第24話

 鳥の鳴き声が聞こえる。柔らかな朝の陽ざしを感じて、カミルは目を開けた。

 ヴァルターの工房の、自室の天井が見える。

 あぁ、十三月が終わったんだ、と、カミルはホッと息を吐き、起き上がった。そして、「えっ」と呟き、目を瞠る。

 カミルのベッドの両サイドでは、テレーゼとフォルカーが眠っていた。テレーゼは椅子に座って毛布を被り、フォルカーはベッドにもたれかかった状態ではあるものの床で寝ている。

「ちょっと……テレーゼにフォルカー! なんで……?」

 驚きを隠しきれないカミルの声で、二人は目を覚ました。そして、何事も無かったかのように「おはよう」「新年おめでとう」と声をかけてくる。

「……あ、うん。おはよう。それに、新年おめでとう。……いや、そうじゃなくて……」

 目を白黒させるカミルに、二人は何と言えば良いのかわからない、という顔で苦笑しながら、言葉を探した。

「いや、なんかさ。嫌な夢、見たんだよな」

「夢?」

 カミルが言葉を反芻すると、二人は頷いた。その様子を見るに、どうやら二人とも同じ夢を見たらしい。

「嫌な夢というか、カミルがまた十三月に呼ばれた夢というか。そういや、もうそんな時期か、って思ってよ」

「もし、またカミルが十三月に呼ばれてたらって思ったら、気が気じゃなかったのよ。私達は十三月に呼ばれなかったから、直接助ける事はできないけど……」

 それでも、もしもの時には何かできないかと思った。だから、カミルの元へ来て待機してくれていたのだ。恐らく、ヴァルターが入れてくれたのだろう。

 カミルは、そっと左手に触れる。そう言えば最後に迷った時、思わず左手を掴んでいた。テレーゼ達に助けを求めるように、左手首に巻いたアミュレットに触れていた。

「……」

 カミルがアミュレットに触れて物思いに耽っている間に、テレーゼとフォルカーは立ち上がり、カミルの部屋から出ていこうとする。

「俺、ちょっと顔洗ってくる。あ、カミル。タオル借りるからな?」

「私はコーヒーを淹れてくるわ。台所、借りるわね」

 勝手知ったる何とやらで、テレーゼもフォルカーも遠慮が無い。カミルは苦笑しながら頷き、二人を見送った。

 二人が部屋からいなくなったところで、レオノーラが傍らに舞い降り、少しだけ言い出し難そうにしながらも、問う。

「……止めませんでしたのね。テオ様……昔のカミル=ジーゲル様が、代行者を引き受けるのを……」

 カミルは、頷いた。その目は、左手首のアミュレットを優しく見詰めている。

「たしかに、あそこで過去の僕が代行者を引き受けずにいれば、僕達は二年間も眠らずに済んだかもしれない。……けどさ。そうすると、テレーゼ達の二年間が無くなっちゃうんだよね。二人が僕達のために努力してくれた、二年間がさ」

 それを、無下にしたくなかった。だから、過去の己に、獲物のリストが渡る様を見守った。

 ただ、これだけは、と思って。リストを手にした過去の自分に歩み寄り、言葉をかけた。

「何があっても、テレーゼとフォルカーは君の味方でいてくれるよ。だから君も……二人を大切にして」

 この言葉が、次の十三月で彼の抑止力になったのかどうかはわからない。カミル自身も、わからなくなってしまっている。それでも、これは大事な事だから。言っておかなければならないと思ったのだ。

 一晩で見た、十三月の一ヶ月。過去の自分と過ごした時間。それらを思い出しながら身支度を整えていると、店の入り口の方から訪いの声が聞こえた。新年の、こんな朝早くから客が来るとは珍しい。

 カミルは返事をして、レオノーラと共に入口へと向かう。

 開錠して扉を開けると、そこには少女と母親の親子連れが立っていた。その顔触れを見て、カミルは「おや」と思う。この二人はたしか、紅塗月にカミルが杖の注文を受けて制作した客だ。

「カミルさん! 新年おめでとうございます!」

 娘が、晴れやかな笑顔で新年の挨拶をしてきたので、カミルも慌てて「新年おめでとう」と返す。

「あの……今日はどうなさいましたか? 杖に何か問題が……?」

 恐る恐る訊くと、母親は「いえ……」と少々恥ずかしそうに視線を逸らしてくる。増々わからない。……いや、杖に問題があったとしても、流石に新年早々苦情を入れに来たりはしないか?

 わけがわからないでいるうちに、声を聞き付けたのかテレーゼとフォルカーが様子を見にやってきた。娘は、テレーゼの顔を見て「あっ、テレーゼ先生だ!」と喜んでいる。

 ギャラリーが増えた事で、早いところ用件を済ませないと更に増えるかもしれないという危機感が生まれたのだろう。母親が、口を開いた。

「あの……先日はありがとうございました。娘の魔力に合った材料で杖を作って頂いたお陰で、娘の魔法の練習は随分上手くいっているみたいでして……」

 思わぬ母親の言葉に、カミルは「えっ」と呟く。すると、娘が「待ってました」と言うように、「あのね!」と喋り出した。

「先生にね、うまくなるのが早いってほめてもらったの! それでね、きれいな音が出せるようになったから、カミルさんにもきいてほしくて!」

 そう言うと、娘は早速杖を取り出し、くるりと一振りしてみせた。すると、辺りに鈴を転がしたような、綺麗な音が響き渡る。新年の花が降る様子も相まって、幻想的で美しい光景が出来上がった。

 その光景に、カミル達は思わず拍手をする。驚いた。魂叫木と相性が良さそうだとは思ったが、まさかここまでとは。

 娘は、拍手をされて嬉しそうだ。その中でも特に、魔法使いとして抜群の知名度を誇るテレーゼの拍手が嬉しいようで、きらきらとした目でテレーゼの方を見ている。

 そんな娘の後ろに、二つ、小さな影が見えている事にカミルは気付いた。よく見ると、薄い羽根が生えている。

 妖精だ。それも、何となく見覚えのある顔の妖精だ。たしか、レオノーラと出会った時に一緒にいた妖精達ではないだろうか?

「えっと、そこにいる妖精は……」

 カミルが問うと、娘は「うん!」と嬉しそうに頷いた。

「原っぱでれんしゅうしてたら、このようせいさんたちが、きれいねって! それで、つえを作ってくれたカミルさんのところにもようせいさんがいるから、いっしょにきいてもらおうって思って!」

 妖精達は、少々気まずそうな顔をしている。「まさか魔道具職人と一緒にいる妖精がレオノーラの事だったとは」という顔だ。だが、その表情はすぐに和らぎ、優しく笑った。二人揃って、口をパクパクと動かしている。何とか読み取ると、その口は「やるじゃない」と言っていた。

 レオノーラが、両手で口を押え、カミルの肩に留まる。何と言ったら良いのかわからない、という顔だ。無理も無い。たしか彼女達とは、けんか別れをしたままだったのだから。

 妖精達に気を取られていたカミルに、娘は「それでね!」と話を続けた。カミルが慌てて意識を娘に戻した丁度その瞬間に、娘は言う。

「つぎにつえを作る時もね、カミルさんに作ってほしいの!」

「……え?」

 今、この娘は何と言った? 聞き間違いでなければ、「次も作って欲しい」と言わなかったか?

 カミルの聞き間違いではない事を証明するように、横で母親も頷く。

「私からも、お願いします。魔法の練習を始めてから、この子、本当に嬉しそうで。先生に伺ったら、魔力と相性の良い杖を作ってもらったから、上達が速く、練習が楽しいものに感じられていて。練習が楽しいからまた上達が速くなって……と良い循環が生まれているのだろう、と」

 杖と魔力の相性だけで、ここまで良い結果が出るとは思わなかったと、母親は言う。

「あの時、カミルさんが必死に説得してくださって、魂叫木で杖を作る事を提案してくださらなかったら、娘の魔法はどうなっていたか……。カミルさんが真摯に娘の事を考えてくださったから、今の娘の上達があるんです。ですから……今後も、どうぞよろしくお願いいたします!」

 そう言って、母親は深々と頭を下げる。そして、娘と揃ってもう一度礼を言うと、帰っていった。

 その後ろ姿を眺めるカミルに、テレーゼ達は嬉しそうに言った。

「可愛いリピーターさんができて、良かったわね」

「そういやさ、俺達以外でカミルにリピーターが付くの、初めてじゃねぇ?」

 ……そう、初めてだ。初めて、友人以外の客が、「また頼みたい」と言ってくれた。

 長いやり取りをしていて、流石に奥まで聞こえたのか。ヴァルターも様子を見に出てきた。テレーゼが掻い摘んで事情を説明すると、ヴァルターは破顔してカミルの背を叩く。

「そうか、そうか。良かったなぁ!」

「ちょっ……親方! 痛っ……」

 本気で痛がるカミルの様子に、ヴァルターは「いけねぇ」と言って手を止めた。

「悪い悪い。……しっかし……本当に良かったなぁ、カミル。ずっと真面目に腕を磨いてきて、ずるい事は一切しないで、客の事を考えて真摯に対応してきたもんな。それをやっと認めてくれる人が現れて……俺は……俺は……」

 上を向き、もう一度「いけねぇ」と言うと、ヴァルターは鼻をすすりながら奥の部屋へと戻っていく。

「歳をとると、涙もろくていけねぇ。テレーゼちゃんにフォルカー。俺はもう一度寝るけど、気にせず楽しくやってってくれ。台所にある物は、好きに食って良いからよ」

 そう言って引っ込んでいくヴァルターの後姿を見送ってから、テレーゼとフォルカーはもう一度カミルに視線を戻す。そして、ぎょっとした。

 カミルはぼろぼろと、大粒の涙をこぼしていた。カミルだけではない。レオノーラもだ。

 認めてもらえた。まだまだ小さな一歩だけど、それでもカミルの作った魔道具が良いと言ってくれる人がいた。

 それが嬉しくて……嬉しくて。

 言葉にできない。言葉にならない。

 ただ涙を流す以外に、嬉しさを表す事ができなかった。

 それを酌んでくれたのだろう。テレーゼもフォルカーも、何も言わず、カミルの背中をさすってくれた。

 涙でぼやけて見える外では、相変わらず白い花が降り続けている。

 この花の中では今頃、あの白い妖精達が同じように新年を祝い、踊っているかもしれない。だが。

 カミルにも、フォルカーにも、テレーゼにも。

 白い妖精は、もう、見えない。




(了)

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13月の狩人 宗谷 圭 @shao_souya

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