英雄と魔女の青春方程式

雨宮和希

第一章 邂逅 ―Reason for contact―

第1話 転入生

 ――《前世》の記憶を取り戻したのは、二年前の夏だった。

驚いたことに俺は、かつて世界を救った《英雄》だったらしい。


 しかし俺は今日まで、前世の記憶について誰かに話したことはない。

 なぜなら今の俺が住む日本という国は、あの世界とは違って平和な場所だ。ここには《魔法》も《呪い》もない。あるのは《科学》という純然たる叡智の結晶のみ。

 ゆえに非科学的な事象を語ったところで、鼻で笑い飛ばされるに決まっている。中学生の妄想だと笑われるのが積の山だろう。

 だから前世のことを誰かに話したことはなかったし、誰かに話さなければならない理由もなかった。つまり前世の記憶が蘇ったところで大して生活に変化はない。

 俺はそう思っていたし、実際に何も変わらなかった。

 少なくとも、表面上は。


 ――そう。

《彼女》がやってくるまでは。


 ◇


 うちのクラスに転入生が来るらしい、という話は聞いていた。

そりゃまあ多少の興味はあったし、可愛い子だったら良いなという程度のことは思っていたのも事実だ。

でも流石に、ここまでの美少女が入ってくるとは思っていなかった。

 長く艶のある黒髪ロング。街中を歩けば十人中十人が振り向くと確信できるほどに可愛らしく、しかし凛とした目鼻立ち。スレンダーな体躯で、脚が綺麗だった。


「椎名麻衣と言います。皆さん、よろしくお願いします」


 彼女は教壇の前で少し緊張したようにそう言って、微笑を浮かべた。

 クラスの男子から「おおー!」という声援が上がる。

 俺も一緒に盛り上がりたいところなのだが……あまりテンションが上がらない。

 正直、めちゃくちゃ眠い。瞼を開けているだけで精一杯だった。

 前日、寝たのが遅かったのが原因だろう。

 まあ単純にバイトが長引いてしまっただけなんだが……。


「おいおい、めちゃくちゃ可愛い子だな。ラッキーだねえこれは」

「まあ、な……」

「どうした景。今日はテンション低いな?」

「昨日、遅くまでバイトしてたからな。眠いんだよ」

「相変わらず頑張るな、お前は」

「そうか?」


 俺の前席で肩をすくめるのは、久藤信二という名の腐れ縁だった。

 染めた茶髪に、適度に着崩した制服。

 軽薄な雰囲気がよく似合う掴みどころのない男だ。


「あ、そうだ。良いこと思いついたぜ。バイトの人手が足りないなら転入生ちゃん誘ってみたらどうだ? ワンチャンあるし、仲良くなるきっかけにもなる。一石二丁だ」

「大人しそうな子だし、無理だろ」

「何事も挑戦だって。やる前から諦めてたら人生なんてつまらんだろ」

「妙に上から目線だなお前……」

「は、高校生男子なんてそんなもんだろ。自分のことは棚に上げていこうぜ」

「お前はもうちょっと自重してくれ」


 そうして朝のホームルームで転入生の自己紹介が終わった後、そのまま始まった一限の国語をまるまる寝過ごしてしまった。

 我ながら怠惰だなとは思いつつ、反省もせずに休み時間。

 俺があくびをしていると、前席の信二が真剣な表情でこっちを振り向く。


「何だよ?」


 尋ねると、ヤツは決め顔で言った。


「分かったぞ」

「何がだよ」

「このクラス、確かに全体的に女子のレベルは高かったんだが、どいつもこいつも茶髪だの金髪だの不純物ばかり。正統派な黒髪ロング要素が足りてなかった。あの子のおかげで、それに気づけた」

