彼女の声に反応して部屋の中に押しかけてきた女子生徒らで大パニックになったけど、それ以上に私のスカートをめくった印象が強いらしくて、最初にその全貌を目撃した二人がその場にいた全員に言ってしまって、来たうちの何人かは気絶して倒れ伏してしまったのよ。私も何がどうなっているのかさっぱりだったから、おそるおそる自分のスカートの裾をめくって中を確認したわ。そこにあったのは、ストッキングの下に透けていてもはっきりと分かるくらいに黒く、てっきり花柄の可愛いパンティーになると勝手に思ってた、トランクスだったのよ。


 真綾は笑いを堪えながら言う。

「でもさ、結構すごいわよね、その制服。【変身】に反応して、それに見合った変化をもたらしてくれるんだもの。あたしだって、今までは全裸にならないと完全透明化は出来なかったのに、これ着てるだけで簡単に出来るから重宝してるわ」

 真綾の【変身】も、考えてみればすごく強い能力よね。相手に自分の幻覚を見せて陽動し、隙をついて透明化した本体がタコ殴りにすればいいのだから。だけど、こちらにもそれなりの怪力と俊敏性、後は相手が物理耐性のある【変身】持ちじゃなければいいのだけど、そう簡単に条件を揃えることは出来ないでしょうね。

 と考えたところで、彼女がさらっととんでもないことを言ってたことに気が付く私。

「ぜ、全裸ですって⁉ そんな状態じゃ、冬場は寒くて戦う事なんて無理じゃないの! 大丈夫だったの?」

「無理に決まってるじゃない! 地面の温度が直に伝わってくるから、夏は暑くて熱中症にならなかったことが不思議なくらい汗かいたし、冬は寒くてそれこそ凍傷になるかと思ったけど悴んだだけで済んだからよかったけど、何かあってもおかしくなかったのよ!」

「……身体、丈夫だったのね……」

 真綾の時折する体験談は、大体が超次元級の出来事ばかりだわ。尋常じゃないような体験だったり常識や理屈を覆したようなことだったりって、現実的ではない事が起き過ぎている気がするわ。

「いやー、羨ましいなあ【人間系】。あたしがもしそうだったら使いたかったのになあ」

「何言ってんのよ。【変身】は一人につき一つ。あなたの元カレが、ご丁寧に教えてくれたわよ。真綾の【変身】が【属性系】から【人間系】にでも変わんない限り、そんなことはまずないわ。夢見るのは自由だけど、夢見る少女じゃいられないのも真実なのよ」

「はいはい。明様は考え方が古うございますな。あたしなどは図が高かったようで」

「何よそれ。私をおちょくってんの? お義父さんに訴えるわよ」

 なんて可愛いやり取りをしていたら、いつの間にか時間になったようでチャイムの音が面接開始の合図を告げた。

 さあ、記念すべきトップバッターは一体どこの誰なのかしら。話しやすくて明るい子の方が私としてはありがたいんだけど……。

 身なりと姿勢をお互いに整えて、横に二つ並べた机の上の資料に軽く目を通して、簡単に準備を終わらせる。私たちのグループの面接会場は、パイプ椅子のある会議室ではなく、座面が木製の椅子がある教室に椅子を三つと机を二つ並べただけの、三者面談を彷彿とさせるレトロな配置になってるの。だけど、その所為で余計に緊張するって気がしなくもないのだけれど、指定された場所と仕様は変えようがないので仕方がないわけ。

 そうして待ち望んだ、コンコン、というスライドドアのノック音。真綾がその音に「どうぞー」と溌剌と答えると、図体の大きなシルエットと一緒に「失礼しまーす」という優しそうな男の子の声の主が、そのドアの引き口に手をかけて――――

 ぷにっ

 ――――という擬音が聞こえてきそうなぐらい見事に挟まっていた。

 ドアは完全に開ききっているのに、それでもなお進めないほどに巨躯な体の持ち主が、唸り声をあげながら顔を真っ赤にして、必死に中に入ろうとしていた。

 本当なら私たちが手伝えればいいのだけど、試験要項に『面接官は受験生に極力加担してはならない』という一文があるため、何も行動を起こせずにいた。

 その時、親切心か単なる苛立ちかは分からなかったけど、次に控えていたと思う女子中学生が、見かねた彼に対して声を荒げ、

「あーもう邪魔なんだよ! 早く行けや、このデブ!」

 と罵りながら彼のお尻を思いっきり蹴っ飛ばした。

 その一撃で彼の身体はドアからスポッと飛び抜け、空中でうつ伏せ状態になったまま、顔面から教壇の角にぶつかりそうになっていた。

 私はたまらず「危ないっ!」と叫ぶ。しかし偶然にも、彼の顔より先にお腹が地面に落ちて、バランスボールみたいにその場でボヨンボヨンとバウンドしていた。

 突然の滑稽な出来事に吹き出しそうになるのを堪えると、蹴飛ばした女の子は音を立てて扉を閉めた。余程イライラしてたらしいわね。

 真綾もさすがに他人事じゃなくなってきたと思い始めたようで、

「彼の身体起こすわよ! このままじゃ試験に支障が出るわ! 急いで!」

 とボリュームを外に漏れない程度に抑えて叫び、二人で協力して彼の肩を持ち上げて、何とかして座らせることに成功した。大きすぎる彼の身体を考慮して、椅子を横に三つも並べたところへ座らせて、ようやく座面が軋まなくなるまでに安定した。【変身】補正が効いていたのかもしれないけど、変身前よりは全身の力も増えていたと思う。それでも肉体的には女性なので、非力な身体になったことを改めて自覚させられる羽目になったわ。

 これじゃあ前途多難ね。先が思いやられるわ。と考えたいのも関の山、いよいよ時間が迫ってきそうなので手短に終わらせるべく、慌てて元の位置に戻ってやっと面接を開始することが出来た。

「ではまずあなたの受験番号とお名前を教えていただけますか?」

 真綾が丁重な問い方で訊ねる。彼はそれに対して、オドオドしながらも答えた。

「ろ、六番の岩島大いわしまだいです。あ、あの……」

「何でしょう?」

 私が、何か聞きたいことがあるような彼の言葉を汲み取って応じると、彼は迷いながらも質問をした。

「ぼ、ぼくはこれだけでいいんでしょうか。その、出身校とか……趣味嗜好とか……」

「はい。無理に言わなくて結構です。私たち二人が訊ねたことに答えて頂ければ、その答え次第で判定いたしますから。それに、面接だけで合否が決まるわけではないのでご安心を」

「あ、ありがとうございますっ! よかったあ……」

 岩島君はただ、慣れない面接という状況に緊張して、自分の考えに迷いが生じていただけらしかった。分かればそう難しいことでもない。彼の気持ちを和らげられるように、私たちが一つ一つ答えていけばいいだけの話。

 気持ちがだんだんと落ち着いてきたのか、岩島君の目に光が戻っているように見えた。

「次の質問です。この学園を志望した理由は何ですか?」

「はい。ぼくは元々いじめられっ子で、小中とほとんど一人で過ごしてきました。入学して間もないころは仲良くしてたんですけど、世間的に反抗期が増え始める小学三年生くらいの頃に、隣に座っていた女子に『うるせえ、デブ』と短く言われたことがきっかけでしょっちゅういじめられる羽目に……。ぼくはただ、先生が『この問題分かる人―?』っていう挙手させるやつで、声を張り上げて可能な限り腕を伸ばしてただけなのに……。そして小学校のクラスメイトはほぼ全員同じ中学に行くから、ぼくは中学でもいじめられ続けて何度か不登校になったんだ。そんな誰かに下手に使われる自分が嫌になって、家からそう遠くないところにあってなおかつ全寮制の、この向日葵ヶ原高校を選びました。これがぼくの志望動機です」

 前振りがそれなりに長かったけど、要するに誰もぼくをいじめないところで自立したい、ということだろうね。私はいじめなんて経験したことがないから、同情してあげられないのは仕方ないのだけど、辛かったんだと思うわ。彼の哀愁漂う表情から私はそう感じられた。

「ただ……」

「ただ?」

 岩島君がまだ話を続けようとしていることを不思議に思いつつも、無理に終わらせると機嫌を損ねるかもしれないことも踏まえて、私はそのまま相槌を打ち返す。

「今この教室の外で座って待ってる同じグループの中に、小学生の時ぼくをいじめた女の子と、中学でその子と付き合い始めたヤンキー風な奴がいるんです。ぼくは自分以外この学校を受ける奴がいない前提で来てるのに、どんなトリックを使ってここにいるのか不思議でしょうがなくて……」

 それはすごい偶然だわ。彼はおそらく誰にも秘密でここに来たんだろうけど、それが途中で誰かにばれたのが伝わったのか、またはほかに別の手段があったのか。なんにしても、岩島君はまたこれからの三年間、いじめと戦い続けなければならなくなるのね。過酷だわ。

「私たちの質問はこれで以上です。何か聞きたいことや言っておきたいことなどがなければ、受験生全員が集まっていた場所へ戻ってもらって構いません」

 真綾はあくまで感情を出さず、面接官としての仕事をきっちりとこなそうとしている。毎度のように私も受験生に感情で話していたら、印象が最悪な方へ転がるかもしれない。やはり彼女は偉いわね。私ももっと見習わないと。

 岩島君は、「あ、はい! あります!」と声をあげ、おもむろにこんなことを話し出した。

「そういえば、お二人の姿をどこかで見たことあると思ったら、今月初頭にあった『廃ビル倒壊事件』で忽然と姿を消した女子高生に似ていますね!」

 私は急に息苦しくなるほどの咳を払った。真綾を横目で見ると、自然な笑みは崩れてないけど額と眉がピクッと動いた。

「いやー、あれはすごかったですよね! ビルの瓦礫の下敷きになったと思った男の子がいない代わりに、破廉恥な格好の女の子がいたんですよ! みんなポカーンとしてたけど、ぼくめっちゃ興奮しちゃって、良かれと思って連写で写メ撮っちゃいました! その一つ一つが、僕の大切な宝物です! いいでしょう?」

「ソ、ソッカー。ヨカッタネー」

 私は流したことのない汗をかきながら、棒読みでそう答えることしかできなかった。真綾は机上に置いた両の拳を強く握りしめ、何かを堪えるようにわなわなと震えていた。

「それに、あの後縄で縛られてた女子高生も、いつの間にか縄抜けしててしかも自分の身体をすり抜けさせるとか、マジシャンみたいな感じでかっこよかったなあ。憧れるなあ」

 いやーそれほどでもないわよ♡、と顔に出ている真綾。お世辞に調子こき過ぎよ。

「でもあの怪物を倒せたのは、あいつが表に飛んでくることを見越して、良かれと思ってギャラリーの人たちに『みなさん、危険なので左右に避けてください!』って忠告したぼくのおかげだけどね」

 それは暗に、あたしなんかより自分の方が優れてるって言いたいわけ⁉ ムキーッ! と簡単に顔に出ている真綾。額の血管が浮き出てきていて、笑顔が恐ろしく怖く見えてくる。

「ぼくもあんな風に、誰かを守れるヒーローになりたいな。今度は僕があの女の人を守るんだ。絶対に傷つけさせるもんか」

 私は背筋を冷たいものが走った気がして身震いした。隣の真綾は耐え切れなくなったらしく、机をバンと叩いてガンを飛ばすと岩島君を睨みつけて、

「あたしの明ちゃんに手を出すな。さもなくば呪い殺す」

 と、念仏を唱えるようにぶつぶつと言っていた。その風体は畏怖そのものだった。

「ひいいいいいいいいごめんなさいいいいいいい良かれと思ってえええええええっっ‼」

 岩島君は阿鼻叫喚のままに教室の後ろのドアに猛ダッシュすると、無我夢中でドアを吹き飛ばしながら真綾が言った控室へと直行していった。

 後に残ったのは、あの日と同様に呆然としているだけの他の受験生と私たちだけだった。

「まったく、何が良かれと思ってよ! よかないと思ったことないのって聞きたいくらいよ! 後先考えずに行き当たりばったりで行動しちゃうやつなんて、ロクな目に合わないわよ!」

 少々ご機嫌斜めのこの方を刺激するような発言しか思いつかないので、私はあえて閉口を守ることにした。

 さて、壊れたドアの修繕はどうしましょうか。私たちが動くわけにもいかないし……。

 と考えつつそちらを窺うと、なんと受験生の男子中学生が自ら率先して動いて、ドアをレールの上にきちんと嵌め直して、また開閉できるようにしてくれていたのだ。その親切さは、

「あ、あの太った奴が壊してったドア直しといたんで、どうぞ構わず続けてください」

 という彼の言葉に全て込められていた。

 私は言葉にできない気持ちが溢れかえってしまい、かえって余計に言葉が出てこなくて何て言っていいか分からずに、結局何も言えず羞恥心に苛まれるだけとなった。

「こんなところであんまり時間を食ってる場合じゃないわね。……次の方、どーぞ」

 無駄な時間を過ごしたと思った真綾は、そのまんまのことを口にしてから、オンオフを切り替えて面接官モードへとなる。

「ちーっす」

 入ってきたのは、つくっしーの程度がかわいく思えるほど、ギャルとしか言いようがないくらいにキャピキャピな格好をした女の子だった。ピンク色の髪が対照的に彩られた大ボリュームのツインテール。おしろいを塗ったかのような真っ白い肌と、対照的に映える真紅の口紅。胸元が開けたブラウスに、袖を捲ったセーターを羽織っただけの上半身。もはや公然猥褻で逮捕されるレベルの超ベリーショートのスカート丈。ハイソックスの上から何重にも捲られて履かれたルーズソックス。両手の指先には、カラフルなラメやビーズがあしらわれた長い付け爪がつけられていた。つくっしーを黒ギャルとするなら、彼女の場合は白ギャルと言うべきでしょうか。

 その女の子は、岩島君が座っていた椅子をどけて新しく椅子を出すと、そこへドカッと座り込み足を組んで膝に手を添えた。非常に態度は悪いけど、これが彼女なりのリラックス状態なのかしらね。

「……では受験番号とあなたのお名前をお願いします」

「……十一番、狩根亜美かるねあみ

 慎重にいこうとした真綾の問いかけを、気だるく投げやりな返事で返した狩根さん。

 しかしその反応には動じず、真綾は慇懃に面接を進める。

「次に、この学園をどうして希望されたのか聞かせてください」

「……別に。ほむらもここ目指してるから、あたしも一緒にって思っただけ。あいつが別のとこ受けようとしたら、あたしもここには来てないわよ」

 狩根さんが話した理由を無関心に促す真綾。ここがある意味重要だと私は思うのだけど、彼女はあまり興味がないらしい。

「では、ここで少し私情を挟みますが……」

 と、本来の質問で終わらせずに新しい話を切り出した真綾。何を言い出すかと思ったら、

「先程のちょっとした騒動で、直前に面接をした岩島さんを蹴り飛ばしたのはあなたですね?」

 ほぼ断定的に訊ねた。確かに、今は多少声のトーンを落としてるけど、怒鳴ったり叫んだりしたらあんな声になるかもしれないわね。

 狩根さんはやれやれといった表情でため息を吐くと、キッと私たちを睨みつけて吐き捨てるように言った。

「そうだけど、それが何? あたしはただ、後が控えてるから早くしろって意味で蹴飛ばしたんだよ。単なる親切だ。それ以上でもそれ以下でもねーよ」

 それを受けた真綾は、一切表情を変えずに話を膨らませる。

「『それ以上でもそれ以下でもない』とは、例えば友達以上恋人未満でもないということですか?」

 ツッコミどころはそこ⁉ と尻込みする私を置き去りにするかのような返答が、狩根さんの白い肌を仄かに赤めるような、あまりにも意外過ぎるものだった。

「んなこたねーよ! あいつとあたしは昔っからのお…………」

「お?」

 自分で言ってハッとした狩根さんは、真綾が鎌をかけていたことにようやく気がついたようで(私も気づかなかったが)、言いかけた言葉を鵜呑みにしようとして発音を躊躇う。

 でも真綾も意地が悪いわ。明らかに分かってた上で言わせようとしてるんだもの。

 結局、言い留まれなかった狩根さんが折れて、本当のことを割って話した。

「……幼馴染なんだよ。たまたま家が隣同士の……」

 ついに引き出せたその言葉に、私にしか見えない角度で真綾はガッツポーズする。

 それにしても意外な繋がりだわ。小学校が一緒ならともかく家が隣同士とまでくると、単なるいじめっ子といじめられっ子の関係じゃなくなってきたわね。

「話せば長くなるからやめとくけど、振り返るとまだ保育園に通ってたころから好きなんだよ。昔からあいつは、今ほどじゃないにしても太ってはいたさ。それでも毎日会うたびに、あの時の大の顔が思い浮かぶんだ。だけどあいつ、あたしに会ったことなんかないって言うし、あいつの好きなアニメのキャラを意識してこんな格好してんのに、寄ってきたのは不潔で不良で暴力沙汰も平気で起こすバカ炎条(えんじょう)なんだぜ? 断って殴られるのも嫌だからしぶしぶバカの彼女面してんのに、あいつは余計怖がって見向きもしないでやんの。それが嫌だから、あたしに振り向いてほしくて色々と……その……キューアイコードーってやつ?……をやったんだ。ま、無駄だったけどな」

 十分長く話していた気もするけど、仮にも相手は受験生なので無礼な発言は慎む。

 狩根さんが岩島君のことが大好きだったなんて、そのことを男二人が知ったらどういう反応を取るのだろう。私の頭の中をその思いだけが循環する。

 だけど、さらに語ろうとした狩根さんを阻むように、真綾が腕時計を見過ごして言った。

「そろそろ時間になりますので、積もる話もあるかと存じ上げますが、ご退室願えないでしょうか? 後の方々が控えておりますので」

 やたらと丁重なのは、荒げた声を出したことに対する収拾を図るためか、それともすでに自分の中で飽和したのか。私も退室する旨を伝える。

「狩根さん。過去に彼らと何があったかは詮索しません。ですが今はそれよりも、早急にご退室できないでしょうか」

 無理に気を悪くするつもりもなかったのだけれど、これ以上長居されると段取りに響いてくる。そんな二人係で説得した私たちの意思を理解したのか、話しかけた口をつぐんでくれた。そして組んでいた足を解くと、そのまま私たちのところへ近寄り顔を近づけると、

「くれぐれも、大と焔には内緒にしてくれ。恥ずかしいし、その時が来たら全部自分の口で言ってあげたいからよ」

 爪で頬をかきながら、照れくさそうに小さな声でボソッと言った。つくっしーと同じで、こ洒落た女の子ってどうして未練がましいのかしら。どこかで歯車が狂ったのでしょうね。

 やがて狩根さんは照れを隠し、ゆっくりとした歩調でドアの方へ向かって行った。

 途中、彼女の手がドアの淵に差し掛かった時、

「ここに……大の……手汗が……」

 と呟いて、ドアを開けた後に淵に触ったその指先を舐めたことは、約束も含めて他言しないようにしないと。私ったら口が軽いから、いつかボロが出かねないのは仕方ないけどね。

「明ちゃん」

 真綾が不意に話しかけてきた。

「なあに?」

「さっきの女の子さ、『アニメのキャラを意識した格好』って言ってたじゃん? あたしそのキャラ知ってると思うんだけど、喉元まで出かかってるその名前が出てこないのよ。どっかで見たことあると思うけどなー。明ちゃんは知ってる? というか分かった?」

「さあ。私はその手の知識には疎くて。特にあんな派手なキャラが出てるアニメなんて、たとえアニメ嫌いな私でもなおさら見たくなくなるわよ」

「だよねー。何だったっけなあ……」

 真綾は思いにふけていた。この人はこんなことに興味を持つような人だったかしら。少なくとも、私の知る限りじゃないわ。色々と多感な人なのね。

 唐突にそのおぼろげな雰囲気を台無しにしたのは、

「邪魔すっぜ!」

 と元気よく入ってきた次の受験生の声だった。

「さっさと片付けようぜ。俺もほかの連中も、一人一人が長いって騒いでんだ。巻きで行こうぜ」

 気持ちの整理もつかないまま、勝手に段取りを進行している彼に、私の心はわずかに荒廃した。何よこいつ。私たちの気も知らないで、自己中にもほどがあるわ!

 でも、集中すると真面目になる真綾の身代わりの速さが、その荒れた心を中和してくれた。余程のことがない限り揺らぐことがない大黒柱、といったイメージが頭をよぎった。

「受験番号と、お名前をどうぞ」

 簡潔に締めて、面接を展開していく。

「十三番、炎条焔えんじょうほむらだ。すぐ前に亜美が面接したと思うが、あいつは俺のこれよ」

 誇らしげに小指を突き立てる炎条さん。

「でもさー。最近あいつ、俺と居ても何か地に脚ついてないっつーか、どこか上の空になってんだよな。お姉さんたちさ、何か知らない?」

 知ってるわよ、とでも答えればいいの? それで納得するあなたじゃないでしょうに。

 彼のナンパのような話術を無言で流し、真綾は質問を繰り返す。

「この学校を志望した理由を教えてください」

 すると、炎条さんは首をそらして大笑いをしだした。何がそんなに可笑しいのよ! と真綾に代わって怒りそうになったけど、すぐに笑い終わった彼がこちらを睨みつけ、

「そりゃよお、この学校にゃあおんもしれえほど強え奴らがうじゃうじゃいるそうじゃんかよ。俺は昔から、そういった強え奴らを片っ端からぶっ倒して来てんのよ。だから、この学校でてっぺん取るために来た。そんだけだ。それ以上でもそれ以下でもねーぞ」

 最後の言い回し、さすがはカップルと言うべきかしら。似るところは似るわね。いや、狩根さんの方が似せてきているのかもしれない。自分の心に偽るために。

「これで質問は以上です。他に何かあれば、お構いなくどうぞ」

「じゃあ一つだけ言っとく事がある」

「何ですか?」

「俺は最強の力を手に入れた。もう誰も俺を止めることは出来ない。首を洗って待っていろ。じゃあな」

 そう言い残して彼は去って行った。何やら色々と意味深な物言いだったけど、何が言いたかったかは大方想像できた。彼はおそらく……

「あいつさ、絶対【変身】の能力のことを示唆してたよね。中二病患者かな? イタイことばっかり言って、恥ずかしくないのかね。むしろ聞いてるこっちが恥ずかしいわよ」

「私だってそう思うわ。私も、ついこの前こうやって自由にできるようになってから、一度は自分の【変身】に自信を持ってたけど、戦闘向きじゃないってすぐ悟ってあんまりこだわらないようにしてるくらいよ。よっぽどなんでしょうね」

 二人して愚痴がわんさか出て来る。私も、自分があと少し悪い方に進んでいたら、あんな捻くれた性格になっていたのかと思うと、真面目に育ってよかったわ、と自賛する。

 でも、個性的な受験生が来る所為か気づきにくかったけど、まだたったの三人しか面接していないことに気づく。意外な充溢感を感じているのは何故だろう。

「では次の方、どうぞ」

 真綾が入室を促す。すると大柄な男性っぽいシルエットが見えて、

「失礼する」

 と、低くて重みのあるのに謙虚にも取れる発声で、ドアの向こうから言葉が返ってきた。

 ガラッと開いたドアから入ってきたのは、見かけの身長が一九〇cmを超えているほどの長身で、筋肉質ではないけど適度なバランスの取れている体格、そして、少し太眉だけど男臭くない程度にかっこいい生徒が入ってきた。

 椅子に腰かけてもその男前な風格は消えておらず、笑顔だったら私は惚れてたんじゃないかと思った。しかし、厳格そうではないだろうけど楽観的でもないその表情からして、生真面目な性格をしているだろうと見て取れた。

「受験番号とお名前をお願いします」

「二十一番、六無斎轟ろくむさいごう。名前は固いが、性格まで固いわけではないのであしからず」

 いや固いでしょ、と言いかけそうになって、歯を食いしばって発言を押し殺した。

 にしてもガチガチに固い名前ね。お坊さんにいそうだわ。

「では、この学園を志望した理由は何でしょうか?」

「そうですね……俺は元々修行中の身でして、義務教育は一切受けてきませんでしたが、中卒認定は持っておりますのでそれを行使して進学できるのです。で、修行というのは滝行とか座禅とかではなく、両手首を一カ所ずつリストカットした状態で潜水してアマゾン川を横断したり、ふんどしのみの格好で他に何も持たないで真冬のエベレストで一ヶ月暮らしたり、前転だけで四十二・一九五キロを踏破したり、もっと簡単なところでは手で歩いて足で作業したりと、実に様々なことをやってきました。その延長と言っては大変ぶしつけではありますが、俺はこの学園を利用してより力をつけるために志望しました。ここでは何やら体育の授業が変わっていると聞いておりますので」

 丁寧語だらけの模範解答的な理由だけど、前半の部分が常軌を逸脱しているためか、ピラニアに噛まれなかったのかとか身体が凍死しなかったのかとか、余計な心配をしてしまっていた。何て変わった修行法なの。死と隣り合わせの状況に追い込んで鍛えるなんて、ばかばかしいにもほどがあるわ。

「差支えなければ答えて頂きたいのですが、修行は何のために行っているのですか? そこまで自分を追い込んでまで、何を目的にしているのでしょうか?」

 私の代わりに真綾が聴きたいことを質問してくれた。六無斎君は至って真面目に答える。

「では聞きますが、あなたたちは剣と刀ならどちらがいいですか?」

「「え?」」

 不意に来た疑問返しに、私たちは二人ともすぐには答えられずにいた。

 六無斎君は変わらず捲くし立てる。

「右手持ちですか? 左手持ちですか? 両手剣ですか? 双剣ですか? 短剣ですか? 長剣ですか? 脇差ですか? 小太刀ですか? 直刀ですか? 曲刀ですか? 片刃ですか? 両刃ですか? 逆刃ですか? 一刀流ですか? 二刀流ですか?」

「え、えーとその……」

「私たち、武器には詳しくないんですよ。ですからその質問には少しばかり答えかねます」

 かろうじて意見できた私に、言葉に困った真綾は彼に見えない角度で親指を立てた。

 しかしなぜ六無斎君は私たちに、解答に困るような問いをしてきたのよ。

 彼は、ようやく本当の目的を告げてくれた。それは質問の意味も含めたものだった。

「俺の実家は元来鍛冶屋をやっておりまして、そこでは毎年のように剣や刀をはじめ、槍に鉄槌、棍棒や鉤爪、鞭に鎌、ヌンチャクにトンファーにブラックジャックまで、豊富な種類の武器を作っているのです。そして、家訓として全ての武器を扱えて初めて、一族で一人前と認められるのです。俺はそのために追い込みをかけて、自分の肉体を極限まで鍛えているのです」

 六無斎君は、修行の末に付いたであろう生傷絶えないその右手を握りしめて、自分の心に誓うように言った。

 何か思い入れていることがあるようだけど、あまり時間もないので切り上げるように計らう。

「これを持ちまして、面接を終了させていただきます。あちらのドアからどうぞ」

 真綾のそのセリフで促された六無斎君は、

「おっ、そんな時間でしたか。では、これで失礼します」

 と直角にお辞儀して、綺麗な歩幅で教室を去って行った。

 こちらもお辞儀で送り出して、彼の感想を語り合う。

「あの子さ、最後まで丁寧な感じだったんだけど、何か奥に悪いものがはびこってる感じがしたわ。アブノーマルな気配がビンビンしたわよ」

「下ネタ言おうとするんじゃないの! 確かに彼、謎めいたほどきちんとした態度だったわね。裏がありそうなことは否めないわ」

 なんて、さっきの炎条君よりは興味をひかれる存在である六無斎君の話題で盛り上がりかけて、何度か間違えそうになったことを正す。

 すぐさま座り直して、次の人をお呼びする。

「次の方どうぞ」

「こんにちはー」

 明るく元気な女の子の声がして、私たちは今度こそと安堵する。

 ツーサイドアップの髪をかすかに揺らしつつ、低空のスキップをしながら調子よく入ってきた。制服はスカートが膝上だということ以外は、きれいに着こなしている。

 彼女は軽快な調子で席に座りかけると、フランクに語り始めた。

「すみませーん。待ちくたびれちゃって急いできちゃいました。あたしせっかちで、あんまり後の人に迷惑かけたくないんですよ。だから急ぎ目で頼みます!」

 数分前に同じこと言われた気がして既視感を感じたけど、本人が急かすことを否定しなかったので私たちは面接を進める。

「では受験番号とお名前をどうぞ」

「二十五番、百合ヶ丘友里音ゆりがおかゆりね。本当は地元の貧乏高校に行くつもりだったけど、進路の資料に載ってて面白そうだなあと思って志望しました」

 聞いてもいないのに志望動機まで言ってくれて、こちらとしてもありがたい。

 それを受けて話のネタが急に尽きたせいか、真綾は私に話を振ってきた。

「私たちからの質問なんですが、私からは特にこれと言ったことはありません。明さんはどうですか?」

「そうですね……私は――」

「明⁉ 今明って言った⁉」

 突如として立ち上がり、目を丸くして驚きの表情を見せる。この子、私を知ってるの? でも私はこの子に会った覚えはないわ。何かしら、この記憶の矛盾は。

 その仰天のセリフに、真綾も開口したまま呆然としている。

 私はおそるおそる真偽のほどを訊ねる。

「……確かに、私の名前は明と言いますよ。でもそれは、読みが同じだけど違う誰かのことと勘違いしてるんじゃないですか? アキラなんて名前の人、探せばたくさんいるでしょうし」

「そ、そうかなあ……そうかもしれないわね。早まってしまってごめんなさい」

「いいのよ、気にしなくて。ちなみに何でそんなに驚いたの? よかったら聞かせてくれるかしら」

 私が話を振ると、百合ヶ丘さんはおもむろに手の動作を交えながら語り始める。

「あたしは昔ね、こんなに活発じゃなかったの。三つ編みおさげで、丸渕眼鏡かけてて、オシャレも化粧も一切興味がなかった時期があったのよ。しかも顔はにきびだらけで小太りで、鏡を割りたくなることもあったわ。でも、そんなあたしに優しくしてくれる男の子がいたの。その子が明。明はね、こんな惨めなあたしに対して『友達になろう』って言ってくれたんだ。嬉しくて彼のために努力しようとして、見違えるほどきれいになったんだよ。だけど、ある日引っ越すことになっちゃって、結局会えないまま別れることになったの。それからもう十年弱になるかな。幼稚園に通ってた頃だから。またいつ会えるかと心待ちにしてて、やっと会えたと思ったらこのさまだからびっくりしちゃって……それで……」

 そんなに前から……一途な恋をしてきたのね。

 私は彼女に同情して、目に涙を浮かべそうになる。百合ヶ丘さんの健気さにひかれそうになると、それを安易に裏切るかのようなとんでもない発言をしたのだった。

「彼の名前は柊木明って言うんだけど、多分それが、あたしの初恋かもしれない。それっきり一度も会ってないから、また会えたら今度こそちゃんと告白しようかと思ってるんだ」

 私は無理に捻り出したような咳ばらいをした。隣で静観していた真綾の顔に陰がかかる。

 彼女はあくまで、告白したら絶対に振り向いてくれる!と思っていそうね。今の私が言い訳しても、何様のつもりよ!って一蹴されるのがオチだわ。

 少し考えて、私は彼女に遠まわしに自分の気持ちを伝えてみる。

「例えばだけど、その人があなたとは別の女性とお付き合いしているとするわ。特にやましいこともなく至って健全に。そうしたらその時は、あなたならどうするの?」

 すると百合ヶ丘さんは、一切の迷いもなく、

「そんなことない! 絶対にない! 断じてない! 天変地異が起ころうと人類が滅びようと、明君が私に惚れないことに比べたら些細なことよ‼」

 いや天変地異や人類絶滅が起こったら、それこそ私に惚れてることの方が些細なことよ。

 頭で思ったその説得を控えて、真綾にもう一度振り返す。

「真綾さん、そろそろ……」

「そうですね……では以上で面接の方を終わりにさせて頂きます。ありがとうございました」

 てっきり額に血管を浮かび上がらせながら、怒りを堪えてわなわなとした口調で言うのかと案じてたけど、その片鱗を垣間見せずにさらっと流した真綾。

 深く考えなくてよかったわね、と私は心で安堵する。

「こちらこそ、ありがとうございました。あたしの愚痴を聞いていただいて」

 そう言い残して、百合ヶ丘さんは一礼してから教室を出ていった。

 間もなく真綾の不満が爆発することは、私も秒読みで分かっていたことだったけど、それは避けては通れない運命だった。

「何なのよあのアマあああっ! あたしの明ちゃんを我が物にしようだなんて百万光年早いわよ! 何が幼稚園よ! 何が活発じゃなかったよ! あああむしゃくしゃする!」

 この状況下で、一光年は約十兆キロメートルのことよだなんて、冷静なツッコミが頭に出て来る私はおかしいんじゃないかと思えてくる。

 ここまで私のことを思ってくれている人も珍しいけど、そもそも私には彼女と会った記憶がないし、彼女の言っていたこともあった記憶がない。

 何かがおかしい。それこそ記憶が丸ごと無くなってるように何も思い出せない。

 コンコンッ

 ハッと振り返って音の方角を見ると、戸に手をかけようとしている次の受験生の姿が目に映った。

 そうよ。まだ面接は半分に差し掛かった程度なのに、何を呆けているのよ私。

 考えるより早く、私はその人を中へ迎え入れる。

 入ろうとしていたのは、長い銀髪を携えた大人しめの少女だった。凛として透き通った青眼は、己の考えを悟らせようとはしていない。埃一つなく着こなしている制服からは、ミステリアスな雰囲気と深窓令嬢並みのおしとやかさを醸し出している。

 席まで案内して座らせると、佇まいからも育ちの良さが垣間見える。私たちを真っ直ぐ見つめ、手は膝に添えたままほとんど動かないその姿勢は、前に来た狩根さんや百合ヶ丘さんとはまた違った印象を受ける。

 ほどなくして、また落ち着いた真綾が開始する旨を唱える。

「ではまず受験番号とお名前の方を言って頂けますか?」

「二十七番、雛森千尋ひなもりちひろと申します。どうかお手柔らかにお願いします」

 私たちに謙譲したうえでのこの尊敬の言葉。模範解答どころかこれが定義と言わんばかりの丁寧なあいさつに、少々ぎこちなくてもできる限り態度を改めようと思わされた。

「次に、この学校を志望した理由を聞かせてください」

「はい。私は古来より伝説の残る由緒正しき神社の家系に生まれてきたのですが、最近では一般の参拝客が著しく減少していて、神社そのものの経営が困難になりつつあるのです。そんな折、風の噂に大金をまき散らす高校が存在すると聞きましたゆえ、長女たる私が神社の未来のために受けさせていただいた次第です」

 今まで面接した誰よりも、彼女の志望理由には確固とした正当性を感じる。家計を助けるために奨学金で進学しようとしているようなものだ。この学校が本当は向日葵ヶ原だったならばの話ではあるけど。

「以上で面接の方は終了いたします。他に何かありましたら今受け付けますが……」

 真綾が雛森さんを促すと、彼女は微笑を浮かべて優雅に言った。

「では一つだけ。お二方の瞳を見させてください。私は相手の目を見ただけで真の姿と近い将来を視ることが出来ます」

 そんな胡散臭いことが中学生にできるの?という素直な疑問と、この子なら巫女の力とか使えそうねという根拠のない自信が、頭の中で交錯していた。

 本心が見えないからこそ、彼女の言動や行動が不気味に感じられる。

 一歩ずつゆっくりと近づき、やがてまず私の顎を人差し指で上げた。

 しばらくじーっと私の瞳を見続け、急に括目したかと思うと少しにやけて、

「あなた、本当は別人でしょ?」

 ギクッという擬音を口で言いそうになる。その一言を、横で見ていた真綾は勘違いしたと思わせたいのか、べらぼうな大ウソをついた。

「そうよ! この人はあたしたち生徒の希望で一般の方から応募をかけて、何段階にも及ぶオーディションの末に選ばれたアイドルなのよ! 今は少々お歳が召されているけども、その美貌は今も顕然! 彼女に頼み込んで、今はあたしたち生徒会と一緒に面接官をお願いしてるだけなの! そりゃ別人で当然でしょ!」

 私が実は……っていう事実から遠ざけたいだけだと思うけど、とんでもないこと口走ってるわよ、真綾。しかも、最初の方すごく矛盾してるし……。

 そんなでたらめな説得に耳も貸さず、雛森さんは続ける。

「それに、これは何かしら? あなたからは複数の人間の気配を感じるわ。何かとてつもなく大きな力に守られてるような、そんな感じもするし……」

 複数の人間の気配? 私に? 一体何がどうやら……私には見当もつかない。

 そして見終わったのか、手を離して咳払いをすると距離を取って言った。

「……そうですね。近い将来、あなたは服が大胆に破けます。もちろん隠そうとはしますが、いずれ下着のみの姿になると視えました。そこへ強敵が襲来してきます。絶体絶命のピンチに……私がこのような言葉を使うのも癪ですが……ボディービルダーが駆けつけてきて敵を迎撃する……というところまでが、今私が見たあなたの近い将来です」

「「はあ⁉」」

 ボ、ボディービルダー? どこまで話が飛躍したらそんな人が私を助けるのよ。

 二人して驚いていても、臆することなく雛森さんは続けた。

「私の未来予知が外れたことは、生まれてこの方一度もありません。絶対に起こることなのです。ですから、あなたはこの運命から逃れることは出来ません」

 はたまた奇想天外なことを言われた。絶対に当たる予知とか信じられるわけないでしょ。

 それでも彼女から感じられるオーラは、予知予言の正確性を疑わせようとはしてくれない。腑に落ちるのを感じながらも、私は納得せざるを得なかった。

「次はあなたの番ですが、見たいですか?」

「いいえ、結構です。早急なご退室をお願いいたします」

 丁寧に断った真綾に対し、雛森さんはいたずらな笑みを浮かべてから、

「可愛げのないお方ですね。では、お言葉に甘えてこれにて失礼させていただきます」

 うふふと笑いながら、多くの謎を残したまま彼女は教室を去って行った。

 真綾は断ったにもかかわらず、不満だけは積もっているようで歯止めが利かなくなった。

「何なの⁉ 何なの受験生の女ども! 明ちゃんをたぶらかして、あたかも自分のもののように扱って、挙句誘惑までして口説こうとして! どうしてこうもビッチ臭溢れだしてる奴が多いかなあ!」

 一番のビッチはあなたでしょうとは私の口からは言えないわね。それでもアクティブな女の子たちが多かったことは確かね。それぞれに理由があってそれぞれに私と関わってきたけど、不思議ね。こうも偶然グループが被るなんて信じられないくらいだわ。

 不可解な女性陣の行動言動の数々に、私と真綾の頭もそろそろ疲れ果てそうになった。

 そこへ、次なる受験生が教室に入ろうとしていた。そしてその子はなんと女の子だった。

 今三人連続で女の子の相手をしたら、次は私の貞操が危ぶまれるという危機感が頭をよぎった。神のいたずらにしては実に巧妙に練られた運命だわ、と思わされる。

「ふっふっふ……ようやくワタシの番……さあ、早く言葉遊びを始めましょ……うふふふふ……」

 不気味な低音で独り言を話している彼女。見るからに怪談とかが好きそうなその面相は、血流が止まっているのか蒼白になっていて、生気が全く感じられない。

 すると突然、

「どいて!」

 と女の子が一言叫びながら、血の気の無い彼女に横からタックルして身体を吹き飛ばしていた。横入りしてきた彼女は、そのまま教室のドアに手をかけて勢いよく開けると、早歩きで歩み寄って面接席に座り込んだ。

「すみません、急いでくれますか? 本来の仕事をバックレてきたので、今色んな人に追われていて大変なんです。お願いします」

 彼女は小さい声で早口に、それでも十分聞き取れるほどちょうどいい間で、私たちに事の重大さを伝えていた。私たちの高校では、面接中はあくまでも受験生至上主義なので、彼女の頼みも否定するわけにもいかないのよ。

「わかりました。では早速はじめさせていただきます。受験番号とお名前をどうぞ」

「三十一番、波止場町はとばまちかもめ。あなたたちが持ってる受験者名簿には、三十一番のところにおそらく『波風なみかぜめぐる』と書いてあるかと思いますが、それはあたしの芸名であり、本名でもあります。理由は言いますので、続けてください」

 彼女の風体は、大慌てで登場したこともあって全体的に乱れている。しかし個々の衣類を見てみると、中々にいいものを着ていることが分かった。大まかに言うとドレスなのだが、それを彼女は大きめのダッフルコートでほぼ隠しきっている。今はボタンをはずしているから中の衣装が分かったが、そのドレスも腰回りにコルセットでもあるのかウエストラインが細く、スカートの部分はパニエのように広がっていて、素材が薄いためか比較的シースルーだ。脚線美を際立たせている白いタイツの足は、その衣装全体とは相性が最悪のピンク色のラインが入ったスニーカーに包まれている。彼女の顔はとても可愛らしく丸顔で愛嬌があり、赤い淵の眼鏡をかけている。髪は黒く、下ろしたら肩にかかりそうな長さのポニーテールだ。

 そんな彼女がどうして誰かに追われなければならないのか。波風さん――波止場町さんは、なぜ字面が長くなるにもかかわらず、偽名を使わなければならなかったのか。

 その答えは、彼女の小さな口から返ってきた。

「あたしは女優兼アイドルとして、とある事務所のもとで芸能活動をしていました。きっかけはまだあたしが小学生になったばかりのころに、お遊戯会の観客の中にいた今のプロデューサーにスカウトされて、最初はファッションモデルとして芸能界に入りました。人気が出て来るとそこから転身して、ドラマやバラエティのひな壇でちょくちょく出させてもらえるようになりました。そして中学一年生になったとき、女児向け魔法少女特撮アニメの『エレメンタルウィッチーズ』の中に出て来るガストレディ役としてオファーが来て、あたしの人気は事務所内でもトップクラスになりました。いわゆる大きなお友達と呼ばれる大人の方々がメインでファンが増えて、去年春の時点であたしの興行収入が宝くじの最高当選額を超えたことは、自分の中でもある種の誇りになっていました。しかし、そのお金をどっちが握るかで両親が日夜揉めていて、おとといもロケ地でそれぞれの肩を持った業者の人たちが、あたしの写真集やプロマイドとガストレディとしてのあたしのクリアファイルやフィギュアの売上で競うとか言い出して、あたし一人じゃ収拾がつけられなくなってしまいました。そこで、前々から入りたかったこの学園の学園長さんに電話で話を付けてもらって、たまたま番号に空きがあったところにあたしを偽名で横入りさせて、入学試験を受ける手続きを済ませてもらいました。そして今日、誰にもばれないように鬘と化粧を取って、動きにくい衣装のブーツじゃなく私物のこれに履き替えて、全部着替える時間もなかったからコートはおって眼鏡で簡単に変装して、今の所持金全部叩いてタクシーでここまですっ飛んできました。それで着いたのがさっきです。ただタクシーで来る途中、偽名を決めてなかったから着いたら即興で考えて、と学園長から電話が来たので本名よりも長めの偽名を言いました。名簿に本名で書かれているのはその所為だと思います。だいぶ長話になりましたが、あたしの話はこれで終わりです」

 そうだったのね。波止場町さんは幸せだと思っていた環境を他人に穢されて、それが嫌で逃げるようにここへやってきたということなんだわ。可哀想に。

 彼女の膝の上に置かれた手が震えている。顔も俯いたまま、涙をこらえているようだった。

 そんな彼女の姿を見て心打たれたのか、真綾は人が変わったように優しくなって、

「そうね……波止場町さん。あなたはもう合格しました」

「えっ?」

「早速入学手続するためパパに電話するわね。もしもし……」

 真綾はスマホを取り出して父親である学園長に電話をかける。この展開は私の時と同じね。独断で合格判定を言い渡して、もろもろの手続きや入寮届を全てその日に済ませる。

 ただし、今回は私の時とは少し訳が違う。波止場町さんの場合、私の考えが正しければ彼女をかくまうための手段として半強行的に選んだのかもしれない。偽名まで使ってここに来た彼女の意思を汲み取るには、それくらいのことはしてあげないといけない。

「……うん、じゃああの部屋で……うん、分かった! ありがとう!……とりあえず許可は取れたわ。これであなたは立派なアーバン学園の高校生よ」

「えっ? アーバン……?」

「細かい話は後後。今は合格の喜びに大人しく浸ってなさい。さ、帰った帰った」

 真綾はそう言いよりながら、波止場町さんを教室の外へ連れ出していく。外では真綾が呼んでいたのかスーツ姿のイケメンたちが何人か立っていて、彼らが連れ立って波止場町さんをどこかへ導いていった。

 座りなおした真綾は、スカートの裾をパンパン払うと私の方に向き直って言った。

「彼女には追って話はするわ。納得いかないこともあるかもしれないけど、おいおい説明していけばいいわ。今はまず、この面接を終わらせましょう。あと二人よ」

 一人一人に驚いていたらこの面接は終わらないわね。っていうかそれは最初から分かっていたことじゃないの。

 私は何度目か分からない活を入れて、自分の気を引き締める。

「次の方、どうぞ」

 真綾が呼び掛けると、その人は入ってきた。先程波止場町さんに弾き飛ばされた彼女だ。

 しかし、少し様子が変わっている。貧血気味だった面影はどこへやら、今はかけていなかった眼鏡をかけて、大人しめなセーラー服に身を包み、髪を三つ編みでまとめている。

 印象が全く違うわ。何がどうなったらこうも変わるのかしら?

 とぼとぼと歩いてきて席に着くのを見るなり、真綾は開始の合図を取る。

「では始めたいと思います。受験番号とお名前をどうぞ」

「三十五番、柳瀬文香やなせふみか。漢字検定で零級を取ったのは小学校一年生の時で最年少記録、ロゼッタストーンに描かれたヒエログリフを独学で解読したのが中学生になったとき、などのように、私は今まで言語や文学に対する快挙を成し遂げてきました」

 簡単な自己紹介とともに、自分の持つ勲章を自慢する柳瀬さん。

 漢検零級は二三〇〇年代に初めて施行された階級で、画数の多い創作文字や中国で見るような差が分からないほど微妙に違う漢字など、生半可な学習量じゃ大人でも半分も解けないという超難問だらけなのだ。そこに出て来る例題を一つだけ私は見たことあるけど、本当になんて書いてあるのか分からない漢字だったことは覚えている。

 それを彼女はわずか七歳で合格したとして、ニュースで大々的に取り上げられたことは記憶に新しい。しかも中学生の時にそんなことをしていたなんて初耳だわ。

「では次に、この学園に来た理由を教えてください」

「それはですね。特に理由はないんですが、強いて言うならお金目的ですかね。この学園では在校生に資金援助すると聞いていますので」

「分かりました。では何か質問があれば受け付けますが、いかがですか?」

「大丈夫です」

「はい。ではこれにて――」

「はいっ!」

 私は真綾が締めようとするのを遮るように、声を荒げて挙手をした。少し気になることがあって、彼女に質問してみようと思ったからだ。

「何ですか? 明さん」

「柳瀬さんに質問ですが、理系科目はどれくらいできるのでしょうか。文系の学習力には目を見張るほど秀でたものがありますが、例えば数学とか理科とか、そういった理系の知識はいかほどかな、と思いまして」

「すみません。私理系科目は全くできませんし、そもそも数学とかを真面目に勉強している人を見ると身の毛もよだつ思いがします。何でしたっけ? フェルマーの最終定理? 整数XとYそれぞれのN乗の和が整数ZのN乗になるとき、Nには2より大きな自然数は当てはまらないというものだったと思いますが、これの何が面白いんですか? 私には全く理解できません」

 理解できないと言ってる割には、私の知らないことを知っている時点で十分理解していると思うんだけど……。

「はあ、分かりました。私からは以上です」

「ありがとうございました。私からもありません。ご退場をお願いします」

「はい。こちらこそありがとうございました。失礼しました」

 三人それぞれが丁寧語で感謝の意を唱え、柳瀬さんが教室を出ていったのを皮切りに、場の空気が自然と落ち着いていくのを感じた。

 真綾はもう特別変わったことがなかったからか、リラックスして次の人を呼び込む準備を進めていた。

「では最後の方、どうぞお入りください」

「いやー待ちくたびれましたよ。順番最後ですし、飛び入り参加で割り込んでくる子もいて、僕の出番がこんなにも遅れるとは思っていませんでした。まさにどん詰まりですよ、僕」

 余裕のある態度であたかも自分が偉い存在であるかのような、キザな言い回しで首をかきながら登場したのは、眼鏡が似合う長身の真面目君だった。

 ワックスでオールバックに整えたその髪型は、太眉が添えられた彼の眼鏡越しの眼を凛々しく強調している。埃が見当たらないほどきれいでぴっちり着こなされた詰襟制服は、彼の意識の高さを当て付けられる。

 彼は重い足取りで一歩ずつ席に近寄り、大きく股を開いてドカッと腰かけた。

「いよいよ最後です。受験番号とお名前をどうぞ」

 真綾の催促に、彼は大きな咳払いをして制すると自信満々に言った。

「四十番、螺旋塚数歩らせんづかかずほ。数学コンテスト三年連続優勝、小学生にして行列を使ったプログラムを組んでスマホアプリゲームを開発し、名だたるノーベル賞級の学者たちと中学生で肩を並べることになった、天才数学者の数歩といったら僕のことさ!」

 見た目とギャップのある言い回しは、どことなく柳瀬さんに似通うものを感じる。得意分野が真逆なのが、性別以外での大きな差だけど。

「では、この学園を志望した理由についてお聞かせください」

「僕はいつも、というより常に数学や理学に関する論文や参考書を、毎日日が暮れるまで読み漁っている。だが僕には、どうしても受け付けない書籍がある。それは小説だ! 物語だ! ライトノベルだ! 何がどうしたらあんなフィクションだかハクションだかを楽しめる⁉ 僕には無理だね! まだ複雑な数式と向き合ってた方が百万倍楽しいね! 前に一度『スーホ』ってあだ名がつけられたことあるんだが、あれは何の侮辱だよ! 自分の馬を馬頭琴に生まれ変わらせた少年が主人公のモンゴル民話だぞ! スーホを守るために殺された馬が、自分のことだと思ってほしいって一心で作らせたとか、おかしいとは思わないのか⁉ 何で馬が主人とはいえ人間に自分の意思を伝えられるんだよ! 言葉を話すわけでもないのに! それを作ったスーホもスーホだよ! なぜ従った! なぜ見事なまでの馬頭琴を作り上げた⁉…………全く、僕の理解の範疇を超えている。意味が分からない」

 この言動、この否定の仕方、荒ぶってるとはいえまさしく柳瀬さんとそっくりだ。

 何故真逆の分野を得意とする者同士が、相手の分野の作品や単語についてやたらと詳しいの? まるで双子みたいに所々が似通ってるわね、この二人。

 しかし、話が大きく逸れたために肝心の理由を聞いていないので、私が付け加えて軌道修正する。

「……つまり、この学園に志望した理由は……」

「あ、はい。すみません。ついカッとなってしまって……僕がここに来たのは、お金目当てですかね。大金を叩いて自分で新たな発見をするための、研究材料が欲しいからかな。そんなことですかね、はい」

 最後は急にしおらしくなったけど、淡々と己の理由を語った螺旋塚君。感情に流されやすい性格をしているのかな? でも案外優しい性格をしていそうに思えた。

「ではこれで面接を終了させていただきます。長い間ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。それでは失礼します」

 私たちのグループ最後の受験生こと螺旋塚君は、深くお辞儀をして爽やかな足取りで教室を去って行った。

 岩島君、狩根さん、炎条君、六無斎君、百合ヶ丘さん、雛森さん、波止場町さん、柳瀬さん、そして螺旋塚君。九人全員の面接がこれにて終了した。

 腕を後方に伸ばして大きく伸びをする。あー疲れたわ。ようやく終わったのね。

 同じようにストレッチした真綾も、肩が凝ったのか揉みながらこの後のことについて話しかけてきた。

「お疲れ様、明ちゃん。この後いよいよ実技試験だけど、準備は出来てる?」

「いやいや、私の出番は最後の方だって言ってたじゃないの。まだ大した準備はしてないわ。それに、本当に戦わなくちゃいけないだなんて、まだ私は心の準備が……」

 私が弱音を吐きそうになると、真綾は肩に手を置いて首を横に振った。

「明ちゃん……いいえ、明君は自分の思った通りに頑張ってくれればそれでいいの。二週間近くもあたし等生徒会があなたに付き合ってあげてる間、あたしたちが何の用意も準備も支度もしてないわけないでしょ? 生徒会と風紀委員は、実技の実力が学園全体で上位五十位以内に入ってないと、資格を剥奪されてしまうシビアな世界なのよ。そこで常に勝ち続けているあたしたちですもの。何も心配はいらないわ」

 こういう時に真綾の言葉は心に響く。一番苦しいときに頼ることが出来る、人望の厚い生徒会長。普段のおちゃらけ状態とのギャップがあるからこそ、いざとなると信頼できる。

 私は流しかけた涙をぬぐって、肩に置かれた真綾の手を振り返ってからそっと握りしめる。初めて真綾と会ったあの日、互いにハグした時のあの温もりが、今はその両手に宿り仄かに私たちの両手を温めていた。

 私はいるはずもない人物に感謝した。これだけの人に愛されるようになれたのは、私自身の力ではなくてあなたの力ですよね――――。

「お母さん……」

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