第82話 徒花散る

角盥がごとん、と滑り落ちて足元に水が撒かれる。視界がぐるぐる回り始める。


手持ちの毒を全部飲んで仰向けに倒れる薬子の体を両腕で抱き止めてかろうじて支えたのは、平城上皇であった。


「今何を飲んだ?吐き出すんだ薬子!」


と両目に涙を浮かべて我が身をゆする平城上皇を前に薬子は、


野心と虚勢だけで生きてきた私の唯一の誤算は、あなたを本気で愛してしまったことです。


安殿さま。


薬子は全ての罪を背負って地獄に行きますから。


これからのあなたにはせめて、生まれてきて良かったと思えるほどの安らぎの日々を。


「…お願い、今までの罪を全て、私のせいにして」

と毒が回り始めた苦しみの中で最後の言葉を振り絞り、


「生きて」


と言い切るとまるで小鳥のような弱々しさで脱力して愛する男の腕の中で薬子は息絶えた。


大同5年9月12日(810年10月17日)、

藤原薬子服毒自殺。


庭先の草木に溜まる露が陽を受けて輝き、こぼれ落ちた。


物音を聞きつけて異変に気付き、上皇の部屋に駆け込んで来たのは藤原冬嗣、大僧正永忠、徳一の三人。


部屋の中央にはひっくり返った角盥。その横では華奢な体つきをした貴人が仰臥した女にすがり付いて泣いている。


「上皇さまでございますね?」


と永忠が問いかけると顔を上げた平城上皇はは子供のように素直に頷き、

「いくら呼びかけても目を開けてくれないのだよ…」と薬子をゆすって白皙のお顔にはらはらと涙をこぼされた。


「ではこの方が藤の薬子さま?」と徳一は薬子の体をあらためてその死を確認すると、


この女人が娘の夫と通じ、権力を握って伊予親王さま始め邪魔者を次々粛正して専横の限りを尽くした奸婦だと?


悪い噂しかなかったのに、なんと美しいのだ…


とまるで眠りについた少女のような薬子のあどけない死顔に僧侶の身ながら見惚れた。


徳一は薬子に向かって合掌し、


「薬子さまはながの眠りにつかれました、もう休ませてあげて下さいませ」


と、失礼、と言いながら上皇の両肩を掴んで上体を起こして正気付け、遅れて入ってきて悲鳴を上げている舎人たちに


「後で丁重に弔うゆえ」

と申し付けて薬子の遺骸を布にくるんで部屋の外に運ばせた。


「…さて、我々がここに来た理由はお分かりですね?」

と永忠が優しく声をかけると平城上皇は懐紙で涙を拭ってお顔を上げ、


「帝がお前らをここに遣わしたのだな。…信じられない、神野は私を殺したいほど憎んでいると思っていたのに」


と兄を出家させて命だけは助けたい。という嵯峨帝の真意に最初は驚いたが、


いや、太上天皇の死という大きな汚点を残しては今後の治世に大きく差し障る。


私を救ったのは兄弟としての情ではなく…政治家としての判断だ。と納得なされた平城上皇は自ら懐から出した数珠を両手にかけて、


「我は一度死んだ身だ。さあやれ」


と両目を閉じて合掌し、傍で見届けていた冬嗣も驚くほどの神妙さで大僧正の略式の出家得度を受け、徳一の手によって剃髪なされた。


こうして


後の世に薬子の変とも平城太上天皇の変とも呼ばれる嵯峨帝と平城上皇の軋轢による政変は、


藤原仲成刑死。

藤原薬子自殺。

平城上皇出家。


という形で決着した。


戦わずして勝った田村麻呂は戦友の綿麻呂、息子の広野と共に軍勢を引き連れて帰京し、朱雀大路で整然と列をなして


やれ北天の化身坂上大将軍だ、日の本の守り神だ!

と沿道の都びとから喝采を浴びた。


そして東大寺。


祈祷を終えてお堂から出てきた空海は頬はひと回り削げているが眼だけは輝いていて両腕で気絶寸前の弟子たちを支えながら、


「弟子らは初めての加持祈祷で心身参ってしもうた。後はよろしくお頼み申す」


と言ってからりと笑い、


「熱い、熱い…もう勘弁」と唸る実恵、「み、水とめし…」と呟く杲燐を東大寺の僧たちに押し付けると自分は別室で用意された水と重湯を飲んでから床に寝かされている弟子たちに向かって、


「あと2、3度やれば加持祈祷には慣れる。それまでに身体を鍛えて修行に励むことやな」


と頭上から声をかけて自分も床の上に体を丸めて寝転び、そのまま深く眠ってしまった。


土蜘蛛を葬り去った修験者たちは褒美を貰うと夜明け前にに宮中から退出し、


内裏にはひさかたぶりに真の平穏が戻った。


争いの血の穢れがすっかり拭われた後宮にお入りになられた嵯峨帝は


まずは正妻の高津内親王に「怖くなかったか?」と花の簪をさした妃の長い髪をかき上げ、顔を覗き込む。


「いいえ、むしろ命婦達に守られて心強かったわ」


と本当は繊細な性格なのに強がって笑顔を見せる高津に「あなたの胆力は母方の坂上家譲りなのだね」とお褒めになられ、高津は叔父である田村麻呂の活躍を我がことのように喜んだ。


次に寵姫の交野女王かたのにょおうと彼女との間に生まれた有智子内親王うちこないしんのうに会いに行く。


「内道場で異様な気配を感じてお子さま方が泣き出す中で有智子さまひとり落ち着いておられました…母の私は胸が潰れそうな位怖かったのに」


と交野があの夜の事を思い出して身震いする傍らで有智子は「あのね、父上」と嵯峨帝の御裾を引いて、


「黒い大きなからすがね、わたくしたちを羽根で覆って守ってくれたのです。だから有智子はちっとも怖くなかったのですよ」


と不思議なことを言う。


「もう…有智子さまったらこのような話ばかりして周りを困らせるのですよ」


と交野は苦笑したが、嵯峨帝は有智子を膝に乗せ「それは、いにしえより天皇家を導くとされる八咫烏かもしれないねえ」とお笑いになりながら四才の愛娘の頭を撫でた。


朝原の姉上が言っておられた。


「有智子さまには強い清庭さにわの力があります」と。


「それは姉上と同じくらいですか?」とわざと意地悪な質問をぶつけてみると、


「私以上です。ご成長と共に強くなっていくことでしょう」


と意外な答えが返ってきた。


いずれ有智子を聖域に入れて守ってやらないと。できれば近くに。


という嵯峨帝の強過ぎる親心が前代未聞の決断を下させ、天皇家が行う神事の在り方まで変えてしまう事になる。


こうして後宮の各部屋を周り次々に妻子一人一人の安否を御自らお確かめになった嵯峨帝は最後に橘嘉智子の部屋に入り…


大きなお腹を抱えて端然と床に座る嘉智子の、少しふっくらした両頬に浮かべた柔らかな微笑を見ると嵯峨帝は思わず駆け寄り、雛を包む母鳥のように嘉智子を両の腕で包んでいた。


「体は大丈夫か…恐くはなかったか?」

「はい、わたくしは大丈夫です」


即位から一年あまり、


「天皇として」全てのことを執り行わなければならない緊張が最愛の女人の顔を見た途端、ふつりと切れて24才の青年神野は目に涙を滲ませてうん、と嬉しそうに頷いた。


それよりも、と嘉智子が傍らで正子内親王と信皇子を抱き寄せて添い寝する明鏡に感謝の眼差しを向けた。


「明鏡には命を救われました。わたくしに成り代わって刺客を討ってくれたのです」


嵯峨帝は明鏡の手にそっとご自分の手を添え、


皇女として生まれながら、嘉智子とお腹の子を守るために自ら手を汚すとは。


ん…と眉根を寄せて何か寝言を言う明鏡に向かって嵯峨帝は「済まない」と優しく彼女の手を握って呟かれた。


大宰府で薬子の死の報を聞いた夫、縄主は大宰府の長官であるという己が立場も対面も忘れて床に突っ伏し、全身を戦慄わななかせながら嗚咽した。


その様を見ていた副官、田中少弐たなかのしょうにはどんなに酷い目に遭わされても大宰帥さまは、


本気でご妻女を愛していらっしゃったのだ…と深い感銘を受けた。


ある一定以上の地位を得た男にとって妻というものは、歳月が経つと情愛がすり減り家族という名の単なる属性でしかなくなるのだが、


帥さまにとってのご妻女とは、一生に一度得たこと自体が奇跡の、貴物とうとものだったのだ。


どんなに酷い仕打ちをされても許せる程愛せる女に出会う事は男にとって甘美な夢だ。


しかし、

夢の女は夢のままにしとくがいい。


手に入れてうつつにしてしまうと身も心も引き裂かれ、死ぬまで消えない傷痕しか残さないのだから。


と若い副官は主の嘆き悲しむ姿を前にそう思うのだった。


薬子の夫、藤原縄主は政変時大宰府にいたという事で咎めはなく、都に呼び戻されて7年後の死まで嵯峨帝の下で粛々と勤め上げた。


最終官位、中納言。死後従二位を追贈された。


それだけ人望もある優秀な男だったということだろう。

薬子も大それた野心を持たずにこの夫の腕の中で満足していれば、

別の幸福な人生もあったかもしれない。


しかし、夫に満足せず葛野麻呂と通じ彼を介してまだ安殿であった頃の平城上皇を愛し、彼と共に様々な罪を知ってて犯して自ら死んだのは他ならぬ薬子自身なのだ。


今更何を言うことがあるだろう。



「しばらく会わない内に、大きく重くなったものだなあ」


と正妻の和気広子との間に生まれた生後半年の息子、氏宗を抱き上げるのは藤原葛野麻呂。


最後まで挙兵せぬよう上皇に諫言し続け、上皇妃の甘南美内親王はじめ平城上皇の妻子たちを連れて嵯峨帝の元に投降した彼の働きが冬嗣の証言によって認められ、


「ならば葛野麻呂には咎めなし」


と中納言のまま据え置かれた。は、と杓を掲げて恭しく嵯峨帝の御前から退出し、半年ぶりに自邸に帰って単衣姿になると、


終わった…と長年の蓄積された疲労が両の肩に重くのしかかって太い息をついた。


それでも久しぶりに会う我が子を見ると疲れなど吹き飛んでしまう。赤子とは不思議なものだ。


此度の政変と上皇さまのご出家でわが人生もこれで終わりか…と心弱くなっていたが、私にはまだ幼い子供たちがいるではないか。それに。


信皇子をお預りするまでまだ死ぬわけにはいかない。


と大きく目を見開いて物珍しげに父親を見上げる氏宗をよしよし、と抱く夫の笑顔に、

子供たちのために取り戻した覇気と、政変で受けた心の傷で決して消えない翳りを広子は見て取ったのであった。


葛野麻呂の物語は8年後の彼の死まで今すこし続く。



そして…


平城離宮の庭園の草木の下ではころころと秋の虫の声がし、二人の僧侶がその音に聞き入っている。


「静かだな」と僧衣姿の平城上皇が目を閉じたまま言った。


上皇が僧侶生活に慣れるまでのお世話役として傍に控えていた徳一が


「静かですね」と鸚鵡返しに答えた。


途端に上皇が耐えきれぬ、という風に吹き出し「今まではもっと気の利いた答えが返っていた来たのにお前の無骨さったら…」とお笑いになるので、


「な、何か失礼でもありましたか?」


と焦る徳一に上皇は「よい、徳一」と鷹揚にお答えになった。


「なあ徳一」


「は」


「帝の命令で我を助け、嫌々側仕えしなければならないお前を不憫に思う。我はいささか癇気が強いゆえな」


「だから適任なのでしょう、我も癇気が強いゆえ」


徳一の答えに上皇はしばらく当惑して黙りこんだが、


「…本当か?坊さんのお前がどのような癇気を」


と初めて薬子以外の人間に強い興味を持って質問なされた。


は、と顔を上げた徳一は珍しくにやりと片頬で笑い、


「例えば高雄山寺で勤操和尚と殴り合いの喧嘩をしたことでしょうかねえ、あれは後できつく叱られ、遣唐使願いも取り消されました」


法相宗徳一は品行方正。


と名高い僧侶のとんでもない打ち明け話に平城上皇は生まれて初めて、と言っていいくらい声高らかにお笑いになられた。


そして笑いを収めると、


「不思議だ、今までは静寂や孤独が死ぬほど辛かったのに今では安らぎさえ覚える」


とまた目を閉じて虫の音に耳を澄まされた。


徳一とのこうした交流が平城上皇にとって何らかの妙薬になってか


平城上皇は出家から14年後に世を去るまで穏やかな日々を送り…


二度と癇気で病むことは無かった。






































































































































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