REAL FIGHT

3A章 『神戦』 War Game

 本日未明、突如大勢の武装した人間や、未知の生物が日本に出現した。彼らは複数の場所から次々と現れ、破壊や略奪を繰り返しながら移動し、やがて都市群へと到達する。


 天変地異でも他国からの攻撃でもない未知の侵略者に、日本は大混乱へと陥った。


「おい、見ろよアレ。コスプレだよ! さっきもいたけど、もしかして映画の撮影じゃね?」


 男は鎧甲冑に身を包んだ軍団を指差した。道路を堂々と行進する彼らを迂回すべく、付近の車は速度を緩めて慎重にハンドルを切っていた。がちゃりがちゃりと重厚な物音を立ててはいるが、治安国家と呼ばれる日本において、あの格好はどう見ても本気には思えない。


「どっかのゲームの宣伝じゃないの? でも何か雰囲気とか、目つきヤバくない?」

「面白そうだ、行ってみようぜ!」

「ちょっと、やめときなよ!」


 強い好奇心は警戒心を鈍らせる。彼女の制止を振り切り、若い男は肩をいからせながら鎧の集団へ近付いていった。


「よー兄ちゃん、おっ外人か、気合い入ってんなあ!」


 近寄ってきた男をジロジロと見ながら、兵士たちが兜の奥で、怪訝な顔を浮かべた。


「こいつ……貴族か? 見た目は貧相なのに、身なりだけは豪華だな」

「変な喋り方だな。田舎者か? この世界の人間全員がこうなのか?」


 外見と裏腹に、流暢な日本語で返される。それも「日本語の上手い外国人」ではなく「日本人そのもの」といったレベルだ。しかし言葉が通じる驚きよりも、断片的に聞き取れた侮蔑に、男は腹を立てた。


「んだと? てめえ日本語が出来るからって調子……」


 男が兵士に肩をかけた瞬間、兵士は男の腹部に剣を深々と突き刺し、一瞬にして心臓を捉えていた。あまりに突然の出来事に、遠目に見ていた野次馬は茫然としていた。


「無礼者が。気安く鎧に触るんじゃない」

「があああああ!」


 男の悲鳴と、アスファルトに滴る鮮血。それをきっかけに、周囲の野次馬たちは一斉に散り散りになる。


「あれ本物じゃねーか! 警察! 誰か呼べよ!」

「一人だけじゃない! あいつら……あの集団全員がそうなのか?」


 コスプレ集団が武装集団と判明した瞬間、ある者は携帯電話をしきりに弄りだし、ある者は我先にとタクシーを呼び止める。人気の少ない住宅街や郊外では見られない、集団パニックが巻き起こる。


「あ、あああ……!」


 男を見送った彼女は、感傷よりも早く自身の生命の危機を感じ取り、瀕死状態の男を尻目に全速力でその場を離れた。


「なるほど。『神』といえども血を流し、あっさりと死ぬ。我々と同じ人間なのだな」

「侮るな、あいつらはただの市民だ。警戒を続けろ」


 兵士たちは武器を構えつつ、進軍を再開した。


■■■■■□□□□□


 民間人の死傷者が各地で現れ、駆け付けた警官が応戦するも、幻想の世界からやってきた侵略者には到底適わない。戦闘訓練を積んだ兵士たちはまだしも、空想上の生物でしかなかった魔物の猛威は悪夢としか言いようがなかった。


 街角のテレビでは全チャンネルが一斉に切り替わり、女子アナウンサーが少し落ち着かない様子で喋りだした。


「緊急速報です。現在、一部地域でその、稚拙な言い方で申し訳ございませんが、いわゆる『ゲームや映画のキャラクター』の様な暴徒たちが暴れています。彼らの扱う剣や武器は本物であり、一見怪物に見える巨大な生物は着ぐるみや機械などではなく、実際に人々を襲い、殺傷しているとの情報が入っています。今ライブ映像が届いております」


 画面が切り替わると、ヘリに乗ったカメラマンが、町を上空から映していた。辺りの建物からは火と煙が立ち込め、破壊された乗用車や、倒れたまま動かない警官の姿が見える。


「こちらは現場の上空です。まさに惨劇です! まるでゲームや映画から飛び出してきた様な、ファンタジーのキャラクターが大量に出現し、無差別に人々を襲っています!」


 少し移動すると、警官隊と衝突する巨人の姿が見える。巨人が振るった棍棒の一撃で、警官が二、三人ほど、盾ごと吹っ飛ばされている。一部の人間からは血肉が噴き出しており、カメラマンは咄嗟にレンズを逸らした。


