後編 侵食

 葛城さんが帰った先は、廃墟だった。

 次の日の朝、すぐに翡翠にそのことを話した。風神も交えて学校の帰りに直接、その家を調査することになった。

 昨日は尾行に神経を集中していたため、そう遠いとも意識しなかったけれど、地図をみるとその場所は、明日歌の家からも学校からも、だいぶ距離があった。そんな道のりを歩いていたことに、明日歌は今更ながら驚いた。そこで、途中までは、紫根神社に行くときに利用するバスに乗って移動することにした。風神も一緒にバスに乗っていたが、もちろん不可視なため、無賃乗車である。


 紫根神社の最寄りより少し手前の停留所で降りる。

「この道、昨日来たと思う」

「僕も覚えてるよ〜」

 明日歌と風神が道案内をしながら、しばらく順調に徒歩で進んでいたとき。

「おーい! 大変じゃ〜! 大変なのじゃ!」

 見慣れた小さな火の玉がこちらに向かってくるのが見えた。竈神のお爺ちゃんである。何やら慌てた様子で蠅のようにぶんぶん飛び回っている。

「竈神さん、ど、どうしたんですか?」

 明日歌がいち早く反応する。

「お、お、驚かずに聞いとくれ!」

 と言うので、まずは竈神を落ち着かせる。

「何があったんです?」

 改めての問いに、竃神の身体に纏う火が少し陰った。

「実は、朱華小雪に呪印が見つかったのじゃ」

 呪印、とはその名前通り、呪われた際に見える印のことだろう。つまり、全く普通の人間である小雪が、呪いを受けたと言うことか。明日歌はにわかに戦慄した。神様たちがあんなに苦しめられているものだというのに、普通の人間に耐えられるわけがない。

「小雪は高熱を出してうなされておる」

「なんで、小雪さんに?」

「わからぬが、心配なのは小雨のことじゃ。小雨には呪印が見えとるらしい。他の人間には見えないのじゃが。それで、一人で混乱しておる」

 明日歌は翡翠を見た。翡翠は少し迷った様子だったが、竈神の深刻な様子を見て、尋ねた。

「今、家にいますか?」

 先に、彼女のところに行くことに決めたようだった。

「白瀬さん、呪いなら白瀬さんの力が必要になると思います」

 明日歌は素早く頷いた。

「うん、すぐに行こう」


 

「お姉ちゃん、おかしいんです。昨日までなんともなかったのに、今朝になって突然、全身に、刺青みたいな変な模様が浮き上がって、高熱が出て、でも病院で検査してもどこも悪くないって、しかも、しかもですよ!? そんな模様見えないっていうんです。お医者さんも、お母さんも、お姉ちゃん自身にも見えてないみたいなんです! まるで、私がおかしいみたいで……」

 蒼白な顔をして玄関先に現れた小雨が語る。聞けば聞くほどただならぬ様子。明日歌と翡翠は顔を見合わせた。小雨には自覚が全くないまま、人ならざるものの起こす現象が見えはじめている——。それはある意味彼女を孤独に追いやる危うい状況でもあった。

「こんなこと、他人にベラベラ話すのもどうかと思うんですけど、私、どうしていいかわからなくて」

「小雨ちゃん!」

 明日歌は思わず小雨の肩を掴んで言った。

「私に任せて!」

 もしも神様にかけられたものと同様の呪術の類であれば、自分に解くことができるのではないかと思う。しかし、

「し、白瀬先輩?」

 いきなりの申し出に、小雨は慌てたようだった。たしかにまぁ、明日歌が上がり込んで小雪を見舞ったところでどうなるものでもないと、普通は思うだろう。無理もない。だから明日歌はより一層強く言った。

「友達のお姉ちゃんのことだもん、人ごととは思わないよ!」

「友達……。先輩、そんなに私のことを……」

おそらく、いつもならあなたに何ができるんですかと冷たく突き返していたかもしれないが、小雨は気が動転して、藁にもすがる思いだったのだろう。涙ながらに、

「私の話、信じてくれます?」

 と言うので、明日歌は力強く頷いた。

「もちろんだよ! だから小雨ちゃんも、私を信じてね」

 朱華家。明日歌的にはある意味敵陣に乗り込むも同義。そして、今から救おうとしているのは敵対する朱華小雪まさに張本人なのであるが、今はそんなことも言っていられない。

「人ならざるものの力から、人を救うのも神使のお役目。ですよね、龍神様」

 明日歌は自分に言い聞かせるように、小さく独り言をつぶやく。

「小雪のことは、白瀬さんに任せます。俺は風神と、葛城さんの家に行ってみます」

 明日歌は頷いた。

「気をつけてね」

 それからぺこりと頭を下げた。

「小雨ちゃん、お邪魔します」




 大きな道に出て少し歩けば、新しく開発された住宅地が現れる。朱華家もその中のひとつだ。このあたりは特に、古い家が多い。いくつかは空き家であってもおかしくないような雰囲気だ。

 そして、例の廃屋は、高台の一軒家で、雑草と竹林に視界を阻まれて、なかなか人目につきにくい場所にあった。これだけ古くなっても取り壊されずに放置状態なのにも、何か理由があるのだろうか。

「随分古い空き家ですね」

 葛城は幻術を解いたらしく、もう包み隠さず明らかな廃墟に、人の住んでいる気配はない。庭の雑草がいつから手を入れられていないのかもわからない。放置された民家。朽ちた木製の表札は、当然のように文字がかすれていて読めない。

「やあいらっしゃい」


 風が木々を揺らす音のみの世界に、人の声がして、思わず背筋がぞくりとした。


「藤村翡翠くん。久しぶりだね。大きくなったなあ」


 廃屋の中より現れたのは、なんの異常性も持たない、ただの平凡な青年。人間に見えた。小綺麗な身なり。廃墟で生活している浮浪者などでは決してない。だからこそそれは、異様な光景だった。


「やっぱり、あの時の……」


 直感でそう確信した。にわかに緊張が走り、喉が乾き始める。青年は微笑んでいる。敵意は感じられないが、不気味な余裕を感じる。そうだ。あの時もそうだった。


「俺の家族を殺したのはあなたですか?」


 淡々と、突きつけたその問いは、あまりに不躾で、失礼極まりなく、暴言に近かった。けれど翡翠は尋ねざるをえなかった。限りなく正解に近づいている確証があった。


「違うよ」という、否定の言葉を聞くまでは。

 それは翡翠の言葉と勢いを削ぐには十分だった。

 

「生ける屍の僕にそんな力はないさ。僕にできるのはただ歩き、見たものをこの中に記録することだけだ」

 葛城は気の抜けたようにせせら笑いながらそう話すと、自分の首にかかった一眼レフを指した。


「僕はこれで君たち家族を見つけることができた。そこからは僕の仕事じゃない。君の家族を殺したのは神様だよ。君も見ていたはずだよね?」


 まるで他人事のように話す葛城は、しかしとても重大な真実を話していた。


 翡翠は必死に記憶を辿る。だが辿るまでもなかった。髪の長い不気味な女の悪霊。紫根の姫——。


「紫根神社の神?」

 葛城は不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと頷いた。

「この雷神を祟り神にしたのもそれだよ」


 廃屋の屋根の上から鬼の化け物がこちらを見おろしていた。


「雷神……」

 次の瞬間には、それは火花を散らして目の前まで迫っていた。

「翡翠。危ない!」

 雷神の、弾丸のような突撃を、風神は突風で切り返す。それから、吹き飛ばされて上空に舞い上がった巨体に向かって叫んだ。

「翡翠には指一本触れさせないからね! 雷神!」


 蒼い閃光が、再び今度は風神に向かって行く。空中戦になると二人ともそのスピードは尋常ではない。あっという間に、風神は上空遥か彼方へ雷神を誘導し、二つの光は流星のごとくかすかに雲間に見えがくれするだけになってしまった。


「これは復讐だよ、お兄ちゃん。私たち全員の」

 声がして振り返ると、すぐ背後に瑠璃が立っていた。

「瑠璃……じゃない。あなたたちは姿形を変える悪霊なんでしょう」

 もうわかっていたから、落ち着いて、翡翠はそれと対峙した。瑠璃の姿をしているが、彼女はもういないのだ。

「ふふっ、違うよ」

 瑠璃と葛城、否定の言葉を口にしたのは同時だった。続けて葛城が言った。

「それはただの幻であり影。もともと何もないんだよ。だから神ですら気づかない」

 そして、いつからか手に持っていた、丸く平たい物体を掲げて見せる。

「これが僕の神器。幻覚を見せる鏡なんだよ」


「まさか」

 その意味を飲み込むと、翡翠は血の気の引くのを感じた。


「……神使なのですか? あなたも」


「そう」葛城の口元が歪んだ。同胞に会えて嬉しいのか、それとも翡翠を見て蔑んでいるのか、判別は付かないが目は笑っていない。

 

「そういう呼ばれ方だったね。えにしを結んだのは、紫根神社の、紫根様だよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます