第16話 大切な人

 彼女は決して、自分から誰かに関わろうとはしていなかった。

 それは今日も変わらなかった。

 ただ。

 日に日に、どこか辛そうな様子になっていることだけは、当然気づいていた。


「おい……魔女」


 テスト二日目終了後の、放課後。


「何か用かしら?」


 廊下で魔女に話しかけると、ヤツはキッと俺を睨みつけてくる。


「お前……何かおかしくないか?」

「私はいつも通りよ」

「俺はそこまで鈍感じゃない。前世ほどじゃないが、お前が抱える呪いの気配だって、感じ取れないわけじゃないんだ」

「……」

「お前――嘘をついてるんじゃないのか? やっぱり、たまに俺の聖なる力を使って処置を施すぐらいじゃ、その呪いはどうにもならないんじゃないのか?」

「貴方に関係ある?」

「何だそりゃ……俺は……」

「貴方はもう英雄じゃないと、そう認めたのでしょう? なら、私に関わる理由はない」

「……比奈との話、聞いてたのか」

「……聞くつもりはなかった。これは本当よ」


 魔女は僅かにバツが悪そうにしながら、視線を逸らす。


「それに……貴方がそういう現実を認めることができて、良かったなって思う」


 そして少しだけ表情を崩した。

 その端整な顔立ちに、微笑が浮かぶ。

 ……不意打ちは卑怯だと思った。

 とはいえ、そんなことより。


「だが」

「――いい?」


 魔女は、俺に指を突きつけてくる。


「私と貴方は根本的に敵同士だった。貴方が英雄としての義務として私を救済しようとするわけではなく、もはや英雄としての呪縛を祓ったと言うのなら――仇敵であり、恨んでいる私に無条件で手を貸す理由はないでしょう?」

「なっ……」

「貴方は私が嫌い。私も貴方が嫌い。なら、関わる理由はない」


 魔女は拒絶するように、そう言う。


「でも……貴方の聖なる気を週一で分け与えてもらう契約だけは、これからも継続させてもらうわよ。……ああ、でも貴方が英雄ではないと認め、私を助ける理由がなくなった以上、対価はきちんと払うべきね。考えておくわ」

「おい……魔女」


 勝手に納得し、振り返り、歩き去っていく彼女に。

 俺は手を伸ばしかけたが……引き止めることは、できなかった。



 ◇



「……なあ」


 それはテスト二日目が終わった後のことだった。

 二日目の教科の出来はまあまあといったところか。初日よりは悪くない。

 そんなこんなで時刻は午後一時。

 テストのため授業は三時間しかないので、俺たちはすでに帰宅の途についている。

 そのはずだったのだが。

 ――なぜか今、学校近くのショッピングモールを訪れていた。

 無駄に広く、駐車場が大きく、中にはいろいろな店が乱雑に詰め込まれている、田舎にありがちなアレだ。

 そういえば田舎になるほど規模が大きいとかいう噂を聞いたことがあるし、そもそも真の田舎には住宅しか存在しないとかいう田舎ガチ勢の言葉を聞いたこともある――が、今はそんなことはどうでもいい。


「勉強しなくていいのかよ?」


 俺は前を歩く比奈に尋ねる。

 彼女はくるりと振り向いた。

 背中で両手を結ぶ彼女は、普段は目立たない胸が少しだけ強調されている。


「ちゃんとするに決まってんじゃん。家に帰ったらね」


 そう言って彼女は悪戯っぽく笑う。

 制服のスカートが妙に短く感じるが、単に比奈の足が長いのだろう。

 すらりと伸びた足が妙に艶かしい。

 ……って、そんなことを考えている場合ではなく。


「何しに来たんだよ?」

「お昼食べに来ただけよ。勉強には息抜きも大事でしょ? せっかく学校が午前中で終わるんだから、有効活用しなきゃ」


比奈はレストラン街のあたりを楽しげに見て回っていく。


「そのためだけに俺を連れて来たのか?」

「……何よ。一人だと、寂しいじゃない」


 比奈は僅かに俯き、唇を尖らせて呟く。その頬は少し赤かった。


「それとも、嫌?」

「まあ時間はあるし、息抜きも大事だよな」

「やった」

「息抜きしすぎると信二みたいになるが」

「信二はもはや息してないじゃん。あたしをあんな奴と一緒にしないでよ」

「お前の中では死んだのか……」

「とにかく、あたしの方が成績は良いんだし、心配するなら自分だと思うけど」

「そうなんだよな……」


 俺は頭をかく。


「ま、今のところ赤点の心配はなさそうだ」

「ならいいけど」


 比奈はあくまで上機嫌だった。

 テストの出来が良かったのだろうか。


「何食べよっか?」

「オムライス」

「アンタそれ好きよねー」

「洋食系の店ならあっちの方に揃ってるぞ」

「行きません」

「何でだよ」

「今日はラーメンを食べに来たんだし」

「何で聞いたんだよ」

「はいはい、オムライスなら今度あたしが作ってあげるから」

「言ったな? 絶対だぞ」

「ちょ、近いって……っ!」

「俺は約束を忘れない男だからな」

「いいからもうちょっと離れなさいよ。カップルに見られたらどうすんのよ……」

「何か問題あるのか?」

「ふぇ?」

「他人の目なんかそこまで気にするもんじゃない」


 前世は英雄だった俺だ。

 勝手にいろいろな憶測をされてきた身からすれば、人からどんな印象をもたれようと慣れっこだった。


「……比奈? 顔赤いぞ?」

「うるさいうるさい! 景のくせに、上から目線で言わないでよ!」

「理不尽な」


 そんなことを言いつつも、俺と密着するような距離感を保っている比奈。

 離れてほしいわけではなかったのだろうか。


「ところで」


 ラーメン屋の暖簾をくぐりながら、比奈は言う。


「まさか、今日ラーメンの気分じゃなかった?」

「今聞かれても困るんだが」


 へいらっしゃーい、という店主のやる気なさそうな声が聞こえてきた。


「ふふ、あたしの希望を通すための巧妙な作戦だからね」

「ほとんど力押しじゃねえか」


 比奈は聞いちゃいない。

 カウンターに座ると、元気よく「とんこつ! チャーシュー大盛りで!」と頼んでいる。


「あ、じゃあ俺も同じやつで」

「あいよ」


 と、店主は手馴れた様子でその注文を受けつつ、


「にしても嬢ちゃん。今日は友達じゃなくて彼氏さんと一緒かい?」


 比奈は一瞬きょとんとした後、顔を真っ赤にして否定する。


「ち、違いますから!!」

「いやあ、隅に置けないねえ。ま、うちとしてはありがたいもんだ」


 店主はそう言って大きく笑うと、店の奥に消えていく。


「何よ、もう……」

「気さくな店主だな。俺は好きだよ」


 ころころと表情を変える比奈。

 可愛い。

 そんなことを考えつつ、俺は軽く笑った。


「そういや俺、ここには入ったことなかったな……」

「端の方にあって目立たないからねー。二階のフードコートにもラーメン屋あるから、みんなそっちに行っちゃうし。あたしはここの方がぜったい美味しいと思うんだけど」


 比奈はフンと鼻を鳴らし、不満そうな調子で言う。


「お前は昔からラーメン好きだよな」

「そうなんだけど……女の子の友達は中々ついてきてくれないから、悲しいんだよね。スタバと何が違うっていうのよ! まったく……」

「お前なら男友達もたくさんいるし、一緒に行ってくれるんじゃないのか?」


 何の気なしに言うと、


「ふーん……そういうこと言うんだ」


 比奈が何だかじっとりとした視線を向けてきた。


「何だよ?」

「別に?」


 比奈は頬杖をつきながら、目を逸らす。


「――まあ、ラーメンぐらい俺が付き合ってやるよ」

「ん。よろしい」


 どうやらこの回答を待っていたらしい。

 比奈は相変わらず我が侭お嬢様だった。

 と言っても俺以外の前じゃ、面倒見の良いお姉さんって感じなんだよな。

 何かがおかしい。

 理不尽だ。


「お待たせしましたー」


 運ばれてきたとんこつラーメンを見て、比奈はうきうきとした様子で手を合わせる。


「いただきまーす」

「お前そのへん律儀だよな」

「あ、景。もう食べてる……いけないんだ」

「忘れてたんだよ……いただきます」


 そんなこんなで俺はラーメンをずるずると啜り、れんげでスープを一口。

 雷のような衝撃が走った。


「めちゃくちゃ美味い……」

「でしょ?」


 比奈は少しだけ自慢げに笑う。


「苦しい時は、美味しいものを食べるのが一番!」


 溌剌とした彼女の声に、苦笑する。

 知らぬ間にまた心配をかけていたらしい。

 ……それにしても。


「マジで美味いな……何でこの味であんまり人がいないんだよ」

「きっと商売が下手なんじゃない?」

「やかましいわ!」


 カウンターの向こうから店主の声が聞こえてきた。


 ◇


 ともあれ。


「はー。食った食った」


 満腹になった俺たちはラーメン屋を出て、駐輪場前のベンチで休憩していた。

 今すぐにチャリを漕ぎ始めるには、胃の中のラーメンが重すぎる。

 俺は腹をさすりつつ、空を仰いだ。

 雲がちょうど太陽を遮り、七月にしては涼しい空間を作り出している。


「――なあ」


 俺は尋ねる。


「何?」


 比奈はきょとんとした表情で聞き返してくる。


「分からないことがあるんだ」

「明日のテストのこと?」

「いや」


 首を振る。地面を見た。

 瞼を閉じると、魔女の顔が浮かんだ。


「嫌いなヤツがいるんだ」


 そう言うと、比奈は目を瞠った。


「珍しいじゃん。アンタに、嫌いなヤツがいるなんて」

「そうだな。俺も、一人しか知らない」


 だというのに、おかしい。

 自分の思考回路がよく分からない。


「嫌いだ。わざわざ関わりたいと思ったことはなかった。仲はいつでも悪かった」


 間違いなく、それが事実だった。


「お前に言われるまで持っていた、誰かを助けなければならないという義務感でもない限り、手助けする理由なんてないはずなんだ。気にかかる理由なんてないはずなんだ。手を貸す理由なんて何一つないはずなんだ」

