第一話 迷わし神

前編 春

 【迷わし神様の云い伝え】  

 夕方、暗くなるまでお外で遊んでいたら、迷わし神様に道に迷わされて、出口のない迷路に閉じ込められて、二度とおうちに帰れなくなってしまうわ。

 だから、お寺の鐘がなったら、お友達と遊んでいても、すぐにおうちに帰らなきゃいけないのよ。

               (時見町民がよく子供たちに言って聞かせる話)



       ☆



 蛍光灯に照らし出されたその部屋は、いかにも異国のお嬢様のための設えだった。


 アンティーク調の細工が施された、大きな鏡の付いた真っ白なドレッサーと、ピンクのスエード生地の張り込まれた猫脚の椅子に、白いパイプベッドのほか、衣装箪笥と本棚は、白木の北欧家具で統一されていた。絨毯やカーテン、クッションなどは祖母の手作りの、花柄やチェックのカラフルなパッチワークで彩られている。

 前に来た時はもっと物置部屋と化していたように記憶している。しかし、今となってはほとんどの遺品は――というほど大げさなものではないが――処分されていた。残っているのは家具と、若い時の母親の写真が飾られた木製の写真立てと、数冊の古い百科事典と思われる書籍(たぶん高価なものなのだろう、とても分厚くて重たそう)だけだ。 


 今日からしばらく、ここが、明日歌の使用する部屋になる。


 以前の部屋の主の名前は、白瀬エリス。

 いやエリス・カーライルと呼んだほうが良いだろうか。それは写真立ての中で微笑む、明日歌の母親の名前だ。小柄でスレンダーながら抜群のプロポーションに、腰まである明るいプラチナブロンドの髪。明るい青色の瞳を持つ大人びた美人で、つまらなさそうに微笑んでいるが、この写真が撮られた当時はまだ高校生だ。入学式と筆で書かれた高校の正門の前で制服を着て立っているのだからそれは確かだ。

 けれど、この母親のことを――母親と言えども、明日歌はあまり良く知らない。明日歌が五歳の時に事故で亡くなったが、父親も祖母も、あまり語りたがらない。だから明日歌も、遠慮して自分から話題にしないようにしている。

 写真のエリスはさらに明日歌の知らない若い頃のものであるがゆえに、非常に他人行儀だ。親子であることを示す共通点といえば、このやたらと目立ちたがる厄介な髪の色ぐらいなものだった。

 

 二台のカメラの入ったリュックサックをベッドの上にどすんと下ろすと、明日歌はベランダへ向かった。ガラス扉が少し空いていて、すきま風がカーテンを揺らしていたのだ。


 閉めようと思いそちらへ近づくと、ついでに庭の景色を眺めたくなった。

 

 ベランダに出ると、四月はじめの夜風が頬に冷たく優しかった。

 見下ろせばそこは小さな畑と池のある広い裏庭だ。しかし、今は暗闇に包まれており、ほとんど何も見えない。一定間隔の街灯の明かりだけが、点々と見えている。田舎の夜は暗いのだと、実感させられた。

 

 父親と二人暮らしのマンションを離れ、一人この時見町にやってきた。

 独りでマンションに残るか、祖母の家に行くか――だいぶ以前から、その選択肢を提示されていた。

 自分の希望よりも、まず父はどちらを望むか考えた。お婆ちゃんの世話になるのは遠慮があるから、マンションでしっかり一人で生活すると言ったほうが良いだろうか。それとも女子高校生の一人暮らしは危ないから、おとなしくお婆ちゃんの家に行くと言ったほうが無難だろうか。わからないので、どっちでもいいよ、と、決定を父に委ねた。

 結果的に、ここ時見町での、カーライル家での、エリスの部屋での一年間の居候生活が始まろうとしている。


 心細さはない。

 十六歳の女子高生に、一時的な父親の不在は、そこまで重大な心の隙間にはならない。

 明日からの、新たな環境での二年目の高校生活に、少しわくわくしてすらいた。

 

「明日歌ちゃん、夕飯にしましょうか」

 ゆったりと、お婆ちゃんが二階まで上がってきて呼びかけた。歳は七十近くなるけれども、腰まであるウェーブのかかった金髪に、百七十ほどある長身の背筋をピンと伸ばしたその立ち姿は、年齢不詳の様相である。

「はーい」

 歌うように響く高い声で夜に向かって返事をすると、明日歌は裏庭の闇に背を向けた。

 三日月は晴れた空にくっきりと刻まれ、静かに輝いていた。



       ☆



 夢。 


 気がつくと、知らない場所にいた。

 たいてい夢を見ている本人自身は、それが夢だとは気づかないものだ。彼女もまた、そうだった。

 頭上に広がる、絵のような満天の星空にも、何の違和感も疑問も持たない。

 

 硬く、つるつるとしていて、どこまでも続く、迷路のような黒い壁。黒い床。星明かりにぼんやりと、それらが光沢を持っていることがわかる。立ち上がると、裸足の足の裏がひんやりとする。

 

 遠くに小さな人の姿。左の曲がり角から現れた。薄暗くて、顔は見えない。

 

 細長く黒い人影が、ゆらりとこちらに振り向く。

 見つかってはいけない気がして、壁に身を隠す。

 その動作の途中で、明日歌の意識は、世界の裏側に引っ張りこまれるように、奇妙に薄らいだ。



       ☆



 通学路を脇道に逸れた林の入口。

 身をかがめずに通れるか通れないかぐらいの小さな緋色の鳥居の向こうに、犬小屋ほどの祠が佇んでいる。

 その前で、雲のような白く長い髪を、風もないのにふわふわとなびかせながら幼女が話している。

迷様メイサマが道に迷っちゃうなんてね」

 それはこの祠の主の名である。この街の人々の間では迷わし神と呼ばれ親しまれている土地神。とはいえ祠自体を訪れる者はほとんどおらず、すぐそこは車道だというのに、ひっそりと静かな所だ。


 供えられた盛塩が真っ黒に焦げているのが、この祠が正常な状態にあらずということを示す唯一のものだった。


 藤村ふじむら翡翠ひすいは、傍らで幼女の声をぼんやり聞きながら、ふと通学路の方に目を向けた。

 二車線の車道を挟んだ向こう側の歩道を行くショートカットの女子高生は、サッカー部のマネージャーである大原おおはら美月みづき。そして彼女と一緒に歩いていたのは――まちがいない、美月より頭一つ分背が小さく、肩のすぐ下で小奇麗に切りそろえられた、明るいプラチナブロンドの髪――生徒数が千二百人近くいる時見高校でも、その目立つ容姿から知らない人はいないであろう有名人、一年四組の白瀬しらせ明日歌あすか

 毎朝この道を通って学校に行っていたのか。自分も同じ道を通っているのに。それにしては今まで全く気づかなかった。気づかなさすぎた。これほど遠目でもわかるくらいに、お日様の光にきらきらと反射して、白銀にさえ見えるほどに目立つ髪色なのに。

 それとも、今日からこの道を通っているのだろうか。


 それと、もう一つ――。


「ねーえ、どうかしたー?」

 幼女の声が下から聞こえる。聞き流しているのがバレたようで、少し声に不満を滲ませている。ふくれっ面をしているのが見ないでもわかる。

「ううん」

 祠に視線を戻し、翡翠は返事をした。

 傍らのこの幼女、背丈は翡翠の膝の位置より少し高いかどうかだ。だがそのよわいは千を軽く越す――というと察してもらえるであろうが、彼女は人間ではない。真っ白な雲の髪を後ろでひとつにまとめ、金色の瞳と金色の小さな、先っぽの丸っこい一本角を額に生やした、由緒正しき風の神様なのである。

「きっと、近くにはいると思います」

「また今夜も探しに行くの?」

「行くよ」

 怪訝な問いだが、のんびりと答える。

「もう祟り神になってるかも。そうなってたらもう翡翠にはどうすることもできないし、すごく危険だよ?」

「危険だと思ったらすぐ逃げますよ」

 翡翠の返答はゆっくりと丁寧ではあるものの、意志を曲げることはなかった。いつものことである。

「でもでも、祟り神様はなにするかわからないよ~。すぐ殺されちゃうのかもよ?もう意識は乗っ取られちゃってるって聞いたよ?」

 風神は、なおも食い下がる。けれど、

「心配しすぎです」しゃがんで、ぽんと風神の頭に手を置くと翡翠は少し微笑んで、諭すように言う。「大丈夫。こっちも何も持ってないわけじゃないでしょう」

 こちらが折れるのを、のんびりと待っているのだ。

「もー。じゃ勝手にすれば」

 拗ねたように言い捨て、ぷぅっとふくれっ面を見せる神様は、異様に長くたなびく白髪を除けば完全に幼児のように見える。

「そうさせてもらいます」

 丁寧な口調でそう言うと、彼は邪気のない清々しい笑顔を見せ、ひらひらと手をふってから、通学路の方へと歩き出した。

 風神はその姿を見送りながら、ため息を一つ、ついた。

 気がつけば、並んで歩く大原美月と白瀬明日歌の姿は、前方に小さく見えるだけになっていた。

 そう。翡翠にはそれともう一つ、気になることがあったのだ。


 昨日、白瀬明日歌を「ゆめ」の中で見たような気がする――。



       ☆



 始業式特有の、見慣れない顔が並ぶ光景。

「え、まじか。白瀬さんじゃね?」

「うわ、一組なんだ」

「ガチで金髪じゃん」

 聞こえないふうを装っているが、そんな声も耳に入ってくる。そういう扱いには慣れているため、さほど気にはならない。中学の時などは酷い陰口を言われたこともある。それに比べたらよっぽど高待遇だ。

「ねぇねぇ、白瀬さんってハーフなんでしょ?」

「帰国子女なのー?」

「どこの国に住んでたの?」

「ほんとお人形みたいだね」

 たちまち、一塊の女子に取り囲まれる。

 実はこういった直接的な絡みの方が苦手だ。しかし、自分は何も話さなくても、なぜか周りで勝手に話が進む。

「明日歌ちゃんって呼んでいい?」

 同学年なら別のクラスでも、女の子の顔と名前ぐらいは一年の間に少しぐらい覚えていた。それでもやはりまだ知らない子が大半だ。そして逆にその子達は、自分を知っている。さらに積極的に話しかけてきてくれる。けれど自分は容姿が奇抜で目立つだけで、中身はほかの女の子と同じか、むしろ大人しくて面白味に欠ける人間なのだ。それなのに自分から話しかけずとも、この人目を引く風貌のおかげで話題を提供してしまうことに、申し訳なさを感じて狼狽えてばかりいる。

「あ、あの、はい……」

「ちょいちょーい、明日歌もいっぺんに話しかけられると緊張しちゃうっしょ。落ち着いて順番」

 みんなを纏めるかのような一声。親友の大原美月だ。こういう時に必ず助け船を出してくれる。明日歌より頭一つ分背が高く、スラリと伸びた長い脚に対してスカート丈は短い。美月は知らない子ともすぐその場のノリで会話できてしまう天賦の社交性の持ち主なのだ。彼女と同じクラスで助かった、と明日歌は心の底から神に感謝していた。

「よろしくお願いします」

 とりあえず明日歌はおずおずとそれだけ言うと、クラスメイトの歓迎を愛想笑いで受け取っていった。


「あれ、白瀬さんじゃん。ハーフなんだよな?」

 翡翠の隣席の友人、伊計琉太いけいりゅうたも、その例に漏れず彼女の姿に目を引かれていた。

「ああ。そうだね」

 最後列の席で平静を装いつつも、翡翠は内心少し動揺していた。

 金髪の後ろ姿は移動教室時の廊下や全校集会のときの体育館、行事で学年が集まるときなどはよく見かけたものだが、こう同じ教室内で長いこと眺めたことはないので、実を言うと顔まではあまりはっきりと覚えていなかった。

 今、教室の最前列で後ろの席の子に話しかけられて振り返った彼女の容姿は、いかにも日本人離れしたくっきりとした輪郭を持っていた。日に当たると変色でもしてしまいそうな繊細な白い肌に、瞳は薄い灰色に蒼を一滴落としたような薄い色。小柄だが手足が長くほっそりとしていて、顔も小さいため、実際よりも幾分背が高そうに見える。あまり表情は変えずに、長いまつげを伏せがちに、淡々と受け答えをする様子は、さながら壊れやすく大切に扱わなければいけない、高価な異国のお人形といった雰囲気を持つ。

 昨日まで、彼女の存在はただの「容姿の目立つ同学年のハーフの女子」だったわけで、彼の高校生活においてはさほど関係なかった。その証拠にまだ話したこともない。一年生の時は明日歌が四組で翡翠は九組。校舎の構造上もっとも位置が離れていたし、階も違ったため、たぶん、というか確実に、向こうは翡翠のことを何も、名前も顔も存在も知らないはずだった。

「近くで見るの初めてかも」

 琉太はのんきにそんなことを言っている。それはたしかに自分もそうだ。そんな、動物園で珍しい動物を観察するかのような言い方もどうかとは思うけれど。

 まあ――と翡翠は考え直す。

 昨夜見かけた少女が白瀬明日歌だと確実に決まったわけではない。人の形をした人ならざるものなんて、神域にはよくいるものだ。あやかしかも知れない。幽霊かも知れない。金髪だったからってそれだけの理由で、あれが白瀬明日歌だったと、決め付けるのはよくない。それだけの理由でこれほど気にしすぎるのは、良くない。

「翡翠、珍しく興味津々だな」

「?」

「だって。めっちゃ見てんじゃん」

 言われるまで気付かなかった。白瀬明日歌のことを凝視していたことに。

「まあ、珍しいから」

 そんな台詞で取り繕う。でもこれじゃあ琉太と同じじゃないか。

「はーあ。やっぱ可愛いよなぁ。俺のことなんて眼中にないだろうけど」

 そう言ってため息をつく琉太は、沖縄生まれで彫りの深いはっきりとした顔立ちで、髪も茶色く染め、ピアスも開けている。けれどその容姿に反して根は真面目で控えめなために、クラスの隅の方で地味な面子と固まっていることが多く、日陰者を自称していた。

「俺は、綺麗なものは遠くから見ているぐらいがちょうど良いかな」

 翡翠はのんびりと言った。彼もまた、おとなしい性格ゆえクラスの中では存在感に欠けていた。

「なにその余裕……」

 琉太は、お前も同類のくせに、と言いたげな目線を送ってくる。

 二人とも、いつもクラスの中心にいるような、女の子とも仲良くてよく喋る、そんなリア充な男子生徒とは縁遠かった。必然的に、白瀬明日歌のような、目立っていて多くの人に囲まれる女の子とはお近づきになる機会はない。住む世界が違う、とでも言うのだろうか。

「あいつと仲良かったんだ」

 「あいつ」というのは、彼らの所属するサッカー部のマネージャー、大原美月のことだ。

 琉太にとって、一年生の時同じクラスだった美月は数少ない異性の友人である。翡翠とも、同じ部内の人間として、一応の面識はあった。といってもせいぜい欠席の連絡でメールと電話をしたことがある程度の仲だけれど。

「大原さんは、友達が多いですよね」

 翡翠は感心して言った。

「白瀬さんってさ、小指いっつも怪我してんだよね。なんなんだろね。あんまみんな本人には聞かないけど」

 琉太が言うので、彼女が金色の髪の毛を耳にかけるとき、その左手の小指に目をやる。たしかに第一関節まで包帯で巻かれているのがわかった。気づかなかった。案外、彼のほうがよく見ているのかもしれない。

「ふーん……」

 しかし気にはなっても、そんな込み入ったことを深く掘り下げる日は来ないだろう。翡翠は適当に返事をした。

 藤村翡翠にとって、白瀬明日歌の存在は、クラスが同じということ以外は特になんの関連性もない遠いものになる。はずだ。



       ☆



「提出分はなんとかなりそう~助かった~」

 大原美月はその夕方、明日歌のおばあちゃんの家で、明日歌に苦手な英語の課題を手伝ってもらっていた。

 いえいえ、と明日歌がにこにこする。

「でも課題は出来てもテストとなるとまた別なんだよなぁ」

 愚痴をこぼす美月。

「そうだねえ。私ももう古典は諦めてほかで頑張るよ」

 始業式の後、直接帰宅していた明日歌は、私服のジーンズと白色のパーカーに着替えている。彼女は、苦手教科は早々に切り捨てる主義のようだ。

「明日歌と一緒のクラスとは嬉しいね。てっきり明日歌は文系に進むのかと思ってたんだけど」

「文系クラスに変わるのは三年生からでも遅くないかなって。私は英語がちょっと得意なだけで、別にほかの文系教科は好きじゃないし」

 明日歌は小学校を卒業するまでイギリスに住んでいたため、英語は日常会話で困ることが無い程度には扱えるのだ。もちろん、それで受験英語の対策が網羅できるわけではないが、やはり少し自信があるものの方が、勉強していても楽しめるというもので、自然と他教科より力を入れてしまう。

「そろそろ帰ろうかな。遅くまでお邪魔しちゃってごめんね」

 美月が時計に目をやる。八時になろうという頃。

「ううん、全然。なんなら毎日来て欲しいくらいだよ」

 基本的に、家では独りの時間が好きな明日歌も、美月には帰って欲しくない気分になるから不思議だ。竹を割ったようなはっきりとした物言いに、誰に対しても変わらない公平な態度。親切で、ときにちょっぴりおせっかいで、女子にも男子にも友達が多い。悩みなんてないよと表向きには振る舞いつつも、ちょいちょい恋や勉強に思いを巡らせていることを、親友の明日歌にだけは話してくれる。そういう普通の女の子。

「はあああ。もういっそ明日歌を嫁にしたい」

 と、大げさにため息をつきながら言う。彼女はたまにそう言う。もちろん冗談だ。

「あはは、なーに言ってんだ」

 明日歌はいつもそう返す。けれどきっと、美月と付き合う男子は幸せだろうなと羨ましく思うのも事実である。

「しかし立派なおうちだよねえ。この部屋もお嬢様感がすごいし、明日歌はやっぱりお嬢様なんだね」

 部屋に入ってきた時もそうだったが、うっとりとして美月は言った。

「私はそんなことないんだよ。お母さんは、いかにも深窓の令嬢ってかんじだったのかもしれないけど」

 と、明日歌は答える。本当に、自分はこの部屋に、不相応な気がしていた。美月は、本棚の上の写真立てに飾られた明日歌のお母さんの写真を見つけた。明日歌とよく似た明るい金髪だが、もう少し大人びた顔をしている。

「この写真のお母さんもほんと綺麗」

「外人さんだから多少は補正あるけどね」

 明日歌の母親を語る口調は明るいが、どこか他人事のようだ。美月は以前からずっとそう思っていた。だが、淡白で何に対してもさほど思い入れを見せないのは、もともとの明日歌の性格でもある。だから、明日歌って少し変わっているな、と思うぐらいで、いちいち気にすることではなかった。


「お邪魔しました。お婆ちゃん、また来ます」

 玄関までお見送りに来た明日歌のお婆ちゃんに、美月は丁寧にお辞儀をする。

「いつでもいらっしゃいね、今度は夕飯も食べていって」

「はい、是非」

「送ってくよ」

 と明日歌。美月はううん、と軽く首を振る。

「ありがと、でも大丈夫」

「またあしたねー」

 美月の背中に向かって、明日歌はにっこりと、両手を顔の前で振った。

 

「ごめんね、初日から友達呼んで」

 美月が見えなくなってから、明日歌は隣のお婆ちゃんに向かって言った。

「いいのよ。私が言ったんだもの、大歓迎」

 そう。元はといえば、それは祖母からの提案だったのだ。明日歌の仲の良い友人と会ってみたい、ちょうど学校も近くだから帰りに寄ってもらうといい、と。

「とても、良いことだわ、とってもね」

 このとき、優しく微笑む祖母の顔は、歳を感じさせない美しさと、どことなく寂しさを漂わせていたが、傍らの明日歌はそんな機微には気づいていなかった。なので当然、お母さんも生きていたらこの笑顔に似た顔で笑っただろうかなどと、母親のことを想起することも、なかった。


 就寝前。

 一時間ほど明日のテストに備えて勉強をしていたが、やがて集中力が切れて、ベッドに寝転びスマホをいじり出す。

 十分ほど前に美月から通知が来ていた。


『今日はありがとー!

 まだ勉強してるー?』

 

 短く返事を返す。


『こちらこそ!

 もう終わりにするよ』


 急に眠気が襲ってきた。

 寝つきの良い方ではあるため、少し疲れた日には、こういうこともよくある。部屋の電気を常夜灯にするところまでは保てたが、スマートフォンの画面が明るく光り、美月からメールが帰ってきたことがわかっても再びキーロックを解除することなく、明日歌は眠りに落ちていった。


 ――と思うやいなや、目が覚めていた。

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