「……失礼しました。今まさに、眼下では戦闘の真っ最中です。少々刺激的な場面が映ってしまう事を、お詫び申し……」


 その時カメラは、空を飛ぶ悪魔を映した。羽の生えた悪魔はヘリコプターに気が付き、どんどん接近する。カメラマンがレポーターの肩を叩いた。


「み……見てください! こ……これは本物です! CGなどではありません! 皆さん、本物の悪魔が今、私たちの目の前に……うわあ!」


 悪魔はヘリコプターに乗り付けると、カメラマンやリポーター、そしてパイロットを爪で切り裂く。


「うるせえ連中だ、奇妙な乗り物に乗りやがって」


 悪魔が外に飛び出し、ヘリを力任せに何度も殴り付ける。力尽きたカメラマンと共に宙に放り出された中継カメラは、都会の街並みをしばらく映した後、衝撃と共に映像を止める。


「あ……」


 スタジオではキャスターを始め、全員が凍り付く。誰もが声を失っていた。


■■■■■□□□□□


「こちら3丁目前大通りにて、例の暴徒と衝突。相手は鎧甲冑に剣を装備。威嚇射撃は効果なく、交戦状態に突入」


 警官はレシーバーを片手に、できるだけ冷静に事を伝えた。


「警棒、相手の鎧には通じず。やむなく発砲を許可する。数発で何人か鎮圧するも激しい抵抗を受け、何名か殉職」


 状況を伝えながら必死に周囲を見渡す。こちらに脅威がないと感じ取ったのか、鎧に身をまとった屈強な男たちがじっくりと距離を詰めてくる。


「繰り返す。今の装備では連中に歯が立たない。速やかに増援を、あるいは特殊部隊の要請を……」


 言い掛けた所で、背後から叩きつけられた剣の一撃が、警官の胴と首を離した。度重なる殺人を前にしても、日本人には未だこの現状を受け入れられない。また周囲から悲鳴と絶叫がこだまする。


「何だ、もう終わりか?」


 多数いた警官隊を鎮圧し、戦士たちは高らかに叫んだ。自分たちを中心に形成された血のサークル、確かに神々が使う銃は脅威であったが、肝心の使い手は実に貧弱であった。


「こ……こちら長谷ながたに隊全滅。拳銃や警棒では歯が立ちません。至急応援を……」


 破壊されたパトカーの陰に隠れ、若い警官が声を震わせる。歯がガチガチと鳴り、思うように喋れない。


 自分たちのしてきた事がまるで通用しない。逮捕術として習った空手や柔道を、鎧武者相手にどう使う? 弾数も少ない拳銃で、鋼の甲冑をどう貫く? 周囲の民間人の視線が、更に自分を追い詰める。


(あんたたち……代わりに戦ってみるか? 警察は軍隊じゃないんだぞ?)


 なまじ同僚や先輩が次々と散る様子を、自分は最後まで冷静に見届けてしまった今、結論は一つ、自分が行った所で無駄死にするだけである。しかし公僕である以上、民間人を見捨てて逃げ出すわけにはいかない。


 導き出される結論は、あの分厚い刀身の剣で叩き切られる自分の姿だった。日本刀とは違う切れ味の悪そうな刃物、鈍器にも近い鉄の刃。おそらく即死じゃないぶん惨たらしい最後を迎えるであろう。


(くそっ、そんなに俺が死ぬのをみたいか? 何ならパトカーで突っ込めってか? それしかないってか!? くそっ、くそが、くそが!)


 半ば自暴自棄になってパトカーに乗り込もうとしたその時、群衆が騒ぎだした。人の波をかき分け、一人の老人が前に出る。


「鎧……こいつも敵か?」

「まさか、爺さんだぞ? どう見ても日本人の……」


 理性を取り戻し、若い警官は何とか鎧に身を包んだ、奇妙な老人を止めようとする。


「ち……ちょっとお爺さん! そんな格好して、危ないですから!」


 そう言って警官は老人の前に立ちふさがるが、老人が片手で警官の胸ぐらを掴むと、物凄い力であっけなく、それこそタンスを移動させるかの如く、体ごとどかされてしまった。


「安心せい。こう見えても勇者で通っておる」


 そして老人は躊躇なく、そのまま戦士たちの元へ歩み寄っていった。


■■■■■□□□□□


 見れば見るほど、その老人は異様な格好をしていた。西洋の鎧甲冑だけならまださも、背中には『鉄の塊』としか形容出来ない、四角い巨大な無機物をロープで括り付け、腰に差した剣は鞘ごと丸みを帯びており、殺傷能力の欠片も感じられない、冗談の様な造形をしていた。


 だからこそ戦士は、一見自分たちと同族に見えるが、まったくもって得体の知れないゴウトを見ると、自然と鼻で笑った。


「おいおい爺さん、その変な剣でやるつもりか?」

「いいや。お前さんたちにゃ……」


 ゴウトは足元にあったマンホールの蓋に手を掛けると、雑作もなく軽々と持ち上げた。野次馬からは驚きの声が上がる。戦士たちはその歓声を、精々「自分たちの代わりに戦ってくれる救世主」ぐらいにしか考えなかった。


「盾か? 剣も使わず俺たちとやりあうと?」

「ああ、そのつもりじゃ」


 そう言ってゴウトは、若干持ち辛そうではあるものの、軽々と蓋を振り払った。蓋は戦士の兜に直撃し、そのまま衝撃で倒れる。突然の事に談笑していた仲間たちが、目の色を変えてゴウトを見た。


「な……何をした!?」

「何を驚いておる。金槌で殴られでもしたらこうなるじゃろ」

「金槌だと? そんな小さな盾で殴り付けただけで、ああなっただと?」

「盾? まあ盾と言われれば盾じゃな」


 相手が怯んだ隙に、ゴウトは蓋を持って突撃した。戦士たちは慌てて剣で防ごうとするが、予想以上の蓋の重量と、振り下ろされる速度に、誰一人防御出来なかった。


 もちろん攻撃に転ずる者もいたが、ゴウトの怪力から発せられる攻撃は、その場の誰よりも速かった。誰もゴウトへの攻撃に間に合わなかったのだ。


「馬鹿な! 何て速度と威力だ……」

「マンホールの蓋ってのは、車や人が通っても大丈夫な様に出来てるんじゃ。そりゃあ重くて頑丈よ」


 ある者は剣を折られ、握り手の手首を骨折し、甲冑ごと体内を破壊される。僅か数分にして、辺り一面は死者とも瀕死とも区別の着かない戦士たちで埋められる。


「ば……化け物が!」


 一人残され、戦力外と分かった男が、慌てて逃げだそうとする。しかしゴウトは追い掛ける事無く、フリスビーの様に蓋を構えた。


「飛び道具にもなるしな」


 水平に投げ放たれた蓋は、戦士の背中に食い込むと、ゴオンとお寺の鐘を鳴らすような音を立て、戦士の命を奪い去った。


「おーい、そんな所にいたのか」


 群衆をかき分け、キオとメラとベルがゴウトの元へ駆け付ける、さっきまでの戦闘に、彼等の恰好と、野次馬は次々と起こる事態に頭が追い付かない。


「まったく、人助けは結構だけどよ、元凶を断たないと意味ねえぞ」

「準備運動みたいなもんじゃ。少し戦ってみたが、あちらと変わらず、ゲームキャラとして戦えるみたいじゃの」

「みたいだな。オレも体が軽くて、あの信号機ぐらいなら飛び乗れそうだ」


 しかし振り返ると、野次馬たちは怯えた目でゴウト達を見る。敵、味方の判別ではなく、あくまでも自分たちとは違う、「脅威」としての視線が痛かった。


「結局、オレらも怪物には違いないんだな……」


【だからこそ、あなた方だけが彼女らに対抗出来る、唯一の『キャラクター』なのです】


 ゴウトたちの頭に邪神の声が響く。かつての巨体は見る影もなく、今やゴウトの背中に収まる小型パーツに過ぎないが、通信能力は生きている様だ。


「そういや、結局この境界線ってどうなってるんだ? 何だか広がっている様に見えるが……」


【あなた方がこの世界に置いた三つの水晶玉、あれが今この世界とあちらの世界を結ぶ扉となっています。三天使は水晶玉を持ち、それぞれ互いに離れる様に、遠方へ移動しているはずです】


「と言うと、ぼくの家とおじさんとお姉ちゃんの家?」

「その広がる三角形から、次々ゲームキャラが来るってわけか……ヤバいな」


【幸い、境界線を広げるには時間がかかります。それと一人でも倒せれば範囲も減りますが……】


「各個撃破か、一人一人相手にしていたら時間が掛かるぞ」

「全員倒すさ。護衛を先に潰して、最後に女神で締めだろ? でもその前に……」


 ベルは一転して、深刻な表情で訴えかけた。


「……一度家に帰らせてくれ。妻に会いたいんだ」


 ゴウトは顔を見合わせた。メラもどこか浮き足立った表情を浮かべている。


「三天使は、ワシらの家を起点に移動してるんじゃろ? なら家に帰らなきゃ話は始まらんな」


■■■■■□□□□□


(これは塔……? 高い! 神が作るものには際限が無い!)


 都内某所。女性は建築途中のタワーを見上げた。その突き抜けるような高さは、まるで天まで手が届きそうだ。自分たちのいた世界でもそうそう見られないような高層建築を前に、彼女は無意識の内に両腕を精一杯掲げる。


 周囲の人間は彼女の無邪気な行動、そして古代ギリシャ人のような、古風ながらも神秘的で気品漂うローブ姿、何より顔や体と全体的に整った、圧倒的な美貌につい見惚れていた。


「よう、一人かい?」

「その格好じゃ冷えるだろ、俺たちが暖めてやるよ」


 ある種の勇気か、あるいは空気の読めない人間か。そんな彼女に二人の若者が声をかける。彼女はまったく瞬きせず、見開いた両目で二人を注視した。


「お、お、どうした? まんざらじゃないって顔して……」

「なるほど。顔も醜ければ、見ず知らずの人間に気安く口をきく……あなたは人間に相応しくないですね」


 予想外の反応に二人は戸惑った。ナンパ慣れ云々ではない、断る所か真っ向からの攻撃意思まで見える。それに感情がまるで籠もっていない、冷徹な口振りに男たちは猛烈に腹を立てた。


「ああ!? 何だとこの……」


 男の言葉を遮る様に女性が手をかざすと、男は見る見る内に顔が豚になっていく。男は一瞬何が起きたか分からなかったが、重みで沈んだ頭が水溜まりに向くと、自分の顔の変化に気付いた。


「ぶ……豚? 豚ぁ!?」


 もはや人語を話せなくなった相方を見て、男は「豚」としか言えなかった。


「人間とは至高の生物、ゆえに神の姿を与えられた高等種です。あなた方に神を名乗る資格はありません」


 女神がもう片方の男を睨み付ける、男は恐怖で身動きが取れない。


「神に軽々しく話し掛けた罪は重い。品位も正義も無いならば、あなたも人を辞めなさい」

「ま……マジかよ? 冗談だろ!?」

「私は冗談も嫌いです」


 逃げ出そうとするよりも早く、男は猿の顔に変えられると、奇声を上げながら街中へと消えていった。


(神々の世界……やはり迎合させるには、一度作り直す必要がありますね)


 女神は塔の頂上を見上げると、大地を蹴り、一気に飛び上がった。


■■■■■□□□□□


 ゴウト一向は分かれて行動を開始する。キオ、メラ、ベルは家族との再会と、そして境界線の拡大を阻止すべく、三天使の元へ向かう。


 魔王は、こちらの世界に来るなり「やるべき事がある」と早々に立ち去ってしまった。折角チームを再結成したと思いきや、また解散になる。それでもゴウトは目的をしっかり見据えていた。


【女神にはとっくに私たちの復帰は知られています。先程の戦闘もそうですが、『浄化の剣』だけは隠し通さなければなりません。残された勝機は奇襲の一点に尽きます】


「つまり、脇道逸れずに本体を直接叩くんじゃろ? 分かってるって!」


 ゴウトだけは女神を見失わない様に、邪神と共に追跡を始めた。二人一組で作られた機械の神は、互いに位置を感知し合えるようだった。


「ゲームの制作ツール?」


 追跡の間の雑談がてらに、邪神がゴウトの問いに答える。


【私たちは二つで一つ。その世界を構築し、環境を操作する力を持っています。今は彼女が『創造』の女神を、そして私が『破壊』の邪神を担当しています】


「よく分からんが……それはゲームの話じゃろ? ここは現実じゃ。平面的な世界が、現実に来れるものなのか?」


【間違えているようですが、あなた方が旅したあの世界も、確かな現実ですよ】


 邪神の返しにゴウトはますます混乱する。


「馬鹿な。現にワシらの肉体は、冒険中ずっと眠っていて……」


【ですから、今もあなた方の本体は、家で眠りについたままです。『魂』といえば分かりやすいでしょうか、情報データだけが抽出され、仮初めの肉体にコピーされ、あなた方は半立体的な『ゲームキャラ』として活動しているのです】


「データ? じゃあ今侵略してる連中も、あんたも女神もデータというのか!?」


【極論を言えばそうです。そして今、彼女はこの世界のデータをも書き替えようとしています。かなりの力業で】


 機械工学やコンピュータの知識なんて無いが、いくら何でも荒唐無稽な話だと、ゴウトは理解していた。実体を持たない相手に世界は蹂躙されているのだ。


「あり得ない! そんな……」


【もちろん、今この世界の科学では不可能です。ですから無理に理解してもらわなくても結構ですが、それでもゲームは続いています。それだけは御忘れのないように】


「ゲーム……」


【はい。無差別参加型にして、死の危険性のある、等身大のロール・プレイング・ゲームです】


■■■■■□□□□□


 ドアのインターホンが鳴ると、斎藤和代さいとうかずよは思わず身体を硬直させた。


 街ではとんでもない暴動が起きているが、意識不明の夫を残しては逃げられない。そしてつい先程、武器を山程背負った大男が、夫の傍の水晶玉を奪っていったのだ。


「あんた、この男の伴侶かい?」


 全身武器で身を包んだ、全身殺意の塊のような大男の問いに、和代は恐怖のあまり、微かに頷く事しか出来なかった。次に男が「悪いが、こいつはもう戻れない」と言った瞬間、和代は身体中の力が抜けていくのを感じた。


「戻れないって……?」

「この男はとっくに死んだ。ここに残されたのは、ただの肉の塊だ」


 今まで常に抱いていた不安が、明確な絶望として襲い掛かる。身動きがまるで取れない。金縛りにあうような全身の硬直が、水晶玉の強奪を許してしまった。


 ゲームをした途端、昏睡状態に陥った夫。その一因かもしれない水晶玉、それをみすみすと渡してしまった。しばらくそれだけを後悔し、涙が枯れるまで泣き続けていた。


 つい、先程までは。


(誰かしら……)


 和代はしばし冷静さを取り戻す。ドアは大男が壊してしまった。ただの強盗なら、わざわざインターホンを鳴らすだろうか? 護身用にフライパンを握り締め、恐る恐る玄関のモニターを確認した。


「和代? 無事か!?」


 和代はその姿と声に驚愕した。


「よ……陽平さん?」


 モニターに映る夫は、TVに映し出されたゲーム世界でベルとして旅をしていた夫そのものだった。発せられる声や口調も本人としか思えなかった。だが……。


(この男はとっくに死んだ。ここに残されたのは、ただの肉の塊だ)


 ふと大男の話が頭をよぎる。夫の死は認めたくないが、肉体があそこに残っているのも事実だ。ならば目の前の、奇異な格好した夫と瓜二つの男は一体誰だ?


「……陽平さんは二階にいます。あなたは偽者よ!」

「偽物か……まいったな。そらこんな格好だし、説得力ないよな……」

「そんな事ではありません! あなたは、あなたの体は……」


 確証が欲しかった。本物であるという確固たる証。生年月日や経歴といったデータではない、本人だけが口に出来る『証』を。


「……『僕の時間を半分あげます。だから、あなたの時間を半分ください』だっけ?」


 陽平はやや照れながら言った。


「あ……!」

「え? 間違ってたらゴメン! でもちょっとした言い回しとかなら……」

「陽平さん!」


 和代は玄関へ走りだす。それは忘れもしないプロポーズの言葉、二人だけが知る絆の『証』だった。


■■■■■□□□□□


 メラこと鈴木純子すずきじゅんこは寂れたアパートを見上げる。自分の部屋宛ての手紙受けを見ると、チラシが大量に詰め込まれていた。


(あいつ……家から出てないのかよ)


 呆れる反面、どこか可笑しさを感じると、純子はニヤニヤしながら階段を上り、壊されたドアの前に立った。


「ただいま」


 いつもの様に、仕事帰りの感覚で告げる。驚く程に自然と出た言葉は、そのまま相手にも伝染した。


「おお、おかえり……って純子ぉ!?」


 途中で声を裏返しながら、部屋にいた佐山亨さやまとおるは、入ってきた純子を見て、慌てて傍で寝ている純子を見た。服装こそ違えど明らかに同一人物だ。


「え、あ? 純子が二人!?」

「なるほど。オレは本当にゲームキャラなんだな」


 純子は好奇心のあまり、亨を無視して、寝たきりになったままの自分の体をペタペタと触る。


「お、おお……我ながらエロい体つきしてんなあ……良い形してんなあ!」


 間違いなく一生に一度の体験だろう、純子は興奮のあまり、何故だか胸や恥部を容赦なく弄り、その様相を亨は呆然と眺めていた。


「は! こんなバカやってる場合じゃねえ。亨、誰か来なかった?」

「へ? ついさっき、すげー美少女がドアぶち壊して、水晶玉持ってったよ……」


「美少女」という言葉に、純子が一瞬動きを止めた。


「美少女……ああ、あいつね……わかった」


 メラは立ち上がる前に、亨の顔を睨み付けた。


「で、今、美少女って言ったわね。ねえ、私とどっちが美人なのさ? はい3、2……」

「純子だよ! 一々聞くなよ!」


 亨の即答に、純子はとびきりの甘い笑顔を作っていた。


「そっか、ありがと。大好き。本当に」


 純子は亨を力一杯抱き締めた。


「……亨はこんな状況でも、私が私って認めてくれるんだね」

「そりゃあ、純子は純子だろ。一方的なのも、二人きりだと『オレ』じゃなくて『私』になるのも、他に誰が……」


 言い掛けて、亨の言葉はメラの唇に遮られた。二人はそのまましばらく静止し、やがて息継ぎするかの様にメラは顔を離した。


「……今はこんな、ペラッペラな体になっちゃったけど、もうじき終わるから待っててね」

「心配すんな。濡れタオルで毎日体拭いて待ってるから」

「ありがとう。本当に……」


 純子は、この幸せな時間がいつまでも続けば良いと思った。だがこのままでは闘志が削がれてしまう。


(美少女か……女神もろともぶちのめす!)


 メラは杖に腰をかけると逃げる様にして、そのまま窓から飛び去っていった。


■■■■■□□□□□


まなぶ! もうこんな危険な事は止めなさい!」

「だーかーら! ぼくたちしか戦えないんだってば!」


 フワフワと宙を浮く学を、香は必死で追い掛ける。やっとの事で家に帰ってこれたら、まるで「こんな夜遅くまでどこで遊んでいたのか」といった感覚である。


「お父さんもいないけど、まだ戦う気なんでしょ! たった二人で何が出来るのよ!?」

「二人じゃないよ! 四人……いや、もっと多くの人の命を背負って、ここまで来てるんだよ!」


 学は地面に足を着けると、香の手を握り顔を見つめる。すると香の目には、学の顔にもう一人、少女の顔が透けて見えた。


「……この子は?」

「ぼくが演じてるゲームキャラ。死んだぼくに命をくれた、大切な子だよ」

「ゲームキャラ……心があるの?」


 学の体で、キオが静かに頷いた。


「外で暴れてる人たちは、浮かれて興奮しているだけ。この子みたいに、元の世界へ戻りたいキャラもいるんだよ」

「皆さんにはご迷惑をおかけしております。私たちが神々の世界に踏みいるなんて、本来あってはならない事なのです」


 学の口からキオの声が聞こえる。香は驚き、学を見つめた。


「あなた……名前は?」

「竜人のキオです」

「そう……キオちゃんね。一ついいかしら、今起きている事を、あなたたちは止める事が出来る?」

「女神様を倒し、全てを元通りにします。その為に私たちは来ました」

「ゲームキャラを倒すには、やっぱりゲームキャラだけなのね……分かったわ」


 香は学の肩を掴んだ。


「キオちゃん。この子、たまにムチャするけど、よろしく頼むわね」

「はい!」

「学も、男の子はちゃんと女の子を守らないとダメよ」

「うん!」


 そして学とキオは、水晶玉を奪っていったという「帽子の男」を追って、家から飛び出していく。急に静けさを取り戻した空間で、香は椅子に腰を掛ける。


「止めなくてよかったのか?」


 振り向けば夫の姿があった。一連の騒動に気圧され、出る機会を伺ったまま、彼は黙って学を見送っていた。


「あれは無理よ。子供のワガママじゃない、ちゃんと目的があって、それを果たそうとする目だった」

「そうだな。しばらく見ないうちに一皮剥けた、って様子だったな」

「きっと、あれが『経験値』なのよ。ほんの一瞬、学が頼もしく見えちゃった」


 そう言って、香が嬉しそうにはにかむ。彼女の中に希望が生まれた瞬間だった。

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