第八話 道祖神

前編 交霊

【道祖神の言い伝え】

 まれびと 厄憑きて彷徨ひける有り。

 いみじく神を祈へば

 神 あはれにおもひて札授けり。

 まれびと 札持ち渡りて

 厄祓い給ひて

 此処にて安らかになりにけり。

                   (道祖神の碑文より)

 

       ☆



「それでは、当日の流れを説明しまーす」

 学級委員長が前に立ち、二年一組の六時間目・学級活動が始まった。

 苦手な古文の授業のあとは、眠くてたまらない。しかし前から一列目の席でそんな態度も取れず、明日歌はあくびを抑えて前を向いている。

 二学期が始まるやいなや、もうまもなくやってくる文化祭に向けて、校内はにわかに活気付いていた。

 一学期の終わりごろ一瞬学校を賑わせた幽霊騒ぎも、最近ではめっきり聞かなくなり、現し世に生きる人々にとっては、あれは所詮流行りネタの一つに過ぎなかったのだと実感させられる。

 

 実際、あの少女も夏祭りの夜以来、明日歌たちの前に姿を見せなくなり、祟り神がどこかであらわれたという情報もなく、なんとなく、いくつかの疑問を残しながらも、次第に時見町の祟り神騒動は、沈静化しているように見えた。

 明日歌の護衛をしていた風神は、翡翠のところに戻った。少し寂しくもあったが、これは仮にも緊急事態が終わり、平和な日々が戻ってきたということを意味していたし、自分も一人前の力を得たという証でもあった。そう思うと、それはそれでとても喜ばしいことだ。

 夏祭り以来、龍神は、相変わらず進んで現し世に現れることはなかった。しかしある夜、見覚えのある山道で目覚めて気づいたのだが、明日歌は簡単にそのゆめに入ることができるようになっていた。

 ゆめの中でも、彼は「いるとき」と「いないとき」があった。

 「いないとき」といえども、ゆめの中のどこかにはいるのだ。その気配は強く感じることができた。けれど彼は、いかんせんとてつもなく広大な敷地を神域として持っているので、どこにいるのか、人間の足では探せないのだった。

 「いるとき」は、庵で石細工の動物を作っていることが多かった。部屋の中にピンセットやガスバーナーなどの道具一式はちゃんと揃えてある。庵の外に転がっている尖ったキラキラした石が材料なのだろう。暇過ぎるのでやり始めたらはまったのだという。まん丸な体にポチポチ黒目が付いた猫や犬は、無愛想で冷徹な龍神が作っていると思うと、正直かなり不似合いで可笑しかった。持って帰っていい?とまでは、図々しくて聞けなかった。持って帰って転売してもいい?などとはもっと聞けないが、高く値がつきそうなほど見事な出来栄えだった。


「じゃあ各自準備を行ってください」

 委員長の声と、クラスの喧騒に、一瞬にして現実に引き戻される。

 二年生はクラスごとに教室でのアトラクションを出店する。明日歌たち二年一組は、数多の候補の中から選出され、さらに学年で同じアトラクションを複数の組でかぶらないようにする抽選会で、見事当たりを引いた『お化け屋敷』で、これに挑む。

「神社の祠に御札を収めてくるのがミッションって、もうコンセプトからして罰当たりですよね」

 ダンボールでできた鳥居に灰色の絵の具を塗りながら、真顔で翡翠が呟いた。

「そもそもなぜ神社が呪われてる前提なのか。なぜそこらじゅうに呪いの御札やわら人形が散乱しているのか」

「そこ突っ込んだら終わりだよ」

 と、笑うのは椎名くん。小太りでメガネをかけた翡翠の友達。漫画研究会所属で、絵が上手い。鳥居に繊細なタッチで色付けしていく。さながら本物の石造りの鳥居のようである。

「日本人の深層意識だな。触らぬ神に祟りなしとかって、よく言うじゃん?」

 と、説得力がありそうでなさそうな説明をするのは琉太だ。彼は口はうまいが基本的に何も考えていない。

「てか椎名くん、これこんなべた塗りでいい?そっちと全然クオリティ違うんだけど」

 椎名くんとは逆の脚を塗っている彼らに絵心はなかった。

「藤村は真面目だなあ。実際置いたら暗いからわかんねーだろ、な、椎名」


「でも、いいアイディアだよねえ、実際の心霊スポットの設定を借りるなんて」

 ダンボールを窓に貼り付けた上から、さらに御札を模した縦長の紙を貼り付けながら、美月が言った。

「そうかなあ、軽々しくやると呪われちゃうよー」

 と、明日歌はそればかり心配している。中にはこういう悪ふざけも冒涜だと捉えて祟ってしまう神様もいるということを、風神から聞いていた。たいていは許してくれるらしいが。

「そのギリギリのところを攻めるのがプロなのです」

「なんのプロなの」

 何を隠そう今回のおばけ屋敷の題材となっているのは、ギャルこと愛内さんまたは久徳さんからいただいた、あの廃墟神社の話だった。

 廃墟の神社の奥に隠された洞穴の、そのさらに奥の祠にお参りし、そこでこの世を恨みながら死んだ巫女の霊を慰めるためにお守り袋を収めて帰ってくるというものだ。道中にはこんにゃくや足を掴む手など、お化け屋敷にありがちなしかけが施されている。そして、ラストの祠では呪いの巫女が待ち構えている。

「呪いの巫女やる私たちが一番呪われそうだよ」

 巫女装束が似合いだそうというクラスの絶大な支持を得て、明日歌はその役に抜擢された。普通ではない見た目を上手く有効活用されているような気がしてならない。嫌だといえばよかったのかもしれないが、期待してくれているクラスメイトを失望させたくないという気持ちの方が優ったため、意を決して引き受けたのだった。


 心配といえば、どさくさに紛れて本物の霊が教室に出ることもそうだった。百歩譲って、ただの幽霊なら良い。だが、あの少女の放った悪霊のような、明らかに害をもたらすものであったら大変なことになる。

 風神にそのことを相談すると、例の知り合いの神様から大量の護符をもらってきてくれた。明日歌の家にもある、複雑な象形文字で何を書いてあるのか全く読めないものとは異なり、「悪霊退散」とか「呪詛封印」とかいかにもな熟語が書かれている。たぶん、風神がわかりやすい感じの言葉を書いてもらえるように頼んでくれたのだろう。誰が書いたかということに意味があるので、何を書いてあっても効き目はあるらしい。使い捨てだし、あの人は護符を書く事だけが生きがいみたいなものだからどうぞ自由に使って、と風神は言っていた。きっと龍神と同じように暇人なのだろう。

 というわけなので今、明日歌はたまにこの本物の御札を壁に貼り付けている。よく見るとクオリティに明らかな差はあるものの、所詮は同じ紙なので、クラスの人たちからはすごくリアルだね、と褒められるだけで、怪しまれることはなかった。



       ☆



 文化祭当日。

 午前のシフトのあと、明日歌と美月は写真部の写真展に顔を出していた。部員が少なく出展作品数も少ない写真部は、漫画研究会と同じ教室を二分割し、教室後方の扉から入ったところで展示を行っている。

 来客はほとんどなく、来ても漫画研究会の方が目当てといった感じで、こちら側にはついでに一瞬足を止めるという人が多かった。パネルと壁を使って飾られている大きな写真のほかに、入り口付近でポストカードとして販売もされているが、午前中はまだ二件しか売り上げていない。それぐらいの暇さがちょうどいい、と明日歌は思っていたが、美月は少し不満なようだ。

「あーあ。学校行事が一つ、また一つ、と終わっていくたび、わたしは悲しくなるのです」

 写真部の展示ブースに入ってきた巴が、校舎と夕日を撮影した美月の写真を眺めながら言った。

 巴と風神はふたりで文化祭を回っているようだ。もちろん、それは傍から見れば一人ぼっちに見えるのだが、生徒会副会長の肩書きを有し、見目麗しく気品に溢れた榮倉先輩が堂々と一人文化祭巡りを楽しんでいる様子に後ろ指を差す人はいなかった。

 いつものメガネはかけておらず、おさげ髪ではなく艶やかなストレートロングヘア。そして、黒基調に白いエプロンのミニスカメイド服は、何年も前から着慣れていましたというかのように違和感なくフィットしており、生徒や他校からの来訪者からも、通りすがりに賞賛と羨望の眼差しを浴びている。

「先輩は最後の文化祭ですもんね」

「ともちゃんって高校卒業したらどうするの?」

 風神が聞いた。普通の高校三年生に聞くのとは少し意味合いが違う。なんといっても、巴先輩は人間ではないから。

「進学しますよね?」

 予備校には通っていなかったが、夏休み明けの校内模試でわりと良い成績を収めていることを、明日歌も噂に聞いている。

「そうね。普通に大学に行き、普通に就職して社会に出て、ひっそりと人間生活するわ」

 巴は当然、というようにあっけらかんと答えた。

「国に帰らないの?」

 と、風神。

「出戻ったら殺されるもの」

 逃げ切ったとは言え、また見つかれば生かしておいてもらえるわけではないらしい。そんな複雑な境遇に、明日歌は返す言葉を見つけられずにいると、あははは、と先輩は豪快に笑った。

「私、日本が好きなのよ。それにずっと人間やってれば、そのうち本当に人間になれるかも知れないじゃない?」

 そういうものなのだろうか、と明日歌は考える。案外そうかもしれない。巴先輩の過去がどうあれ、彼女は今、れっきとした女子高生だ。

 ポストカード目当てに愛内さん、久徳さんも覗いてくれた。ギャルたちが写真なんて地味なジャンルに興味を持つのかと思っていたが、「まじ癒しだね」などと騒ぎながらわりと気に入ってくれたようで、三枚ずつお買い上げいただいた。

 

 午後からのシフトに備え、巫女の衣装に着替えるため、一人更衣室に向かう途中の廊下で、小さな女の子に声をかけられた。

 着ている夏服のセーラーは、時見町にある二つの中学校のうちの一つ、時見東中のものだ。何事もなく過ぎ去ろうとした明日歌に、

「白瀬明日歌さんって、あなたですか?」

 凛とした声で、少女は声をかけてきた。

「は、はい!」

 見知らぬ中学生に名前を知られているというのは初めての体験で、びくっと体が跳ね上がる。ばっと振り返ると、目の前の女の子を凝視してしまった。

 中学の制服を着ているから中学生だとわかるが、それにしてもとても背が低い。その制服の短くしたスカートから伸びる手脚はとても細っこく枝のようで、無駄な肉は一切付いていない体つき。尖った顎にショートボブの髪型が、さらにその華奢さを強調している。化粧っ気はなく、ボーイッシュな印象だが、目鼻立ちはくっきりしており、どこか険しい表情でたしかにこちらを見ている。敵意を向けているようにさえ感じ、年下とは言え明日歌は思わず身構える。

「初めまして。朱華はねずです」

 それは、夏祭りで出会ったあの少女の名と同じだ。その響きに、反射的にうろたえてしまう。しかし、あの子はもっと大きかったように思う――いろいろと。おそらく同一人物ではない。ということは。

 丁寧にお辞儀をする彼女の表情は硬い。性格はキツそうな印象を受けた。しかし別に明日歌を敵視しているわけではないらしい。明日歌が戸惑っているのを見ると、付け加えて、

「朱華小雪の妹の小雨こさめです」

 と名乗る。

「あ、ああ、こんにちは」

 中学生相手に、あたふたと間抜けな挨拶をする自分が、少し情けなくなる。ああ、と言っておきながら、『朱華』が苗字だということについては今初めて確信が持てた。翡翠も『朱華さん』と呼んでいたのでおそらくとは思っていたが、断定とまでは至らなかったのだ。そしておそらくはこの前会った朱華さんはこの子の姉だということと、名前が小雪だということを、光の速さで推測した。

 文化祭だからもちろん、他校の生徒が遊びに来てもおかしいことではない。それにしても、彼女はなぜ明日歌にわざわざ声をかけたのだろうか。姉の朱華小雪がこの高校の生徒ではないことだけは、風神から聞いていたので知っているが、もしかして姉も来ているのだろうか。そう考えて少し、胸がざわつく。

「お姉ちゃんが話してたのを聞いたので。金髪で背が小さい人だって言うからすぐ分かりました」

 あなたのほうが身長低いでしょ、と明日歌は一瞬思う。そこは結構重要なのだ。だがそこは口に出さず、

「そうなんですね~」

 と、動揺を隠しつつ、愛想笑いを浮かべながら丁寧な口調で答える。

「今日はお姉ちゃんは来てません」

 朱華小雨は、明日歌が聞きたかったことを読んだかのようにそう言うと、

「じゃ」

 あっさりと、踵を返してすたすた去り出した。

「えっ」

 思わず拍子抜けした声を出してしまう。なんだ、それだけか。明日歌が安堵しかけたのも束の間、小雨は、

「あ、そうだ」

 と思い出したようにくるりと振り返ると、ほんのうっすらとだけ口角を上げて、微笑した。

 その表情は、彼女があの『はねず』さんの妹であることを確信させるものだった。

「お姉ちゃん、『負けないから』って言ってましたよ」



 「負けない」というのはもちろん明日歌のことを恋のライバルと意識してのことなのだろう。

 このタイミングで、またそんなややこしいことを言われてもなあ――。

 明日歌は、暗がりの中一人ため息をついていた。

 人々の阿鼻叫喚がこだまする教室はほとんど真っ暗闇だ。祠に人が来るまでの間、死角になっている待機スペースに佇んだまま、明日歌は夏祭りの夜のことを思い返していた。

 明日歌を家に送りながら翡翠は、

「あの人は新しい彼氏との仲が悪くなるたびによりを戻そうとしてくるんですよ」

 と困ったように笑いながら話していた。

「都合の良い男だったんですね、俺は」

 と自嘲していた。

「いつまでもそれではお互い良くないから、もうそういうのはやめます」

「朱華さんのことは、好きじゃなくなったの?」

 後から気づいたが、それはとても直球な質問だった。あの日は全体的に勢いでなんでも聞けそうな空気だったのだ。いたしかたない。

「今はもう全く」

 人の心なんてものは案外単純なもので、その答えを聞いて明日歌はただただほっとしていた。

 恋愛経験に乏しい明日歌にしてみれば、それはなんだかついていけない話だった。知れば知るほど、翡翠のことが遠く感じられてしまい、それ以上のことを聞く勇気は出なかった。それからというもの、たまに彼に会う機会はあったものの、今更聞いても終わったことだし、掘り返すのも悪いし、などと考えている間に夏休みが終わってしまっていた。

 しかし明日歌だって、翡翠とは単なるクラスメイトよりは親しい間柄かもしれないが付き合っているわけでもない。その明日歌をライバルと認定したような朱華小雪の発言は、少しずれているような気がする。それに、翡翠が本当に都合の良い男なら、そんな必死になってつなぎ止めようとしなくても良いのではないだろうか。

 いずれにせよ、朱華小雪の気持ちはよくわからない。

 ――特に理解したいとも思わないけれど。

 と、ため息をついているところに、来訪者が来たので立ち上がる。彼女はただそこにいるだけで良い。特に驚かさなくても、シュチュエーション的に向こうが勝手にビビってくれるのだ。

「きゃあっ」

 暗がりに佇む明日歌の存在に気づくと小さな悲鳴を上げ、お守り袋を祠にさっと置いたのは、二人組の女子高生だった。お守りを置いたのを確認すると、巫女は成仏する設定なので明日歌は下の待機場所に戻っていく。万が一彼らがお守りを置かなかったときだけ、出口まで追いかけていかなければならないのだが、今のところそのような失態を犯す組は現れていなかった。

 不思議なもので、普段は苦手なおばけ屋敷もこちらが驚かす側であれば恐怖心はさほどない。どこで誰が何をして脅かしてくるか、その手の内をすべて知っているからだろう。

 わりとすぐに次の組が来るので、『鎮魂』と書かれたお守り袋をそそくさと回収すると、明日歌はまた元の待機場所に身を隠――そうとしたら、そこに佇む先客がいた。


「巫女服、お似合いね」


 暗闇の中でも、それは少しだけ漏れ入る光の反射でかろうじて浮かび上がる。

 白髪のおかっぱ頭――。


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