第二章 対立 ―Heroic theory―

第9話 日常の朝

「……ただれた生活を送ってんなあ」


 眼前で頬杖をつく信二は、呆れたように額を押さえていた。


「そうかね」

「だって、高校生の男女が同じ布団で寝たんだろ? それ以外にどう評せってんだ」

「誤解があるな。比奈は俺の布団には入ったけど、さっさと帰ったよ」

「その時点でどうなんだよ。付き合ってるわけでもないくせに」

「まあ確かに絵面はアレだけど、俺と比奈は家族みたいなもんだしなぁ……」

「向こうはそう思ってないかもしれねえけどな」

「はぁ? なら俺の布団に入ってくるわけないだろうに」

「……こいつ」


 なぜか信二は、淀み切った目で俺を見てくる。


「今オレは無性にお前を殴りたい」

「何でだよ」

「比奈だけならともかく、椎名さんにまで手を出してるからな……」

「どういう誤解だよ。一切そんなことはないぞ」

「お前の周りにはなぜか美少女が集まってくるな。うらやましいぜ」

「そいつは気のせいだし、俺の周りじゃなくてお前の周りかもしれないだろ」


 俺が指摘すると、信二は肩をすくめる。

 悔しいが、信二は性格はともかく顔はイケメンだ。

 密かに女子からの評価が高いことも俺は知っている。

 本人に教えたことはないが。


「……まあお前と違ってオレはモテるからな」

「やかましいわ」


 ただでさえナルシスト気味な男なので、これで俺からの裏付けをしたらひどいことになりそうだし一生黙っておくことにする。


「ただ、確かに平均的にはオレのほうがモテるが、桁の違う美少女はなぜかお前の周りにばかり集まるよなっていう話だ」

「そうか……?」

「そうだろ。うちのクラスだけでも椎名麻衣、桐島比奈、笹山美紀……他にも、お前のバイト先の川崎沙耶って子も相当可愛い」

「何で俺のバイト先まで知ってるんだお前。気持ち悪」

「おいおい親友だろ。親友のバイト先ぐらいチェックしておくぜ。なあ?」

「なおさら気持ち悪いわ」


 信二は苦笑すると、「飲み物買ってくるわ」と言って立ち上がった。


「あ、俺にもコーヒー頼む」

「りょーかい」

「比奈との話は誰かに言うなよ。バレると説明が面倒だし」

「言われなくても分かってるよ」


 信二はひらひらと手を振り、教室を出ていく。

 俺は何となしにそれを見送っていた。

 朝のホームルームを終えた後の休み時間。

 一限は古典だ。

 教室移動はないので、とくにやることもない。

 俺はポケットからスマホを取り出すと、SNSアプリの巡回を始めた。

 うちの高校は携帯電話の使用は校則で禁じられているが、これはもはや形骸化しているルールである。

 流石に授業中に携帯電話を使っていたら没収されるが、それ以外の場面で見咎められることはとくにない。

 クラスメイトの喧騒を聞きながらのんびりとスマートフォンをスクロールする。

 俺は朝のこの時間が嫌いじゃなかった。

 いろいろなグループの新鮮な会話が聞こえてくるのだ。

 これが昼休みや放課後だと似たような会話の繰り返しになることが多いが、朝は聞いたことのない話で溢れている。

 そんな喧騒を聞き分けることが少しだけ楽しみになっていた。

 

 窓際の席。

 少しだけ開いた窓から流れる風が、さらりと前髪を撫でて通り抜けていく。

 今日は七月にしては涼しいが、それでも風から生温い感触は抜けなかった。

 視界の隅でクラスメイトの一人がエアコンのスイッチを入れたことを確認して窓を閉じる。

 いつもならこのまましばらくはスマホをいじっているところだが、今日は少しばかり心配にな要素があって教室の後方へと目を向けてみる。

 どうやら魔女が比奈と会話しているようなのだ。

 耳の注意もそちらへ向けると、明らかに会話が成り立っていない。

 比奈は苦笑しているが魔女はカチコチに緊張している。


「アハハ。ソソソソウデスネ」


 と、まるで機械のような喋り方をしていた。

 いくら元異世界人とはいえ、それは流石にないだろう……。

 あの惨状を引き起こしているのが、かつては『言葉の呪い』を操る魔女セリスだったとは思いたくないところだ。

 それにしても、比奈は昨日頼んだことをちゃんとやってくれているので非常に助かる。

 魔女は放っておくと必ず孤立してしまうので、彼女のようなトップカーストの人間からの補助が欲しいのだ。

 もちろん魔女が友達が欲しいとか思っていないのなら、わざわざ手を貸すこともないし、放っておけばいいのだが……実際のところ、ヤツは寂しがり屋だ。

 できることならどうにかしてやりたい。

 とはいえ比奈が頑張ったところで、魔女のコミュ力ではどのみち馴染めないような気はしてきたが……。

 悩ましいところだ。無理に会話をさせても仕方がない。

 どうか魔女と波長が合う人間が見つかればいいんだが。

 お互い一緒にいることを許容できるからこその友達だ。

 そういう関係性を彼女に与えてやりたい。

 

 ――だが、その前に。


「……人と話す練習から始めるべきかねえ?」


 嘆息しながらも、教室の扉が開いた音を聞き逃さずに顔を上げた。

 すると、他クラスの生徒が大量のプリントを持って教室に入ってきた。

 俺は慌てて立ち上がる。

 あのバランスでは危ないと気づいたからだ。

 熟練の観察眼が彼女の肉体的な能力を見抜き、数秒後の挙動を予測する。

 このままではプリントの束を落とすだけならまだしも、下手をすると、転んで近くの机の角に頭をぶつけてしまうだろう。

 教卓のほうに早足で向かうと――ちょうどそのとき。

 他クラスの少女は、落ちそうになったプリントの位置を修正するために無理な態勢を取りすぎたのか、悲鳴を上げながら倒れそうになっていた。

 ――ここからでは間に合わないか。

 刹那。

 ギアを引き上げる。

 前世の経験をフルに活用する。

 大量のプリントを右腕だけで何とか受け止め、左腕で彼女の腰を抱き寄せた。

 そのままプリントを落とさないために体を巧く回転させ、右腕だけで見知らぬ少女をお姫様抱っこしているような態勢へと移る。


「……え、あ……?」

「……大丈夫か? 立てる?」

「は、はい!」

「なら良かった。このプリントは……配っておけばいいか?」

「は、はい! そのプリント、うちのクラスのと混ざってたみたいで……」

「なるほど、わざわざ持ってきてくれたのか、ありがとう。でも、この量を一度に運ぼうとするのは危ないから気をつけたほうがいい」

「は、はい……! あの、ありがとうございます……!!」


 俺は彼女を解放すると、ひとまず教卓の上にプリントの山を乗せる。

 すると、「かっこいーっ!」と茶化すような耕哉の声が聞こえてきた。

 ひやかすような口笛も聞こえる。

 俺は肩をすくめた。

 比奈はなぜか不機嫌そうな顔をしている。


「……それじゃ、後は俺がやっておくよ。ありがとね?」


 初対面の女子が相手なので口調に気をつけて、告げる。

 できるだけ親しみやすい雰囲気を心掛けて微笑を浮かべた。

 すると、長い黒髪に眼鏡をかけた大人しそうな少女は、なぜか顔を赤くしながら口をパクパク開けて動揺した後、


「――は、はい! その、ありがとうございました!」


 と頭を下げて速攻でドアから出ていった。


「あ、あれ……?」


 女子に逃げられた俺は固まる。

 おかしい。

 そんなに気持ち悪かったか。

 これでも気を使ったんだけどな……とため息をつきながら、仕方なく、受け取ったプリントを列ごとに配り始める。

 クラスメイトの視線が集まっている気配をひしひしと感じていた。

 やっぱり、ギアを引き上げると不自然に映るか。

 あくまで俺の肉体は普通の男子高校生相当。

 だが、俺にはそのスペックをフルに発揮できるだけの経験がある。

 ゆえに意識的に肉体運用の技術レベルを引き上げれば、今のような挙動も可能になるというわけだ。……とはいえ、流石に今ぐらい急激にギアを引き上げれば、かなり肉体に負荷はかかるが。

 肩を触りつつ教室を見回すと、ふと魔女のヤツまで俺を見つめていることに気づいた。

 魔女の視線だけはなぜか他よりも気になった。

 ――いや、と、その理由を直後に理解する。

 視線に乗せられている感情の色が、違うのだ。

 クラスメイトのものは好奇心などの感情、対して魔女の視線には悲しみのような感情が乗せられていた、ような気がする。

 いったいどうしたのだろうか。

 そう思っていると、彼女は俺から目を逸らしてまた本を読み始める。


「おい、さっさと席に着けー」


 古典の教師が教室に入ってきたので、仕方なく思考を打ち切って席に戻った。

 それを待っていたかのようにチャイムが鳴り、時間を無駄にはしないとばかりに教師は早速、黒板に文字を書いていく。

 いつの間にか席に戻っていた信二から缶コーヒーを受け取ったが、流石に授業中に飲むことはできない。

 次の休み時間までお預けだろう。

 喉は渇いていたので辛かったが、これも俺が席に戻るのが遅かったせいだ。

 仕方がない。

 ふと、魔女から妙に冷たい視線を感じることに気づいたが、その理由は分からなかった。

 

 


 

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