第12話 勉強会

「やあ、遅かったね」


 耕哉が軽く笑みを浮かべながら手を挙げた。

 相変わらず爽やかな顔立ちには、気さくな笑みがサマになっている。


「悪いな。ちょいと二度寝が深かった」

「月曜から期末テスト始まるんだぞ。大丈夫か?」

「……え、マジ?」

「アンタ、テストの日程くらいは把握しておきなさいよ……」


 素で言葉を失った俺に、比奈が呆れつつ小言を言う。


「んー、いや……そういえば、そうか。なんか記憶から抜け落ちてたわ」

「もうボケたの?」

「比奈、辛辣だね……」

「このバカにはそのくらいが丁度いいでしょ」


 苦笑する耕哉に、比奈が鼻を鳴らしながら言い返す。


「まあ俺は授業ちゃんと聞いてるし、赤点は取らねえよ多分」

「どうだか」

「俺の心配より、そこで寝てるヤツの心配したほうがいいだろ絶対」

「は? ……って、美紀! また寝てるし!? ちゃんとやってよもー!」


 自慢のポニーテールを揺らしながらぐーすかと眠っている美紀。

 比奈が彼女の頭をぐらぐらと揺らすのを横目に、俺は耕哉の隣に腰を落ち着ける。

 勉強道具を適当に詰め込んできたせいで無駄に重くなったバッグを地面に下ろした。

 肩に乗っていた重圧から解放され、気分は爽快だった。


「……しかしまあ、割と珍しい面子が集まってるな?」


 寝ぼけた美紀と比奈のやり取りを横目に、俺は小声で耕哉に話しかける。

 ここは喫茶店の六人テーブル席。集まっているのは五人だ。

 俺、耕哉、美紀、比奈、それと実は最初からいる信二だ。

 ヤツはイヤホンをつけて音楽を聴きながら、ノリノリで勉強している。

 何だお前。


「そうか? 普通に話す面子だろ」


 耕哉はきょとんとしながらそんな風に言う。


「まあお前からすればそうかもしれんけどな……」


 耕哉はコミュ力の塊だ。

 基本、誰とでも仲が良い。

 コイツの中では、普段つるんでるグループの違いもあまり意識していない――というわけでもないだろう。

 コミュ力が高いということは大抵の場合、人間関係の機微に敏いということを意味する。

 だから意識的にか無意識的にかはともかくとして空気を読める耕也がここに、仲は良いとはいえ普段つるんでいるわけではない面子を集めたのは何かあるのだろうか……と、少し疑ってしまう。


「ま、たまにはね。それに比奈は頭良いし。僕の勉強も手伝ってほしかった」

「ああ、確かにお前が普段つるんでるヤツら、勉強はからっきしだもんな……」

「あはは……まあアイツらに教えるのも勉強になるし良いんだけど、僕が分からない部分の勉強にはならないからね」


 耕也が普段一緒にいることの多い鈴木陽太や本城舞はかなりのアホだ。

 テスト前になると耕也に頼りきりになるのが目に見えている。


「よくやるもんだ」

「まあ、つまりはそういうことだよ。他にも理由はあるけど」

「他にも?」

「ま、そのうち分かる」


 耕也はそう言って笑った。

 まあ《普通に話す面子》なのは間違いなく事実だ。

 わざわざ勉強会で集まるほど仲が良いわけではないというだけで。

 だから別に大した問題があるわけではない。

 そもそも勉強をしに来ただけである。

 ならば本懐を果たすべきだ。


「もう勉強飽きたー。だるいよぉー」


 美紀はテーブルに顎をつけて、だらーんとしている。

 完全にやる気を失った表情だった。


「まったく……」


 そんな美紀を見て、比奈は額に手をやる。


「そんなんでいいと思ってるの? またお母さんに叱られるよ?」

「それは嫌だよ……」

「じゃあ勉強しましょう。この高校に入れるぐらいだし地頭は悪くないんだから、要点さえ覚えれば大丈夫でしょ」

「数学が暗号にしか見えない……」


 目をぐるぐると回しているような印象を受ける美紀と、彼女を説得しつつも勉強の手を動かすのはやめない比奈。


「相変わらずだな」


 俺がため息をつくと、美紀が少しムッとした表情になった。


「む。景だってあたしと似たようなもんでしょうにー!」

「俺は赤点まで取ったことはねえよ……」

「え、本当に?」

「なぜ耕也が驚く」

「バイトばかりしているのによく取れるもんだね?」

「部活やってるのと似たようなもんだろ」

「そういやそうか」


 俺の対面に座るのが比奈で、美紀が右斜め向かい側だった。

 信二は耕哉を挟んで隣に座っている。

 足でリズムを刻んでいた。


「そも、あたしたちはなぜ勉強をしなければならないのか」

「なんか哲学的なこと言い始めたぞ」

「社会なんてものがあるからだよ!! 壊そうよ比奈! あたしたち二人で!」

「ラスボス理論だった!?」

「ふたりはプリキュア!」

「そんな目的のプリキュアがいるか」

「――社会がなくなったら、美紀が好きなラーメンも食べられなくなるね」

「うっ……」


 比奈の的確な一言で美紀が撃沈。

 そういや美紀は大のラーメン好きだったか。

 それでよくこのスタイルを維持しているものだ。

 見事な曲線を描いている。

 素晴らしい。うん。


「……」

「何でしょう、比奈さん」

「別に」


 なぜ比奈はここまで俺の考えに対して鋭いんだ……。

 ともあれ比奈は美紀に勉強させることに苦労しているようだった。

 おっとりした感じで大人しそうな美紀と派手なギャルっぽい比奈だが、彼女らの成績は見た目のイメージとは真逆である。


「美紀って中間テストはどうだったんだ?」


 耕哉の問いに、美紀は露骨に固まった。


「モクヒケンを行使する」

「赤点二つでぜんぜんダメ。特に数学は何とかしないとヤバいからホントに」

「だって村上の授業聞く気が起きないんだもん……」

「だってじゃない。手を動かさないと。真面目にやればそんなに難しくないから」

「むぐぐ……」

「夏休み中、村上とマンツーマンの補習はしたくないでしょ?」


 比奈がそう言うと、美紀はめちゃくちゃ嫌そうな顔をする。


「嫌ならちゃんとやらないと。ほら、ここの問題からね?」

「はーい」

「飼い主みたいだな……」


 俺はバッグからノートと筆箱を取り出しながら呟く。


「飼い主」

「オカンのほうがいいか?」

「もっと嫌よ!」

「ママ」

「気持ち悪い……」


 ドン引きである。

 俺は肩をすくめた。


「美紀は見ての通りみたいだけど、比奈のほうは期末テスト大丈夫そうなん?」


 尋ねたのは耕哉だった。

 言葉を発しつつも、手元は淀みなく動いている。

 おそろしい速度で計算問題を解いていた。

 コイツもかなり成績上位だからな。


「まあ今んとこ、全科目八〇点以上は取れそうかなって感じ」


 そんなことを平然と言う比奈は、常に学年二位や三位を取っている。

 仮にも進学校を名乗るだけはあり、この学校のテストは難しいのだが……。

 流石は比奈といったところか。

 こうしている今もすらすらと参考書の問題を解き続けている。


「俺もそんな感じかなー。数学が今回の範囲ちょっとムズいんだよね」

「分かる。それ以外は結構簡単なんだけど」

「一年のときは難しい問題とかあんまり出なかったのにな」


 この学校のテストは難しいのだが(強調)。

 そもそもこの二人は例外中の例外なので参考にならない。


「ん? 景か。来てたのか」


 俺が現実逃避していると、耕哉の隣に座る信二がようやく俺の存在に気づいた。

 両耳のイヤホンを外し、軽い調子で声をかけてくる。


「おう、ていうか気づけよ」

「はっは、悪いな。ちょっと集中してた」

「集中してるのに音楽聴いてるのか?」

「アニソン流してたほうが集中できるんだよな。何か知らんけど。……ま、とりあえず一通り終わった。これで十分だろ」


 チャラい外見のくせに中身がオタクの男は、ぺらぺらとノートをめくる。


「本当かよ……。お前いつも数学しかできねえじゃん」

「一個でも頂点取れるなら格好いいだろ?」


 ドヤ顔の信二を冷めた表情で見やる。

 コイツは、満遍なく高得点を取る比奈と耕哉や満遍なく低得点を取る美紀とは違い、数学だけ学年トップを取るもののそれ以外は赤点ギリギリという得意不得意が分かりやすいタイプだった。

 この勉強会に呼ばれたのも数学を教えるのが上手いからだろう。

 イヤホンつけて一人で勉強しているなら意味ないけど。

 まあそのマイペースさも信二らしいと言えばらしい。


「信二くん、ここちょっと教えて。てか数学以外もやりなさいよ」

「どれどれ……悪いな。俺の手は、一つの剣を研ぐので精一杯なんだよ」

「わけのわかんないこと言ってないで別の教科やりなさい。これ教えた後!」

「なんか理不尽! ……ああ、こりゃ簡単だろ、グラフ書いたほうが分かりやすいな」


 信二の説明をふむふむと聞きつつ、自分のノートに目をやる。

 そこで、耳元に声をかけられた。


「……景。注文は?」


 耳に息がかかる。

 くすぐったい感覚に振り返ると、至近距離には川崎沙耶の顔があった。

 バイトの制服を来た彼女は、腰を折り曲げて景を見つめている。


「――沙耶。近いって」

「……そう?」

「うん。ちょっと離れて」

「……分かった。景が言うなら」


 一貫して眠そうな表情をしている沙耶は一歩退くと、こてんと小首を傾げた。


「……それで、注文は?」

「そうだな、ブレンド一杯でいいや。頼むの忘れてた」

「ん。よろしい」

「てかお前、テスト近いからバイト入らないんじゃなかったのか……?」

「……景が忙しそうだから、仕方なくちょっとだけシフト入れた」

「お前……」

「景と違ってわたしは成績良いから。心配しないで」


 彼女はそう言うと、テーブル席から離れていく。

 心遣いはありがたかった。でも、少しだけもやもやした感情が残った。


「ああ、そういやアンタのバイト先ってここだっけ」


 比奈が沙耶の後ろ姿を見ながら、納得したように呟く。


「何だよ、知らずにここにしたのか」

「いや、オレは店員割引とかワンチャンないかなって思ってたぜ」

「ないから諦めろ」

「ええー」


 信二は唇を尖らせる。

 それを見た耕哉たちが僅かに笑った。


「てか、あの子ってあたしらの学年の他クラスの子でしょ? 川崎さんだっけ?」

「そうだな」

「随分と仲が良いみたいだけど……?」


 比奈はなぜかじとーっとした視線をこちらに向けてくる。


「気のせいだろ」


 そんな風に答えながら、俺はシャーペンを置いて大きく伸びをする。

 ――ここは学校近くの喫茶店『めんや』だ。

 断じてラーメン屋ではない。

 そして俺のバイト先でもある。

 学校からは自転車で十分といったところか。

 メニューも安いので、学生が集まるにはちょうどいい場所だった。

 店内はそれなりに広く、ゆったりとした雰囲気が心地いい。

 見回すと、今日は客も少ないようだった。

 勉強目的の学生を俺たち以外にも二グループほど見かける。


「もうテスト三日前だし、当然か」

「ま、俺らも今日から部活休みだしなー」

「……そうか」

「うちのバスケ部も多少は強豪とはいえ、流石に学業との両立はしないとな」


 耕哉は苦笑してそんなことを言い、アイスコーヒーに口をつけた。


「お、美味いな、やっぱり店のコーヒーは違うわ」


 そこで俺が何か言葉を返そうとしたとき、


「あ、着いたって!」


 スマホを見ていた比奈が明るく声を上げ、周囲をきょろきょろと見回した。

 そして入り口を見て喜色満面の笑みを浮かべると、大きく手を振る。

 ――嫌な予感がした。

 というか、まあ、何となくそんな気はしていた。