「まあ確かに、うちのクラスは派手な奴が多いからな」

「だよな。ああいう子は貴重なんだよ」

「そうだなー」


 俺は適当に返答する。

いや何というか、それ以外に返しようがなかった。

寝起きで頭回ってないし。


「返答が雑だなぁ……」

「かもなー」

「会話を続ける気がねえヤツだ。だからコミュ障だとか言われんだぞ」


 誰がコミュ障だ。

いつもの俺はちゃんと会話の演出に頭を回しているだろうに。

 何ならコミュ賞を授与されてもいいレベル。いや別に上手くないなコレ……。


「くだらないこと考えてんのが顔に出てんぞ」

「うるせえ」


 俺は咳払いをしつつ、転入生のほうに目を向ける。


「そんなことより、あの転入生の名前なんだったっけ?」

「椎名麻衣。自己紹介してたじゃねえか」

「ああ、そう。それだ」


 改めて転入生の方へと目をやる。

 クラスの皆の注目の的である椎名さんとやらは、席の周りを女子勢に囲まれて質問攻めを受けていた。

 この位置からでは女子たちの背中に阻まれてよく姿は見えないが、楽しそうにキャッキャキャッキャと声が聞こえてくる。

 もちろんこれは比喩で、動物の鳴き声ではないんだが……女子高生なんてだいたい「ヤバい」とか「ウケる」しか言ってないんだから鳴き声扱いでもいい気がしてきた。

 もしやこの教室は動物園だったのか。


「――その顔。また何かくだらないこと考えてるんでしょ?」

「うわ女子が喋った!?」

「何が!?」

「いや、すまん。混乱してたわ……急に日本語喋るなよ……」

「あたし日本人なんですけど!?」

「女子高生が日本人なわけないだろ!」

「日本人であることすら否定されるの!?」

「くっ、語彙力の侵略者め……俺は貴様などには決して屈さぬ!」

「アンタはいったい何と戦ってるのよ……」

「混乱してるようだが落ち着け。俺はただ女子が言語を解したことに驚いただけだ」

「いやマジわけわかんないからアンタが落ち着け」


 ドン引きされている。

 顔を青くして俺から距離を取っているのは、クラスメイトの女友達だった。

 肩で切り揃えた茶髪にパーマをかけ、笑顔の似合う顔立ちにナチュラルメイクを施した活発そうな美少女。胸囲だけは残念な様相を呈しているが、スレンダーな肢体が美しいとも言える。言えなくもない。

 こいつの名前は桐島比奈。

 男女共に分け隔てなく接するコミュ力の塊のような存在だ。俺の幼馴染でもある。


「あんた、唐突にボケるのやめない? 普通に引くんだけど」


 ふんと息を吐きながら、比奈はジト目で俺に告げてくる。

ド正論だった。


「……まあ、そう言うな。俺とお前の仲だろ」

「は? あたしとあんたにどんな仲があるって言うのよ?」

「ああん? そりゃお前、ちっちゃい頃に結婚の約束させられた仲だよ」

「子供の頃の話でしょうが……!」

「俺は今も子供だよ。よって現在進行形の話。はい論破」

「……キモッ」

「おい素で言うのはやめろぉ!!」

「相変わらず仲いいな」


 肩をすくめる信二に向かって、俺と比奈は口々に言う。


「仲良くないし」

「腐れ縁なだけだぞ。俺とお前の関係と同じだ」

「さらっとひでえヤツだ」

「そーそー。あたしとこいつただの幼馴染よ」


 フンと鼻を鳴らして、比奈はそっぽを向く。


「――ていうか」


 俺は今更のように比奈の姿をじっくりと眺める。


「な、何よ……」


 すると比奈はひどく気持ち悪そうに体を腕で隠そうとした。哀しい。

 ともあれ、俺は首を傾げる。


「わざわざ俺たちの席まで何の用だ? お前の席真逆だけど。廊下側の端じゃん」


 気になっていたのはそこだった。

 俺と比奈は幼馴染だ。幼稚園から一緒の学校に通っているし、なぜかクラスが離れたこともない。しかし高校生というのは普通、男女別れてグループを作っているものだ。比奈にもクラス内でのグループがあるし俺だって例外じゃない。

 要するに、俺と比奈が教室で会話することはあまりない。

 ――つまり、話しかけてきたからには何かしらの理由があるということだ。


「それはこっちのセリフよ」


 俺が尋ねると、なぜか比奈はそう言いながら腕を組んだ。  

 腕が組みやすそうな体形で何よりだった。そこには、山も谷もない。ただ、歴然と君臨している壁があるのみである。可哀想とか言ってはいけない。

 彼女は今を生きているのだ。

 ――とか何とか考えていると、比奈が上半身を前に倒し、じとーっとした目で俺を見つめてくる。ちなみに谷間は見えなかった。


「……なんかすごく失礼なことを考えられてる気がするんだけど」

「気のせいだろ」

「まぁまぁ、貧乳には貧乳の良さがあるぜ」

「――ブッ飛ばすぞ」


 俺の誤魔化しを他所に信二が自爆する。

 比奈に首を掴まれガクガクと揺さぶられること数秒。信二は降参とばかりに手を挙げた。


「わ、悪かったって! ……嘘を言ったつもりはないんだがなぁ」

「失礼な人ね!」


 比奈は顔を僅かに紅潮させてフンと鼻を鳴らし、不機嫌そうに言った。

 そして、自分の体を見下ろす。


「あ、あたしだって着やせするだけで、本当は、もうちょっと……」

「……比奈、お前」

「な、何よ? なんか文句ある?」

「……」

「無言で肩ポンするのやめてくれない!?」

「大丈夫。お前にはちゃんと未来が見えてるじゃないか」

「現実は見えてないってか!?」

「まあ、何なら両方見えてないまであるよね」

「あたしの胸は今が最大だって言いたいわけ!?」

「過去しか見えない女、桐島比奈。彼女は後ろ歩きしかできない……!」

「調子に乗りすぎ!」


 比奈のチョップが脳天に突き刺さる。流石にふざけすぎた。


「本題に戻るけど」

「本題?」

「何で聞いてきたアンタが忘れるのよ……まあ、アレよ。とにかくアンタら二人、さっきからこっち見すぎでしょ。それが気になったから文句言いに来ただけ」

「こっち?」

「椎名さんの方」


 ああ――と俺は頷く。

 椎名さんを囲む女子たちの輪に、比奈も混ざっていたのだろう。

 だから視線に気づかれていたのだ。それほど不自然な話じゃない。そんな風に思っていると、信二が不満そうな比奈をなだめるような調子で言う。


「つっても、可愛い転入生が気になるのは仕方ねえと思わねえか?」

「景と信二の視線はなんか粘っこいから嫌なの」

「ひどくない!?」

「なんか気持ち悪い。存在が」

「存在レベルで拒否されてんのオレ!?」

「さっきあたしも景に人間レベルで否定されたんだけど……」

「そんなことより」

「そんなことなの!?」


 俺が口を挟むと、信二と比奈の声が重なる。

 愕然とする二人に、俺は尋ねる。


「実際、椎名さんってどんな人なんだ?」


 比奈は「んー」と言葉を濁し、頬に指を当てた。

そうして椎名さんのほうに目をやると、回答に困ったかのように首をひねる。


「どうなんだろ。わかんないけど、今のところは大人しくて真面目な人って感じかなぁ。まあ、まだ初対面だし、緊張してるだけかもしれないけどね」

「見た目通りってことか。まあ見たところスカートの長さも規定通りだしな」

「何でスカートの規定とか分かるの気持ち悪っ……」

「しまった!?」


 信二の自爆を横目に、俺は椎名さんを眺める。

 すると、なぜか彼女と目が合った。

 椎名さんはビクッと、ひどく驚いたように目を見開き、視線を彷徨わせる。

 なぜだかその顔色は少し青ざめているような気がした。

 もしや体調でも悪いのだろうか? それなら保健室まで送るのだが。 

 彼女は困ったような微笑を浮かべてペコリと会釈をしてきたので、慌てて返礼する。

 その後も少し観察していたが、体調には問題なさそうだ。緊張しているだけか。

 だが、何となく、あくまで何となくだが、俺は違和感を覚えていた。

 まったく見覚えのない容姿のはずなのに、どこか既視感がある。

 彼女はどこか、覚えのある雰囲気を纏っていた。


「……また見てる」

「見てちゃ悪いのか?」

「……別に」


 なぜか不機嫌そうな比奈を横目に、黒板の右上に設置してある時計に目をやる。

 二限が始まる時間まで、あと数分だった。

 今のうちにトイレを済ませておこうと思い、軽く伸びをしつつ席を立つ。


「どこ行くの?」

「トイレ」

「気をつけてね」

「何に対してだよ!」

「ついてってあげようか?」

「お前は過保護のお母さんか」

「は、はぁ!? そんなんじゃないから!」

「まったく……」


 相変わらず世話焼きな幼馴染だった。

 妙に頬を赤くした比奈はさておき、俺は教室を出ていく。そして戸を閉める直前、またしても椎名さんと目が合った。

 先ほどの奇妙な感覚はさらに増していく。

 やはり、どこかで会ったことがあるような気がする。仮に知り合いだったとすれば、いったいどこでどのように会ったのだろうか――。

 湧き上がる疑問は解決しないが、いつまでも扉の前で立ち止まっているわけにもいかない。そもそも、単なる俺の気のせいという可能性のほうがはるかに高い。

 廊下をのんびりと歩き、一クラス挟んだ向こう側にあるトイレに向かった。

 途中、廊下でたむろっている連中に聞き耳を立てると、どうやら他のクラスでも転入生の話題で持ちきりのようだった。あれだけ可愛いのだから当然なのかもしれないが。


それにしても、と俺は呟く。

 二年の一学期。七月十四日。夏休みに入る少し前。

 随分と中途半端な時期に転入してきたものだ。何か事情があるのだろうか――などと考えていると、やがて目的の場所に辿り着いた。

 時間的にそろそろ教室に戻ろうとしている他クラスの連中とすれ違いつつ、俺もさっさと用を済ませようと男子トイレに入っていく。

 だが、その直前、声が届いた。


「――あの」


 俺は驚いて咄嗟に振り向く。

 聞いたことのない声。それが意味しているのは――。

 予想通り、鈴の音のように響いた声は転入生のものだった。

 彼女の右手には、古びた木製の杖が握られている。……何で?

 というか、振り返った時には持っていないように見えた。

 いつの間に手にしたんだ……? 

 俺はまったく気づくことができなかった。

 俺がその理由に思い至る前に、彼女はさっきまでとはまるで違う態度――具体的にはずかずかとした歩調――で、偉そうに近づいてきた。


「な、何だよ……」


 クラスの皆に見せていたものとはまったく異なる、睨みつけるようなキツい表情。

そして、俺がこの世界では誰にも話していないはずの《前世の記憶》という領域に、彼女はあっさりと踏み込んできた。


「――貴方、英雄グレイでしょう?」


 俺が驚きに目を瞠った瞬間。

 彼女は「ようやく見つけた」と呟き、安堵したような笑みを浮かべた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます