第17話 貴方との関係

 魔女が住むマンションの前で、俺はぜーぜーと息を切らしていた。

 冷静に考えると、ここまで急いでチャリを漕いだ理由は特に見つからない。

 なんか雰囲気に流された――が、まあそれはいい。

 とにかく。

 今は、伝えたいことがある。

 マンションの前でインターホンを押すと、数分間の沈黙があった。

 会いたくないのだろう。それも当然だ。

 そもそもが敵同士なのだから。

 しかし俺が警備員に追い出されそうになった瞬間、魔女の応答があった。


『……何の用?』

「話したいことがある」

『私が貴方に話すことは何もない』

「それでいいのか? お前が生きていくためには、俺の力が必要なんだよな?」

「……」

「貸しがあるだろ。それ、今使う」


 一息に言うと、魔女が呆れたように息を吐く音が聞こえた。


『……分かったわ。上がってきなさい。鍵は開けておく』


 許可は取った。

 俺はエレベーターを使い、魔女の住む階層まで昇っていく。

 その間に、乱れた息をどうにか整えた。

 結局何を話せばいいのか分からない。思考の整理は全然できていない。

 けれど話したいことがある。それだけは確実だった。

 扉の鍵は開いていた。

 魔女の許可は取ってある。靴を脱いで、部屋の中に入っていく。

 相変わらず大量の本棚が部屋を埋め尽くしていた。

 古びた紙の匂いが鼻腔をくすぐる。


「……よう」


 その奥のソファに、魔女は足を組んで座っていた。

 紅茶を啜っていた彼女の視線がこちらを向く。


「フン、いったい何の話が――話、が……あの、だ、大丈夫?」


 澄まし顔だった魔女の顔がなぜか崩れ、不安そうに俺の顔を見てくる。


「どうした急に。お前らしくもない」

「貴方、ひどく汗だくだし、顔が青いんだけど……」

「ハハ、この程度、で……」


 なんかふらついた。


「ちょ、ちょっと英雄!?」

「何のこれしき。ちょっと前世の体力基準で自転車を走らせただけだ」

「そんなの体調悪くなるに決まっているでしょう!? しかも夏なのよ!?」

「ちょっと胃の中身が逆流しそうなだけだ。気にするな」

「私の部屋が危機に晒されているのだけれど」


 あわあわしていた魔女は、ひとまず視線でソファに座るように言う。

 ありがたく従わせてもらった。

 ああ、めっちゃ気持ち悪い……。


「頭がぐるんぐるんする……」

「何でそんなに焦っていたのよ……」


 魔女はエアコンのリモコンを手に取ると、温度を下げた。


「スポドリとか、冷蔵庫にあったかな……」


 何だかんだで優しい女の子だった。

 冷たい性格を気取ってるくせに、慌てるとすぐ本性が出る。


「なあ、魔女……」

「何よ」

「もう、逃がさねえからなァ……! ふはははははは!」

「ひっ……」


 笑みを浮かべて言うと、魔女が何だか本気で一歩退いた。


「いや、すまん。キャラを間違えた」

「すごく気持ち悪い……」

「ストレートに言うな。傷つくだろ」

「いったい何なの」


 魔女は鬱陶しそうに言いながら、スポーツドリンクのボトルを俺に渡してくる。


「サンキューな。でも俺、ポカリよりアクエリ派なんだ……」

「うるさい」


 一言で切り捨てられた。


「いいから飲みなさい。それだけ汗をかいているんだから、脱水症状だと思うし」

「にしてもお前、家だとそんな格好なのな……」


 ポカリを飲みながら言うと、


「え、その……」


 魔女は一瞬、服を腕で隠そうとして、直後に手を腰に当てて胸を張った。


「……何か文句ある?」


 強調されるほどの胸がないのは残念だが。

 今の魔女は、Tシャツ一枚に短パンという夏らしいラフな格好をしている。

 それが何というか、


「いや、普段とギャップあって、可愛いなって……」


 やはり頭が少しボーっとしてるのか、変な口の滑り方をした。

 いつもならこんなこと絶対口には出さないのに。


「はあ!? 何なの急に!? 気持ち悪い!」


 魔女の顔が真っ赤に染まった。

 唾を飛ばすような勢いで批難してくる。


「いや、いいんだ。そんなことより」

「そんなこと、って……」


 魔女は僅かに不満そうに目を逸らした。

 もしや俺を罵倒してきたのは単なる照れ隠しだったのか。


「めんどくさいヤツだな」

「貴方にだけは言われたくない……!」

「確かに俺も大概、面倒な性格だけどな」


 苦笑する。


「でもお前の方が面倒臭いだろ。いろいろと拗らせすぎなんだよ」

「いいや! 絶対貴方の方が面倒くさいわよ! 人の言うこと聞かないし! 他人ばっかり優先して、自分のことは全然省みないし! いつも心配ばかりかけて! ふざけないでよ!」

「お前だってそうだろ! 他人のことばっか気にして、自分なんかどうでもいいって態度を取りやがって!」

「貴方は英雄。けれど私は魔女よ!? 大罪人なのだから、当然でしょう!? 私なんかを気にしていないで、貴方はもっと自分のことを考えなさい!」

「俺はお前が心配なんだよ! 幸せになってほしいんだ!」

「は――」


 魔女は。

 僅かに、引き攣った笑みを浮かべた。


「貴方が、私の心配? そもそもが敵同士。貴方が戦場に立たされた原因にして、何度も殺し合った関係でしょう? 恨まれて当然。憎まれて当然。そんな貴方が、こんな私の心配なんて――嘘に決まってる!」

「本当に、面倒くさいヤツだよなぁ……!」


 俺は立ち上がった。


「私は魔女よ!? 面倒で、最低で、どうしようもない、最悪の怪物に決まってるじゃない! 分かっているでしょう!」

「そんなわけねえだろ! お前がそんなヤツだったら、比奈や耕哉があそこまでお前のことを気にかけると思うか!?」

「うるさいうるさい!」


 魔女は、目尻に涙を貯めながら、はあはあと荒く息を吐く。


「……そもそも、こんな話をしに来たわけではないでしょう? 早く本題に入って」

「いいだろう」


 前へと、足を踏み出す。

 魔女との距離を詰めていく。

 彼女は後ろに下がっていった。


「な、何……? それ以上、近づかないで!」


 魔女はどこからか出した杖を向けてきた。


「断る」


 だが俺は進む。


「攻撃するわよ……!?」

「お前にできるのか? 無抵抗で、あの頃のような力もない俺に攻撃することが!」

「ッ!」


 やがて壁に背中をくっつけた魔女の頭の横に、ドンと手をつける。


「ほらな。お前はやっぱり優しいよ」

「結局、何がしたいのよ、貴方は……!?」

「魔女……いや、椎名麻衣」


 言い直す。彼女はひどく動揺した様子だった。

 杖を持つ手が、震えていた。

 結局、恐れているだけなのだ。怖いだけなのだ、彼女は。

 人に恨まれることが。人に憎まれることが。

 自分はそう思われることが当然の存在だと思い込みながら――けれど、それを知りたくなくて、他の誰かと心の距離を近づけようとしない。

 常に、一歩引いて、《魔女》という心の殻に引き篭もっている。

 だから。

 俺は言った。

 今にも泣きそうな彼女の、支えになってやりたいから。


「俺と――友達になってくれ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます