23章 『死守』 Perfect Guard

 譲れないものがある。渡せないものがある。命をかえてでも守るべきものがある。


 どれだけ傷付いても、どれだけ恥辱に塗れても、人には侵されてはならない領域がある。


 触れてはならない。越えてはならない。あなたが想像出来る中で、更に重く見なければならない。


 もしそれを、誰もが持つ『最後の領域』を侵そうというのであれば、心して掛かるべきだ。


 それは今までに体験した事の無い、壮絶な戦いになるだろうから。


■■■■■□□□□□


 ドーラは思った。日常として繰り返される子供たちの無邪気な質問、何故あの場に『邪神』なんて単語が出てきたのだろうと。知っている人間は僅かにいるが口外は固く禁じている。第一子供に教えようなんて事はあり得ない。


(あんなものは知らなくていい。知った所でどうにもならない)


 ドーラがまだ先代国王の娘だった頃、世界を壊す邪神に絶望する人々に微かな希望が舞い降りた。邪神と対を為す程の存在、唯一対抗出来る善なる者、『神』の出現である。


 それは人に似て、女性と判別出来る容姿から『女神』と呼ばれた。そんな女神は邪神を倒す手段を人間に与えてくれた。


浄化じょうかの剣』と呼ばれる巨大な聖剣。まるで神殿の柱と見紛う程の質量を持ち、屈強な大男が二人がかりでようやく担ぎ上げられる、『大剣』と呼ぶにしても抵抗のある実用性皆無の巨大兵器。しかし神に与えられた唯一の武器であり、人々はその威力を信じるしかなかった。


「神を殺すには、同じく神の力しかない」。かくして各国と全種族が総力を尽くす『神殺し』が始まった。


 世界の命運をかけた神殺しは実に原始的なものであった。邪神の力を出来るだけ消耗させ、僅かではあるが身動きを封じた一瞬、選ばれた二人の屈強な男が聖剣を抱え、女神の指示通り崖の上から邪神の首にめがけて飛び降りる。剣が邪神の体に深々と突き刺さると、金属音にも似た悲鳴が大地を揺るがした。


「神が……苦しんでいる……」


 全種族の注目を集める中、邪神はみるみる内に動きを静止し、剣は衝撃に耐え切れず三つに折れてしまった。


【いずれ邪神が復活する時、剣は自らの意志で再生するでしょう。その時まで大切に保管してください】


 女神は邪神の再来を告げると、役目を終えたように姿を消した。残された地上の人々と魔族たちが手に入れたのは、邪神を殺す事が出来なかった「不完全な平和」だった。


 それから各国の権力者たちは、邪神の体を隠す様に周囲を巨大な防壁で覆い、四方に監視塔を造り上げた。そして剣は、いつかまた共に戦う日を誓い合い、最も果敢に戦った三国が分けて持つ事になった。


(あれから数十年……剣はまだ再生しない。なのに……)


 ドーラが先代国王から受け継いだ『浄化の剣』の刀身に触れた瞬間、地上から地響きが伝わってくる。


 今一度ドーラは思った。何故あの場に『邪神』なんて単語が出てきたのだろうと。


■■■■■□□□□□


「魔族!? 何でこんな場所に……」

「騒ぐな、と言っても無理な相談だろうが、誰も傷つけたくないのなら大人しくした方が良いぞ」


 とても静かな侵略だった。先日のエルフとの戦いに生き残った猛者を少数引き連れ、魔王は村へ訪れた。


 魔王の言葉に誘われる様に、村人は不思議と抵抗しなかった。迎撃出来る様な相手では無かったし、半端な攻撃を仕掛けて逆鱗に触れてしまう事を恐れた。村の男たちは武器こそ構えてはいるが、それを振るう気力が奪われていくのを感じた。


「私は魔王テラワロス。別に皆殺しとかが望みじゃない。要件さえ済めば帰る」

「要件だと?」

「ああ。まずは村長であるドーラと話がしたい」


 その名前を出されると、村人は一瞬言葉を詰まらせた。そして半ば強制的に、不利になる言葉を紡ぐしかなかった。


「ドーラ様は……行方が分からない」

「分からない? あなた方の上に立つ人間だろう。この期に及んで『分からない』は無いんじゃないのか?」

「本当だ! 嘘じゃない……」


 自分から村の最有力者を差し出すのは義に欠ける行為だが、村への被害を考えれば隠すわけにはいかない。なによりこういう時は自ら出向くのがドーラの流儀だ。しかしそれを踏まえても、ドーラの行方が分からないのは本当だった。


 魔王が来た事を知らせに行った者はいたが、小屋は無人だった。そして地下室の存在を知る者はこの場にはいない。ゆえにドーラは行方をくらました事になる。


「かくまっているのか? 気は進まないが、少し手荒になるぞ」


 魔王は無造作に小屋を指差すと、そこに部下である巨人を向かわせた。大きな地響きを立て、中から隠れていた村人が慌てて飛び出す。


「やれ」


 そう言って魔王は合図を送ると、巨人は掛け声を上げて棍棒を振り下ろした。木造の小屋は脆く、一撃の元に粉砕されてしまった。


「止めろ!」

「止めないぞ。それと他に隠れている奴がいたらすぐにでも出した方がいい。私は徹底的にやるからな」


 淡々と続けられる家屋の破壊に、村人は言葉でしか抵抗を許されない。


「止めてくれ! ドーラ様の行方は本当に分からないんだ!」

「そうか、ならお前たちも探したらどうだ。家を壊されたくないのだろう?」


 そう言われると村人たちは固まった。さっきも言った通り、村長の行方は本当に分からない。捜索をしようにも出来ないのだ。


「何もないなら、そこで黙って見ていろ」


 魔王は引き続き村の破壊を指示した。あえて破壊という行動を選んだのは、ドーラという人間がかつて一国の主であり、その強い正義感と使命感を買っての事だった。


(周囲は部下に見張らせている、逃げ出した人間は誰もいない。まだここにいる可能性は高い……)


 魔王の読みはほぼ当たっていた。ドーラは地上の様子を把握した上で、潜伏を続ける。


 地下室とはいえ、剣を隠す為だけに掘られたこの空間は、地上とはそう離れていない位置にある。村人の悲鳴こそ聞こえないが、断続的に聞こえてくる耳障りな音と地響きが村の襲撃を知らせていた。


(皆が……しかし今出ては……)


 出れば確実に見つかる。そして直感だが、連中の目的はおそらくこの剣の欠片だ。ならば尚の事出るわけにはいかない。ドーラは非情に徹する覚悟を決めた。


(出たら間違いなく聖剣が奪われる……しかし……)


 その時、一際大きな破壊音が頭上から聞こえた。


「ほう、地下室か」


 粉々に吹き飛ばされた小屋の下、僅かな瓦礫の中、床に人工的に取り付けられた戸を発見した魔王は、部下の魔物を一体向かわせた。


(見つかったか。もうじき敵が来る、戦うしかない)


 ドーラは懐から短刀を取り出す。まだ自分が王家の一員だった頃、父から授かった宝剣である。ファスト国との戦争に敗北し、ありとあらゆる宝を捨て逃げたドーラが、唯一肌身離さず付けていた国の最後の宝でもあった。


(父よ、母よ、そしてツアルを率いた誇り高き先人たちよ。どうか私に、今一度力をお貸しください)


 そしてドーラは短刀を鞘から抜き出すと、床に刺さったままの巨大な刃を見据えた。


 破壊された家屋、その床から現れた引き戸を開くと、人一人がやっと通れそうな穴に梯子が通してあった。魔物の中でも比較的細身であるリザードマン(トカゲ人間)が選ばれると、剣と盾を構え穴へと飛び降りる。


(薄暗いな……物置にしてもやや狭いが……)


 魔物は周囲を見渡す前に、暗闇の中で微かな光りを見つけた。近づくとそれは巨大な刃であり、魔物は思わず剣を収め、立ち止まって手を伸ばした。


(これは……!?)


 丁度魔物の背後に隠れていたドーラは、両手で短刀を持ち、渾身の力を持って魔物に体当たりをした。剣はリザードマンが着込む軽装の鎧を避け、生身の腰に突き刺さる。


「ぬ?」


 少し前のめりな体勢になった後、その衝撃で手を巨大な刄に少し当たる。老婆の渾身の力も、屈強な肉体を持つ魔物には微々たる痛みでしかなかった。


 魔物は動じる事無く、刺された短刀を引き抜き振り返った。見れば小さな老婆が険しい表情でこちらをにらみ返す。


「……貴様がドーラか?」

「ああ、私がドーラだ」

「抵抗は無駄だ。大人しく魔王様の前へ……」


 言いながら、魔物はどこか体が痺れる様な感覚に襲われていた。先ほど刄で切ってしまった指、その小さな傷がまるで燃え上がる様に熱く、今にも全身を焦がしそうになる。過去のどんな戦いでも味わったことのない、未知の感覚に魔物は気が気でなかった。


「魔王様……待て、お前は誰だ?」

「ドーラだと言っている」

「ドーラか、ならばドーラ、私は誰だ?」


 思考が続かない、うまく言葉が出てこない、何もかもが分からない。傷の熱さが思考を鈍らせ、魔物は頭を抱えフラフラとよろめく。


「私は誰だ……いや、お前は誰だ……違う、私は……」

「そんなの知った事か。上の連中にでも聞いてみるんだな」

「上に……私を知っている誰かがいるのか……!?」


 何かがもうすぐ消えてしまう、そんな焦燥感が魔物を一層苛立たせ、ドーラに言われるがままに魔物は天井に体を打ち付け、地下室を壊しながら外へ飛び出した。


「イミフ! どうした? 地下に誰かいたのか?」


 仲間の声がリザードマンに更なる混乱を呼ぶ。


「……イミフ? どういう意味だ? お前は誰だ? 私を知っているのか?」

「イミフ? 何を言って……」

「答えてくれ……答えてくれよ! 頼むよ! 俺の分かる言葉で!」


 地下から出てくるなり、奇声を上げながら剣を振り乱すリザードマンを見て、魔王は慌てて攻撃を命じた。


■■■■■□□□□□


「ドーラ様!」


 地上で魔王軍が同士討ちをしているのを見計らい、村の若者が一人、地下室へと飛び込んだ。


「こんな所に隠れて……ご無事ですか?」

「迷惑かけるな……状況は?」

「どういうわけか知りませんが、地下室から飛び出した魔物が暴れています。この隙に早く!」

「そうだな、今しかない……」


 ドーラは若者の肩を掴むと、そのまま聖剣の欠片へ体を向かせた。


「お前はこの剣を持って逃げろ。場所が知られた以上、ここでは守り切れない。とにかく人の多い所へ運べ、少なくとも魔族には渡すんじゃないぞ」

「……どういう事ですか? ドーラ様は? 早くここから逃げないと……」

「おそらく連中は、目的の品定めが出来ていない。私を探しているのが良い証拠だ。少しでも時間を稼ぐ間に、出来るだけ遠くへ行け」


 ドーラの的確な指示は、たった一点のみを除いて若者の耳へと届いた。それを若者が聞き入られなかったのは、守るべき対象がドーラではなく見ず知らずの剣であった事だ。


「出来ません! 何故こんな得体の知れない物の為に……」

「時間が無いから手短に話すぞ。あいつらの目当てはその剣だ、そいつが手に渡ったらこの世が終わる。それだけは防がねばならん」

「出来ません! あなたを失ったら、この村はどうなるのですか!?」


 会話が一向に噛み合わない。若者はドーラの言い分が理解出来ず、ドーラもまた言う事を聞かない若者に手を焼いた。やがてドーラは大きな溜め息を吐くと、若者を強く睨み付けた。


「……私はこれから表に出る。注意を引き付けている間に、お前は反対方向から逃げる。いいな?」

「ですから!」

「許せ」


 話の途中、ドーラはいきなり若者の肩を掴んだまま、剣に向かって体を押し付けた。刄が胸に食い込み、痛みで悶絶する若者に、ドーラが囁く様に告げる。


「お前は剣を持って村を出る。命ある限り剣を守り、走り続る」

「出来ません……出来ません……出来ま……」

「出来る。急ぐんだ、自分が消えてしまう前に」


 フラフラしながら、独り言を呟く若者を放置し、ドーラは梯子に手をかけた。


■■■■■□□□□□


 暴走したリザードマンを止めるべく、魔王軍は彼を徹底的に痛め付けた。まるで死を目前にした様な、何かから必死に逃げようとする彼の抵抗は、常軌を逸したものだった。


「魔王様! ダメです! こいつ完全に壊れてます!」

「仕方ない……腕を切り落とせ! とにかく動きを止めろ!」


 致命傷を与える事で、ようやくその動きを止める事は出来たが、それでも彼の目は血走り、涙と鼻水で顔中を濡らし、目に見えない何かを強く睨み付けていた。


(精神魔法でも食らったか? 痛がる様子もない、何かに怯えているみたいだ)

「消さないでくれ! 嫌だ嫌だ。俺は消えたくない。頼む死なせてくれ。消さないでくれ! 消さないでくれ!」


 魔物は先ほどから同じ単語を繰り返し、時に意味もなく並べかえたりしながら、何度も叫び続けている。


「もうすぐ消えちまうよ俺の体が何も残らず誰にも知られずに嫌だ嫌だ嫌DDDDDD


 その時、魔物の体が光を帯びている事に気付いた。そして聞いたことも無い無機質な音をたて、魔物の体が足元から消滅を始める。魔物も村人もただただ唖然としてその光景を見守った。


(何だこれは……死んだのか?)


 この世界での死は二つ、肉体を残すか残さないかだ。神に選ばれた重要な存在なら死後も形を残せるが、そうでない大半の生物は瞬く間に消滅する。そして次の物語で復活するのだが……。


(存在そのものの抹消……まさか「なかった」事にされようとしているのか!?)


 考えるより先に、魔王は咄嗟に魔物の手を掴んだ。その瞬間、魔物は「忘れないで」と小さく呟くと、地面に落とした剣や盾と共に、跡形もなく消滅した。


「……魔王様、ドーラとやらが出てきた様です。連中はより一層抵抗してくるかと」


 部下の魔物が後ろから声をかけてくる。一切抵抗などしなかった村人が、彼の話では既に戦ったあとの様にも聞こえる。


(まさか、イミフとの戦いが、村人に置き換えられたのか? 辻褄合わせのように?)


 魔王は恐る恐る聞いた。


「……お前、今の見ていたか?」


 魔王の問いに、魔物は首を傾げる。


「何か? そう言えば、先程から屈んでおられますが、もしや体調が優れないのですか?」

「いや……何でもない」


 魔王は半開きの手を握り締めると、ゆっくりと立ち上がった。


■■■■■□□□□□


「久し振りだなテラワロス。随分と暴れたようだね」


 ドーラは怖じ気付く事無く、杖も突かずに堂々と魔王の元へ歩いていく。あまりの出来事に、周囲の魔物と村人は思わず息を呑んで見守った。


「オーン……」


 魔王の傍にいた黒竜が、ドーラを見るなり低い唸り声を上げる。ドーラが竜に一瞥すると、まるで蛇に睨まれた様にその動きをぴたりと止めた。


「アインか。心を失っても記憶だけは残っているのかね。酷いな……」

「夜分遅くにすいません。実は『浄化の剣』という物を探していましてね……」

「何だいそれは? 宝探しなら他へ……」


 魔王の問い掛けに答えるドーラは、まさに平凡な老婆そのものである。しかし魔王は平然と続けた。


「とぼけても無駄です。あなたが魔物に振るった、聖剣の事ですよ」


『聖剣』という単語が出てきた時、ドーラの表情が一変した。それは今にも眠りそうな無害な老人の顔ではない、かつて国を率いて、ファスト王国の苛烈な攻撃に抗った猛将の顔だった。その鋭い眼差しに魔王は、思わず一歩後に退いた。


「なら話は早い。お前の部下のリザードマンは私が斬った。認識出来たのは『手を下した者』と『最後に見届けた者』。つまり私とお前だけだ」

「やはり……しかし『浄化の剣』とは一体……」

「そんなに知りたいのか? 好奇心は破滅を呼ぶ事もある。世の中には知らなくて良い事もあるのだぞ」


 ドーラは大袈裟に喋りながら、懐刀を取り出すと鞘を大きく真横に開いた。銀色の刄が月に照らされ、一振りすると冷たい音が周囲に響き渡る。慌てて村人が声を上げた。


「ドーラ様!?」

「最後のわがままだ、私を最後まで信じてくれ。この戦いに勝つには、皆の力が必要なんだ」

「しかし……」

「最善は尽くす、共に戦ってくれ。大切なものを守るために!」


 ドーラの目を見ると、村人は不思議な気分になっていた。あんな魔物たちを相手に勝てるわけがないのに、彼女のやろうとしている事が正しく、それでいて成功する気になってくる。


 優れた指導者や卓越した強者だけが発する、俗に『カリスマ』とも呼ばれる目に見えない気迫は、他者の高揚感を誘い、恐怖を緩和させる至上の麻酔であった。


「女、子供、老人は逃げろ! この村は本日をもって破棄する!」


 ドーラの掛け声で、男たちが一斉に武器を構える。そして怒号と共になだれ込む彼らに、魔王は一瞬恐怖を覚えた。


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「大体よー、何で竜なのに飛べないわけ? 山の中だから? やっぱゲームだから?」

「ベル、黙って歩かんか」


 ゴウトたちはかつて訪れた山頂の村を目指して歩いていた。疲労を感じないとはいえ、丸一日歩き続けると退屈で仕方ない。キオだけ先行させる事も出来たが、魔王軍が動いているとなると、孤立させるのは危険に思えた。


「じいちゃん……じいちゃん! ちょっと来て! ダッシュ!」


 一人元気よく、先頭を歩いていたキオが騒ぎだす。ゴウトとベルは武器を取出しながら駆け付け、そして息を呑んだ。


「……何だよこりゃ」


 異様な光景だった。開けた山道だが周囲の木は薙ぎ倒され、至る所に鮮血が飛び散っている。激しい戦闘、それも多数が争った事は推測出来るが、それにしては負傷者や死体が一切見当たらない。魔物が死亡したなら硬貨や道具が散在してそうなものだが、何一つ残されてはいなかった。


 そしてその血塗れたサークルは、地面に落ちた巨大な刄を中心に形成されていた。ベルが近寄った瞬間、不意に声が聞こえる。


【扱いは慎重に。まかり間違って、それで手を切ったりしないでください】


「その合成音声……女神か!?」


【それが邪神を倒すための武器『浄化の剣』の欠片です。早くそれを持って逃げてください】


 言われてベルは刃を見た。おそらくはこの惨劇の主役であろう巨大な凶器、きっと何人もの生物を切り裂き、いくつもの得物と刄を合わせたであろうその刀身は、歯こぼれ一つ見せていない。


「ちょっと待ってくれ、そんな重要な道具が何故ここに?」

「イベントも何もあったもんじゃねえな。それとも事後か?」


【細かく説明している時間はありませんが、それは女王ドーラが命懸けで届けたものです。あなた方がやるべき事は一つ、それを持って速やかに逃げる事です】


「命懸けじゃと? 一体何が起きてるんじゃ!」


【急いでください。彼女は今……】


■■■■■□□□□□


「……魔王様」

「すまない、今は話し掛けないでくれ」


 結果はとうに分かっていた。いくら相手が必死の覚悟をもって、団結してかかってきた所で、魔族の集団に適うはずが無いのだ。


 ドーラの振るった剣は空を斬り、男たちの怒号は、僅かな攻撃の前に静まり返った。だが……。


(女王ドーラ。どんな状況においても最善を尽くし、あのファスト国王の軍勢を度々退けた名将と呼ばれたが……)


 魔王はドーラの遺体を見た。その顔は勝利に満ちた様に、不敵な笑みを浮かべていた。


(そうだ、この短剣は『浄化の剣』などでは無かった)


 開幕の一瞬、ドーラの剣が部下の体を擦ったのだが、それでも特に変化は起きなかった。他の村人の武器も注意深く見たが、どれもただの刃物に過ぎなかった。


(既に外へ持ち出していたか……読めていたはずなのに、俺は何故見張りも置かずに……)


 見張りに残しておいた部下が聖剣の餌食となり、存在そのものが抹消された事を魔王は知る由もない。そして軍の主力をここに集めてしまった以上、もう追っ手を出す余力はない。剣の行方や効能を尋問しようにも、ドーラは早々に力尽きてしまった。


 魔王はまたしても目標を達成出来なかった。全ては、徒労に終わったのだ。


「オーン……」


 ふと見ると、黒竜が地面に穴を掘り、ドーラの遺体をくわえるのが見えた。


(心はとうに無いはず……記憶が彼を動かしているのか?)


 それを見てか、周囲の魔族も次々と穴を掘り、村人の遺体を丁重に葬り始める。魔王は部下の一人に「何故?」と尋ねた。


「相手が誰であれ、勇敢な戦士には敬意を払うものです。彼らは怖じ気付く事無く、最後まで我々に立ち向かいました」

「勇敢な戦士……」

「何かを守るため、何かを為すために彼らは戦いました。違いますか?」

「……そうだな。彼らは勇敢に戦い、そして勝ったのだな」


 こうして戦って死んだ村人たちの土葬が終わると、魔王は黙って両手を重ねた。文献で見た旧世界の記録、かつて生きていた者を死者の国へと送り出すハンドサインだった。


 この世界で、取るに足らない生命は死んで姿を残す事さえ許されない。死んでもなお原型を留める彼らは、紛れもない「勇敢な戦士」であったと魔王は思った。


 そして、村から逃亡した一部の人々は近隣のファスト王国にて庇護を受ける事となる。こうしてツアルの国から続いたの村はその命を終え、地図から名前を消された。

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