第3話 理由

 ――俺に前世の記憶が蘇ったのは、ちょうど二年前のことだ。

 ある夏の日。その夜。

 やたらと鳴くセミやコオロギが不協和音を奏でている中、俺は公園のトイレで小便をしていたら唐突に「思い……出した……!!」となった。

 いや本当に。

 何のドラマもなく、ふと思い出してしまった。

 もっと適切な場面はなかったのかと思わないわけではないが、思い出してしまったものは仕方がない。忘れたい。

 そのときは数分ほど混乱してその場に立ち尽くしていたが、やがて夢ではなく現実の記憶なのだと理解した。せざるを得なかった。

 いや、異世界のことを現実と呼んでいいのかどうかは甚だ疑問ではあるが――とにかく脳裏に刻まれた記憶は、俺の妄想だけで創り出せるものではなかった。

 これは夢ではなく本当に起きた出来事なのだと、理屈ではなく本能で理解した。


「――ちょっと、人の話、聞いてる?」


 しかし俺は、目の前でしかめっ面をしている魔女のように前世の力が扱えるわけじゃない。記憶が蘇った直後には何か使えないか試してみたが、何の反応も返ってこなかった。これほど虚しいことはない。

 夜の公園で「聖なる剣よ、我が手の中に!」と叫んで何も起きなかった黒歴史がグサグサと心にダメージを与えてくる。

 まあ結局、前世の記憶が蘇ったぐらいでは何も変わりはしなかったということだ。

 前世の力が扱えるなら話は別だったが、そういうわけでもない。

 だから俺の日常には何ら変化はなかった。

 せいぜい「ちょっと大人っぽくなった?」とか女子に聞かれたぐらいだ。

 嬉しい。

 ついでに前世の卓越した身体運用技術のおかげで運動神経が今までよりも向上し、女子に「スポーツ、得意なんだね!」と笑顔で褒められたぐらいだ。

 めっちゃ嬉しい。


「ねえ!」


 ――と、耳元で響いた大きな声に驚いて顔を上げると、いつの間にか魔女の顔が目の前にあった。ふわりとシャンプーの良い香りが漂う。


「おっと近い。どうした急に?」


 俺は慌てて足を一歩退く。

 魔女は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、


「人の話、聞いてるの?」

「――すまん。全然聞いてなかった」

「死にたいの?」

「悪かったって。そうカリカリすんなよ」


 眼前に佇む魔女は辛辣な口調で俺を攻撃してくる。

 黒髪ロングに、つり目がちな瞳。シミひとつない白磁のような肌。

 どちらかと言えば美しい系の顔立ちだった前世とは異なり、可愛らしい顔立ちをしているので、いまいち迫力がない。いや年齢の問題もあるんだろうけど。


「眠くてボーっとしてた。村上の授業に気力を吸い取られてな……」

「授業ぐらいちゃんと聞きなさい」

「何だよ、お前は理解できてるのか? あの小難しい数字の羅列を」

「あんなの簡単でしょ。魔術式の計算の方が百倍難しいわよ」

「マジかよお前……あの頃もそんな面倒臭いことやってたのか……」

「貴方みたいに剣を振るだけの脳筋と一緒にしないでもらえる?」


 悔しいが何も言い返せなかった。

 あの頃の俺は、ただ剣を振り怪物を殺すことしかできなかった。

 それ以外は何も教わっていなかったから。


「――で、お前、結局何をしに来たわけ?」

「それを話すために今こうして貴方を呼び出してるんじゃない」


 今は昼休み。

 魔女は教室で弁当を食べようとしていた俺を廊下に呼び出すと、背を向けて歩き始めた。

 ついてこいと言外に告げているのだろうと思った俺は大人しく従った。

 そういう経緯があってから数分。

 魔女はなぜか歩みを止めていない。

 俺も無心でついていったからアレだが、もしかして、


「……迷った?」


 そう尋ねてみる。

 魔女は転入してきたばかりだ。

 冷静に考えると、学校の内部構造など分かっているはずがない。

 おかた人気のない場所を探して適当に歩いていたのだろう。

 そんなことを考えていると、魔女は気まずそうに目をそらした。


「……そうよ。何か文句ある?」


 その頬は僅かに紅い。

 この女……さっきまでは自信満々だったくせに。

 変わらないといながら、俺は込み上げてきた笑いを噛み殺す。

「何よ!」と殺気が飛んできた。

 超怖い。

 やめてくれ、今の俺には対抗手段がないのだから。

 ――いやまあ、意外とこの学校はややこしい構造をしているのだ。

 だから魔女の気持ちは分かる。間抜けだとは思うけれど。

 この高校は群馬のくせに――ましてや前橋のくせに謎の都会感を出そうとしている節がある。妙に近代的な見た目をしているのに周囲には住宅街と畑が広がっているという間抜けな絵面なので存在が面白い。仮にも首都圏の県庁所在地だというのに、実態はただのド田舎である。「前橋は県庁があるだけで県庁所在地は高崎」と言われたのは伊達ではない。なお、高崎もしょせん群馬だという哀しい現実は指摘するのは誰も得しない。

 マズい、思考がブーメランのように逸れている。それあんまり変わってねえな。

 たとえを間違えた。

 思考が無駄に逸れる習性を修正したい。

 本当に心の底からどうでもいい思考に没頭していた俺は、怒ったように足音を立てながら歩く魔女に向かって告げる。


「要は人気のない場所にいきたいんだよな?」

「……そうよ」

「じゃあこっちだ」


 頷く魔女についてくるように言った。

 それから一分ほど歩くと、壁際に四つほど自販機が立ち並び、いくつか木製のベンチが置いてある開けた空間に辿り着いた。

 体育館の玄関付近であり、部室棟も近い。運動部の生徒がよく利用している休憩所のような空間だが、放課後はともかく昼休みはあまり人が来ない。だから、一人になりたいときはよくここへ飲み物を買いに来ていた。

 俺は財布を取り出し、自販機に百円を入れる。

 ちなみにうちの学校の自販機は八十円ぐらいで買える飲み物が多い。

 非常に優秀だ。群馬の一員に数えられるだけはある。


「ここなら人も来ないだろ」

「部室棟の前……よね?」

「ああ。そこのベンチにでも座れよ」


 言いながら、俺は適当に缶コーヒーを買った。プルタブを開ける。

 カシュ、と気持ちの良い音が響く。 

 魔女は財布を持ってきていないようなので、


「何か飲むか?」

「……別にいいわよ」

「べつに、ジュースぐらいなら奢るぞ」

「いらない」

「確かお前、果物の果汁絞ったヤツ好きだったよな」

「……」

「りんごジュースでいいか」

「……ありがとう」

「お前も感謝とかできるんだな」


 俺が驚くと、魔女はキッと睨みつけ、やがて目を逸らした。


「うるさいわね」


 否定の言葉もどこか弱々しい。

 俺は少し笑いつつも、買った缶を彼女に軽く放る。


「あ、ちょ……!?」


 魔女は慌てた様子で何とか受け止めた。

 そんな大袈裟な動きをしなくとも普通にキャッチできたと思うが、運動神経が悪いところは前世と変わっていないらしい。


「何で投げるのよ」

「そんなに慌てるなよ」

「慌ててないわよ。魔術を使えばもっと簡単にキャッチできたし」

「いや……こんなことで魔術使うなよ」

「ふん」


 鼻を鳴らしてそっぽを向く魔女。

 奢ってもらった立場だからか罵倒の調子が悪い。

 ――こいつ、こんなキャラだったか? 

 笑いそうになったけど何とかこらえる。

 せっかく話してくれそうなのに機嫌を損ねるのも面倒だ。


「それで、何が聞きたい?」

「あ、うん。……じゃあまず、貴方、前世の記憶が蘇ったのはいつなの?」


 魔女は一瞬、素直に頷いてしまったのを後悔したのか、強い口調で言う。


「二年前の夏だよ」

「そう。……二年前ね」

「何だ、お前もそのぐらいに前世の記憶が蘇ったのか? 記憶を保ったまま転生なんて、そんな胡散臭いことに関する知識はまったくなくてな」

「私のことはいいでしょう」

「お前、仮にも最高峰の魔術師だろ? この事態について何か分かるのか?」

「……さあ。同じ世界ならともかく、異世界への転生に関する魔術なんて聞いたことはないし、そのうえ前世の記憶が蘇るシステムも聞いたことないわよ」

「お前でも、か。じゃあ何で俺たちはここにいるんだろうな……」

「知らないけれど。神様が奇跡でも起こしたんじゃないの?」

「神、ね」


 僅かに自嘲気味の笑みがこぼれた。

 神聖教会によって造られた《英雄》、その最高傑作である俺にとっては、幾度となく聞かされた名前だ。

 ――神がそれを望まれている。天命は絶対だ。


「そんなもんはいない。ただのまやかしだ」


 思っていたよりも硬質な声音になっていたことに、自分でも驚いた。

 びくっと震えた魔女が、僅かに顔を伏せる。


「……ごめん」

「ああ、いや……別に」


 俺は沈黙を誤魔化すように、冷えたコーヒーを口にする。


「貴方は……前世とあんまり変わらないのね」

「……そうか? まあ確かに黒髪だし、背もあの頃と同じぐらいか。魂が同じだと成長も似た形になりやすかったりするのかね?」


 適当に言いながら魔女に目をやったが、


「……いや、そういうわけではないか」

「何で私を見て納得するのかしら……」

「お前、前世とぜんぜん違うじゃん。容姿が良いのは変わらないけど、なんか美しい系から可愛い系になったし」

「かわ……!?」

「それに、体型もな……」


 僅かに頬を紅潮させる魔女の体を、目を細めて眺める。

 前世と比べると、あるべきものがなかった。

 何とは言わないが。


「どこ見てるの。今、何をもって体型と言ったのか、言ってみなさい」

「いや、俺の口からそんな残酷なことは告げられない」

「残酷とは何よ!?」


 背が高く、胸が大きく、素晴らしいプロポーションの体を誇るように堂々としていた、前世の魔女の姿が脳裏を過る。

 対して、今の魔女の胸に目をやると……比奈ほどではないが、十分な崖がそこにあった。十分な崖って何だ。

 ともかく、あの頃に比べると、今の魔女は……。


「な、何よ……いやらしい目で見ないで」


 魔女もそれを自覚しているのか、胸を隠すように両腕で体をかき抱く。


「昔はあんなに立派なものがあったのに。俺は悲しいよ」

「……セクハラで訴えるわよ」

「言ってる場合か? お前の唯一の長所がなくなったんだぞ!?」

「――殺す」


 魔女の目がマジになった瞬間、俺は神速の動作で土下座に移行していた。

 これこそがスタイリッシュ土下座。

 俺がこの世界で新しく編み出した新技である。


「はあ……」


 それを見た魔女は疲れたようにため息をつくと、話を戻す。


「私が前世と変わらないって言ったのは……性格のことよ。外見じゃない」

「まあ、そりゃそうだろ。人なんてそう簡単に変わりはしない」

「……それじゃ困るから、私がここに来たんだけれど」

「どういうことだ?」

「何でもないわよ。貴方に会いに来たのは、単に用があったから」

「用? 今更俺に何をさせようって? まさか前世の恨みを晴らしに来たってわけじゃないだろ」

「違うわよ。何で貴方ごときのために私が犯罪者にならなきゃいけないのよバカバカしい」

「まあ、だろうな」


 ――仮に魔女が前世の恨みを晴らしに来たのだとしても、今更すぎる。

 正直、俺からすると大分どうでもよくなっていた。

 むしろ――同時期に死んでしまったとはいえ、魔女がこうして記憶を保ったまま転生し、あの頃とは違う平和な時間を過ごせていることを嬉しく思えた。

 もし、魔女の終わりがあのままだったとするなら、そこにはあまりに救いがないと思ったから。


「お前は……」

「何よ?」


 ――いつ、どうやって死んだんだ? 

 そんな問いを尋ねようか迷って、そして俺は首を振った。


「いや、何でもない」

「何よ。相変わらず変な人ね」


 魔女は∣英雄俺よりも後に死んだ。

 そんな魔女が転生し、俺と同い年だという事実は哀しい。

 強力な呪いをかけた代償として、自らも呪いに蝕まれていた魔女の命は、決して長くはないと知ってはいたけれど。


「お前は前世の記憶が蘇ったとき、魔術も扱えるようになったのか?」

「そうよ。でもこの世界は魔力を練りにくい環境で、前世の一パーセントの力も引き出せない。数年かけて魔力を練り上げて、ようやく補助的な術式なら何とかなる程度ね。だから、どうにか魔力を確保した私はまず貴方の居場所を占った」

「何でだ? 俺が記憶を持ったまま転生しているという確信でもあったのか?」

「……まあ、ね」


 魔女は少し言葉を濁した。

 何かしら知っているような様子だった。

 いくら何でも世界を呪った魔女と、呪われた世界を救った英雄が、揃って別の世界の同じ国、同じ年に転生するなんて偶然があるとは思えない。


「何か事情があるのか?」

「貴方は知らなくてもいいことよ」

「どういうことだそりゃ……」


 ツンとした魔女の態度に肩をすくめる。

 だが、こういう言動をするときの魔女は決して不親切が理由ではない。

 おそらくは本当に知らないほうが良いことなのだ。

 知る――という行為は往々にして運命を決定づけることに繋がる。

 それはある意味において、魔女が専門としていた《呪い》と同意儀だった。

 たとえ魔術的な効力がない普通の言葉だったとしても、人の無意識に潜り込み、自然と行動を縛り、運命を決定づけるのであれば――それは紛れもなく呪いでしかない。たとえ言葉をかけた本人に呪うつもりがなかったとしても。

 魔女が言っているのは、おそらくはそういうことだ。

 彼女はかつて多くのものを憎み、呪った。

 そして、その事実を後悔していた。

 だから、できることならそういう事態を避けようとしているのだろう。

 その気持ちは理解していた。少なくとも、しているつもりではある。

 だから、深く尋ねることをやめた。

 俺が黙っていると、魔女は缶ジュースに口をつけて、嚥下する。


「まだ肝心なことを聞いてないんだが」


 魔女は用事があるから俺に会いに来たと言った。

 その用事とやらが何なのか、ヤツはいまだに話していない。


「結局お前、何でわざわざ転入してきたわけ?」


 しかし魔女は嫌そうに顔をしかめる。

 それは聞かれたくなかったらしい。

 いや、それは流石に話してもらわなければ俺にはどうしようもない。

 日本特有の『空気で察しろ』みたいなスキルは俺にはないのだから。


「どう説明したらいいのか、分からないのだけれど……」


 俺は柱に背を預けて、そんな予防線を張る魔女を眺める。

 彼女は両手で缶を持ち、視線を下げて黙り込んでいた。

 これも俺を呪ってしまうかもしれないから言いたくないのだろうか。

 仮にそうだとしたら流石に過敏になりすぎている気がする。

 そう思っていると、


「……のよ」

「え? 何だって?」


 魔女がぼそぼそと何かを言った。

 俺はどこぞの難聴系主人公のようにアホ面でオウム返しに尋ねた。


「……だから!」


 魔女は目を瞑って叫ぶ。

 おおう、声がデカいよ魔女さん。


「――私は、貴方がいないと生きていけない体になっちゃったの……!」


 ……は?

 詰め寄るような勢いで吐かれたセリフに呆然とする俺。


「何言ってんのお前マジで」

「……私だって言いたくて言ってるわけじゃないわよ」

「愛の告白か? 悪いな、今は恋人とかはちょっと……」

「違うわよ! 何で貴方なんかに私がフラれなきゃいけないのよ!」

「近い近い近い近い」

「……あ、ごめん」


 魔女は少し頬を紅くして足を一歩退く。

 さっきまでは抱き着いていると思われても仕方ない距離感だったからね? 

 人との距離感がつかめないところは前世と変わっていないらしい。

 ていうか外面が真面目になったことを除けばほぼ同じだ。

 いや、まあ、そりゃそうだろうという話ではあるのだが。


「――で、何がどういうこと?」


 俺が聞くと、魔女は少しソワソワしつつも誤魔化すように早口で答える。


「……私は魂を呪われた魔女よ」

「まあそれ、お前が世界を呪うなんてことやった代償だけどな……」

「うるさいわね」


 魔女は俺を鋭い視線で睨むと、


「前世では対抗術式で呪いの浸食に対抗していたけれど、今世はそれを扱うほどの魔力が練れない。だけど、呪いの侵食のほうはゆっくりにはなったけれど、止まってはいない。こうしている今も、少しずつ私の体を蝕んでいる」

「……なるほど。それに対抗するために、俺の存在が何か関係あると?」

「そうよ。なぜか使えないみたいだけれど、ちゃんとその魂には前世と同じく聖なる力が宿っている。その聖力さえあれば、私はこの呪いに対抗できる」


 ふむ。事情はだいたい理解した。

 まあ理屈は納得できるし、今もあの呪いが侵攻中だとするなら、魔女の寿命はどんどん縮んでいることになる。


「……大丈夫なのか?」

「呪いの侵食は前世と比べてゆっくりだから、しばらくは大丈夫。でも放っておいたら……面倒な事態になる。私が呪いに対抗できずに死んでしまえば、この魂にかかった呪いが、こっちの世界にも溢れ出す。それだけは避けたい」


 魔女は矢継ぎ早にまくし立てる。


「あっちの世界と違って、こっちの世界には呪いに詳しい人間なんていない。対抗できる魔術師や、貴方のような英雄も存在しない。……もし私が死んでも転生することなく、この魂に貯め込んだ呪いが溢れ出せば、たくさんの怪物が生まれてしまうことになる。そうなれば……この世界は崩壊する」


 ――怪物。

 それは、呪いが魔力と絡みつき、形をなした異形の存在。

 人間の後ろ暗い感情のみを糧に育った存在であり、好戦的で危険な生き物だ。

 大抵の怪物は人間をはるかに上回る膂力と速度を持ち合わせている。

 使える者の数は少ないとはいえ、魔術という人間の戦闘能力を引き上げる技術体系が存在しなければ、あっという間に人間は滅亡していたことだろう。

 かつて――魔女が世界を呪ったあの大事件から、濃密な呪いが世界を満たし、おそろしいほどの数の怪物が生み出され、あの世界の人間を滅ぼしかけた。


「呪い……か」

「私は世界を呪い、呪われた魔女。その呪いは体ではなく魂に絡みつき、徐々に体を侵食し、やがて食い尽くし腐らせていく。そういう風にできている。けれど、私が死んでも私の魂にかかった呪いはなくならなかった。むしろ、この莫大な量の呪いは、それを抑制していた私の死によって世界に広がり、侵食していく」

「何……?」


 それでは、またあの世界は怪物が蔓延る魔境になっているということか。

 そういう意図を込めた俺の鋭い視線に、魔女はふるふると首を振る。


「――そういう事態になりそうだった。だから私は死の間際に、新しい体を見つけなければならなかった。あの世界を滅ぼさないために」

「だから転生したっていうのか……? それも、別の世界を選んで」

「……上手くいく保証はなかったけれど、ね。何とか今ここで生きているわ」

「じゃあ俺が転生したのは……」

「貴方のことは知らないわよ。たまたまいたから利用できると思っただけ」

「……?」

「とにかく、私をこのまま放っておくと危険なのよ。この世界が、危ない。……まあ、この世界を選んだ私のせいなんだけどね」

「……」


 ――わざわざ別世界へ魂を渡らせるほどの危険を冒してまで、あの世界を滅ぼしたくなかったのだろうか?

 迫害され、怖れられた魔女にとって、決してあの世界は良いものではなかっただろうに。

 思考の海に沈む俺に、魔女はビシッと指を突きつけてくる。


「だから貴方には、私の呪いを祓うために協力してほしい。……分かった?」


 そんな事態になったら危険だ、と。

 転生した自分の存在はこの世界にとって害悪で、死ぬことも許されない、と。

 彼女はそんな風に語る。

 その言い草が何よりも気に食わなかった。


「――ああ。それは大変だ。俺にできることなら何でもしよう」


 助けなければならない。

 もちろん協力を惜しむつもりはなかった。

 いくら仇敵の魔女とはいえ、殺したいほどの恨みは――まあ、余裕であったのだが、それも昔の話だ。今となってはどうでもいい。

 頷く俺に、なぜだか魔女は表情をしかめる。


「……どうした?」

「いえ、できれば貴方には頼りたくなかったなと」

「やかましいわ」


 それより、気になることがひとつある。


「お前、俺に協力してもらうためにわざわざ転入してきたんだよな? こんな群馬とかいう秘境にわざわざ。前橋とかいう辺境にわざわざ」

「ええ、そうよ…………群馬嫌いなの?」

「大好きだよ。――で、それなら何で最初、襲い掛かってきたの?」


 純粋な疑問をぶつけると、「そ、それは……」と魔女は言い淀んだ。

 ……これはアレだろうな。

 本能的にとか言っちゃうパターンだ。

 いつだってこいつは素直に助けを求めることができない。

 まったくもう魔女は……、


「はぁ……」

「な、何よ。文句ある?」


 俺が額を抑えて嘆息すると、魔女は居心地悪そうに髪をいじっている。

 何とか強気な口調を維持しようとはしているが、不安が滲み出ている。

 たぶん演技じゃない。魔女はそこまで器用じゃない。


「いや別に駄目じゃないけど。何とかしてほしいのならもうちょい関わり方を普通にしようぜ。お前が人と話すのが苦手なのは知っているけど」

「うるさいわね。私だって今世でまでわざわざ貴方と関わりたくなかったし! それに好きで人が苦手なわけじゃないわよ!」

「逆ギレ!?」


 俺は愕然としながらも、このままでは話が進まないので魔女を促すことにする。

 いや、このままだと話しているだけで昼休み終わるし。まだ弁当を食べていないので、さっさと用事を済ませて教室に戻らなければならない。


「具体的に俺はどうすればいいわけ?」

「それは……」

「はよせんかい。腹減ったぞ俺は」


 魔女は何度か口を開こうとし、もぞもぞと恥ずかしそうにすると、やがて意を決したように言った。


「――手を繋いでほしい、です」

「はあ?」

「……要は、貴方の魂から聖力が回収できれば何でもいいのよ。最も手っ取り早いのが肉体的接触というだけ!」

「何だよ、そういうことか。友達がいなくて寂しいのかと思ったわ」

「違うわよ! もしそうでも貴方だけはごめんよ!」

「ひどいヤツだ。前世からの付き合いで、わざわざ頼みも聞いてやるってのに」

「……私だって貴方にこんなこと頼みたくないわよ。でも、仕方がないでしょう」


 相変わらず世話の焼けるヤツだ。


「今やるのか?」

「……そんなすぐには終わらないから。放課後に付き合って」

「了解」


 俺が肩をすくめると、「ありがとう」という呟きが聞こえた。

 それが少し意外だった。

 魔女の立場なら、俺に無理やり従わせることもできるのに。

 今の力関係なら、魔女のほうが圧倒的に有利なはずなのだ。

 ――だから、俺は少し嬉しかった。


「お前、ちゃんと人に礼を言えるようになったんだな」

「……うるさいわね。親が厳しいのよ」

「ははは! そりゃ良いことだ。真人間に強制されることを祈ってるよ」


 俺はそう言って、教室に戻っていく。

 正確には、行こうとした。


「あ、そうだ。また噂されるのもダルいし、お前ちょっと遅れて来いよ」

「はあ? 殺すわよ?」

「じゃあお前が先に行ってくれ……」

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