第10話 ならば英雄は

 放課後。担任の教師がやる気なさそうにHRの終了を告げる。

 おざなりに礼をすると、すでに帰宅の準備を済ませていた俺はそのままカバンを肩にかけて歩き始めた。

 部活に向かう信二や耕哉たちに声をかけながら足を進める。

 バイトは今日もあるとはいえ、時間に余裕がないわけではない。

 とはいえ誰かと遊んでいるほどの時間もない。

 だから、普段よりのんびりと帰宅の途につくことにした。


「じゃあな」

「……」


 教室最後尾の魔女の席を通るとき、そんな風に声をかけたが……。


「どうした?」

「いえ、さようなら」

「おう。聖力の徴収はまた来週でいいんだよな?」

「そうよ。貴方の聖力が回復するまで待たないといけないから」

「俺のほうに問題があったのか」

「……私の魔力も、この世界では練りにくいと言ったでしょう。それと同じよ。この世界では、聖力も精製されにくいのでしょう。まだ物理法則を越える事態が起こっていない以上、魔力によって操る魔術や、聖力によって操る聖術を扱うには不可能に近い状況になっている。それこそ私のように、あっち世界の時点で熟練の魔術師でもなければ」

「俺はあっちじゃあくまで剣士であって、聖術は補助の肉体強化ぐらいにしか使えなかったから……だから俺はこっちだと聖力を感じ取れないのか?」

「その可能性は低くないわね」

「なあ魔女」

「――何よ、英雄」

「大丈夫なのか? 本当に」

「どういう意味よ」

「お前が抱えた呪いは、本当にこの程度で封じ込めるものなのか?」

「……もし封じ込めていないと言ったら、せいぜい応急処置ぐらいしかできていないと言ったら、貴方はどうするつもりなの?」

「そんなの決まってるだろ。何とか新しい手段を構築して、呪いを封じ込める手を考え出すしかない」

「……世界に満ちる魔素を原材料とする魔力に対して、貴方が使っていた聖力の原材料は本人の生命力よ。……もし、呪いを封じ込めるための聖力が足りないから、貴方の生命力から強引に徴収すると言ったら――どうする?」

「何だ、そんな簡単な問題だったのか? それなら喜んで協力するぞ」

「……」


 なぜか返事はなかった。

 機嫌でも悪いのだろうか。


「魔女?」

「……仮定の話よ。そんな単純な問題じゃない。私、先に帰るわ」

「おう」


 さっさと帰ってしまう魔女に首を傾げつつ、教室の扉を開く。

 まあ魔女が気分屋なのは昔からだ。

 いまさら機嫌が悪い程度でどうこう言っても始まらない。

 どうせ明日になれば、また飽きもせずに突っかかってくるだろう。

 廊下を歩き階段を下り、玄関を出て駐輪場まで歩く。

 今日は曇りのない晴天だった。

 強烈な夏の日差しが眩しく、ゆだるような熱気が肌をじりじりと焼いていく。

 俺はぱたぱたと手で顔を扇ぎながら、自転車を引っ張り出して鍵を外した。


「――今日もバイト?」


 そこで後ろから声をかけてきたのは比奈だった。

 すでに運動着に着替えているところを見ると、今日はちゃんと部活動に出るつもりらしい。

 短パンから覗く太ももが健康的で艶めかしい。

 どうやら少しランニングをした後のようで、僅かに汗がにじんでいる。


「ああ、比奈か。まあそうだな。今日は四時間だし楽だからいいけど」

「ふうん」


 自分から聞いておきながら興味なさげな反応をする比奈。

 何だこいつ……。


「お前こそ、怪我はもう大丈夫なのかよ?」

「あたしは大丈夫。もともと念のためって感じだったし」

「ならいいけど」

「あたすからすりゃアンタの方が心配よ。何度も言ってるけど、無理はしないよーに」

「――あのさ」


 俺は言う。


「俺は無理なんてしてないよ。自分にできないことをやった覚えはない」


 比奈の言いたいことはよく分からないことが多いが、俺を心配してくれているんだろうということは流石に分かる。

 だが、俺は無理などした覚えはまったくなかった。

 あくまで俺に――普通の高校二年生である今の俺に、できる範囲のことしかやっていない。


「だから、そう心配するなよ」


 安物のママチャリに足をかけながら言うと、比奈は僅かに押し黙り、俯いた。


「そう、だよね」


 その直後に顔を上げると、比奈は意地悪そうな笑みを浮かべて言う。


「……ま、アンタ無駄に頑丈だし、そこまで心配はしてないけどね!」

「無駄とは何だ無駄とは」

「無駄でしょ。部活もしてないくせに体鍛えてるし」

「うるせー肩を叩くな!」

「あはは! いいじゃん別に!」


 腹筋に軽く拳を打ち付けたりしてくる比奈を押し返しつつ、俺は肩をすくめる。


「てか、そろそろ部活戻ったほうがいいんじゃないのか?」

「あ、ヤバ」


 比奈は口元に手を当てて真顔で呟くと、慌てたように駐輪場から去っていった。

 角を曲がる寸前でこちらを振り返ると、


「じゃーね! また明日!」


 大きな声と共に手を振り、走っていく。

 元気なヤツだ。

 手を振り返す暇もなかった。


「……さて、帰るか」


 俺はのんびりと自転車を漕ぎ始める。

 住宅街をすり抜け、田んぼを横目に車道の脇を通り、そして子供の声が響く公園の周りをひた走る。

 だいたい学校を出てから五分ほど経ったところで、俺は自転車を停めて後ろを向いた。

 どんがらがっしゃん! と、自転車が倒れる音が聞こえた。

 俺の後ろには電柱の影に顔だけ隠した黒髪の少女がいる。

 近くに自転車が倒れていて、いまだに車輪が回転している。


「お、おいおい、大丈夫かよ。危ないな」


 まさかそんな惨状になるとは思わず、俺は慌てて魔女に近づく。

 何のことはない。

 学校を出た段階からつけられていたのである。

 というか、こいつは俺が気づかないとでも思っていたのか……。

 戦慄しつつも魔女に近づくと、ヤツはくるりと背を向けた。


「何してんだお前は?」

「……ワタシアナタ、シラナイ。カエッテ」

「無理があるぞ」

「ぐっ……!」


 裏声でアホなことをのたまう魔女にため息をつきながら、


「それに知らない相手だったとしても、怪我をしたかもしれない人を放っておくわけにはいかないだろ」

「……」


 そう言うと、魔女は押し黙った。

 ヤツはぷい、と顔を背けながら呟く。


「……ふん。何か文句ある?」

「文句は別にないけどな? あえて言うならこんなアホなことで怪我をすることに文句がある」


 俺は彼女の自転車を立たせると、しゃがみ込み、バツの悪そうな表情をする魔女の膝に手をやる。

 どうやら隠れる際に少し転んだらしい。


「ちょっ!? 何よ、いきなり!?」

「あーあ、膝、すりむいてるじゃん。まったく……」

「こんなの掠り傷よ!」

「はいはい。丁度いい、そこに公園があるし、水洗いしよう」

「だから、大丈夫だって……」

「バッカお前、前世あの頃とは違うんだ。すり傷を舐めてると痛い目に遭うぞ」

「……本当に変わらないわね、英雄」

「……その呼び方やめるか。中二病どうしみたいに聞こえるし」


 俺も「魔女」呼びやめようかな。誰に聞かれるか分からないし。


「……二人きりなのだから別にいいでしょう」


 魔女は顔を赤くして言う。

 俺は呆れつつ自転車を公園内に運ぶと、魔女もしぶしぶ従う。

 膝が痛むのか、僅かに足を引きずるようにしていたので仕方なく俺が持ってやった。


「……ありがとう」


 ストーキングがバレた挙句、転んで怪我をしたのが情けないのか、珍しくしおらしい様子の魔女である。


「こんなの当然のことだろ。それより、早くこっち来い」


 俺は水飲み場兼水道の蛇口を捻り、その生温い水を手に浴びつつ、魔女を呼ぶ。


「う……」


 魔女は少し顔を青くするが、傷口を汚れたままにしておけない。


「痛いか?」

「別に、このぐらい何ともないわよ」

「痛いか。でも我慢してくれ。消毒するから」

「貴方、何で絆創膏とか消毒薬とかちゃんと持ち歩いてるのよ」

「持ってて損はないだろ」

「でも普通は持ってないわよ」

「確かに普通じゃないかもしれない。でもいまさらだろ? それに今こうして役に立ってる」

「……、」

「なら、それで十分だろ」

「あなたはもう英雄じゃない。ただの日本の一学生よ。もう人助けをする理由なんてない」

「――何言ってんだよ、お前」


 俺は魔女の言葉に、思わず笑ってしまった。


「こんなの、助けたなんて呼べないぐらい小さなことだろ。良くも悪くも状況は変わり、肉体も変わった。今の俺にはこのぐらいが精一杯だ。最も力があったとしても、今の日本で命懸けで人を救うような案件がそれほどあるとは思えないけどな」

「でも、あなたの意識は前提として、誰かを助けなければならないと思っている。英雄としての力がないから助けられる範囲が狭まっているだけで、あなたの在り方そのものは何も変わっていない」

「……それに何か問題があるのか?」

「――誰かを、助けなければならない。あなたは、英雄の器を宿して生まれてきた存在だから、そういう風に育てられてきた。あなたは他者を救う存在だと。他者を護って君臨してこそ、価値のある存在だと。そんな言葉があなたを雁字搦めにしている。今も、まだ」


 魔女は真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

 ヤツの後ろに、前世の幻影が映った。そういう風に見えた。

 銀髪碧眼、誰もが振り向くような美貌に、綺麗な曲線を描く肢体。

 身の丈ほどの杖を持ち、黒いローブを纏う、かつての災厄の体現者の姿が――そこにあった。


「貴方、今日の朝……隣のクラスの女子を助けたとき、かなり無理をしていたでしょう」

「……気づいてたか」

「いくら貴方でも、その体であんな挙動をするのは無理があるに決まっているでしょう。筋肉が痛んでいる……下手をすれば断裂しているかもしれない」


 確かに、あの子を助けた後から体中がズキズキと痛んでいる。

 だが、あの子は間違いなくあのままだと危険だった。

 あの子の命に比べれば、俺が多少傷つくぐらいは安いものだった。


「確かに、そうでしょうね」


 俺の思考を見透かしたように、魔女は言う。


「それは正しい。けれど貴方は、仮にあの子が軽傷で済むような転び方だったとしても、さっきと同じように助けたはずよ。そうでしょう?」

「……知ったように言う」

「知っているもの、貴方のことは。そして、貴方はそういうことを繰り返す。自分の身も顧みず、誰かを助けようとし続ける。たとえ命を引き換えにしようとも」


 太陽が魔女を照らし、強調された影がゆるりと蠢いた。

 そんな、気がした。


「私に言わせれば、それは間違いなく《呪い》よ。生まれ変わってもこうして引きずっている以上、最も性質の悪いタイプの、ね」

「……呪いの魔女と呼ばれていたお前が言うと、説得力があるように聞こえるな」


 俺は言う。

 確かに、英雄とはそもそも呪われた存在なのかもしれない。

 俺の始まりが他者の言葉であったことは事実だ。

 常に「英雄はこういう風にあるべきだ」と言われ続け、その期待通りの行動を繰り返した。《英雄》という存在に求められる役割をこなし続けた。

 疑いは持たなかった。何一つ。

 俺に、普通の人間と同じ生活なんて許されたことは一度もなかった。

 常にこの身は戦場と共に在り、他者を救い続けることを強いられた。

 悪を斬り捨て、善を救う。

 言葉で言うほど簡単なことではない。

 実際には救いたかった者の犠牲を出してしまうことは何度もあり、多数の人間を生かすために、少数の人間を見捨てたことだってある。

 それは俺の独善であり、傲慢であり、欺瞞であり、偽善に過ぎない。俺の判断基準で人の生き死にが決めているも同然なのだから。

 まるで神様気取りの行いだ。俺の背中に背負うには重すぎる。

 そもそも《救う》なんて行いは矮小な人間にはおこがましいとすら思う。

 だけど。

 俺の行動が、英雄としての役割が、決して少なくない人々を救ってきたことを知っているから。数え切れないほどの笑顔を失い、数え切れないほどの笑顔を生み出してきたことを知っているから。

 この背中には、世界中の人々の想いと意志を背負い続けてきたから。

 だから俺だけは、

 英雄と呼ばれたこの俺だけは、

 ――自らの行いを否定してはならない。

 たとえ、それが『呪い』に縛られたものであったとしても。


「もう一度聞くぞ、魔女」


 俺は魔女の瞳を見据える。

 かつて世界に災厄をもたらした、呪いの魔女に目を向ける。


?」

「……分からないの?」


 魔女はぽつりと呟く。

 その見透かしたような瞳が、妙に勘に障った。


「人を助けることの、何が悪い?」


 俺は踏み込む。

 腕を広げて、怒りのままに言葉を吐き出す。


「誰かの笑顔を護るために、誰かの手助けをすることの何がおかしい?」

「……」

「――かつて、誰かを助けた。死にたくないと願った幼い少女を助け、その笑顔を作った。死の淵に追い詰められていた少女を助け、彼女の大切な家族と抱き合う光景を生み出した。魔獣に襲われて死にかけ、それでも抗おうとしていた男女を助け、恋人同士で支えあい、守り合う美しい関係を守った。――それが、英雄の役割だったから。その行いに、間違いなんて何もなかったと信じている」


 いつの間にか立ち上がって、俺は魔女に語り掛けていた。

 魔女はなぜか、とても悲しそうな表情を浮かべながら、俺の話を聞き続けている。


「……今の俺にはもう大したことはできないけれど、それでも自分に可能な範囲で誰かの助けになろうと、そう思っているだけだ」

「……いいえ、あなたは間違っている。今も、間違え続けている」

「いったい、何を根拠に――」

「――英雄。あなた、前の人生で、一度でも笑ったことがあった? 愛想笑いじゃない。苦笑いでもない。あなたが護ろうとしていたような笑顔を、あなたの心が自然と生み出したことが、たったの一度でもあった?」


 一瞬。

 俺は言葉に詰まった。


「――何、言ってんだよ。そんなの、あるに決まってるじゃねえか」

「今は、よく笑うようになったわね。だからあなたは勘違いしてる。――いえ」


 魔女はまだ膝が痛むのか、公園のベンチに座り直しながら、語る。


「本当は、気づいてる。今のあなたは記憶を取り戻す前までの影響かもしれないけど、よく笑うようになったから。――前世の自分の心がどれだけ壊れていたのか、気づいてしまって、だけどそれに気づかないふりをしている」

「……」

「だから笑うあなたを見て、私は驚いた。同時に、良かった、と思った。……最初は、ね。だけど、あなたは段々と戻ろうとしている、あの頃に。同じように。やるべきことは分かっていても、やりたいことが分からないから。それ以外の在り方が見つからないから、また繰り返そうとしている」


 魔女は淡々とした口調で、告げる。


「私には、それが我慢ならない」

「何で、だよ……お前には関係ねえだろ」

「その言葉――あなたが言うと、ひどく滑稽に聞こえるわね」

「……ッ!」


 鋭い言葉が心臓に刺さり続けた。


「……今の言葉の意味を、よく考えた方がいいわよ」


 魔女は言う。感情を押し隠すような口調で。

 俺は、勘違いをしていた。

 久しぶりに会ったからか、それとも日本のぬるま湯に慣れてしまったのか、どちらにしろ彼女の本質を忘れていたことに変わりはない。

 たとえ、どれほど日常生活がポンコツで、世話を焼く必要があったとしても――目の前にいるのは、確かに世界に災いをもたらした呪いの魔女の生まれ変わりだということを、失念していたのだ。


「今のあなたは英雄じゃない。だから過去に囚われる理由なんてない」

「そんなことは分かっている」

「でも現に囚われている。せっかく生まれ変わったというのに、意識はまだ呪いに縛られている。……そんな必要なんてないのよ、あなたはもう、あなたの幸せのために生きていいはずなのに。他者の救済だけに全霊を尽くす理由なんて何もないはずなのに」

「……これが」

「これが俺の幸せだ、とでも言うつもり? でも私には、どうしてもそうだとは思えない。前世のあなたを知っている私には」


 魔女の言葉が真実だと、まるで心が鷲掴みにされているような感覚が告げているような気がした。


「こちらの世界には、貴方を言い表す良い語彙があるわね。貴方は――まるでロボットのようだわ」


 生温い風が頬を撫でる。

 いつの間にか流れ出た汗が、地面へと滴り落ちた。

 ふざけるなよ、魔女。

 それこそ、言葉の呪いではないのか――


「あなたが助ける世界には、いつもあなた自身が含まれていない」

「――」

「……だから、あなたは間違えているのよ、絶対に」


 魔女は言い切った。

 それは確かに事実なのかもしれない。

 だが。


「――?」


 その言葉だけは、聞いて黙っているわけにはいかなかった。

 たとえ事実であったとしても。  

 正論であったとしても。

 俺は訝しむ魔女に向かって足を踏み込む。

 魔女に文句を言おうとした――その瞬間。

 軽快な電話の呼び出し音が、俺のスマートフォンから響き始めた。

 確認せずとも分かる。バイト先だろう。

 ここで時間を使い過ぎたのだ。

 流石に遅刻をしかけている身で無視するわけにはいかない。

 俺が電話に出ようとすると魔女は興が削がれたのか、くるりと背を向けた。


「……さよなら、英雄。また明日」


 魔女は淡々とした口調で告げると、颯爽と歩き去っていった。

 やっぱり膝が痛むのか、たまに足を引きずりそうになっているのがダサい。


「……あいつ、自転車どうする気だよ」


 相変わらずしまらないヤツだった。

 仕方なく、俺は電話に応答する。

 そんなこんなで店長に平謝りしている間に魔女は戻ってきて、わざとらしく咳払いをしながら自転車に乗って再び去っていった。

 その頬はかなり赤かった。

 

 公園には、蝉の声だけが途切れることもなく響き続けていた。

 

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