第19話 笑顔

 ――《呪い》が魔女の体を蝕んでいる以上、彼女がそれに苦痛を覚えるのは当然だ。

 かつて彼女はその状態に慣れすぎていた。

 魔女の前世の体は、呪いへの耐性が強かったのだ。

 それは世界を呪うほどの呪術の才能の持ち主だということを考えると、同時に耐性が高いことは当然とも言えるだろう。


「だけど……この体はそうじゃなかった」


 魔女はそんな風に言う。

 当然ではあるのだろう。

 俺たちは前世とは違う。

 あくまで魂が同一なだけで、その器は別物だ。

 ゆえに前世でできたからと言って、それが今世でもできるとは限らない。

 俺が前世のような聖術が扱えないのも、単純にこの世界では聖力や魔力が練りにくいという以外に――魂に経験があったところで、この体に聖力を操る才能がないということなのかもしれない。魔女が魔術を使えるのも、単にその体にも多少の魔術の才能があったということに過ぎず、実際には世界に問題があるわけではないのかもしれない。

 そのあたりがどうなのか、俺には分からないけれど。

 今の魔女の体は昔とは違い、魂を縛る莫大な呪いの負荷に耐えきれていないということだけは理解した。


「だから……私はきっと早死にする。このまま寿命が尽きて死んでしまう。そうすると、この世界に呪いが撒き散らされる。魔術や聖術といった概念が存在した前の世界より、馴染みのないこの世界ではひどいことになる。大量に発生した怪物に蹂躙される」

「それを回避する方法は?」

「貴方がその聖力をもって、私の呪いを祓うこと」

「それができるなら――」

「――その代償に、私は死ぬ」


 息を荒くする魔女に、心が冷えていく。


「それを俺が許容すると思うのか?」

「そうでしょう。貴方はそれを許さない。たとえ私であろうとも、誰かの死を許さない。だから私はこのまま死ぬしかないと思っていた。けれど、別にそれでもいいと思っていた」

「……」

「……最初は、好きになることができたあの世界さえ守れるなら、後はどうなってもいいと思っていた。だから、こっちに転生してきた。でも……何年も暮らしていたら、愛着が湧いてしまう。好きになってしまうのよ。この世界も、この世界の人々も」

「バカだな、お前。そりゃそうだろ。お前は優しいヤツだからな」

「好き勝手に言ってくれるわね」


 悪い気はしないのか、魔女は僅かに頬を紅潮させる。

 恥ずかしくなったのか、ごろりと背を向け、しかし咳を何度か漏らす。


「大丈夫か?」

「……今の状態は、呪いの影響で定期的に高熱が出るというだけ。数日も経てば治るでしょうし、大丈夫よ」

「大丈夫じゃねえな……」


 苦しそうな魔女を見て、強く、拳を握り締める。

 こいつはこんなにも苦しんでいたというのに、俺は何も気づいてやれなかった。


「誤算だった。普通の人間の体がここまで虚弱だなんて、思わなかった。私は特別だったから……そう、特別だってことを、もっと自覚しておくべきだった」


 魔女は布団にくるまり、辛そうに荒い息を吐きながらそんな風に言う。


「……俺に何ができる?」


 週に一回、聖力を供給することしか、俺にはできないのだろうか。


「……そうね」


 クーラーが効いた部屋は、ひどく心地が良かった。

 魔女が寝ているベッドの前に立ち尽くし、俺は返答を待つ。


「本当は、こんなことを頼む気はなかったのだけれど」


 ヤツはこちらをゆっくりと振り向き、体調が悪そうながらも、どこか蠱惑的な笑みを浮かべて、こう言った。


「でも、貴方――私の、友達なのでしょう?」

「ああ」

「なら――私のために、戦ってくれる?」


 それは、魔女からすれば決死の覚悟と言ってもいい問いだっただろう。

 いつだって嫌われ、憎まれ続けた彼女が――誰かに、自分のために「戦え」と、そんな風に言う。そんなものは許容されない、されてはいけないと思い込んでいた彼女が。

 けれど、初めてできた友達になら――頼んでもいいと思えたのだ。


「それでお前を救えるのなら」


 ゆえに、俺に迷いなどなかった。

 それは呪いに縛られたものではなく、本心からのものだったから。


「……ありがとう、グレイ」


 その言葉を聞いて。

 魔女は、心から安堵したように、可愛らしい微笑を浮かべた。



 ◇



 その日、俺は十数年ぶりに《怪物》と向かい合った。

 四対の翼を生やした大型の熊。

 魔女の心を縛る莫大な《呪い》の一部から生み出された怨霊。

 そんな異形の化け物と相対し、俺は硬く、固く、拳を握り締めた。

 咆哮する怪物を前に、普通の高校生の体の俺は――不敵に笑みを浮かべる。

 そうして体から、僅かに感じる聖力を引きずり出した。

 本来、戦闘に耐えうるほどの量ではない、ちっぽけな聖力。

 だが俺は前世で最強の元英雄だ。

 舐めてもらっては困る。


「悪いな。護りたいヤツがいるんだ」


 負ける気はしなかった。

 俺は肉体運用のギアを限界まで引き上げ、怪物を惨殺した。



 ◇



 ――だから、これはきっと似た者同士が、お互いそれに気づかない間抜けの物語だ。

 気が晴れるような晴天だった。雲一つ見当たらなかった。


「暑い……」


 ゆえに陽射しはジリジリと肌を焦がすかのようで、汗が留まることを知らない。

 朝だから多少マシとはいえ、昼にはもっと暑くなるのだろう。

 それを想像し、うへえと俺は声を漏らした。

 どうにかこうにか学校に着いた俺は自転車から降りると、リュックを背負って校門まで歩き出す。

 その途中で、魔女の後ろ姿を見かけた。

 俺は少し考えた後、早歩きでヤツの後ろに辿り着き、肩をポンと叩く。

 誰かにそんなことをされるとは思っていなかったのか、魔女は「ひゃ!?」と悲鳴を上げた。


「よう」


 面白い反応に苦笑しつつ言うと、魔女はジト目で睨んでくる。


「……おはよう」

「体、もう大丈夫なのか?」

「おかげさまで」


 そう言った魔女は、ちらりと俺の体を見回す。


「貴方も……もう大丈夫そうね」

「まだ少し痛むけど、その程度だな。あいにくと体は頑丈なんだよ」


 とはいえ三日間ほど入院していたわけなのだが。

 怪物との戦闘のせいで、筋肉痛により体が動かなかったのだから仕方がない。


「苦労をかけたわね」

「何、これでお前はしばらく大丈夫なんだろ? なら、安いもんだ」


 魔女の魂を縛る莫大な呪いを祓うには、俺が宿す聖力が必要だ。

 だが魔女の体を呪いが侵食する速度に対して、俺の聖力の供給が追い付いていなかった。俺の体の生命力から自然に聖力が捻出される速度が遅かったのだ。

 だから魔女は呪いの侵食に苦しみ、今回は高熱を出していたのだ。

 ならば――魔女を縛る呪いから、あえて怪物を生み出すことにより、魔女を呪いから解放してやればいい。そして、その怪物を俺が倒す。

 怪物は、一体を生み出すだけでもおそるべき量の呪いを必要とする。

 ゆえに、ただ供給された聖力で呪いを祓い、侵食を抑え込むよりも、はるかに効率の良いやり方だった。



「……言っておくけれど、これは貴方に危険があるから、そうやってもらうつもりはないからね。基本、週に一回の聖力供給だけで何とかしていくから。今回の戦闘は、どうにもならなくなった時の苦肉の策」

「分かってるよ。無茶はしないって」


 流石の俺も、今の肉体で怪物と連戦して勝てるとは思えない。

 というか、余裕かましていた三日前の戦闘も、実は結構ギリギリだった。

 寝込んでいた魔女には「余裕で倒した」と言ってあるが。

 やはり前世の剣がないとキツい。


「しかし怪物と戦った後……親に傷だらけの体を説明するほうがだるかったな」

「でしょうね……」

「しかも、実際に痛いのは外から見える体の傷のせいじゃなくて、俺の動きについてこれない骨と筋肉だし」


 先日の比奈と親の慌てぶりが目に浮かぶようだ。

 前世の経験上、これは大した重傷ではないと理解していた俺だけが冷静だった。


「……桐島さんに、怒られたでしょう?」


 申し訳なさそうな様子の魔女の頭に、手を置く。


「怒られてねえよ。俺を送り出したのはあいつだからな。それどころか、何も聞かれなかった」

 魔女は俺の手をパシンとはたきながら、言う。


「そう。なら問題ないわね」

「問題……ないか? 問題はいろいろあると思うが」


主に、怪我の治療費とか。なぜか俺のバイト代から消えたし……。


「それに、再試も面倒だ」


 そんなこんなで入院していたので、テスト最終日は当然のように欠席した。

 これから高熱で欠席していた魔女と一緒に再試である。

 今回は大して勉強していなかったし、どっちにしろ再試だったかもしれないしまあいいやと諦めている俺に対し、魔女はいまだに唇を尖らせて文句を言っている。


「……何でこの私が再試なんて受けないといけないのかしら」

「本来なら受ける必要なかったって?」

「そうよ」

「どうかな。この学校のテストは意外と難しいぞ」

「舐めないで。私には勉強と読書ぐらいしかやることがないのよ」


 ドヤ顔で言う魔女である。

 何も自慢できる要素ではないので残念な空気が周囲を満たしている。


「じゃあ――俺がお前に友達との遊び方ってヤツを教えてやるよ」

「やけに上から目線なのね」

「教わりたくないならいいけど。別に、勉強と読書が趣味なのも十分いいと思うし」

「……貴方だって、そんなに友達いないくせに」

「そんなことないぞ。お前の百倍はいる。いや、すまん。ゼロは何倍にしてもゼロか」

「……ゼロじゃないし」

「そうだな、冗談だ。俺がいる」

「……」


 ぷい、と顔を背ける魔女だった。

 くくく、と玄関に辿り着いた俺は靴を履き替えながら、声を漏らして笑う。

 相変わらず面白い反応をするヤツだった。


「遊ぼうぜ、俺と。一人より、二人のほうが楽しいだろ。そういう風に思える関係性だから、《友達》って言うんだろ?」


 恥ずかしいことを言ってるとは自覚していた。

 だが魔女とは、英雄だの何だのと、散々恥ずかしいことを話している。

 そんなものは今更だった。

 今の俺たちは華の高校生。青春真っ盛りだ。

 だから――青春なんてものは、きっと恥ずかしいぐらいでちょうどいい。


「そうね……」


 魔女は俺の隣で、学校の廊下を歩きながら、


「じゃあ、お願いすることにするわ」


 花のような笑みを浮かべて、そんな風に言った。

 彼女が含みなく笑うところを俺は初めて見て――だから、俺もつられて笑った。

 意識することなく自然と口角が上がるこの感覚は、ずいぶんと久しぶりな気がした。

 ――楽しいと、本心からそう思った。


「……あ」

「何だよ?」

「ふふ、何でもない」

「は? おい、気になるから言ってくれよ」

「絶対言わないから。ほら、早くしないと朝礼始まるわよ」


 先を歩いていく魔女に、俺は慌ててついていった。

 窓の外を見ると、憎たらしいほどに眩しい太陽が、今日も燦燦と世界を照らしていた。

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