第6話 手を繋ぐ

 俺と魔女はお互いソファに座り、低いテーブルを挟んで向かい合っていた。

 学校から三分の位置にある高級マンション。

 その最上階が――まさか、すべて魔女の部屋だとは流石に想定していなかった。だいたい体育館ひとつ分ぐらいのスペースはあるだろうか。魔女の両親がどれだけ金を持っているかが分かるというものだ。いや、普通に金持ちすぎて怖い……何なの……。

 こんなところでひとり暮らしさせるとか過保護すぎるでしょ……。

 それにこれだけ広いと何だか逆に息苦しいと思うのだが、これは俺の感覚が小市民だからなのだろうか。何なら俺は勉強机の下の空間ぐらいでちょうど良いまである。


「すげえなあ……」


 俺は周囲を改めて見渡しつつ、言葉を漏らす。

 大きめの窓からは、さっきと変わらず家と田んぼが見下ろせた。

 和む……。家と田んぼと畑と車しかない。どう考えても高級マンションを建てる場所を間違えている。


「さっきから驚きすぎでしょ。確かにちょっと広いかもしれないけど」

「全然ちょっとじゃない。お前はアレだな、前世でもそうだったけどもっと普通の目線というか、価値観を学んだほうが良い。読書ばかりしてる場合じゃない」

「別に読書ばっかりじゃないから。ちゃんと毎日、勉強もしてるのよ」


 ふふんと胸を張る魔女に、俺はため息をつく。


「ガリ勉め。つか、この惨状で読書ばかりじゃないって言うのは無理あるだろ……」


 魔女の部屋――その大半が、大量の本棚で埋め尽くされている。

 控えめに見積もっても数千冊はあった。

 一目見ただけでも、図書室の貯蔵量をゆうに上回っている。


「流石に全部読んだわけじゃないわよ?」


 魔女は目を逸らしつつ、言う。

 その言葉を聞いて俺は少し安心した。


「いや、だよな……流石に無理だろ」

「こんな量の本、何十年もかけなければ読み切れないわよ。ただ私が欲しいって言った本はお父さんが全部買ってくれたから……」

「恵まれた環境だな。というか欲しい本ありすぎだろ……」

「仕方ないでしょう。こちらの世界の文学は全然知らないのだから」

「まあ向こうでも物語を読むの好きだったもんな、お前。特に元騎士の英雄が悪竜を討伐する逸話とか、自分は魔女のくせに」


 本棚をよく見ると幻想文学やライトノベルなども大量に羅列されているので、魔女の趣味も分かる。


「……うるさいわね。好きなものは好きなのだから仕方がないでしょう。それに、本をたくさん欲しがった頃は、まだ前世の記憶が蘇っていなかったのよ。記憶があれば、こんな量の本を欲しがったりしていない」

「いくら可愛い娘の頼みとはいえ……親バカだよなぁ」

「だから、こうして貴方に会うためには魔術に頼るしかなかった。一人じゃ出歩かせてくれそうにもなかったからね。それに……暗示をかけて私への関心が薄れている今の状態でも、何度もメールを送ってくるのよ。過保護すぎるのよね」

「そうか……」


 呆れたように魔女は言う魔女は、満更でもなさそうだった。

 そんな彼女の様子を見て――俺は、良かったと思った。安堵した。

 前世では家族もおらず、誰からも憎しみばかりをぶつけられていた魔女が、今世ではこうして誰かに愛情を向けられているというのなら、それは喜ぶべきことだ。


「……何を笑っているの? 相変わらず気持ちが悪い」

「やかましいわ。人がせっかく感傷に浸ってるってのに」

「――貴方にも、感傷に浸れるほどの情緒があったのね」

「……」


 魔女は俺を小馬鹿にしつつ立ち上がる。


「お茶、入れてくるわ。そこで待っていなさい」


 俺がしばらくこの部屋のスケール感に放心していると、魔女はやがて二つのティーカップを持って戻ってきた。

 湯気を立ち昇らせ、仄かな甘い香りが漂うそれをコトン、とテーブルに置く。


「飲んでいいわよ」


 魔女は顎をしゃくって言いながら、またソファに腰かけた。

 長く綺麗な黒髪がさらりと揺れる。

 足を揃えて座り、整った所作で紅茶を口へ運んでいく。

 流石は金持ちのお嬢様だ。あのガサツな魔女も、教育によってはここまで変わるのか……。

 あの真面目そうな外面を手に入れただけはある。

 俺が感心していると彼女は紅茶を口に含み「あっつ!?」と嘆いた。

 台無し。俺の感心を返せ。

 そういえばお前、前世でも猫舌だったな……。


「……何よ」


 魔女はバツが悪いのかキッと睨んでくる。

 何よじゃねえよ。こっちこそ何よ何よだよ。

 俺は紅茶を手に取り、口に含む。


「おー、美味い」


 まあ品種とかそういうのはまったく分からないけれど。

 魔女の家にあるものだし、おそらく高いんだろう。


「コンビニで買った安物のティーパックよ」

「おい。何でそこだけ急に庶民的になったんだよ」

「貴方に紅茶の違いなんて分からないだろうと思って」

「俺の舌を舐めんな。何か安っぽいなってぐらいは気づいてたわ」

「貴方の舌を舐めたくはないわね。気持ちが悪い」

「やかましいわ」


 言い合っていると、魔女は紅茶を手に持ちつつ再び立ち上がる。


「……」

「どうした?」

「あ、いえ……その……何でもないわ」

「?」


 今度は何をするのだろうとぼんやりと眺めていると、ヤツはソワソワした様子で部屋中をうろつき始めた。

 やがて本棚の前で立ち止まると、挙動不審に頷きながら紅茶を傾ける。

 座って飲め。


「あっつ!?」


 冷めるまでテーブルに置いとけよ。学習してくれ……。

 このままじゃ俺はお前が心配で生きていけない。


「――あの」


 魔女は意を決したように言った。


「何だよ」

「そもそも、貴方がここに来た目的があると思うのだけれど。それを果たしましょう。ええ」

「何で敬語?」

「うるさいわね」


 魔女は少し頬を紅くして叫びつつ、ストンと俺の隣に腰掛ける。

 ふわりとシャンプーの甘い香りが漂った。

 ヤツは数センチ動けばくっつきそうな距離で、俯いた。

 思ったよりまつげが長いとか、肌が綺麗とか、そんなどうでもいいはずの情報に目が向く。

 やがて数秒後、魔女は俯いたまま、


「……ん」


 と、白くて細い手を差し出してきた。


「握ればいいんだよな?」


 沈黙は肯定と受け取る。

 俺は魔女の手を握った。

 きめ細やかな肌質が心地良い。

 何でこんな状況になっているんだろう――という気持ちはなくもないけれど。

 まあ。


 これも人を助けるためだ。

 だから許容するべきに決まっている。


 ――すると魔女は、右手を俺に繋いだまま、左手をテーブルにかざした。

 ヤツが指を軽く動かすと、ぼうっと、滲み出したかのように、テーブル上に幾何学的な紋章の魔方陣が出現する。

 魔術はからっきしだから、その魔術的意味は読み取れないが、まあ魔女のやることだ。当然、呪いの対抗に必要なものなのだろう。


「――」


 魔女が流暢に詠唱を唱える。

 久々すぎてよく聞き取れなかったが、もちろん前世の言葉だ。

 直後、魔方陣が眩く輝き、俺の体から気力のようなものが吸い取られていく感覚があった。

 そうして魔女はゆっくりと息を吐くと、ソファに深く腰掛ける。

 やがて魔方陣は当たり前のように消えていった。


「……これで、どうにかなったのか?」


 俺が尋ねると、魔女は僅かに息を荒くしつつ「そうよ」と言った。

 上を向いて、頬を紅くしている。

 何だか辛そうだ。どうしたのだろうか? 

 そう思っていると、ヤツは少し潤んだ瞳で俺を見つめて「……ねえ」と言う。

 近い。魔女の吐息が耳にかかる。

 ヤツは俺の耳元で、か細く、今にも途切れそうな、震えた声音で尋ねてきた。


「――どうして、私を助けてくれたの?」


 何を言っているのか分からなかった。

 俺は「はあ?」と言って首を傾げる。

 本当にどうしたのだろうか。

 何だか情緒不安定になっている気がする。

 あの魔術には副作用でもあるのか……?


「だって、あのとき、貴方が命を懸ける理由なんて、どこにも……」


 ――そこまで言って、魔女は正気に戻ったかのようにハッとした顔になった。


「あ……いや……やっぱり何でもない」


 と、首を振り、即座に俺との距離を離す。


「さっきまでのお前、何かおかしかったぞ。どうしたんだ?」

「分からない……けれど、呪いに触れようとすると、心がやけに苦しくなったり、哀しくなったり、することが、前世からあって……今回も、そのせいだと思う」


 魔女の言葉も弱々しい。どうやら本調子ではなさそうだ。


「でも、呪いの浸食を抑え込むことには成功したんだよな?」


 尋ねると、魔女は「もちろんよ」と頷く。

 段々と調子が戻ってきたな。

 このツンケンした感じがなければ魔女ではない。


「でも……」


 ヤツは俺から目を逸らしつつ、告げる。


「これからも、週一ぐらいのペースで、貴方の力を借りる必要がある」


 魔女が緊張した声音で言うので、「そりゃそうだろ」と頷く。

 定期的な摂取が必要ないのであれば、なぜ転入してきたという話である。

 魔女ほど頭は良くないが、流石にそれぐらいは察していた。


「あ……分かってるならいいのよ」


 魔女はぷいと顔を背けた。

 さて、用事が済んだのなら俺はそろそろ帰宅したい。

 夜はバイトもあるし。

 ただ、少し問題があった。

 俺は魔女の右手に目を向けつつ、「なあ」と言う。


「何よ?」

「いつまで手を握ってんの?」

「え、え……ひゃあ!?」

「いやそんなに驚かれても」


 魔女はソファから飛び跳ねながら俺の手を振り切り、壁まで高速で退避した。

 ハァハァと荒く息を吐いている。

 苦笑しつつ、俺は紅茶を飲み干して立ち上がった。


「じゃあ、また学校でな」

「……そ、そうね」


 俺はひらひらと手を振り、魔女の家から帰還していく。

 扉を開けると、マンションの最上階なので田舎町の景色がよく見える。

 のどかな光景に安心しつつ、エレベーターに乗り、ロビーを潜り抜け、マンションを出て、俺は帰宅の途に着いた。

 ――その直前。


「……比奈、か? 何でこんなところに?」

「うひゃあ!?」


 近くの木の陰から、比奈がびっくりしたように這い出てきた。


「な、ななな何で分かったの?」


 彼女は自分の体を抱くように腕を抱きつつ、焦ったように言う。

 ――いや、単純に気配で何となく分かったというだけなのだが。

 というか、比奈は部活中じゃなかったのか?

 なので。


「それより、何してんの?」


 俺はひどく当たり前の疑問を比奈に向けて放った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます