第二部

 少年の世界はどこから閉ざされていたのだろう。

 いや、閉ざされていることすら、本人は知らずにいた。

 少年にとってそこが、世界のすべてだったのだ。



   ☆



 鳥居の外に出てはいけない、と、父親から教えられていた。外は悪霊だらけで、たちまち汚れに犯され死んでしまうのだと。

 それならば父はどこから来るのだろう、という疑問も、少年は持たなかった。そこまで思い至らなかったのだ。太陽がどこからともなく昇るのと同じように、父親もどこからともなく現れ、そして去っていくものだと、そう思っていた。

 毎朝、手水舎の水で身を清め、社に参り、境内の掃除をし、その後は一日中、奥の小さな洞穴の中の、古い祠の前で瞑想を行うのが、少年の日課だった。

 洞穴の入口には『冥拝堂』と書かれた木の看板が立てかけてあったが、それがなんと書いてあるのか、彼は知らない。

 祠の佇む洞穴の壁には、『鎮魂 葡萄染 千筆』と書かれた札が、いたるところに張り巡らされているが、これも読めない。

 そもそも、これが文字だということを、少年は知らない。

 

 変わらない毎日。それは平穏な日々だった。

 少年が知っているのは、季節が巡るということだけ。


 物心ついてから何度目の、銀杏の木々の葉が黄金色に染まる時期だったろうか。

 いつものように洞穴に向かう途中で、異変に気づいた。

 冥拝堂の入口を塞ぐように、彼女はいた。音もなく、じっと動かず、ただそこに立っていて、首だけこちらへ向けて少年を見つけると、言った。

「やっと見えたのね」

 女というものを、少年は初めて見た。人か、人ならざるものなのかすらもわからない。けれどそれは、彼が見た世界にある全てのどんなものより美しく、少年は無意識に手を伸ばしていた。

 さらさらとした着物が手に触れる。

「わっ」

 その異様な質感に、おもわず手を引っ込め、無邪気な瞳で、女を見上げる。木漏れ日を背に、その顔は影になり、眩しすぎてよく見えない。見てはいけないもののように思える。

「行きましょう。広い世界を見せてあげる」

 女は少年の両手を取ると言った。他人の手に触れるのは初めてだった。温かい。柔らかい。いつまでも、その手を離したくないような感覚に、感情に、少年はめまいを覚えた。

 しかし少年には、破ってはならない決まりごとがあった。

「ここから出てはいけないと、父様が」

 女はふふ、と笑い声をこぼした。心を直接なでていくような、そんな優しい声。今までに聞いたことがないものだった。

「ここからは出ないわ」


 少年の世界はどこから閉ざされていたのだろう。

 

 いや。


 閉ざされていることすら、本人は知らずにいた。

 

 少年にとってそこが、


 その神域こそが、世界のすべてだったのだ。

 

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