第2章 明のアーバン学園入門講座

 翌朝。

 麗らかな朝の日差しが、僕の瞼を重くして開けさせようとはしなかった。

 キンモクセイの甘い匂いがほのかに香る掛布団は、男の僕には少し刺激が強すぎる。あまりに強烈な芳香に起きれないでいた。

 結論から言うと、僕の身体は男に戻っていた。

 一日中垂れ下がってて肩が凝りそうになった、豊満な乳房はもうない。凹面鏡みたいななめらかなカーブを描いた、腰の括れももうない。鬱陶しいくらいに長くなっていた、髪の毛ももうない。そして、真っ平らで寂しかった股関節も、今ではその存在を誇張するかのような御山が出来ている。

 まるで昨日のことが、夢のようにも思えていた。

 女になって、男の時と同じアイデンティティーはあるのに、考え方はまるっきり変わっていた。ダサい格好の男性を見て、ごみ箱の中にくしゃくしゃにしてぶち込みたいと心から思った。それに、白樺さんのような綺麗な人なんて、話しかけるのもおこがましいと思っていた。でも今では同じ学校に通う生徒同士であり、なおかつ相部屋になった。

 僕はこれを喜んでいいシチュエーションなのだろうか。

 白樺さんの受け売りだなと思いつつ、隣で一緒に寝ていたこの部屋の主の、

「女子寮には慣れた?」

 なんて、寝ぼけ眼を猫みたいにこすりながら言ってきたボケににツッコミを入れる。

「一日で慣れるわけないじゃないですか。僕は男ですよ? 無理言わないでください」

「そういうものなの?」

「そういうものです」

 そっけなく返すと、白樺さんは「ふーん」と言って天井に向き直る。

 勘弁してくれと言わんばかりの呆れ顔をして、僕は二度寝する態勢に入ろうとした。

 すると突然、

「へえー、男のここってやっぱこうなってるんだ。パパのしか見たことないから、あたしにはよく分かんなかったけど」

「ひっ!」

 彼女に僕の伝家の宝刀を、右手の細い指でがっちりと掌握された。

 その瞬間、僕の脳味噌はフル回転し、なぜこうなってしまったかの原因を光の速さで捜査・推考し、結論に至った。

 そもそも女子寮に入る気など全くなかったけど、それは百歩譲って良しとしよう。

 学園長直々の決定だ。逆らおうものなら何をされるか知ったもんじゃない。

 また、一人部屋じゃなくて相部屋なのも頂けないけど、それも千歩譲って良しとする。

 慣れない環境ではやはり頼りになる人がいた方がいい。言い方は悪いけど、蛇の道は蛇だ。これも許容せざるを得ない。

 さらに、その相部屋の人とダブルベッドで添い寝することは、僕にはハードルが高すぎる行いだけど、出血大サービスで一万歩譲ってまだ許せるレベルだ。

 だけど、僕でもこれには堪忍袋の緒が切れてしまうよ。どうしてかって?

「一ついいですか、白樺さん」

「昨日は『真綾さん』なんて親しげだったのにずいぶん遠慮がちね。なあに、明君」

「何で……! 何でお互いに全裸なんですか⁉」

 僕は血相を変えて彼女の方に振り向いた。真後ろにいた彼女の胸がふれる。

「何でって。……昨夜はお楽しみだったね、明君」

「はぐらかそうったってそうはいきませんよ! この有様は何ですか⁉ 僕は昨日風呂入った後の時点でパジャマは着てました! それが今裸ですよ⁉ あなたが脱がせたとしか考えられません!」

「ええ、確かに脱がしたわ。女のままだったあなたのパジャマを」

「ええ……」

 真顔で爆弾発言をする白樺さんに僕はドン引きする。確かに、昨晩の時点ではまだ女だった自覚はある。でも、着ていたものは着ていたのだ。何故脱がす。

「だってあなたの身体に興味あったんだもん。カップサイズとか、ウエストやヒップ、脚の長さとか髪の長さとかいろいろ。性転換して女になってしまった男の気持ち的には受け入れがたいんでしょうけど」

「だからって、何で今僕の男としての象徴を握りしめているんですか⁉ そんなに女体に興味あるなら、男体なんてかけらも興味ないはずですよ⁉」

「あたしはこれでも女子よ。男の身体に興味がなくて、女の子なんかやってられないわ」

「ええ……」

 またもやとんでもない暴露話を吹っかける白樺さん。これで成績優秀で自称美人だと、本人談とはいえ聞いてるから驚きだ。この人は美女の皮を被っただけで、中身はただの変態なのだろうか。初対面の時の可愛げのあった第一印象は、僕の中で塵となって儚く風化した。

「まーや、起きてるぅ?」

 と、寮のすぐ隣の部屋に住んでる女子高生Aさん(まだ名前を知らない)が、ノックもなしに僕たちの部屋に入ってきた。一歩足を踏み入れた瞬間、彼女は眼前の光景に息を呑んだ。

 ダブルベッドの中でお互いに裸で向き合った状態、僕は白樺さんを問い詰めようとして息を荒げ、当の彼女は男のものに触れているというある種の喜び(?)の所為か、恍惚とした表情を浮かべている。そんな様子を見て一瞬で悟ったAさんが一言、

「お幸せに……」

 とだけ言い残し、顔を赤らめてそそくさと立ち去ろうとした。

「待って! 早まっちゃだめだ! 誤解だ! 誤解なんだ! 勘違いなんだって!」

「いいじゃないの。さ、子作りに精を尽くしましょ、あ・な・た♡」

 完全にその気になった白樺さんもとい、ただの八方美人の痴女は、至って健全でまだ男子中学生の身である僕の肢体に手をかけようとしていた――――。


 ◇


 時刻は午前九時。朝のHRが終わって一限が始まろうかという時。

 僕は白樺さんに呼ばれ、東京アーバン学園の生徒会室の前に来ていた。

 早朝から艶めかしい態度で明を誘惑した彼女は、襲われるすんでのところで入ってきた女生徒に、スリッパで軽快な音を立てて頭を叩かれた。落ち着いて謝った後に、

「昨日の約束は守るわ。でも生徒会の面々にも手伝ってもらうから、顔合わせのためにも一度生徒会室まで来てくれる?」

 と言い残して去っていった。僕はその女生徒が購買で買ってきた惣菜パンを朝食としてほおばり、新調してくれた中学の制服を身にまとってやってきたというわけだ。

 寮は男女ともに学校の敷地内にあり、玄関口がお互いに内側を向いているため、出てすぐに差し込んでくる朝の日差しに影を作るように建っている闘技場は、一日たった今見ても圧巻の一言に尽きる。

 闘技場を囲うようにコの字型に建てられた校舎は、屋上や廊下からでも観戦できるように建てられたという親切設計。全生徒を収容できるとはいえ、作業中の生徒をわざわざ呼びつけてまで観戦させようとする魂胆は毛頭ないらしい。

 だがまだ僕は、この学校に関して疑問に思っていることがたくさんある。

 まず一つは【トランス】という現象。

 昨日の三人組も、そのトランスと言っていた謎の現象の後、風を纏ったり豪快な素振りを繰り出したり、果ては半分熊に近い姿に変身したりと実に奇想天外。僕もその一環で女になっちゃったらしいし、白樺さんも実体があるのにすり抜けたり、透明人間になれたりと不思議な能力の持ち主だ。その原因も含めて色々と気になる。

「あのー……」

 次に【ヒューマノイド】と呼ばれるもの。

 気になって寝る前にスマホで検索したら、『人の形をしたもの、ロボット、宇宙人』と出た。確かにニュアンス的にはそうだろうけど、僕にはもっと違うもののように感じる。白樺さんは僕をセクシャル、つまり性別のそれだと言った。ひょっとすると、この呼称は何かのジャンル分けをしてるんじゃないかな。

「もーしもーし……」

 最後に【アバン・シンドローム】。

『シンドローム』というくらいだから、何かの流行性の病気かなとは思う。じゃあ『アバン』って何だ? 普通に考えるなら、長ったらしい英語表記のイニシャルを取ってつけただろう。ローマ字に起こすと【ABAN】。……あれ? どっかで聞いたような……。

「柊木明……君?」

「えっ?」

 フルネームで呼ばれて振り返ると、そこには僕より頭一つくらいは小さい女の子が立っていた。くりっとした目に小さな唇、黄色いリボンが施された明るめの茶色い髪は、頭の上にちょこんと乗っかったようなツインテールにまとめられている。体型は、失礼ながら幼児体型と言えるほど貧相だ。目測だけど、女になった僕の方が全然大きな胸だったね。

「あ、あの、私生徒会執行部の善財幸子ぜんざいさちこと言います。お話は白樺先輩からうかがってます。今日はこの学園に関するありとあらゆることをご享受なさるということで、私たちもお手伝いさせていただきます」

「どうも……」

「あ、廊下で立ち話もなんですからね。中に入りましょっか」

 彼女は抱くように抱えていた茶封筒やプリントを持ち直すと、指の第二関節でコンコンと軽くノックする。

「失礼します。善財です。お客様がお見えになられてますよ」

「りょうかーい。入れたげて」

「はーい。ささ、どうぞ中へ」

「失礼します……」

 善財さんに連れられてドアノブをひねって中に入ると、そこには先輩女子高生たちが三人座っていた。

 一人はブレザーを改造したらしく、ゴシックロリータみたいにフリルが大量に裾や袖に施されていた。それはスカートもほとんど同じように装飾が多く、僕はパッと見て目のやり場に困った。また、頭には同じくフリルのついたカチューシャ(?)みたいなものが被さっていて、足元は上履きではなくヒールのある靴を履いていて、しかもその足は白いタイツに包まれていた。ちなみに髪は結ばずに垂れ下がっていた。

 一人はカールのかかった金髪を、長い爪のついた人差し指でくるくると回していた。肌の色が全体に褐色を帯びていて、この寒い時期に上半身はブラウスの上からセーターだけの薄着だ。スカートは限りないほどのミニスカートで、脚を組んでいるために角度次第では絶対に見えると思う。

 そしてもう一人は……

「あ、今朝はどうも」

 僕が軽く挨拶すると、その女子高生は無言のまま会釈してから優しく話しかけてきた。

「どうも。会長と一緒にいると大変でしょう。あの人は、年下で可愛い子なら男女問わずに過度のスキンシップを要求するので、私たちも毎度毎度……」

「……心中お察しします」

 僕は今朝の白樺さんの態度と、今目の前で悲しそうに俯く彼女とを照らし合わせながら、無言で合掌した。

「では改めて、ご入学おめでとうございます。私は副会長の南郷理羅なんごうりらと言います。金髪の彼女は愛染突刺あいぜんつくしさん、書記担当。隣のゴスロリメイド風の彼女は十六夜蓮華いざよいれんげさん、事務及び広報担当。そして、君の後ろにいる善財さんは会計担当。と、この場にはいませんが会長である白樺さんを入れて、私たち五人で切り盛りしております。よろしくお願いします」

「よろしくお願い申し上げますわ」

「しくよろー」

「よろしくです」

「よ、よろしく……柊木明です。と言っても、まだ実質中学生なんですけどね」

 付け加えて言った僕の言葉に、南郷さんが「そうでしたね」と返すと、

「早速ですが、場所を移動しましょう。そこでは会長が準備して待ってくださっているのでね。それに、明君には是非やってもらいたいことがあると、会長からうかがってるので」

「分かりました」

 僕の返事を皮切りに、座っていた南郷さんたちが立ち上がって、みんなで白樺さんが待っている目的の教室に向かって歩き始めた。


 その教室には、ものの一二分で辿り着いた。歩いてる最中に、教わることの概要とか軽い世間話とか、他愛ない会話をしようと試みて、すぐ横にいた愛染さんに話しかけようとした瞬間だった。実にタイミングが悪い。

 ちょっとむっとして不機嫌になりかけ、ギリギリの範疇でそれを堪えて、南郷さんに勧められるままにすりガラスのスライドドアを開けた。

「失礼しま――」

 ビシィッ。ホワイトボードを棒のようなもので叩く音が響き渡った。

「遅かったわね、明君。さてはうちの可愛い後輩たちに、色目でも使われてたのかな?」

 あんたに言われたくない、という無言のツッコミが五人ともにシンクロした気がした。

 白樺さんは、待ちくたびれたかのようなふてぶてしい態度で、指さし棒を左手に何度も当てながら、教卓の上に脚を組んで座っていた。

 だけど、やっぱり少しだけおかしい。何より服装が。

 まず目立つのは、ボタンが上から二つか三つは空いているブラウスだ。おかげで、女性化した僕とタメを張れるくらいに大きい胸の谷間が、正面からでも分かるくらい目に入る。また上着はなく、スカートは黒くてタイトなものを履いている。そこから伸びる脚は、黒いストッキングに包まれていて、十六夜さんが履いてるようなファンシーな靴でなく、正真正銘真っ黒でエナメル質のハイヒールだった。顔には全体的に薄く化粧が施されていて、口紅だけはやけに赤みが濃い。そして、レンズが小さめな眼鏡をかけており、髪は纏め上げたものを髪留めで挟んで留めている。

 いわば彼女は、ありていな女教師ルックスに身を包んでいたのだ。

 教室内には、僕が座るであろう座席と机が一式だけ前に置かれ、残りは全部後ろにどけられていた。また、教卓の横にパイプ椅子が、左右で二つずつ並んでいる。おそらく南郷さんたちが座る場所なのだろう。

「まあいいわ。じゃあみんな席について。特別補習始めるわよ」

 白樺さんが促し、彼女を中心とした位置取りで南郷さんたちがパイプ椅子に座る。僕もたった一つだけの特等席に、多少の緊張を覚えながら腰かける。

 数秒の間をおいて、ゆっくりと立ち上がった南郷さんが口を開く。

「それではこれより、前期試験合格者の柊木明君に対する、東京アーバン学園における基礎知識の定着を目的とした、特別補習を始めます。礼」

 場の六人全員がお辞儀し、いよいよ特別補習が始まった。僕は聞きたいことが山ほどあるんだ。これは僕の勘だけど、これから先絶対に知らないと後悔するレベルの情報を今から学習するかもしれないのだ。内心高揚して、うずうずした気持ちがあふれ出てきそうだ。

「じゃあまずは、確認だけど――」

 一段落おいて、白樺さんは続ける。

「――ノストラダムスの大予言って知ってる?」

「聞いたことはあります。ただ具体的にどんなものだったかは、いまいち覚えてないです」

「それについては私から」

 挙手をした南郷さんが、ホワイトボードにペンを走らせる。

「『一九九九年七の月、恐怖の大王がやってきて、人類は滅亡するだろう』。ニュアンスの違いで様々な謂れはありますが、有名になったのはこの一説が有力だと思います。当時の日本は、世紀末伝説ブームが起きていたりするなど、オカルトチックな話はネタが尽きなかったようですし」

