後編 空

「あれが八咫烏だよ!でも半分祟り神になりかけてるんだ!」

 屋上の高い鉄柵のてっぺんから、風神が遥か上空を指差している。明日歌たちも、その指の示す方向、澄み渡る青空の彼方に、目を凝らす。

 小さく黒い影が蠢いている。それは高校のすぐ真上の空にいるというわけではなく、意外と距離があるように思えた。八咫烏というのだから烏の姿をしているのかと思っていたが、人の形をして見える。急降下と急上昇を繰り返しながら、不規則な軌道を描いて飛んでいた。その後ろから、ひらひら、ぞろぞろと黒い布のようなものが舞う。それらは悪霊で、八咫烏の影を覆い尽くすようにまとわりついていく。

「八咫烏様、わざと悪霊を引きつけてますね」

 翡翠が、その様子を目で追いながら言った。「きっと学校の人たちに危険が及ばないようにしようとしてるんでしょう」

「学校に……」

 という明日歌の声は不安げだ。昼間の高校というのは現し世の中でももっともたしかで現実らしい現実である。そこに唐突に入り込んだ祟り神と悪霊の存在は余りにも異形で、いざ目の当たりにしても理解が追いつかない。

「さっき、現し世が揺れたでしょ?あれは、悪霊が大量に現し世に現れたことによる衝撃波のようなものなんだ。普通の人は感じないんだよ~」

 と風神が説明してくれた。

「ねぇ、学校の人たちには、八咫烏さんの姿が見えてないの?」

 明日歌は尋ねた。自分にはこんなにはっきりと知覚できるのに、美月やクラスのみんなはこの現象の存在を知ることすら決してない。わかってはいるのだが、信じ難いことだった。

「そうですね。神使と神様以外には見えません。でも向こうからは全部見えてます」

 翡翠は淡々と答えた。長く神使を務める彼にとっては、人ならざるものはどこで遭おうが皆一様に人ならざるものであるだけであった。学校にそれらが現れることも、いずれはあるだろうと、実は内心思っていたほどだ。

「どうして、学校に出てきたのかな……」

 日常が侵食されていることを、明日歌は今さら初めて実感していた。うつつの、ゆめとは無関係な学校の人たち。美月たちを、危険に巻き込みたくない。

「わからないけれど、このままでは校庭の人たちが危ないです」翡翠は落ち着き払っており、何か策を持ちかけるように風神を見上げた。「――風神様」

 校庭で部活の昼練をする生徒や、次の時間が体育で準備に出てくる生徒たちを見下ろしながら、風神は、

「オッケー。みんなが校庭に出られなくすればいいよね」

 と、すぐに合点がいったようだ。


 それは、定点観測している景色を早送りしているかのように見えた。あれほど晴れ渡っていた空が、一瞬にして灰色に曇り、強風、いや暴風が吹き荒れ始めたのだ。瞬く間に、何かに捕まっていなければ、立って歩くのもやっとの嵐にまで発達する。雨は降っていないが、風だけがひたすらに猛威を振るい、耐え切れず、遥か眼下で慌てて生徒たちが校舎内に退避し始める。

「うわわわわっ」

「これでみんな、しばらく外に出ないでおとなしくしてくれるかな!」

「特別警報出ちゃうよー!」

 明日歌は、屋上の鉄柵に両手で捕まりながら叫んだ。


「明日歌ちゃん、八咫烏を清めてあげて」

 背後で凛とした強い声が聞こえて、振り返る。いつの間にか、榮倉先輩が八咫烏を目で追っていた。長い脚でしっかりと踏ん張り、短いスカートが惜しげもなく風に煽られ、二本のおさげ髪も顔の周りでバタバタと暴れている。

「こ、ここでですか?」

「頼めるかしら?」

 問われるが、拒否権はないことは明白だ。明日歌もわかっていた。この状況で自分にできることと言ったら、それ以外にない。しかしながら、現し世で浄化を行うなんて、全く心の準備が出来ておらず戸惑う。おそらくはゆめの中と勝手は変わらないのであろうが、力を使うこと自体も久しぶりなので、上手くできるだろうか不安だ。灰色に染まった空に目をやる。

「とりあえず私が、八咫烏をこっちに引きつけるから。翡翠は明日歌ちゃんをお願いね」

 早速、巴はてきぱきと指示を出すと、彼らの身長程の高さがある屋上の鉄柵に長い脚をかけ、ひょいと上ったかと思うと、すっと立ち上がった。突風にふらつく様子もなく、驚くべき安定感だ。それになにより彼女には、柵の上に上っても、誤って落ちたらどうしようというような躊躇が、恐怖心が、まるで感じられなかった。それは人の為せる技ではなかった。

「ともちゃん、もう何年も空飛んでないんじゃないの?大丈夫?」

 風神が、榮倉巴は飛べて当たり前かの如く聞く。対する巴は、この荒れ果てた空を前に、少しワクワクしているかのように見えた。

「こういうこともあろうかと、最近は割と飛んでたのよねー!……じゃっ」

「え、ちょ」

 明日歌が何か言いかけようとしたとき、既に巴の姿は鎧メイド服を纏っており、少し膝を折って勢いをつけると、ひゅんと風を切って前方に飛び去っていた。

「ええええええ!!!!!」

 人間じゃないとは聞いていたものの、「空を飛ぶ」という巴のあまりに現実離れした、人間離れした所業に、明日歌は驚き、思わず全力で叫んでしまった。しかしその渾身の叫びは、ごうごうと唸りを上げる風の中に掻き消えてしまう。

 鉄柵に両手をかけ、明日歌は、先輩が艶やかな黒髪を振り乱しながら空へ舞い、みるみるうちに小さくなっていく様子を、目を凝らして見守った。

「大丈夫かな」

 巴に対してはいつも比較的辛辣な翡翠も、流石に先輩を思い遣っているようだ。と思いきや、

「昼休み終わっちゃうけど……」

「そっちの心配!?」

 マイペースだった。


 八咫烏は、本来はその名のとおり烏。三本の脚を持つ烏である。だが、今はその身に呪いを受け、悪霊に取り憑かれて、肥大化した鎧兜の武者の姿をしていた。暴風の中、巴が飛んで近付いてきたことに気づくと、黒く変色した日本刀を、彼女に向かって振り下ろしてきた。

 しかしまだ意識は残っているようで、巴を認識すると、空中で武者は叫んだ。

「あんた、神使か!?」

「そうです!」

 巴も叫び返す。

「すまぬ――どうやら、自分の行動を制御できないみたいだ」

 巴はすかさず、自身の背丈よりやや長い鈍色の槍でその刃を受け止める。

 武者の巨体は、軽く巴三人分はあったが、八咫烏はもともと日本刀を扱うのに長けた神様ではないはずなので、攻撃を退けるのは、そう難しいことではなかった。しかし、対する巴も、長年、武器を振るうような戦闘に直面する機会がなかったため、いくら人知を超えた神の力を持っているとは言っても、その槍の腕は凄まじく鈍っている。

 自分の仕えていた頃の神使の仲間に見られたら、嘲笑ものだろう、と巴は苦笑しながら、しかし追い詰められるほどのことはなく、器用に槍を回転させ、緩やかに防戦を続けつつ、少しずつ、屋上の方へと近づいていく。明日歌が浄化の力を使用するのに、射程圏内というのがあるのかどうか、これまでの経験からはわからなかったが、少なくとも彼女が少しでも標的に狙いを定めやすい距離までは持って行きたい。

 しかし、あえて悪霊を引きつけ吸収し続けていた八咫烏は急速に自我を失っており、攻撃対象に向かってがむしゃらに刀を振り回す凶悪な祟り神と化しつつあった。

 長引くとまずい。

 巴は、規則性を失い滅茶苦茶な軌道を描いて旋回する八咫烏に応戦しながら、少しだけ焦り始めた。


 風神の起こした風はますます荒々しく吹き、雨も降り出していた――それは風神の起こした雨ではなかった。どこかの雨の神様が手を貸してくれているのかもしれない。冷たい雨だ。

「風神ちゃん、すごい……」

 初めて目の当たりにする風神の力に、明日歌は感嘆の声を上げた。 

「えへへ!褒めて褒めてー!」

 風神は、まるで自分だけ別次元にいるかのように風にあおられることなく、空中で余裕ありげにふわふわと漂っている。

 

 下界の人たちは、もう誰も外には出ていない――?


「あ!」校庭を見下ろしていた風神が突然叫び声をあげた。

「あの子……白い髪……!」

 小さな姿とはいえども、その髪色は異質ですぐに判別できた。あれが明日歌の話していた少女に間違いない。風神は目を細めた。たしかに、人間ではないようだが、かと言って、死者の霊でもなさそうだ。

 正体は、わからなかった。

「え!なに!うそ!むり!」

 柵を握りしめたまま、下を見ないようにぎゅっと目を瞑り、突然動揺する明日歌はちょっと滑稽で、翡翠は傍らで、不謹慎にもやはり可愛らしいと思ってしまうが、至極落ち着いて声をかける。

「俺がついてるから、大丈夫。白瀬さんは気にしないで、八咫烏に集中して」

 宙に浮きながら見下ろしていた風神が、また声を上げる。

「あ、こっち、気付かれた」

 独り校庭に佇む少女は、いつの間にか赤い血走った目をこちらに向けていた。

「風神、危ないかも知れない」

 呪いを恐れて、翡翠は静かに注意を促す。

「僕は大丈夫だよ」

 と、風神はあくまで強気だ。ふわりと浮かんだまま、少女の次の行動を、いつでも応戦できる姿勢で静かに見守っている。少女は風神を見つけてひと睨みしたものの、すぐに目を逸らした。それが何者かはわからなかったが、風の神・級長戸辺を恐怖させるほどのものではない。それだけはわかった。風神は、幼女の容貌に似つかわしくない不敵な笑みを浮かべていた。

「あの子に、そこまでの力はない」

 その刹那――。


「わたしじゃない」


 すぐ背後でその声、風雨の中に消え入りそうなほど微かな、弱々しい、かすれた声を、三人ともがたしかに聞いたのだ。

 ばっと振り返り、翡翠は明日歌を庇いながら、警戒するように左手で扇子を構えると、降りしきる雨で視界の悪い屋上を見回して、声の主の姿を探すが、異変はない。

「あれぇー、消えちゃった」

 風神が頓狂な声を上げる。あわよくば問いただしてやろうとすら思っていたが、一瞬目を離した隙に、白髪の少女は忽然と消えていた。

 

 鉄柵にもたれかかり、瞳に恐怖の色を浮かべ、すっかり身をすくめている明日歌のほうを、翡翠はやがて向き直る。

「大丈夫。大丈夫だから」

 囁くと、濡れて頰に張り付いていた白金色の髪を、そっと払いのけた。

 濡れそぼった髪の間から、明日歌を見つめる鋭い瞳は、射抜くような鮮やかな翠――吸い寄せられるように目を合わせたその一瞬、明日歌は何故か泣き出したいような奇妙な感情に支配されかけた。そんな感覚は前にもあった。内側から湧き上がるような熱、すべてを投げ出して喚きたいような衝動。それは霊の存在への恐怖からくるものではない。自分自身、その感情が何のためのものか、わからない――。


 しかし、すぐに我に返ると、気を取り直して頷いた。自分がしっかりできないことで、翡翠を失望させることだけは、したくなかった。

 

「明日歌ちゃん、お願い――!」

 直後、真上の空から巴が叫びながら、八咫烏とともにもつれ合いながら落下してくる。

 もう幽霊少女を気にかけてはいられなかった。否、別の意味で気にかけなければならなかった。今しがた姿を現していた少女が本当に、神を呪う、悪しき人ならざる者であるならば、明日歌たちの目的はまさに、それに打ち勝つことにほかならないのだから。恐怖している場合ではない。

 雨粒の注ぐ空を仰ぎ見、左腕を伸ばした。神器がその動きに呼応するかのように輝きを増していく。

「龍神様。どうかお力をお貸し下さい――」

 思わずそんな祈りのことばが、口をついて漏れ出ていた。

 嵐の中に、一閃の煌めく光の筋が放たれ、鎧武者の巨体を静かに打ち抜いた。



       ☆



「割れた絵画の題名は『熊野大社景』と『神武天皇像』と『大烏』。大正時代の画家・香芝博英による八咫烏ゆかりのものばかりね。多分これらの絵画自体には、結界的な力があったのよ。それを壊さなければ、時見高校の敷地内には悪霊が入って来れなかったのね」

 再び元の青さと静けさが完全に蘇った放課後の空を見上げながら、巴は解説した。

「悪霊を放ったやつはそれを知ってたんだね。知らなかったぁ~」

 風神は見抜けず悔しそうに机に突っ伏している。 

 四人は放課後再び生徒会会議室に集まるも、今日は疲れていて試験勉強がはかどらず、とりあえず浄化されて眠ってしまった八咫烏を保護しつつ、ぐだぐだと身のない会議をしているところであった。

 明日歌と翡翠は体操服のジャージに着替えていた。制服は雨に濡れ過ぎて絞れば雨水が溢れるほどだったので、使い物にならなかったのだ。(そのせいで二人で教室に帰ったとき、美月にすごく驚かれ、すごく怪しまれたことは言うまでもない。)対する巴のみが平然と制服姿である。


「お、おい、あんたら」

 風神の背丈よりも少し大きな三本足の烏が、よろよろと歩いてきた。八咫烏だ。祟りは消え、本来の姿に戻っていた。

「俺は祟り神になったのか……」

 自分に何が起こったのか、半分ぐらいしか覚えていないようだ。疲れきっており、声に芯がない。

「明日歌が清めてくれたからもう大丈夫ダヨ」

 と風神がその傍により、言った。

「明日歌……?白瀬明日歌っていう噂の神使か?」

「は、はい、その、噂するほどのものでは、ないんですけど」

 明日歌は心底恥ずかしく思い苦笑しながら返事をした。

 八咫烏は、明日歌の顔を見ると、黒い小さな目を丸くした。

 

「……エリス?」

 

「え?」

 明日歌はぎょっとして聞き返した。聞き間違えではないかと思った。しかし大烏様は続けて言った。

「あ、そうか、あいつは死んだんだったな。しかし不思議なもんだ。エリスにそっくりだよ、あんたのその髪」

「誰?」

 翡翠が首をかしげる。

「エリス・カーライル」

 もう一度その名を繰り返す八咫烏も、不思議そうに目を輝かせている。

「私の、お母さん?」

 明日歌は呆然としながらやっと口を開いた。

「お母さんのこと知ってるんですか?」

「あんた、エリスの娘か?」

 意外そうに、しかし少し嬉しそうに八咫烏は小さな黒い目を丸くする。

「そうですけど」

 しかしおそらく八咫烏より驚いているのは明日歌の方であろう。

「私、お母さんのこと全然知らなくて。あの、どうして、あなたは知ってるんですか?」

 急に、目の前の烏が重要人物(鳥だが)に見えてくると、思わず声が上ずる。にわかに心が高鳴って、自分らしくもなく早口で尋ねていた。

「知っていると言っても、一度会ったことがあるだけだよ」

「会った……お母さんに……」

 ということは、エリスはやはり神使であったのだ。可能性は考えられると思ってはいたが、いざその事実を知らされると、やはり驚きを隠せない。

「本当に、ですか……」

「神域には関わりたがらないようだったからね。神使であることを隠していたそうだ」遠い記憶を思い出すように、黒い鳥は首を伸ばした。

「って、龍神に聞いたよ。彼とだけは、仲が良かったからね」

「龍神って、あの、公園の……?」

 今度は困惑して、明日歌は聞いた。自分の知っている龍神は、とても人とは仲良く出来そうにない神様だ。

「そうだよ。今のやつとは別のだけどね。あいつも一緒に死んじまったんだ。二人とも良い奴らだったのに。まあ仕方がない。掟破りだから、決まりでね」

「掟破り?」

「あ」

 あからさまにしまった、という顔をして八咫烏は口をつぐんだ。

「教えてください。もっと。お母さんのこと、なんでも、少しでもいい」

 思わず身を乗り出して頼んでいた。しかし、

「いや、聞かないほうがいい」

 と、八咫烏は、突然顔を背けたままぶっきらぼうになった。

「でも」

「明日歌」

 風神がそっと声をかけ遮った。はっと我に返って、突如現れた母親の知り合いに、みんながいるのを、忘れかけていた。急に恥ずかしくなって、先程までの熱がすっと引いていく。

「ご、ごめんなさい……」



        ☆



「最近見ないから、どうしたんだろ、って思ってたんだ」

 約三週間ぶりに公園に行くと、葛城さんがいつもの、一眼レフを首から下げた出で立ちで訪れていた。

「こんにちは」

 久しぶりだな、と思いながら明日歌は会釈する。

「期末テストの期間中だったから。今日で終わりだったんです」

 本当はその前にも少し事件があって、あまり出歩けなくなっていたことについては、触れない。

「期末かぁ。大変だよね、学生さんは」

 ふと、葛城さんはいくつぐらいなのだろう、社会人なのだろうか、という疑問が浮かぶ。それは以前から気になっていることではあったが、失礼な気もするので聞くのはやめておく。

「それにしても、ここ最近いろいろ不思議なことがあってさ」

 と、葛城さん。

「私もです」

 思わず明日歌はそう返していた。今や、それらを現実のものとして受け入れてしまいつつあって、もう「不思議」とも思わなくなっていたのだが、おおよそ不思議と呼べるようなことなら、ここ三ヶ月のあいだに数え切れないほどあった気がするから不思議だ。

「あったよね、異常気象」

 葛城さんは、そうそう、と思い出したように話し出す。

 明日歌は、ジャングルジムの上の方にちょこんと座っている風神と、一瞬顔を見合わせ肩をすくめた。あの夜以来、外出するときもいつも付い来てもらっているが、公園に来るのはこれが初めてで、子供のように遊具の一つ一つを試していたところだ。

 八咫烏の呪いを清めたあの後、他ならぬ風神が起こした嵐が、風神の力によって収められたあとに、県内全域に暴風警報が遅れて出て、下校するかしないかで、緊急職員会議の事態になったのだった。結局、突如現れた雨雲が、また突如消えて、今後強い雨風の心配がなかったため、途中下校とはならなかったのだが。それから葛城さんは、さらにこちらをぎょっとさせるような言葉を付け加えた。

「まるで神様が怒ったみたいにさ」

「葛城さん、そういう不思議話好きですよね」

 バレているわけはないのだが、それでも少しドキドキして、なんとか作り笑いを浮かべながら、明日歌はごまかす。

「キミは嫌い?」

 葛城さんは柔和な笑顔で尋ねる。

「いえ、そんなことはないですけど」

 嫌いだったら神使なんてやってられないです、と内心思う。

 すると、葛城さんは気を許したのか、

「ここもさ、最近なんか、いづらくならない?」

「この公園が、ですか?」

 少し驚いて、明日歌は聞き返す。それは、たしかに個人的に、ちょっとここには近寄りづらかったが、その話を葛城さんにすることは決してなかろう。しかし、葛城さんもそのように感じるというのは何故だろうか。

「普通です」

 明日歌は、あえてそう答えた。

「そっかあ……」まあそうだよね、気のせいだよねというように葛城さんは短く笑った。

「じゃ、僕はそろそろ帰るよ」

 にこやかに手を振ると、葛城さんはあっさり帰っていった。

「あの人が葛城さん?」

 男の後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、風神が尋ねる。

「そうだよ」

「今たぶん龍神が豆まきしてここの結界を強めてるから、多少霊感の強い人は長居できなくなってるんだよ、この公園。それでじゃないかな」

「ああ、あれ、そうなの?私は何も思わないけど」

「そりゃあそうだよ」風神はブランコを漕ぎ出す。彼女は人間には見えないから、傍から見たら怪奇現象だと思うのだが、幸い今は園内にはほかに人もいない。

「鬼は外、福は内、っていうでしょ。明日歌は福だから、入れるんだよ。ほかは鬼。まあそんな子供騙し、僕には効かないけどね!」

「本当に豆まきしたの?」

「うん」風神は立ちこぎで一回転に挑戦しながら頷いた。「魔除けの方法は何万通りもあるのに、なんであえてそれをしたんだろうね」

 無表情で一人豆をまく龍神の姿を想像して、失礼だとは、わかっているのだが明日歌は少し笑ってしまった。

 そういえば、あの嵐のとき、最終的に雨が降っていたが、あれは風神ではなく、龍神の力によるものらしい。珍しい天気を見物しにうつつに出ていた迷わし神様が、こっそり教えてくれた。風神には雨を降らすことまではできないはずなので、偶然そんなこともあるものなのだなぁと、しかし少し不思議にも思っていたところだったのだが、これで腑に落ちた。

 龍神が少しでも自分たちに味方してくれている事実を知り、明日歌は嬉しく思っていたが、対する風神は龍神に不満たらたらのようで、

「影から見守ってるつもりなんだろうけど、それにしてももう少し分かりやすい方法があるだろうにね」

 とか、

「あいつに明日歌はもったいなさすぎるよ」

 などとたびたび本音を漏らしていた。

 いずれにしろ、明日歌は既に、縁のある神様として打ち解けあうことは、諦めかけつつあった。

 エリスが仲が良かった龍神というのは、一体誰なのだろう。死んでしまったと言っていたが――神様が死ぬなんてこともあるのか――しかしなぜ?

 そんな考えがふと頭をよぎる。胸がざわついた。

 そして、二人共死んでしまったと言ったときのあの八咫烏の唐突な態度の変化――。


「ねぇねぇ、明日歌ー!ブランコっておもしろいねー!」

 風神の楽しそうな笑い声に、明日歌ははっと現実に引き戻された。

 一回転こそしなかったが、風神はブランコが前方に振り切った瞬間に手を離し、そのまま空へ飛び上がるという謎の遊びにハマってしまい、その後飽きるまで何回も繰り返した。


 空を飛べる彼らのことを、明日歌は少し羨ましく思うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます