第23話

 シンと、辺りは静まり返った。

 既にこと切れてしまったのか、まるで動かないテレーゼの横で、フォルカーは呆然と狩人を見詰めている。

 そのフォルカーに向かって、狩人は無言のまま、弓を構えた。弦をギリギリと引き絞り、満月のようになったところで番えた矢を放つ。

 呆然としていても、この二年間で鍛え続けてきた勘が働いたのか。フォルカーは迫り来る矢を見もしないで斬り落とした。

 そこで、ハッと我に返る。狩人が、第二の矢を番えていた。

「フォルカー兄! 何も考えられなくなってるのはわかります! けど、このままだとフォルカー兄も私も、狩人に殺されますよ! しっかりしてください!」

 叫ぶマルレーネに、フォルカーは「わかってるよ……」と、掠れた声で呟いた。そして、剣を握る手に力を込めると、狩人をキッと睨み付ける。

「大丈夫だ……十三月で死んだところで、本当に死んじまうわけじゃねぇ。カミル達がそうだったように……!」

 己に言い聞かせるように、わざと強い声で言う。実際には、テレーゼがカミル達と同じようになるのかはわからない。だが、そうであると信じなければ、気力が根こそぎ奪われそうだ。

 今、フォルカーにできる事は、ただ一つ。十三月の狩人と戦って、倒す事だけだ。狩人を倒せば、十三月が終わった時、テレーゼは目覚めるかもしれない。カミル達も、起き上がるかもしれない。

 ならば、テレーゼを殺しても狩人が去らずにいる、今がチャンスだ。カミルの時は、戦う間も無かったのだから。

「狩人が攻撃を仕掛けてきたのは、多分まだ十三月が終わっていないからだと思います。テレーゼ姉が……代行者がいなくなってしまったから、狩人が自分で獲物を狩るしかなくなったから……!」

 そういう事か、と、フォルカーは声にする事無く頷いた。カミルの時は、彼らが矢で貫かれてすぐに十三月が終わった。だから、狩人は去った。

 だが、今回は十三月が終わるまでに、あと数日を残している。代行者がおらず、獲物は数日間を安穏と過ごしているだけで試練を終える事ができる……。そんな状況を許す狩人ではないだろう。

 だから、狩人は自ら獲物を狩る事にした。まずは目の前にいるフォルカーとマルレーネを。彼らを始末したら、フォルカー達の知らない、別の誰かを。

 狩人は次々と矢を放ってくる。それを、フォルカーは余さず斬り落とした。斬り落としながら、次第に狩人に近付いていく。

 やがて、あと一歩で狩人が剣のリーチに入るというところまで、フォルカーは迫った。それを認めた瞬間、狩人は弓矢を背負い、代わりに腰から短剣を引き抜く。

 フォルカーの得意とする接近戦に持ち込めた。そう判断した刹那、フォルカーは力強く大地を蹴る。銀の剣は狩人に肉迫し、漆黒の短剣とぶつかり合って甲高い音を立てた。

 フォルカーと狩人は、剣と短剣を押し付け合ったまま、微塵も動く事が無い。ただ、時々刃と刃が接している部分から、ギチギチという音が聞こえた。

「お前……本当に嫌な奴だよな……」

 どこにそんな余裕があったのか。拮抗する刃を見詰めながら、フォルカーがぼそりと呟いた。狩人の顔に当たる部分が、ゆらりと動く。もし彼に顔があるのだとしたら、その目は今、フォルカーの瞳を見詰めているのだろう。

 その目には、冷静な声とは裏腹に、誰が見てもわかるほどの怒りが込められていた。その怒りを吐き出すように、フォルカーはまた言葉を紡ぐ。

「誰に話しても信じてもらえねぇ、こんな十三月なんて月に勝手に呼び出してよ。俺はまだ、テレーゼ達がいたから良かった。けど、何も知らねぇ奴が、一人で十三月に呼ばれたりしたら。しかも、矢を射かけられて、命を狙われたりしたら。それこそ、怖くて怖くて仕方なかっただろうよ」

 狩人が、急に力を増した。短剣でフォルカーの剣を押し返し、そして跳ねのける。ギィンという音がなった。だが、フォルカーは顔色を変える事無く、すぐさま斬りかかった。再び拮抗状態となったところで、更に言葉を紡ぐ。

「夢や希望を餌にしてぶら下げて、カミルやテレーゼに代行者なんかやらせて、ダチ殺させようとして。そんな事させておきながら、てめぇは物陰でコソコソと見物か? しかも、失敗したらカミルもテレーゼも殺す? あいつらが好きに過せるはずだった二年を奪う? そこまでされなきゃいけねぇほど、お前は偉いのか? 好き勝手にやって良いのか?」

 そこで一度言葉を切り、フォルカーは息を吸った。そして、寸の間、上を見る。十三月――氷響月とは言え、南の砂漠は暑くて。夏のように、空が青い。三人で夏の川に魚を獲りに行ったのは、もうどれほど前の事だろう……と不意に思い、涙が出た。

 彼らの時間を。彼らが楽しく過ごせたかもしれない二年を。狩人は奪ったのだ。そして、もしかしたらこれからも奪い続けるつもりなのかもしれない。

 一年後も、十年後も、彼らが本当に死んでしまうまでずっと……。

「ふざけんな!」

 叫び、フォルカーは剣を握る手に力を込めた。

 だが、このままではとてもではないが決着がつきそうにない。拮抗状態がこのまま続けば、恐らく体力面で先に根負けするのはフォルカーだ。何しろ、相手は精霊。それも、フォルカー達をこのような十三月に呼び寄せる事ができるような存在なのだから。

 何か……何か無いのか?

 この状況をひっくり返し、テレーゼ達を助け出せるような方法は……。

 考えても、何も思い付かない。剣に力を込める事だけで精いっぱいだ。こんな事では、テレーゼ達を救う事など、できるわけが……。

「上出来。そんなに悔しがる事は無いわよ、フォルカー」

 突然、声が聞こえた。聞こえるはずのない、声が。

 そして、辺りに激しい風が巻き起こる。暑い南の砂漠だというのに、この風は北風のように冷たい。ともすれば、身が切れそうだ。

 ……いや、切れそう、ではない。本当に切れていた。それも、フォルカー達は無傷のまま、十三月の狩人の衣服だけが。

 目を丸くしたフォルカーの前で、狩人が硬直している。そして、その背後から狩人の首元に、一振りの杖が突き付けられた。それが意味する事は、ただ一つ。

「背後、取ったわよ」

 狩人の背後には、不敵な笑みを顔に浮かべたテレーゼが立っていた。

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