第7話 バイト

 ――群馬は車社会だ。

 交通手段と言えばもっぱら車、自転車、徒歩である。それ以外はない。電車? 何それ美味しいの? ――とまではいかなくとも、電車なんて東京に行くときしか使わない。

 いや、これは俺の話だけれども。

 でもまあ田舎らしく、比較的電車が使われないのは事実だろう。

 だから駅でキョロキョロしている人がいたら、「ああグンマー人なのね」と生暖かい目で見てやってほしい。電車を間違えて慌てていても「原始時代から来たんだし仕方ないよね」みたいね目で誰が原始人だぶっ飛ばすぞ。

 そういえば高崎人は普通に電車使うかもしれないけど、前橋人としてはアレを群馬とは認められない。認めたら県庁所在地が変わる。

 ともかく俺と比奈はチャリを漕いで帰宅の途に着いていた。

 どうでもいいけど下校時間がカブる他校の生徒って毎回すれ違うから顔を覚えるよね。これで登校時間までカブったら話したこともないのに微妙な気まずさがある。たまたま目が合ったりしたら最悪だ。「あ、いつもの人だ」みたいな顔してんじゃねえよ。

 ――まあ、そんなことはどうでもいい。いやマジで。心の底から。

 俺は前傾姿勢でハンドルに肘をかけつつ、少し前で自転車を転がす比奈に目を向けた。

 彼女は陸上部なだけはあり、足が細長く綺麗だった。背中をピンと伸ばし、無駄に姿勢良く自転車を漕ぎ続ける。このあたりは性格の問題だろう。

 比奈は意外としっかりしているからなぁ……。

 そんなことを考えていると、ショートカットの茶髪がふわりと揺れ、比奈の横顔が見えた。


「――ってこと。分かった?」


 比奈は俺を一瞥し、淡々と尋ねてくる。

 今、俺がごちゃごちゃと思考を回している間に、ちょうど比奈が魔女のマンションの近くに隠れていた事情を話し終えたところだった。

 話を聞いていなかったわけではない。

 意識すれば思考を切り分ける程度、難しいことではなかった。


「……なるほどね」


 ともあれ、俺は頷く。

 ――どうやら部活は休みだったらしい。

 というか比奈は昨日、練習で少し怪我をしたので強引に休まされたそうだ。

 だから帰らざるを得なくなり、途中で俺を見つけたから、一緒に帰ろうと思ってついてきたらしい。


「そしたら俺が椎名さんの家に入っていったから、びっくりしていたと……」


 これはマズいな。弁明しにくい。


「……まあ椎名さんの家があんなに大きい高級マンションってこと自体にもちょっとビビってるけどさ」


 と比奈は苦笑いしつつ、俺を窺うように見る。

 まさか魔女の呪いがどうこうと言うわけにもいかないし、どうするかなあ……。


「いやホントに何で? 何でそんな急に仲良くなってるの?」


 比奈は軽い調子で尋ねてくる。

 俺は雑な相槌で誤魔化しつつ、強引に別の話題を振った。


「にしても、三十分ぐらいは椎名さんの家にいた気がするのに、よくお前ずっと待ってたな」

「う……」

「俺なら気にはなるけど、ひとまず帰るわ。明日聞けばいいし」

「と、とにかく!」


 比奈は口ごもったが、強い口調で俺に言う。その顔は僅かに赤い。


「――何で、家に行ったの? そこまで、仲良くはなってないと思うけど」


 それは真面目な問いかけだった。どうやら誤魔化せはしないらしい。これで比奈は人間関係に敏感だ。常に明るく、軽い調子で振る舞う皆のムードメーカー。それでいて細かいことにもよく気が付く。

 だから、純粋な疑問なのだろう。彼女の観察眼では、まだ俺と魔女の間にそこまでの接点はなかったはずだから。

 前世の仇敵だ――と言って、信じてくれるわけないだろうな。


「昔、ちょっと関わったことがあるんだよ」


 美紀や耕哉と同じような話をして誤魔化すことにする。

 とはいえ別に嘘は言っていない。


「……あの子と? あたしは、あの子に会った記憶はないんだけど」


 だが比奈は幼馴染だ。

 ずっと同じ学校の同じクラスであり、俺のことはよく知っている。

 だから俺が知っているのに自分が知らないのは疑問に残るのだろう。


「だろうな。まあ……なんつーか、知り合いの娘さんなんだよ。椎名さんから話しかけられるまで気づいてなかったけどな。もう何年も前の話だし」

「へぇ……あたし、聞いたことなかったな」

「と言っても、昔はほとんど話したことはなかったんだが」

「まあ知っている人が同じクラスになれば、多少仲良くなりもする、か」

「そんな感じだ」

「でも、女の子の家にいきなり上がり込むほどの理由になるかな……?」

「う」


 この女、やはり見逃してはくれないか……!

 いまだ不思議そうな比奈を何とかするため、俺はどうにか思考を回していく。

 やがて、


「……友達が欲しいんだってよ」


 そんな風に俺は言った。

 強引にひねり出した理由、しかし本当のことではあるだろう。


「でも、話が上手いわけじゃないから……皆が私とは関わらないかもしれないって不安があるとか言っていたな。その相談を受けていた」


 魔女が俺の力を利用したせいで問い詰められているのだ。

 このぐらいの嘘は許されるだろう。

 それに、これで比奈も魔女のことを気にかけてくれるかもしれない。

 今のところ耕哉たちには「ひとりでいるのが好きな子」と評されているし、アイツらには弁明したとはいえ、他のクラスメイトはそうじゃない。

 だから、もしかすると明日以降は気を遣われ、放っておかれる可能性も高い。

 魔女も皆が近づいてこないのなら当然、自分の世界に閉じこもるだろう。

 アイツはそういう性格だ。


「だから椎名さんに、関わってあげてほしいんだ。口下手だけど、いい子だしな」


 ――比奈には、魔女の友達になってやってほしい。

 もともと比奈は敏い性格だ。

 べつに何も言わなくとも見捨てるなんてことはないだろうが、それでも、言葉というものは大切であり、ある意味では呪いの一種だ。

 明言化しておくことこそに意味がある。

 言葉は意識の隙間に入り込み、行動を縛り付ける。

 比奈が俺の呪いにかかってくれれば、魔女はひとりぼっちを免れるだろう。

 前世の仇敵とはいえ、哀しい顔が見たいわけじゃないのだ。

 できることなら幸せでいて欲しい。

 そんなことをつらつらと考えながら、自転車を漕ぎ続ける。

 ゆるりと、生ぬるい風が頬を撫でた。

 前方の信号が赤に変わる。

 前方の比奈は信号待ちで自転車を停めながら、僅かに黙り込んでいた。

 憂いを含んだ表情で「……そう」と呟くと、


「分かった。てか、べつに何も言われなくても、転入生を放っておくつもりはなかったし」


 俺はその口調が妙に冷たく感じることに眉をひそめながらも、答える。


「おお、そりゃ良かっ――」

「――それより」


 俺の言葉にかぶせるように比奈は言った。

 ――珍しい。俺は口ごもる。

 幼馴染の俺が相手だと、比奈も多少は気が抜けているとはいえ、こんな強引な会話をするようなヤツじゃないはずだが……。

 言葉を潰された俺がそんな風に思っていると、比奈はこちらを見ないまま、淡々と抑揚のない声音で呟いた。


「アンタ、まだそんなことを繰り返してるのね」

「は……?」


 どういう意味だ、と、俺は問いかけようとした。

 だが比奈はその直後に、俺の言葉のすべてを封殺するような明るい笑みを浮かべると、


「じゃ、あたし、こっちだから。また明日ね!」

「……ああ」


 気づけばすでに、俺たちは家の近くまで来ていた。

 比奈は手を振り、曲がり角の向こうへと去っていく。

 結局何が言いたいのかよく分からなかったが――まあ、良いか。魔女と俺の事情に関する追及を何とか避けられたのだから。

 すでにバイトの時間が迫りつつある。さっさと帰って着替えなければならない。

 俺は住宅街をスルスルと通り抜けると、自宅前に辿り着いた。

 ごく普通の家。二階建ての一軒家である。

 その庭に自転車を停めると、鍵を開けて玄関を開ける。

 ちなみに両親は共働きで、大学生の姉は一人暮らしをしている。

 だから、この時間帯は誰もいない。

 階段を昇って自分の部屋に入った。

 我ながら殺風景な部屋だった。思わず苦笑する。

 ベッド、勉強机、椅子、箪笥に、本棚。

 しかも小さめの本棚に入っているのは漫画が五、六冊だ。小説はない。

 本で埋もれそうな魔女とは大違いである。

 ともあれ俺は、部屋の隅にかけられているバイトの制服を手にすると、ベッドの上にリュックを放り投げた。

 制服をバイト用のバッグに入れると、少しスマホをいじって休憩した後に再び家を出て、人気の少ない住宅街を歩く。

 向かう先は、家から歩いて数分の距離にある個人経営の喫茶店である。

 隣には本屋があり、そこで購入した本を読んでいる客が多い。

 今度、魔女にも教えてあげようか。

 魔女の家から一番近い本屋も多分ここだろうし――と、思いはしたが、ヤツの場合は実家から本が送られてくるから関係ないのか。


「……景」


 ――そこで、ひどく無機質な声で名前を呼ばれた。


「よう、お前も今日シフト入ってたっけ?」

「……うん」

「マジか。気づかなかったわ」


 俺は明るい笑顔を浮かべつつ、後ろを振り向く。

 だが、そこには誰もいなかった。


「あれー? おかしいな、誰もいないぞ」

「……景、ひどい。すごく傷ついた。泣きそう」

「いやいや、まったく表情変わってないぞ」


 俺は苦笑しながら視線を下げる。そこには小さい女の子が佇んでいた。

 川崎沙耶。

 短めの黒髪、可愛らしい顔立ちにはいつも眠たげな無表情が浮かんでいる。

 見た目はせいぜい中学生になりたてぐらいだろうか。これでも同い年なのだから驚きである。


「よく見て。ちゃんと涙目になってる」

「ホントかぁ……?」

「花粉で」

「それ俺のせいじゃないよね!? ていうかもう夏!」

「……重度の花粉症は絶望の春を越えても、夏ですら死を迎える」

「まるで希望がない……」

「……まあ嘘だけど」

「嘘なの!? 今のくだり全部無駄だったの!?」

「……早く進む。遅刻する」

「え、ええ……お前の冗談はマジで分からん……」


 沙耶は端的な言葉だけを口にする。

 声音も平坦で、表情も分かりにくい。

 沙耶の場合は魔女と違って上手く喋れないというわけではなく、単に多く喋ることを面倒臭がっているタイプだ。

 今も眠たそうにフラフラと歩いている。危ない。

 俺は周囲の交通に気を配りつつ、沙耶の隣で足を進める。


「……景」

「ん? 何だ?」

「……シフト、多い」


 沙耶は俺を下から見上げながら、淡々と言う。


「そうか?」

「……テストもある。ちょっと減らしたほうがいい」

「ああ、確かにそうだよなぁ……」


 期末テストまで後一週間ちょいだったか。

 確かにバイトをしている場合ではないと言えば、まあそうなのだが。


「ちなみにお前は?」

「……今日が最後。テスト終わるまではない」

「うぇ、いいなあ」

「……景もそうすればいい」

「そうしたいのは山々なんだけど、店長に頼まれちゃったからな。学生バイトが多いからこの時期はやっぱり困るらしいし」


 俺たちはそんな会話をしつつ、バイト先の喫茶店に入っていく。

 ガラン、と来店を告げる鈴の音が鳴った。カウンターの前に椅子が並び、テーブル席も二十席ほど存在する。

 店内には、控えめな音量でジャズミュージックが流れていた。

 相変わらず、雰囲気の良い喫茶店だ。

 午後六時前。この時間帯は混むことが多いのだが、今日はラッキーなことに客は常連が二人のようだ。

 とはいえ、うちはダイニングも兼ねているため夕食時も混雑するのだが。

 ――さて。

 俺は店長や先輩のバイトに挨拶をし、意識をバイトへと切り替えていく。

 そのとき。


「――断れば、いいのに」


 沙耶が呟いたその言葉は、何を意味しているのか俺には分からなかった。


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