第三章 救済 ―Witch curse―

第15話 魔女に幸福はない

 期末試験が始まった。

 試験期間は月曜から木曜の四日間。

 この期間は部活動も休止になり、全生徒がテスト勉強に専念することになる。

 まあ部活から解放された生徒がここぞとばかりに遊び回ることもよくあるわけだが。


「……はぁ」


 俺はため息を吐きながら学校を出た。

 隣を歩く信二が軽い調子で尋ねてくる。


「どうしたよ景? そんなにテストできなかったのか?」

「そういうお前はできたのかよ?」

「できるわけねえだろ」


 断言。

 まるでそれが世界の真理であるかのように、堂々と言いきった。


「いっそ清々しいな……」

「まあギリギリ赤点を逃れるかどうか、かね。俺はいつだってギリギリを攻めていくんだよ。安全圏で余裕ぶってる奴とは潜り抜けた死線の数が違う」

「物は言いようだな」

「人生なんてだいたいそんなもんだ。誰かにとっては取るに足らない言葉が、他の誰かを救うこともある」

「……」

「どうしたよ? 珍しく良いこと言ってんだからちゃんと聞けや」

「ハッ」


 俺は軽く鼻で笑い飛ばした。


「ありきたりな意見だ」

「なるほど、お前には響かない言葉だったらしい」


 信二は肩をすくめる。


「――で、実際、どうかしたのかよ?」

「テストは別に普通の出来だったよ。可もなく不可もない」


 初日の教科は国語、現代社会、英語だった。

 どれも勉強量に応じた結果としか言いようがない。

 単に、あまり勉強していなかったのだから自業自得だ。


「じゃ、その憂鬱そうな表情は何だよ?」

「ちょっと悩みがあるんだ」

「テスト以外でか?」

「ああ」

「――やっぱり椎名麻衣か?」

「……」

「図星か」


 信二は僅かに俺の前を歩きながら、


「あの日、喫茶店でのテスト勉強。お前ら何かおかしかったもんな」

「やっぱ分かるよな」

「当たり前だろ。お前みたいな鈍感系主人公じゃねえんだ」

「やかましいわ」


 じゃり、と足音を立てて、信二はこちらを振り向く。


「昔の知り合いだと言ってたな?」

「ああ」

「……そういうレベルじゃねえだろ。もっと仲が良かったはずだ。流石に、この短い期間で、お前があの子とここまで仲良くなるほどコミュ力があるとは思えねえ」

「ひどい言い草だな。そもそも仲良くはない」

「別にコミュ障だと言ってるわけじゃねえ。むしろコミュ力はある方だ。ある程度時間があれば、仲良くもなるだろうよ。ただな、お前は急速に人との距離感を詰められるタイプではねえだろ。やりゃできるかもしれんが、やろうとはしない」


 信二は昔から、マイペースなようで人をよく見ている男だった。


「元々ちょっとした知り合いだった、ってのは嘘だろ。お前にとって、あの子はもっと大切な存在だったんじゃないのか?」

「……そうだな」


 俺は苦笑して歩き出した。

 ゆっくりと信二を追い越す。


「その通りだよ。だから心配なんだ」


 カバンを肩にかける信二は軽薄そうな笑みを浮かべながら、再び隣に並んだ。


「――俺と耕哉じゃ無理みたいだ」

「何を言って……?」

「あの子、何かに苦しんでるだろ。理由は分からんけど、今にも自殺しそうだ」


 その言葉に。

 俺は、思わず足を止めた。


「自分しか気づいていないと思ってたのか?」


 信二は言う。


「お前は割と鈍感だからな。と言っても、妙に鋭い時もあるか」


 頬に汗が流れた。


「何とかしてやりたくて勉強会とか画策してみたが、逆効果だったかな。あの子を苦しめている原因、俺たちは新しい学校の人間関係絡みだと踏んでたんだが、アテが外れた。どうやらもっと根本的な部分に原因があるらしい」

「信二……」

「お前なら分かるんだろ?」


 信二は淡々とした口調で言う。

 あくまで他人事のような雰囲気を漂わせながら、


「じゃあお前が何とかしてやれよ。俺たちみたいな他人じゃ、まだ心には踏み込めない」


 そんな風に言う。


「仲、良いんだろ?」


 ――違う、と思った。

 俺と魔女は宿敵だ。前世の仇敵。

 最終的に助けることになったとはいえ、決して仲が良かったわけではない。

 俺は英雄としての行動を遵守しただけだ。

 助けるべきだと思ったから助けただけだ。

 むしろ仲は最悪だった。常に恨み言ばかりを言いあっていた。

 助け助けられたとはいえ、それは互いに互いの信じる道を貫いただけなのだから。

 本人のためにやったわけではない。そのはずだ。


「……」


 黙り込んでいると、いつの間にか駐輪場に到着していた。

 屋根に日差しが遮られ、少しだけ涼しい。


「別に、これは指示じゃない。ただ俺らには多分どうにもならねえってだけだ」


 信二は自分のチャリに乗り込み、俺の横を通り過ぎていく。


「お前がどうするかはお前が決めろ。自分の人生なんだ、やることは自分で決めなきゃつまんねえだろうしな。少なくとも、俺はそう思ってる」


 信二はニヤリと笑って、


「それじゃ、また明日会おうぜ。テスト勉強はしろよ」


 ひらひらと手を振りながら去っていった。

 俺はチャリに腰掛けつつ、呟く。


「……うるせえ奴だ。完全にブーメランなんだよ」



 ◇



 ――思えば。

 彼はいつだってそうだった。彼はいつだって英雄だった。

 私は魔女としての役目を果たすために彼を利用し、彼は英雄としての役割に従って私を助けた。そして、私を助けた罪を問われて殺された。

 所詮は利用し、利用される関係だったはずだ。

 彼はただ役目を果たしただけであり、私に同情される理由なんてない、そんなことを言うだろう。

 実際その通りだった。反論の余地なんてなかった。

 けれど、流れた涙は止まらなかった。それだけの話だった。

 いつの間にか、ただの宿敵ではなくなっていたのだ。

 私の中で、少しだけ彼という存在が大きくなっていたのだ。

 その時、初めてそう認めることができた。

 こんな私にも、少しだけ、大切だと思える存在ができた。

 なら、それだけで十分だった。

 魔女には十分すぎるほどの幸福だった。

 英雄が死んだ数週間後、私は呪いの侵食が末期となり、体が限界に達した。

 そして死んだ。

 英雄の時と同じように、転生の術式を用意して。

 私が侵した罪を、この世界に押し付けるわけにはいけないから。

 死ななければならないのに、私が死んではこの世界が呪われてしまう。

 死にたいのに、生きていてはいけない存在なのに、それだけの罪を犯した魔女だというのに――私は人々の望みを裏切り、生きていなくてはいけない。

 そのことが、どうしようもなく辛かった。


 ああ。

 もとより、私の望みなど叶うはずもなかったのだ。


 魔女は不幸でなくてはならない。

 ならば、魔女の望みは叶うべきではない。

 考えてみれば当然の理屈だ。

 涙が出た。苦しかった。辛かった。

 ……私が前世の記憶を取り戻したのは、英雄よりもずっと前だ。

 転生の術式には、前世の記憶が赤ん坊の頃には封印されているように設定している。精神が元の自分との不一致に耐えられず、崩壊するといわれているだ。

 自分が自分ではなくなる感覚――とでも言うべきか。

 だが、年齢が元の自分に近づけばその限りではない。

 だから英雄は元の年齢の二歳前にまで辿り着いた二年前に記憶を取り戻し、私は四年ほど前から、すでに記憶を取り戻していた。


 だが……術式ではそうなっていても、実際にはそうではなかった。術式の不具合というわけではないだろう。失敗はしないように、何度も調整したからだ。

 だが、前世の記憶は悪夢という形で、私を侵食していた。

 それは術式の問題ではなく、私自身の問題だったのだろう。

 私という魂に、そういった記憶が強く焼き付きすぎているのだ。


 毎日のように前世の夢を見た。

 ゆえに、それは絶対に悪夢だった。

 毎夜うなされて、泣きながら起きて。

 お母さんを悲しませてしまった。

 私なんかのために人が悲しむ、それだけは許容できないと思った。

 その時はまだ、よく思い出せなかったけれど――私が生きていてはいけない大罪人ということでは、明確に記憶していた。無意識に刷り込まれていた。

 数ヶ月前までは、ただ、それが曖昧だっただけだ。

 完全な記憶を取り戻したのが数ヶ月前というだけの話だ。

 重要な部分は最初から記憶していた。


 ……だから、呪いは最初から侵食を止めていなかったのだ。

 英雄には、記憶が戻ると同時に呪いの侵食が始まったと言った。

 けれど、呪いというものが、そんなに都合良く作動するはずもない。

 私の寿命はどんどん縮んでいく。

 私が身に抱えた莫大な呪いが、この世界に降りかかってしまう日が徐々に近づいていく。

 そうなれば、誰もが不幸になる最悪の世界の完成だ。

 私のせいで。

 こんな、どうしようもない、私のせいで。

 ……自分だけで呪いをどうにかできる方法を何年も探して、けれど見つからなかった。

 薄々分かっていた。

 前世であれだけ探しても見つからなかったのだから、世界が違うぐらいで変わるはずもない。

 だから、保険としてここに転生させた英雄を頼ることにしたのだ。

 彼の魂に宿った聖なる力なら、徐々に呪いを祓うことができるから。

 何年かかるか分からないけれど……私が、呪いから解放される可能性はあるから。

 彼には幸せになってほしかったから、あまり関わりたくはなかったけれど。


 ――私に関わると、人は不幸になってしまうから。


 だから。


「苦しい、なぁ……」


 胸のあたりが、ズキズキと痛む。

 呪いというのだから、当然、物理的な痛みも伴うに決まっている。


「辛い、なぁ……」


 暴言をぶつけてしまった、英雄の顔が浮かぶ。

 悲しそうな彼の表情が浮かぶ。

 けれど、彼は英雄としてのしがらみなんて捨てて、幸せになってほしかった。


「悲しい、なぁ……」


 何もかもが自業自得で。

 私が魔女であることがすべての原因で。

 だから、誰かを恨むことなんて、できるわけなくて。

 私には何もできなくて。

 けれど――この胸の痛みが、変わるわけじゃない。


「痛い、なぁ……」


 魔女は、虚空に手を伸ばす。

 瞳から零れた雫は、静かに夜の街に落ちた。

 それでも。

 助けてほしいなんてことは、口が裂けても言えなかった。

 


 

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