「それは違うブームじゃないの? りらっち」

 心の中で思いかけた言葉を愛染さんが代弁した。彼女は誰に対しても、あまり気を遣わずに話しかけている。僕も少し見習いたいな。

「ああ、そうでしたか。失礼。とにかく、この学園の授業の基礎として、この予言はとても大事なものなのです」

「理羅ちゃんありがとう。座って」

 白樺さんは、また一幕置いてから続けた。

「この予言は本当ならとっくに外れていて、今でも笑い話にできるようなものだったはずらしいの。それまでは、過去の偉人のどんな予言も、一つも当たらなかったらしいからね。だけど、実際には当たってしまった。最初は学者も信じられなかったそうよ」

「……一ついいですか?」

 僕はここまで聴いて、思い当たることがあった。最近になってから見たリアリティの高いあの夢、あれは過去に本当にあったことだったのかな。

「何? 明君」

「僕、最近になってある夢を見たんです。すごく現実的で、その世界を僕は歩いていました。その中で拾った新聞の日付が、一九九九年の七月七日だったんです。もしかして、予言が的中した日とはこの日ですか?」

 その時、みんなが僕を見る目が変わる。君は何を知っているんだ、と訴えられたかのような視線。一気に来たので逆に恥ずかしくなった。

「……その通りよ。すごいわね、本当にメンタリストじゃないの?」

「違います」

 即答で拒否する。

「……で、その日は地球に隕石が降ってきました。とても巨大なものが一つ。もし衝突していれば、人類は絶滅し生態系が脅かされ、地殻変動が起こり火山活動も活発になり、文字通り天変地異が起こっていただろうと言われています。しかし、隕石は地球に衝突する少し前に突然爆発し、粉みじんになったそのかけらがまるで流星群のように、間髪入れずに次々と地表に降り注ぎました。また、爆散したかけらは世界中にクレーターを作り、当時の人々の脳裏に恐ろしいほどの畏怖を焼き付けたそうです。そのほとんどが海に落ち、地表のものも都市部を中心とした人が密集したところに落ちたものは幸いにもなかったらしいですわ」

 最後にそれらしい語尾で締めくくって、続きを話した十六夜さんが座りなおす。

「じゃ、次はあたしが言うよ」

 と、生徒会室にいた時と同じように、脚を組んで髪をいじっていた愛染さんが口を開く。

「結局、隕石そのものによる被害はたまたま外出してたまたま落下地点に近かっただけの哀れな人たちだけ。でも問題はその後。隕石によってできたへんちくりんなガスが、好奇心で覗き込んだ人たちの肺ん中で暴れまわって、吸った人たちはたちまちノックアウト、バタバタ倒れてあの世に逝った。これが最初の被害で、大体十万人前後。次に来た研究者たち約二万人も、みんなガス吸ってあの世逝き。もちろんこれは世界規模の話な。んで、そのガスが風に乗ってどことなく広がり、一人残らず吸い込んでジ・エンド……になるかもしれなかったんだ。あの謎の医者が出て来るまではな」

「はい! 知ってます! その人が未確認物体のガス、通称〝絶対暗殺者〟の特効薬を作ったんですよね! 瞬く間に世界中に配布されて、ガスがどういう原因で発作を引き起こしているのかまで詳細に筆記された説明書付! おかげで被害者を抑えられて、結果的に人口は激減しましたけれど、完治したからみんな万々歳!」

 好きな話題になって、僕は思わず興奮して声をあげる。出しゃばったなあ、と直感して狼狽えてしまった。顔が引きつった僕を制すように、善財さんが可愛らしい咳払いをしてから、

「……ところが、そうでもなかったんです。そしてここからが、今日柊木君に教える中で一番重要なポイントです」

 シリアスな口調でそう告げた。ここで、白樺さんが割り込むように話す。

「ここまではおそらく、中学の歴史の授業でも習った通りだと思うわ。だけどね、ここからは他の高校はもちろん、大学でも履修しないだろうけど、この学園においては絶対に知っておかなきゃいけない基礎の基礎だからね。しっかり覚えるのよ。ではさっちゃん、続けて」

「はい。その薬の効力は絶大で、摂取した人たちはものの数分後には全身の血流が安定していて、しかも量産が容易な材料しか使っていないため経済的。全世界に行き届くのにそう時間はかからず、わずか一週間で生き残った全ての人がワクチンを手に入れました。ところが、そのころ日本のある主婦の方が病院に電話をかけました。『生まれてきた我が子が突然狼になった。気味が悪いから助けてください』というものでした。怪しいと思いつつも、病院側はその子を引き取ってDNAを調べてみました。するとどうでしょう。その子のDNAは、まるで狼として生まれてきたとしか思えないほど、本物のそれと酷似していました。その子はその病院で出産した子です。立ち会った小児科や婦人科の看護士さんたちも、同情して涙を流しました。またほぼ同時期に日本中、いや世界各国のあらゆる病院で似たような症状による通院が増えて、医者たちはパニックになってしまいました。世界レベルの騒動なので国連も動くはずでした。が、つい先日大量の人間が死に絶えたばかりで全く機能せず、医者も減っているので対応が間に合いません。ついにしらを切らした人たちが全世界を巻き込んだ暴動に出ました。高層ビルは倒れ、所々で爆発が頻繁に起こり、人々は逃げまどい、鬱憤がたまっていてなおかつ体質が変わって特殊な力を得た人たちは、力の限りを尽くして都市部を破壊したり、政府が関与する建物に殴りこんでは政界のお偉い人たちを殺して回ったりして、地獄絵図という言葉では片づけられない惨劇が、世界中で起こりました。しかし、翌朝になると一変して、被害者こそ数十万人単位で出ましたが、暴動は全て沈静していました。それは、あの薬を開発した医者が国連に申し出て声明を出し、一夜にして世界中に伝わったからです。彼はその声明の中で、人体が動物や異物になったりするのは、あの薬の副作用によるものであること。副作用に対する薬を作ったら、主作用であるガスの抗体を消してしまう恐れがあること。それを踏まえて、副作用を抑え込むだけの薬を開発していること。の三つを発表しました。一部反論を申し出ようとした人もいたそうですが、仕方がないと言いくるめられ、しぶしぶ承諾したらしいです。最終的に、抑制するだけの薬は声明後数日で完成し、それから五百年もの間、人々は再発を恐れるどころかむしろそんな過去があったとは気にも留めないほど、平和な生活を送り始めました…………ってみなさん⁉」

「ふえっ?」

 素っ頓狂な声が聞こえて、僕はハッとした。どうやらあまりの長話に、無意識のうちに寝ていたみたいだった。机に伏して寝ていたせいか、両腕がジンジンする。それに、机上にはよだれがたまって水たまりが出来上がっていた。相当寝相が悪かったらしい。反省しないと。

 くらくらする頭でぼやけた視界を無理やり動かし、先輩たちがどうなったのか見上げると、同じくみんながうとうとした表情で眠りこけていた。

 立っていた白樺さんも椅子に座って教卓に伏し、南郷さんも十六夜さんも、時折こっくりと首を前後しながらすやすやと眠っている。愛染さんに至っては、背もたれの裏に腕を回してがに股で、グーグーいびきを立てて熟睡、いや爆睡している。とことん女の子としてあるまじき寝相だと思いつつ、この人本当に生徒会の役員なのかという疑問を光の速さで拭い去って、善財さんと協力して寝ている四人を揺さぶり起こした。

「えっと……さっちゃんはどこまで話してくれたのかな? あたしたち途中から記憶が飛んでてね。大見得切った割に体たらくで申し訳ないとは思ってるんだけど」

 浮ついた声でつぶやきながら、白樺さんは尋ねる。

「僕も知ってる『ノストラダムスの大予言』が実際に当たって、それが原因で人々が混乱したけれどもある医師が世界を救った。でも不手際があって、人体に悪影響を及ぼすような薬を作ってしまい彼は非難を浴びた。けれど、苦労の末提示した修正案が功を奏し、世界は再び救われてその平穏がいつまでも続いている。ざっくりとした解釈はこれで合ってますよね、善財さん」

「あ、はい。大丈夫……だと思います。多分」

 俯いた姿勢で両手の人差し指を押し合わせたまま、おずおずと答える。

「ざっくりしすぎな気もするけど……まあいいわ。重要なのは、『人体に悪影響を及ぼした薬』なの。また長くなるかもしれないけど、それは覚悟して頂戴ね」

 言いながら、白樺さんはそばにあったマジックを手に取ると、滑らかな筆跡のシュプールをホワイトボードに描き始める。

 書き始めたのはとてつもなく長いアルファベット。動詞がないから文じゃないことは分かったけど、それでも一単語とは思えないほど長い。

 しばらくして書き終えた後、振り返って講義が再開する。今度は暗記重視だと容易に想像できた。彼女の閉じていた口が開く。

「今書いたのは、先に説明があった薬によって引き起こされた病気の、英語での正式名称よ。【Absurdity Basis Android of Syndrome】。日本では【不条理的人造人間化症候群】、通称【アバン・シンドローム】と呼ばれているわ。謂れは実に単純よ。文字通り、薬の所為で無理矢理に、強制的に、不条理的に服用者の身体を作り替えるの。しかも、普段は何ともないんだけど、発現すると細胞単位で書き換わって、染色体はもちろん原子構造そのものも異物になってしまうの。だから人造人間化なんて大層な名前付いてるけど、感染は遺伝限定。飛沫感染も体液感染も一切なし。でもこの病気が発生した原因の薬、イニシャルから取ってつけて【ABAN】って言うんだけど、その薬は大昔に全ての人が体内に投与してるから、どのみちみんな発現する可能性はあるわ」

 途中途中で出てきたキーワードを、書記である愛染さんが引き続いてホワイトボードに書いている。白樺さんに比べるとやや汚い字だけど、気にするほどでもなかった。

 だけどこれで、僕が悩んでいた知らない単語は半分ほど理解できた。いきなり連れ去られては奨励の言葉をしつこく浴びせられて、訳の分からないまま事が進んでしまって少々困っていたからだ。こんな機会でもない限りそうそう聞けることでもないとは思ったけど。

 白樺さんは、また僕に視線を送っている。昨日から続く好意的な視線から、僕は何をすべきかを感じ取った。だからってあんまり目で訴えられても困るのは事実だった。

「質問いいですか?」

「はい! 明君! いいよいいよ、あたしはいつでもウェルカムだよ!」

 何か壮絶な勘違いをされたような気がしなくもないけど、あまり気にせず言った。

「最後に、『みんな発現する可能性がある』って言いましたよね?」

「うん、言ったよ。それで?」

「昨日校門の前で、『覚醒者を教育・保護し』とも言いましたよね?」

「うん、それも確か言ったかもね。で?」

「アバン・シンドロームが発現する可能性があるなら、どうして入学試験みたいな形で振り分ける必要があったんですか? むしろ、受講者は全員受け入れるくらいの器の大きさはあってもいいんじゃないかなあって思ったんです」

「ああ、それは――」

「それは無理なんだよ、明君」

 突然別の男性の声が聞こえたからそっちに目をやると、スライドドアの端に寄りかかるようにして学園長が立っていた。

 ニスでも塗られているかのような光の屈折を生み出しているツルッツルの頭皮、どんなに個性的な人格の人でも包み込んでしまいそうな器量を感じさせる体躯、そして実の娘とは似ても似つかない柔和な印象をもたらしてくれるほどやさしい笑顔。そんな風体の学園長は腕を組んだまま、しかし丁寧で聞き取りやすい声で話を広げた。

「確かに、人類皆兄弟なんて単純な理由で受け入れたっていいさ。だがそれで本当にいいのか? 本人たちの人生を他人である私たちが無闇に貪っていいのか? 違うだろ? だから私は、いや、それこそ初代学園長の頃からずっと、本心で入学したいという中学生たちしか受験を許可してないんだよ。もちろん試験中に本人が不快感を覚えたら、私たちが責任を持って向日葵ヶ原高校に入学させるつもりさ。多額の賠償金を支払ってでも、今後の私生活が不自由の無いようにね。だから見る目がある子でいて、なおかつ本人が入りたいという強い意思を持っていないと、我々としても色々と大変だからね」

 ここでいったん区切って、ゆっくりと僕の近くに歩み寄りながらさらに続ける。

「ときに明君。君は偶発的とはいえ、呪われたこの力を自分で開化してみせた。それを目の前で見ていた娘の独断で話が進み、あれよあれよという間に歴史の真実まで知った。そしてこの後、私が聞いてる通りならあの闘技場を使って実戦訓練をするそうだ。では、今の君はこの学校に本気で入学したいと思っているかい? 先に言った通り、君が望むならここの入学については一切なかったことにして、君が言ってたように向日葵ヶ原に入学させてあげるよ。さあ、どうしたい?」

 言い終わる頃には、教室の窓辺の、比較的前よりの位置で同じく腕を組みながら、落下防止のパイプに寄りかかっていた。

 学園長の目に嘘はなかった。でもからかうような軽い態度でもない。真剣だった。

 僕は試されている。

 おとといまでの僕なら、これと同じ質問をされていたら、迷わず入学を拒否していただろう。今でこそあらかた理解したとはいえ、チンプンカンプンな話題も無きにしも非ず。

 それでも現実的に考えて、将来親孝行したり、業界大手の会社で躍進してエリート社員、いずれは大出世して世界を股にかける大会社の代表取締役になったり、学校の謳い文句通り、札束で汗を拭こうが燃やして灯火にしようが、何をしてもお金に困らない生活というものにも多少の憧れはある。

 普通に生活していたら、札束の風呂に入るなんて夢のまた夢の世界だ。現実でこんなことが出来る人は百人いるかいないか程度だろう。

 だけど、夢のまた夢というだけなら僕が今向き合っている現実の方が、億万長者になることなんかよりよっぽどロマンチックだ。

 何せゲームや漫画の世界でしか使えないような能力を扱えるのだ。僕も男として、本能的に興奮している。それが性転換するということが、個人的にネックなのは仕方がない。しかし、動物に変身したり、風を操れたりする人たちを僕はつい昨日見たばかりだ。それに僕の目の前には、透明人間になれる人がいるのだ。これだけ情報量が豊富なら、ああだこうだと妄想が膨らむ。そのうち火を噴く人が現れるかもしれない。鳥になって、大空を弄ぶ人が現れるかもしれない。はたまたドラゴンに変身して、天を統べる人が現れるかもしれない。

 僕はまだたった一日だけだけど、この学校に来て良かったと思っている。

 何か今までの自分になかったものを、新たに開拓できるような気がして止まないからだ。

 だから僕は二言だけ、はっきりと言った。

「僕はこの学校に入学します。だからみなさん、これからもよろしくお願いします!」

 昨日やさっきまでは色々と慌ただしかったから、僕は気持ちの整理が出来ていなくて、何て言えばいいのか分からなくなっていただけなんだ。今思えばどうということはない。

 僕は気持ちを新たにして、改めて進学する決意を固めた。


 ◇


「へえー、こんな風になってたんだ。意外と教室設備が充実してるなあ」

 座学の予備知識講座で一・二限の授業時間を使い果たし、昼食休憩兼昼休みの開始チャイムが鳴るまでは、校内を自由に散策していいという許可が学園長から直々に降りた。

 現在時刻は午前十一時五分前。昼休みは十二時四十分からと言うから、実に一時間半も暇になってしまったのだ。

 僕が女になれるということは、もう生徒会の面々はおろか、少なくとも全校の女子生徒は知っているらしい。発信源は言わずもがなだけど、本人曰く「新入生の話題がここまで持ち上がることは、パパも経験がないらしいわ」ということだそうな。

 しかも、午後にやる実戦は全校生徒が見に来るんだとか。想像しただけで肩が震えてくる。

 なので、早いうちから緊張をほぐすためにあえて誰も付き添わせずに、僕に自由に行動させようという粋な計らいだろう。一番偉い人から直々の誘いなので断る気もない。

 お昼は生徒会の五人に誘われて、昼休憩の開始時間に食堂で待ち合わせることになった。

 だけど、昨日来たばかりの僕には地理的な意味で右も左もわからない。

 そこで、昇降口近辺に校舎の間取りが描かれた地図がないかと思い立ち、何の迷いもなくそれを見つけることに成功したのだ。

 間取りは、全四階層ある校舎にある教室全てを網羅したものと、すぐ横に闘技場や裏にある体育施設及びグラウンドと学生寮を含む、学校の敷地を縮小した配置図があった。

 昨日最初に訪れた学園長室は、昇降口から見て正面にある階段を上って二階に着いた時の正面の部屋。生徒会室は、同じ階段を四階まで登って同じく正面の部屋。そして、さっきまでいた『学習室C』は、三階の東階段より三番目の教室だ。

 一階は件の食堂や購買部があり、闘技場や体育施設への通路があってか、あまり使いそうな部屋はなさげだ。強いて言うなら事務室ぐらいかな。

 二階は職員室や会議室、面談室といったような教師がすぐに動けるような部屋が多い。学園長室はもちろん校長室もある。東西に分かれた教室は空白だけど、僕たち新一年生の教室になるのかな。

 三階は二年生(現一年生)の教室があり、ほかにも学習室や化学室・生物室・物理学室などの理系科目の実験室がある。この学校のことだから、実験内容も少し変わっているのかも。

 四階には三年生(現二年生)の教室と、図書室・音楽室・美術室などといった文化系の教室がある。また、視聴覚室が二つあり、間に挟まれるようにして生徒会室と風紀委員室が隣り合っている。

 ふと風紀委員という言葉が引っ掛かった。学校内での校則違反行為の摘発とか、不純異性交友にもつれて勉強を疎かにすることを未然に予防させるとか、僕のイメージでは学生の警察官みたいな存在だ。

 では生徒会はどうだろう。僕の中学だと、体育祭や文化祭では率先して行動を起こしていたし、不定期の生徒会新聞ではお悩み相談と題して、普段生徒が抱えている様々な不平や不満を解消・解決したりするなど、職業で例えるならまるで弁護士のようだったと思う。

 ならば、何でこの二つの組織が共存しているのだろう。

 いや、ただ僕が風紀委員というものを知らないから、とりあえず疑問に思っているだけかもしれないけど。

 それに僕は、満を持して不純異性行為を堂々とやりそうな人物が、生徒会のメンバーにいると知っているからなあ。聞かれたらまずいから誰とは言わないけど。

 うーんと悩んでいると、突然誰かに左肩を強く叩かれた。

「やあ、君が噂の新入生かい? 発動させたら女の子になるっていう」

 爽やかな声で尋ねてきた人の方へ振り返ろうとした僕の顔は、突き立てられた人差し指によって中途半端に疎外された。

 勢いよく振り向いてしまっただけに、左頬にやたらと食い込む。痛い。

「なあに、ちょっとからかっただけさ。そんな嫌そうな顔すんなって」

 いきなりされたら誰だってムスッとするだろ! という文句を喉もとで押さえこんだ。

 話しかけてきた彼は、僕より少し背が高くて、何よりかっこいい。きちんと着てる制服の着こなしだとか、顔のパーツ一つ一つが綺麗で整っているとか、そういう浅はかな次元じゃないところで僕はかっこいいと感じた。

 この学校にいるからには、何かしらの能力を持っているということだろう。上から下まで眺めようとして、不意に左の二の腕辺りについている腕章に目がいった。

 緑色の腕章には、マジックで大きく書かれた『風紀』の二文字。

 思わず口に出そうとした答えを「おっと」と制止して、彼が口を開いた。

「俺は風紀委員長の風間春一かざましゅんいちってんだ。昨日はうちの兄貴が世話んなったな」

「兄貴?……風間……って、ああ‼ まさか昨日襲ってきた内の一人があなたのお兄さん⁉」

「ああ。真綾の奴から聞いてるかもしんねえが、兄貴は俺の一個上で去年卒業したばっかでな。他の二人の仲間とつるんでよくやんちゃしてんだよ。ガキの頃からな」

「一個上……ってことは、来月には卒業ですよね? 何でまだ委員長を名乗れるんですか?」

「簡単さ。生徒会役員は十月に行われる選挙で決まるんだが、風紀委員は四月にクラス代表を決めて、その上で上級生が立候補して成り立ってんだ。要は保険委員や図書委員と同じ感じだよ。固有の教室を持ってるっていう違いはあるけどな」

「へえ……」

 僕は風間さんと目を合わせることに躊躇いがあった。

 昨日の件は一切関係ない。彼には罪はないし、僕が非難しているのは兄の方なのだから。

 それでも僕は、自分の罪を感じずにはいられなかった。話はきちんと頭に入ってくるのに集中が続かず目が泳ぐ。

 そんな僕の様子を見てふと思い立ったのか、風間さんが、

「そうだ。今暇ならちょっと付き合えよ。闘技場行こうぜ。まだ入ったことねえんだろ?」

「まあ暇ですし、午後の実戦に慣れておくためにも構いませんけど、風間さんは大丈夫ですか? この後の授業とか……」

「全然。だって三年はもう帰省したり寮に引きこもってたりする奴がほとんどだから。そもそも授業がないんだ。俺だって何んとなく来てるだけだし」

「そうですか……」

「まあなんだ。堅苦しい話はやめてさっさと行こうぜ。もしかしたらいいもん見れるかもしれねえし」

 いいものって何だろう。僕は多少の期待を持ちながら、風間さんの背中についていった。

 階段下の非常口を開けると、闘技場へと続く道があった。舗装された道があるから、上履きで歩いてもあまり汚れなくて済んだ。歩きながら風間さんは説明する。

「この学校は校門を南にして、東西南北に綺麗に向いていてな。ちょうど闘技場の東側と西側に入場口があって、中でバトったり授業で使ったりする場合はそっから入るんだ。んで、正面に見える階段からは観客席に行ける。階段は南側と、裏にある体育館やプールの施設から来れる北側に、ドームに沿うようにして二つずつ、計四つあるから列で入っても詰まることはない。それに、最大で約四千人は収容できるほど広いから、余程のことがない限り全校生徒は大体座れる。それから……」

 闘技場に関するうんちくを饒舌に語っている風間さんの声とは別に、その闘技場の方からがやがやと喧騒が聞こえてきた。

 僕は何が起きてるんだろうと心を躍らせ、足早に階段を駆け上がっていた。

「……だからこの学校には部活がないのさっておい!……全くもう、世話の焼ける!」

 風間さんは急に急いだ僕に呆れたのか、頭をポリポリ掻きながら自らも追うようにして駆け上がってくる。

 観客席の外周に到達した僕は、そこから中央を見下ろして唖然とした。


「では次は……新月しんげつ! 前へ」

「はい!」

 新月と呼ばれた彼女は、指揮を執る先生に従って中心に近づく。

「で、相手は……そうだな。丸藤まるふじ! お前だ」

「はい!」

 同じく丸藤と呼ばれた彼は、先程の彼女とは向かい合うようにして中心に歩み寄る。

「頑張れー」「負けんなよー」「ボッコボコにしちゃいな!」「男の意地見せろ!」

 双方の生徒に対して叱咤激励が浴びせられる。それに調子づいたのか、丸藤はふふんと鼻息を立ててから彼女の方へ指を突きつけると、

「今日こそ勝ってやる。絶対にだ!」

 と単純な宣戦布告をした。「おおーっ!」と盛り上がるギャラリー。

「ふん、精々頑張ることね。あんたが負けたら坊主頭にでもなってもらおうかしら?」

 新月も負けじと煽り返す。こちらにも「キャーッ!」と黄色い悲鳴が飛んだ。

 両者とも一触即発といった状態。今にも互いの拳が飛び交いそうだ。

「……準備はいいな? ではこれより、午前の部緊急訓練の……時間的に見てもそうだな……最終模擬試合を開始する! 制限時間は五分、相手に『参った』と言わせるか自分が言うかで決着、タイムオーバーの場合は引き分けとする。互いに異存は?」

「ないよ」

「ないわ」

「よし、では両選手離れて」

 先生の指示で丸藤と新月、二人の生徒がお互いに等間隔の距離を取った。

 それを確認した先生は自らも後ろに下がり、十分距離を稼いでからもう一度見比べて、

「……よーい……」

 笛を吹く意思を見せる。と同時に、二人はそれぞれ違った構えを取った。

 丸藤は開いたまま力を加えた右手を、胸の前に当てたまま肩幅に脚を広げて直立姿勢。

 新月は陸上のクラウチングスタートのような、地面にうつぶせになった態勢。

 互いに視線は相手を見つめていた。

 わずか数秒の間をおいて、ピーッ! ホイッスルを鳴り響いた。

 その音を聞き流し、二人は同じ言葉を唱える。

「「〝変身トランス〟……!」」

 言うと同時に丸藤の右手に緑色の、新月の身体全体に青色の淡い光が灯る。そして、

「〝サンド〟‼」

「〝大山猫リンクス〟‼」

 丸藤が、力を込めた右手で足元に掌底を繰り出すと、周囲から爆発したかのように砂が吹き出し、彼の身体を包み隠していく。

 一方で新月が背中をそらして虚空に吼えると、ショートカットの髪の一部が変化し、猫の耳のような形を作る。

 しばらくして治まった砂塵の中に丸藤の姿はなかったが、目に見えて変わっている新月の身体の変化はまだまだ止まらない。

 地に伏せている彼女の両手首辺りから毛が生えてきたかと思うと、それらは瞬く間に彼女の指まで包み込み、人間特有の平爪は根元が太く先端が鋭利な丸爪へとなっていた。

 すると今度は、彼女が着ている体操服が淡い輝きを放ち始めた。この学園の体操服は白いTシャツに青い短パンで男女共通。のそれが、みるみるうちに縮んでいくではないか。

 Tシャツから袖が短くなりノースリーブへ、さらに襟も無くなって肩が空気に触れ始めた。裾も短くなって臍周りの括れが露わになると、見物している男子たちの鼻の下も伸びる。

 緩やかになった変化はやがて胸のあたりで落ち着き、心なしか大きくなったと思われるその豊満な乳房をきつすぎず、かといって容易には落ちない程度に締め付けて止まった。

 同時進行で変化していた短パンは、膝上数センチ程度だった裾が短くなって太ももの付け根で留まると、今度はお尻のあたりから何かが伸びてきている。

 それは尻尾だった。ある程度伸びきったと同時に淡い光が止み、申し訳程度に女子の恥部を隠している衣服には、手に生えてきたものと同じ色の毛が風になびいていた。

 変化はまだ収まらない。同じように靴と靴下が光り、くるぶしより少し上ほどまでに短くなった靴下は靴と同化して、手にできたものと同じ毛並みと爪に仕上がる。

 最後に変わったのは顔の一部。彼女の瞳にある黒目がだんだんと縦に細くなり、頬からは左右対称に細長い毛が数本生え、犬歯が少々鋭くなってようやく全ての変化が終了した。

「変身……完了だニャ」

 新月はゆっくり立ち上がると、周りの同級生に向かって招き猫よろしく「ニャン♡」と甘えたポーズをとる。途端に湧きあがり、高らかに指笛が鳴り、拍手喝采に包まれる。

「さてと、あいつはどこかニャー?」

 もはや目がハートと化しているギャラリーを置き去りにして、新月は右手を添えて見晴らすようにして周囲の様子をうかがう。

『……ここだよ、子猫ちゃん』

「ンニャ⁉」

 どこからともなく丸藤の声が聞こえたかと思うと、彼女を中心に地面がべこっと引き下がった。すり鉢状にへこんだその場所は、中心に向かって地面の砂がさらさらと流れ始めた。

「これはまさか、蟻地獄ニャ⁉」

『そう! まさにこれは蟻地獄ならぬ砂地獄。名付けて《砂漠穴デザート・ホール》だ‼』

「うっわ、ネーミングセンスだっさ」「直訳かよ」「ないわー」「ふざけんなしー」

『何だと! こっちだって真面目に考えてんだぞ! 馬鹿にすんな!』

 周りから見えてないのに律儀に誹謗中傷に反応する丸藤。煽り耐性の低さがうかがえる。

「……ええい、こうニャったら……!」

 対戦相手の泣き言を聞き流し、新月は自分に活を入れると両手両足の爪を引き伸ばし、それをピック代わりに地面に突き立てて流砂の上を駆け上がった。

「ニャンニャンニャンニャンニャンニャンニャンニャンニャンニャン…………!」

 しかし流砂の流れが速くなり爪が杭の意味をなさなくなっていた。だんだんと焦り始める新月。

「ニャンでニャ! ニャンで上に行けニャいのニャ! まさか……!」

 おそるおそる後ろに振り替えると、先程より明らかに広く深く傾斜が急になっていた。

「もうこうなったらやけくそでも何でもいい! 砂の中に引きずり込んでやる! そして干からびて、悠久なる時の流れの中で散れ‼」

 砂地獄の中心で砂が浮き上がってきたかと思うと、互いに結び合って一つの形を形成していく。それは人間の上半身だった。腰回りより上が地面に突き出る形となって、やがて丸藤の顔と体になっていた。その顔は怒りの感情を抑えきれず沸騰する寸前のようである。

「こんニャところで死んでたまるもんですかニャ! ならあたしは……こうするニャ!」

 新月は覚悟を決めて身を奮い立たせると、今にも爆発しそうな表情の丸藤のもとへ四足で走り始めた。そのスピードは、とても二足歩行に慣れた人間がやっているとは思えない。

「馬鹿な! 自ら死を選ぶなど愚の骨頂。我が手で直に引導を渡してくれようぞ!」

「何かあいつ、急にキャラ変わってね?」「だよねー。キモッ」「やーい大根役者」

 相変わらず続く、丸藤に対するギャラリーの非難。だがそれは彼の怒りを助長するだけに過ぎない。

 新月はそんな丸藤には目もくれず、彼より少し遠いところでジャンプして上を飛び越えて行った。

「な、何ぃ⁉」

 そしてそのままの勢いで流砂の坂を上りきり、ついに脱出に成功した。

「あんたとはここの使い方が違うニャ。ここここ」

 言いながら新月は自分の頭を指さす。

「お、おのれえ……猫娘の分際でちょこまかと……!」

 丸藤の身体が小刻みにプルプルと震えている。その直後、砂の身体が猛烈な勢いで新月に向かって迫っていた。

 顔と肩くらいしかない状態で砂の塊となって宙に浮き、下半身がない代わりに地面が彼の動きに合わせてしなるようについてきている。

 その様子をコンマ数秒で視認した新月は、再び四足歩行体制になると闘技場の内壁に向かって走り出した。

 壁に近づくと今度はそのまま駆け上がり、壁面に沿って闘技場内を走り回った。

「来るニャ変態! どっか行け!」

 慣れた足さばきで壁面走行をしつつ、丸藤を一瞥する新月。しかし彼は何も答えずに、ただ彼女が壁に残している爪痕の轍を追い回している。だからといって新月が永遠に逃げられるわけでもなく、そこには必ず肉体的疲労は存在するわけで――。

「どうした。速度が落ちてきているぞ」

「うるさいニャ! どうせろくニャ攻撃もできニャいくせに!」

「ほう、大した度胸だな。これを見ても同じことが言えるかな?」

 そう言うなり、丸藤は追いかけながら自分の身体となった砂で両腕を再形成する。そして砂でできた両手でパンッと柏手を打った。

 すると、闘技場内の地面の何カ所からか、小さな間欠泉のように砂が吹き出し、まるで生きているかのようにうねりながら、走り回る新月の前方の壁面目がけて次々と迫ってくる。

 それらの動きを発達した耳――頭かこめかみか、どちらのものかは分からない――で予測しながら、一つ一つ丁寧にかつ最小限の動きで避け続ける。が、

「うっ!」

 五、六回は避けただろうかという時に、不運にも右肩を砂がかすりつけ、その一瞬力が抜けてしまったために、吸い付くように走り続けた壁面から遠ざかってしまう。

 丸藤も偶然生まれたわずかなスキを逃すはずもなく、追い打ちをかけるべく新月の上から覆い被さるようにして位置取ると、攻撃の構えを取った。

「喰らえ! 《砂塵の……デザート・》!」

 右手を攻撃対象にねじ当て、そこから巻き起こる竜巻に相手を巻き込みつつ、掌底の勢いのままに地面にたたきつける丸藤の必殺技、《砂塵の大竜巻デザート・トルネード》。

 超ショートレンジのために相手に近づかないと使えず、しかもバトルフィールドも闘技場のような地面が砂や土で構成されていないと役に立たないが、決まれば致命傷は無理でも気絶させるくらいは容易い技だ。

 もちろん相手が空中に無抵抗で放り出されるような、稀有な状況がなければ成功しない技でもあるのだが――――。

 その時、この戦闘の一部始終を上から見ていた明は、新月の口元がわずかに緩んだのを捉えた。

「かかったニャア‼」

 空中で仰け反った姿勢だったにもかかわらず、新月はくるっと半回転すると、なぜか異様に伸び始めた尻尾で砂の体を締め付ける。

「あたしに攻撃しようとするとき、かニャらず実体化すると思ったニャ。詰めが甘いニャ!」

「爪だけに、か。悪くない判断だ。だがどうする? 我は砂だからまだしも貴様は――」

「人の心配する前に自分の心配したらどうニャ⁉」

 言いながら、丸藤の身体に巻き付けつつ尻尾を縮めて近づくと、だんだんと実体化してきた足を広げ両脇に抱え持った。そして、落ちた時の衝撃を抑えるためと、丸藤が自分の下敷きになるようにするために、新月は尻尾だけを残して身体を全部上に持っていった。

 壁から遠ざかる力はとっくに失われ、後はそう高くない地面にフリーフォール。

 プロレス技を知らない彼女が、なんとなくの思い付きでやってみた必殺技。


「《あたしにCAT TAILてるわけニャいでしょプレス》‼」


 ズドーン! という盛大な音と共に、丸藤の身体は地面に一部埋まった。

 傍から見ていた男子たちは、「いいなあ騎乗位」「俺も尻に敷かれたい」などと好からぬことを仄めかし、女子は女子で「ナイスファイト!」「不潔野郎は滅びる運命にあるのよ」など、新月に対する激励や丸藤に対する不満を露わにした。

「……ちょうど五分くらいか……そこまで! 今回は新月の勝ちだな。以上で今日の模擬試合を終了する! さあ、早く帰らんと食堂埋まるぞ! 行った行った!」

 見切りをつけた教師は、まだ立ち去らない生徒たちを急かす。

 試合を終えて更衣室に戻った新月は、身体を淡く光らせて猫娘のようだった格好を消して元の体操服姿に戻っていた。


「すごい……!」

 僕は先輩たち二人の戦いに、身に覚えがないほどの興奮を覚えた。

「だろ? 『変身』を使いこなせれば、ここまでのことが出来るようになるのさ」

 自慢げに風間さんは言う。

 僕が昨日発現したのは、自己防衛本能が働いてよく言えば運よく、悪く言えばまぐれでできたに過ぎない。だから無意識のうちに本意じゃないことが次々と続いてきた。

 でも生で『変身』を使った戦いを見て、あの時きちんと変身して安定して技を発動できていたらと思うと、昨日の僕の行いが悔やまれる。

 そういえばこの人になら聞いてもいいんじゃないかと、僕はまだ自分が認識できていない最後のキーワードについて尋ねた。

「あの、風間さん。もしよかったらでいいんですが……」

「ん? どした?」

「『ヒューマノイド』って何を意味する言葉ですか? 僕それだけよく分かんなくて……」

 すると風間さんは「ハッハッハ!」と高笑いしてから意外そうに言った。

「何だ、そんなことか。さっきまで真綾たちが色々教えてたって聞いたから、てっきりもう全て知ってるもんかと……。まあ教えない義理もないしな。そうだなあ……」

 風間さんは、観客席の後ろにある手すりに肘を立てて何やら考え込んだ後、思い立ったように「よしっ!」と一言口にしてから話を切り出した。

「分かりやすいようにさっきの子たちを例に使うぞ。まず女の子の方、彼女は新月玲れいっていって来年二年生になる明るい子だ。彼女は〝大山猫〟、英語で『リンクス』って言うんだが、その【動物系アニマロイド】だ」

「アニマロイド? 何ですかそれ」

「はあ……やっぱこっからか……」

 頭を抱えてやれやれといった呆れ顔になりつつも、親切丁寧に続けてくれた。

「そもそもの話だが、アバン・シンドロームのなっがい歴史はもう知ってんのな?」

「はい、一応」

「でだ。アバン・シンドロームの力を使って異形になって特殊な能力を得ること、もう覚えただろうが【変身トランス】ってんだが、実は四通りのグループに分けることが出来るんだよ」

「それはつまり、【変身】が四パターンあるってことですか?」

「察しがいいな。その通りだ。で、話を元に戻すが、そのうちの一つが【動物系】ってことさ。【動物系】は文字通り、遺伝子が各種動物とそっくりに変化して、変身中はその動物が持っている身体能力を存分に生かした戦闘が出来るんだ。特徴としては基本的に、変身後はその動物を擬人化したみたいな姿になるんだ。しかもユニークなのは、さっきの彼女もそうだけど変身した動物によっては、普通の会話でも動物らしい言語がよく出ることが多いんだ。猫なら『ニャン』、犬なら『ワン』って具合にな」

「へえー」

「あ、そういや確か、あの生徒会副会長様も【動物系】なんだぜ。俺の口から直接は言えないが、聞いたらきっとびっくりすると思うぞ。『な、何でこんな人が⁉』みたいに」

 そうなのか。一応頭の片隅に置いておこう。南郷さんは【動物系】……と。

「続いて相手をしていた男の方、丸藤京(きょう)っていって玲ちゃんと同じく新二年生。普段はもうちょいやんちゃな奴なんだが、変身中はだんだんオッサン臭くなんのな。初めて知ったわハハハ! で【変身】だが、あいつは【属性系エレメンタロイド】なんだ」

「エレメンタロイド……エレメンタル……属性?」

「そう、【属性系】は地球上に存在する様々な事象現象、あとはゲームでよくある地水火風闇聖といった……ああくっそ! 何て言っていいか分かんないけど、とにかく色んな種類があるんだぜ」

「ほー」

「例えば鉱物になることもできるぞ。金銀銅や鉄に亜鉛に硫黄に、コバルト、タングステン、ウラン、ラジウムとか色々。もちろん合金や化合物みたいなものにもなれるけど、一人一つの鉱物にしかなれない。あとは自然現象とかな。地震雷火事親父、って言うのは半分嘘で、雲とか霧とか雪とか雨とかの天気現象や、溶岩とかもそうだな。火に関する【変身】だって、線香花火みたいなものから太陽のプロミネンスみたいな火力のものまであるし、さっき鉱物の話したけど、同じ鉄でも何千度という高熱を放つ液体の鉄になれる可能性もあるわけだ。もちろん固体、液体ときたら気体もあるぞ。俺の知ってるとこだと、水素とヘリウムはいたなあ。探せばそのうちネオンとか見つかるかもな。あと何言ってないかな……ああそうだ、音や光だ。音は大きさと周波数も人によって違うし、光だって蛍火みたいなものからマグネシウム燃やしたような閃光まで、そりゃあ多いこと。最後に風だ。うちの兄貴はもちろん俺も風の【変身】を持ってるんだ。ただ兄貴と違うことは、兄貴が風を体の周りに溜めて使うのに対して、俺は体の中、要は肺に溜めて口から風を吸ったり吐いたりしてるのさ」

「え? それは酸素の【属性系】とか、二酸化炭素の【属性系】とは何か違うんですか?」

「あーそういうことはあんまし考えたことなかったなあ。でも二酸化炭素はともかく、酸素は用途が違うんじゃないか?」

「何でです?」

「中学で習わなかったか? 酸素には別の物体に自分とくっつけて化学反応を起こす『酸化』って現象があるって」

「あっ、そっか。それには一理賛成です」

 ここまで聴いていくつか思うことがある。風間さんは、この学園で必修のアバン・シンドローム特に関する知識だけじゃなく、言い方は悪いけどやたらと、特に理科に付随する分野の引き出しの多さに驚かされる。

 この人は将来、理系の大学に進んでノーベル賞をとる気なのか、とも思わされるくらいに。

「ちなみに、君の知ってそうな人で言ったら……いや、絶対知ってるか。真綾がそうだよ。確か聞いた話では目の前で見たんだろ? あいつの【変身】。びっくりしたろ?」

「はい、驚きました。無防備な状態なのに襲い掛かる敵の攻撃が体をすり抜けていったりすることとか、透明人間になって自由に行動できたりとか、あんな性格が意地汚い人のものとは今となってはとても口にするのもおこがましいことですが、そうは思えません」

「おーい。漏れてるぞ、心の声が」

 ボソッと言われて身を震わせる。今のは寒気が打ち付けてきたからだ、と肝に銘じて。

「あの二人はよく会うから知ってるんだが、ほかのメンツは学年も二つも離れてるしあんまり知らん。まあ機会があればいずれ見れるだろ」

 で、三つ目だが……と、さらに話を切り替える。

「先に名前から言おう。【職業系プロフェショナロイド】だ」

「また随分と長いですね。プロフェッショナル……ってことは専門職とかその道に優れた人とか、そういう感じの【変身】なんですか?」

「ぶっちゃけそんな感じ。スポーツ選手だったり運転手だったり店員だったり、タレントとかアイドルなんていう戦闘向きとは思えないものまである。面白いのは、そういった現代的な職業だけじゃなく、戦士とか魔法使いとか武闘家に僧侶に賢者、つまりゲームで出て来るような職業にもなれるんだぜ!」

「へー。あ、そういえば郷田って人知ってます?」

「あー兄貴の知り合いの? 知ってる知ってる。確か〝豪打者〟だったな。あの人も【職業系】だよ。だから野球関連で言えば〝強肩〟とか〝安打者〟とかあるだろうし、サッカーだって〝ファンタジスタ〟とか〝守護神〟なんつー聞くだけでかっけーものもあるかもしれん。同じ職業でも、一概に一括りにはできないってことさ」

「そうなんですか……」

 アバン・シンドロームというものは実に奥が深い。みんな発現する可能性はあるのに、全く同じ【変身】を得ることが絶対にないという多様さ。幅広いなんてもんじゃない。

 各々が唯一無二の能力を手にすることが出来るという夢のある話が、かれこれ五百年も前に実現しているというのだから、僕だけが日々進化し続ける世界に取り残されたかのような感覚だ。富国強兵とは違うけど、僕も世界に追いつき、そして追い越さないと。

「そしてお待ちかね。この四つ目が君にとって一番重要な【変身】パターンだろう。それが【人間系ヒューマノイド】だ!」

「ようやくですね」

「全くだ。目の前で言って悪いが君は無知にもほどがあるぞ。自分である程度は考えてみてもいいんじゃないか?」

「ニュアンス的に、人間の身体に関する【変身】だってことは分かりますよ。僕は性別の【変身】ですから、発動させたら身体が女になるんです。と言ってもまだ昨日偶発的になってしまっただけですから」

「その偶然を必然に変えるためにこの学園があるんだぜ。ま、そんな趣旨の話は俺の性に合わないけどな。それこそ学園長からでも聞いてくれ」

「そうですね。でもその割にはとても親切に僕に色々してくれたじゃないですか」

「ば、バカじゃねえの! 俺はただ、てめえがやけに不思議そうな顔してるから……そう、てめえの所為だかんな! これは俺の気まぐれでもお節介でも何でもねえ! ぜってー勘違いすんじゃねえぞ! 分かったらとっとと失せろ! 下であの先公も言ってたけど、食堂は開場して数分で席埋まるんだかんな! 早く行け! 気が散る!」

 人のこと言えるのかなあ。自分だって心の声さらけ出してるくせに。

 でもさっきまでの会話が嘘みたいなツンデレされて、いつまでもここにいるとかえってからかい甲斐はありそうなんだけど、風間さんの堪忍袋を考慮して内心で遠慮する。

 ただ、教えてもらっておいて何のお礼もしないのは、たとえ相手がどんな人間だろうとも人として最低の行いだ。僕は精一杯の感謝の気持ちを言葉に乗せて、

「教えてくれてありがとうございました。それでは失礼します」

 深々とお辞儀をしつつ言った。「おう」と相槌を打ち、

「真綾の奴に伝えとけ。『てめえの新弟子検査しといたぜ』ってな」

 僕は力士か! というツッコミは、感謝の言葉の後に言っても無粋だ。

「ああ、それと、最後に言い残したことがある。まあ他人のうわごとだと思って聞き流してくれて構わねえけどな」

 ホント最後まで親切なのかお節介焼きなのか読めない人だなあと思いつつ、聞いてあげないのも心苦しいので言われた通りに聞き流す。


「【人間系】の【変身】持ちに共通する噂なんだがよ。実は変身する前と後で――――」

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