 普段つるんでいるわけではない連中が突然の勉強会。

 ここに集まった面子を冷静に考えると、あのぽんこつ転入生がある程度話したことのある数少ない者たちだった。


「麻衣ちゃん、こっちこっち!」

「あ、はい!」


 比奈の声に従い、カバンをぶら下げた魔女が俺たちの前に姿を現す。

 白のブラウスに黒のスカート。

 装いはシンプルながらも、綺麗な魔女によく似合っていた。

 ――私服姿の魔女は新鮮だった。

 可愛いとは言ってないが。言ってないのだが。

 そんなことはともかく、美紀や耕哉たちが気楽な調子で声をかける。


「やっほー」

「やぁ椎名さん、一緒に勉強がんばろう」

「うーっす。オレのことは気にしなくていいぜ」

「あ、麻衣ちゃん、美紀の隣に座っていいよ」

「え、あ、分かりました……!」


 比奈の魔女に対する呼び方が、いつの間にか苗字から名前に変わっていた。

 いつの間に比奈と仲良くなったのかと思い一瞬だけ魔女のコミュ力を見直しそうになったが、明らかに呼ばれ慣れていなかった。

 悲しい。

 それまで緊張した様子の魔女だったが、俺の存在に気づくと途端に嫌そうに顔を歪めた。

 何だよ悪いか。

 ……ていうか、お前も聞いてなかったのかよ。

 ともあれ魔女が席に着くと、耕哉が親しみやすい気さくな感じで言う。


「よろしくー。まあ、やっぱり転入生だと分かんないとこも多いと思うし、比奈にどんどん質問してもらっていいから。頭良いからね」


 そう言って比奈に視線をやる。


「ちょっと、アンタだって学年一〇位以内を逃したことないでしょ」

「でも比奈センパイには敵わないからね?」

「またそういうこと言う。どうせ手を抜いてるくせに」

「それは流石に僕を過大評価しすぎだよ。なあ景?」

「さあどうだか。お前はいつもどこまで本気なのか分かんねえし」


 俺が肩をすくめると、耕哉はいまいち納得しかねるように首をひねった。


「ええ……椎名さんはどう思う?」

「え、あ、どうなんでしょう……私は貴方のことまだよく知りませんし」

「だよね」


 くすりと耕哉は笑う。

 仕切り直すように比奈が魔女に言った。


「とりあえず椎名さんはテスト範囲を見直そうよ。前の学校とどこまで一致するか調べないとね」


 魔女はその言葉を聞いてぱぁっと笑みを浮かべると、ぺこりと頭を下げた。


「――その前に」


 俺はそこで、口を挟んだ。

 気づいたら挟んでしまっていたのだ。

 まだ何を話そうとしているのか、自分でも分かっていないけれど。

 それでも、魔女の顔を見たら話さなければならないことがたくさん浮かんできたから。

 声を上げた俺を比奈たちが不思議そうに見やる。

 アイコンタクトを取った魔女だけが俺の意図を理解したようだった。

 俺と魔女は椅子を引いて立ち上がる。


「え、二人とも、どうかしたの?」

「あ、ちょっと用事があるみたいなので……少しだけ外で話してきます」


 魔女が困ったような愛想笑いを浮かべて、比奈たちに説明する。

 俺はそれを横目に、喫茶店の外に向かって歩き出した。

 何となく、いつものように適当な言い訳を用意する気は起きなかった。

 思ったよりも自分の感情がゴチャゴチャしていることに、俺は今更のように気づいた。


 


 


 

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