第28話

「ただ今帰りました、おじじ様!」

 白い花が雪のように降り注ぐ中、花に負けぬほど真っ白い妖精が屋内に飛び込んできた。その声に、奥の〝おじじ様〟と呼ばれた妖精――長が振り向く。飛び込んできた妖精とは正反対に、長は服も髪も、肌以外の全てが真っ黒い妖精だ。

「おぉ、帰ったのかマルレーネ。思ったよりも遅かったのう?」

「中央の街で、フォルカー兄達のその後を見てきたので。……フォルカー兄もテレーゼ姉も、顔をぐしゃぐしゃにして喜んでいました」

「そうか、そうか」

 元気いっぱいな様子のマルレーネに、長は満足気に頷いた。

「我らは、言うなれば情動の妖精。生きとし生ける者の感情の動きを感じれば感じるほど、強い力を得る事ができるからのう。特にあの獣人は感情が動く事を抑える事ができない性状じゃろうから、一緒にいて随分と力をつけたじゃろう?」

「はい!」

 満面の笑みで、マルレーネは頷いた。だが、その後に少しだけ不満そうな顔をして見せる。

「フォルカー兄と一緒にいると、本当にとっても元気になれました。最後は、とっても仲良くなれたと思っています。けど……フォルカー兄、結局最後まで、私の事を名前で呼んでくれなかったんですよ? ちびすけ、ちびすけって!」

 何故でしょう? と首を傾げるマルレーネに、長はおかしそうに笑う。

「なるほどなるほど。鈍い性格だと思うておったが、そこは獣人。勘は鋭かったんじゃろうなぁ。無意識のうちに気付いておったんじゃろう。お前が、彼の敵である十三月の狩人と、似た気配を持っているという事に」

 そう言って、長はすい、と視線を部屋の奥へと動かした。部屋の奥には、祭壇。そこには一着の服がかけられている。隅から隅まで影のように真っ黒い服。全体的に細かい綻びが見え、更に胴体の部分には剣で切られたような大きな裂け目がある。

「あの……おじじ様。狩人は、私の事、怒っていますか……?」

 ボロボロの衣服を見て、マルレーネは不安そうな声で長に問うた。

「その……私が、フォルカー兄達が狩人に攻撃するのを、手伝った事……」

「いいや、全く怒っておらんよ」

 優しく言う長に、マルレーネはホッとした。その頭を撫でながら、長は続けて言う。

「知っての通り、狩人は我ら情動の妖精が崇め奉る神。いわば、感情の動きを最も喜ぶ者じゃ。マルレーネが、あの獣人の手助けをしたいと思い、その感情に従って動いた事を、狩人はいたく喜んでおるよ」

 そう言って、長はマルレーネから離れて祭壇に近寄り、もう一度黒い衣服を見た。先ほどよりも、少しだけ綻びが少なくなっている。裂け目も、小さくなっているようだ。

「今回の十三月は途中で切り上げざるを得なかったが、それでも充分過ぎるほど、揺れ動く感情に触れる事ができた。何せ、内側から破裂するほど、激しい感情を込めた光を叩き込まれたからのう。だからほれ、受けた傷も、あれほどの速さで消えておる」

 そう言うと、長はマルレーネを手招きで呼ぶ。素直に長の元へと進んだマルレーネの頭を撫でながら、長は昔話を語るように言葉を紡いだ。

「狩人は、我らの事を思って、このような事をしておるのじゃよ。一年に一度、多感な年代の若者を集めては十三月の夢に招き、試練を与えて……。漠然とした目標はあるが、そこへ中々到れないでいる若者は、特に感情を揺さぶられ易いからのう。そして、十三月で揺れ動いた感情は、我らに活力を与えてくれる。そのために我らは、狩人のために動く……。今回の事で、それが少しは、理解できたかのう?」

「はい。みんな、そのために一年中頑張って働いているんですね。獲物や代行者となるべき人を探したり、氷響月にはその人達の生活を観察して、よりその人の感情を揺さぶる十三月を作れるようにしたり……」

 窓の外では、灰がかった白い妖精達がくるくると動き回っている。どの妖精も、マルレーネ程白い姿はしていない。彼らを眺めながらマルレーネが答えると、長は嬉しそうに「そうだとも」と何度も頷いた。

「それが、それほどの魔力を持たずに生まれてきた情動の妖精の務めというものじゃからな。魔力を多く持つ者はいずれ長となり、狩人の宿るあの衣を纏って十三月へと足を踏み入れる事となる。……大変な仕事じゃ。ならば、魔力の少ない者がそれ以外の仕事を頑張らねばのう」

「……はい!」

 力強く、マルレーネは頷いた。そして、長から体を離し、真正面から彼を見据えて。そして言った。

「今回の十三月でフォルカー兄達と出会って、旅をして。誰かの感情の動きが私に力を与えてくれる事、私自身の感情も揺れ動かして更なる力を生み出させてくれるのだという事を、はっきりと自覚しました。それに、お友達が目を覚ました時の……願いが叶った瞬間の、あのフォルカー兄達の顔……。本当に……本当に言葉にできないほど、自分でも嬉しくなって。それで、思ったんです。長たる仕事は、十三月の狩人としての務めは、本当に大切で、そして素晴らしいものなんだって。何で私は、今までこの務めをあんなにも恐れていたんだろうって!」

 その力強い言葉に、長は「おぉ……」と声を漏らした。その顔には、感動が満ち溢れている。その表情がまた、マルレーネに次の言葉を口にする勇気をくれているようで。

「では、マルレーネ……」

「はい。私は喜んで、長の後を継がせて頂きます! 次の狩人の依代として……十三月の狩人として恥じない働きができるよう、これからもたくさんの事を教えてください!」

 そう言い放った瞬間、マルレーネの体が闇に包まれた。突然の闇だ。どこから湧いて出たのかも、わからない。

 だが、マルレーネも長も、その事に慌てるような様子は全く無い。それどころか、目に興奮の色を湛えている。

 闇は、次第にマルレーネの髪を、服を、黒く染め上げていく。

 そして、マルレーネを包み込んでいた闇がその場から消えた時……マルレーネの姿は、肌以外の全てが黒く染め上げられていた。純白の妖精から、漆黒の妖精へと姿を変え、薄らと微笑みまで浮かべてその場に佇んでいる。

 長が、感動でうち震えながら、マルレーネの姿に見惚れ、そして声を発した。

「これはまた……何と見事な黒色に染まったものか……! 情動の妖精は、白ければ白い程感情に染まり易く、それ故魔力も多くなる。あそこまで白ければ、狩人の魔力にもよく染まるじゃろうとは思うておったが……ここまでとは……!」

 息を呑み、そして長は呟いた。「誓いは成った」と。

「黒く染まったのは、狩人がお前を後継として認めてくれた何よりの証。正真正銘、お前が次の、我らの長となるのじゃ、マルレーネ……!」

 長の言葉にマルレーネはにこりと笑い、そして長と共に再び狩人の衣装へと視線を遣った。

 漆黒の衣装は、受けた傷を修復しながら……次代の長が成長し、その身に纏われる時を待っている。



(第二部 了)

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