「……」

「なのに」


 俺は。


「どうして、俺は……」


 掌を見つめていると、比奈が問いかけてくる。


「助けたいって、思うんだ? その子を」

「……」

「これまでのような強迫観念じゃなく、ただの本心として」

「――ああ」

「なら、話は簡単じゃん」


 比奈はくすりと笑った。

 その笑みはなぜか、どこか悲しそうに見えた。


「その子のこと、嫌いじゃないってだけでしょ。嫌いだと思いこんでいただけで……本当は、その子のこと――大切なんでしょ? 好き、なんだよ」

「え……?」

「好きだから、手助けしてあげたいって思うんだよ。その子のことが大切だから、気にかかるんだよ。手を貸してあげたいって思うんだよ」


 そんなはずがない、と否定したかった。

 けれど言葉は出なかった。

 脳裏に、魔女との数々の思い出が浮かんだ。

 どれもこれも、くだらないものばかりだった。

 悪態ばかりついて、喧嘩ばかりして、一般に仲が悪いと評される関係だったはずだ。そういう知識を持っていた。

 だから、俺は魔女のことが嫌いなのだと、俺は学んだ知識に基づいて判断していた。

 ……人間関係を学ぶ機会なんて、ほとんどなかったから。

 でも、よく考えると。

 決して、嫌だと思ったことはなかった。

 不快に思ったことはなかった。

 くだらない掛け合いも、馬鹿みたいな喧嘩も、今思えば少しだけ楽しかった。

 その高揚した感情が「楽しい」とか、「嬉しい」気持ちだということに、当時は気づけなかった。

 人とまともに関わったことなんて、魔女が初めてだったのだから。


「じゃあ……俺は、あいつのことが、嫌いじゃないのか」


 言葉にして、初めてそれを認めることができた。

 常識を覆された気分だった。

 自分の中では当たり前すぎて、議論するまでもないことだったから。


「そうだよ。……誰かは知らないけど、アンタは無自覚に、その子が好きだったのよ」

「……」

「普通の人が、誰かを助けたいなんて考える時はね、その人のことを、失いたくない大切な人だと、そう思ってるからに決まってるじゃん」


 ――ね? と、比奈は優しげな瞳をしながら小首を傾げる。

 諭すような口調だった。


「あたしが今こうしてアンタなんかの相談に乗っている理由だって、そうじゃん」

「……なんかとは何だ」

「アンタなんかのことを、大事な人だと思っちゃったから、そういった繋がりを培ってきたから……こんな風に一緒にいるんだよ?」


 比奈は俺の体を背もたれにすると、


「それが……友達じゃん」


 そんな風に言った。


「友達……」


 それは、関係性を意味する言葉。

 繋がりを意味する言葉。

 互いを助け合う関係を意味する――そういう言葉だ。


 俺と魔女を隔てていたものは、いったい何だった?


「そうか……」


 無意識に、口元が弧を描く。いつの間にか雲は取り払われていた。

 快晴の空が肌を焼く。

 燦々と輝く太陽は、どんどん周囲の気温を上げていった。

 ――やるべきことを見つけた気分だった。


「悪い、比奈」


 がたっ、と音を立てて立ち上がる。


「あいたっ!」


 俺を背もたれにしていた比奈がそのまま後頭部を打った。


「あ、すまん……」

「い、いいから……」


 彼女は頭を抑えつつ、ひらひらと手を振る。


「行くところがあるんでしょ? さっさと行って来なさいよ」


 適当な調子で比奈は言った。

 ――やっぱり、何でも見透かされているような気分になる。

 それが少しだけ腹立たしくて、同時に心地の良い気分だった。


「行ってくる!」


 俺はチャリをひったくるように乗り込み、立ったまま漕ぎ始める。


「ちゃんと、帰ってきなさいよ」

「ああ!」


 ――探していたのは、理由だった。

 しかし。

 そんなものは、最初から提示されていたのだ。

 俺はなんて馬鹿だったんだろう。


「けど」


 汗が流れる。怒涛のように。

 夏の日差しはおそろしく体力を奪う。

 だが、チャリの速度を緩める気は起きなかった。


「もう迷わない……っ!」


 そう決めたから。

 うじうじと悩むのは、ここで終わりだ。

 

 

 

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