午後18時40分 T-12

 ヴェラ達が車を飛ばしてT-12に戻ってみると、辺り一帯は既に火の海に飲み込まれていた。複数の車両と人が辛うじて暮らしていた建物の名残は跡形も残らぬ勢いで炎上し、夜の暗闇を寄せ付けぬかのようにT-12の街並みとユグドラシルの森、そして星々が煌く夜空の一部を赤く染め上げている。

「嘘でしょ、あの町があっという間に……」

「大魔縁の攻撃が、それほど激しかったという事なのでしょう……」

 T-12の至る場所から立ち上る、炎に照らされた黒煙を見上げながらヴェラとトシヤは今にも放心しそうな声色で呟いた。ユグドラシルを神聖化する過激的な宗教組織というの知っていたが、街一つを容赦なく焼き払う程に残忍だとは思い至らなかった。

 この街に残っていた人達はどうなったのだろうか。死んでしまったのか、もしくは何処かへ逃げ延びたのだろうか。他人の安否に思考と意識を奪われ掛けたヴェラだったが、それを再び目の前の現実に引き戻したのは肩に置かれたトシヤの手だった。

「とにかく、スーンさん達と合流しましょう! アマダさんが言っていた話も気になります!」

「……ええ、そうね。それが最優先ね」

 幸い――と言っても良いか分からないが――にも銃声は依然として鳴り響いている。それは大魔縁に抵抗している事を意味し、二人の向かうべき場所を示す道標でもあった。



 銃撃戦が繰り広げられていた中心部は、奇しくもヴェラ達が取り調べを受けた監獄だった。嘗ては犯罪者の逃走防止を名目に作られた高い外壁は瓦礫の山と化し、監獄自体もライフル銃やロケットランチャーによる大小の痘痕状のクレーターが作られていたが、それでも建物の原型は依然として残っていた。

「良かった……! まだ制圧されていないみたいね……!」

「ですが、タイミングが悪い時に来てしまいましたね……」

 乗っていた車を銃撃戦の中心部から少し離れた場所に隠した後、二人は徒歩で監獄を目視で収める位置に辿り着いた。だが、彼女達と監獄の間には攻勢を強める大魔縁の部隊が幾つか展開していた。彼等は目先の監獄を陥落させることに夢中なのか、未だに背後に現れたヴェラ達の存在に気付いていない。

「オリヴァー、スーン、聞こえる?」

『ヴェラさん! 良かった、無事だったですね!!』

 監獄の目の前に辿り着いた旨を仲間に伝えようと通信を起動させると、真っ先に通信に反応したのはスーンだった。彼の声を聞いて無事を喜びたかったが、今はそれを後回しにして要件だけを伝えた。

「スーン、私達も監獄の前にまでやって来たけど、大魔縁の連中が邪魔で近付けない。其方から反撃して、敵を蹴散らす事は出来ないかしら?」

『難しいですね。自衛隊が持つ殆どの戦力は地下に残った人達を守護する為に割り振られてしまいましたし、此処に残っている戦力は二割にも届かないという話を小耳に挟みました。そして彼等も残った戦力で反撃の機を窺っていますが、現状は防戦で手一杯です』

「そう、なら彼等が救世主の如く私達を助けてくれるという展開は期待しない方が良いわね。ところでオリヴァーは?」

『オリヴァーも此処の兵士達と一緒に戦っている筈です。何処に居るかまでは残念ながら……』

「分かったわ、私達も私達なりに考えて動いてみるわ」

『気を付けて下さい。此方も修理が終わり次第、直ぐに応援に向かいます』

 そう言ってスーンとの通信が途切れると、ヴェラはトシヤの方に肩越しに振り返った。

「兎に角、あの部隊を少しでも蹴散らさないと私達が合流出来そうにないわね」

「武装車両が十台……単純に見積もっても、部隊規模は10個小隊ぐらいでしょうか。殆どがライフル銃を装備し、一部にはロケットランチャーを装備している信者も居ますね」

「軍隊顔負けね。これで善良な宗教の信者ですって言われても、私は絶対に信じないわよ」

 ディスプレーに表示された映像を拡大させながら、彼女達なりに状況を分析しようと試みる。暫く観察していると、部隊の中で最後尾に居る武装車両にヴェラは注目した。車両の周りには誰も居らず、トラックの剥き出しの荷台に積まれた機銃に信者が一人ポツンと佇んでいるだけだ。

 恐らく戦力を過多に投入し過ぎたせいで出番が無くなってしまい、手持ち無沙汰になってしまったのだろう。監獄の厳重な警備を想像していたのだろうが、実際には大した戦力は残っておらず肩透かしを受けたようなものだ。

 だが、それ故に向こうは油断している。荷台に乗っている男は辺りを見回すかのように頭を左右に動かしているが、頭を揺らしハミングを歌う態度は緊張感の欠片もない。明らかにリラックスしている証拠だ。

「トシ、あの車両を頂きましょう。最後尾のヤツ」

「そして荷台の機銃で相手を攪乱させるという訳ですね」

 フルフェイスで顔は見えないが、トシヤの声色は心成しか弾んでいた。多分、大魔縁の連中に一泡吹かすところを想像して笑っているのだろう。意外と人が悪いと思う一方で、それも悪くないと考える自分も居るのだ。お互い様という事にしておこう。

「そういう事さ。アタシが相手の注意を引き付ける。その隙にトシは機銃を奪って」

「了解」

 二人は腰を低く屈めると、焼け残った車両や崩れ落ちた建物の残骸に身を隠しながら慎重に近付いて行った。やがて二人と車両の距離が5mを切った時、ヴェラは右に、トシヤは左手にと車両を挟み込む形で分かれた。

 最初に動いたのはヴェラだった。荷台に乗っている男の目線を掻い潜り、車両の→側面に張り付く。そして男に向かって小石を投げると、素早く身を屈めた。

 小石をガラ空きの背中に受けた男は一瞬だけ肩を大きく上下させて、驚きを隠さずに小石の飛んできた方向に機銃を向ける。しかし、車両の傍に居り尚且つ身を屈めているヴェラの姿は男の立ち位置からでは死角に隠れてしまっており、見付ける事は出来なかった。

 そうとは知らぬ男は目を皿のように丸くしながら、敵の姿を探し出そうと遠くの向こう側を必死に凝視し続けた。

 そこで今度はトシヤが動き出した。音も無く荷台に乗り込むと、背後から男の首に腕を回して締め上げた。男は思わず機銃から手を放し、自分の首を締め上げる背後のトシヤに腕を伸ばし、爪を立てたりと抵抗を試みるも、パワードスーツを着たトシヤに生身の人間の力が通用する筈がなかった。

 やがて男は口角泡を吹かしながら意識を手放し、それと同時に両腕から力が抜け落ちた。それを確認するとトシヤはソッと男を荷台に寝転がし、車両の脇に隠れていたヴェラを覗き込むように見遣るとOKを意味する人差し指と親指の丸を作った。

「今度は運転手に退場願いましょう」

「了解」

 運転手は荷台で起こっている出来事に気付いておらず、目の前で繰り広げられる戦闘を後頭部に両手を組ませながら呑気に観戦していた。彼もまた荷台に乗っていた男同様、自分達が何かをせずとも勝利を得られると思い込んでいたに違いない。

 今度はトシヤが先に動いた。助手席に誰も乗っていない事を確認すると、わざとらしくドアを開け放つ。運転手は助手席の扉が開く音に気付いて首だけを向け、そして信者以外の侵入者の姿を確認するや瞠目した。

「な、何だ!? アンタは!?」

「車から降りろ。さもないと、これで殺すぞ」

 ドスの利かせた声で脅しを掛けながら、トシヤは赤く燃え滾るヒートホークの刃を男の鼻先に近付けた。空気が歪む程の超高温を目前にし、熱気による汗だけでなく、恐怖から来る冷や汗が男の額にブワッと溢れ返った。

 男は他の信者達と違って抵抗する気力も無いのか、情けない腰抜けの悲鳴を上げながら運転席から転がり落ちるように逃げ出した。が、逃げ出した先に待ち構えていたヴェラの右ストレートを顔面に受け、男は大の字に倒れて気絶した。

「死んでませんよね?」

「手加減はしたさ。それでも死んだら、殴られ慣れていないコイツが悪い」

 逃げた運転手が敵に自分達の存在を知らせる恐れがあった為の対抗措置だというのはトシヤも頭の中で理解しつつも、やはり今の仕打ちを見ると同情を隠せなかった。

「さぁ、こいつで道を切り開くよ。トシ、荷台の機銃は任せて良いかしら?」

「お安い御用ですよ」

 運転席に搭乗したヴェラは後ろの機銃に着いたトシヤをリアガラス越しに確認すると、アクセルを踏み込ませながら大きく右にハンドルを切り、車体を横に向けた。荷台の機銃を前方に展開している部隊に向け、機銃が唸るような機械の轟音と共に無数の弾丸を吐き出した。

 背後から襲い掛かって来た弾丸の雨に晒された敵部隊は、この思いもよらぬ不意打ちに驚きを隠せなかった。武装車両も背後からの攻撃に慌てて方向転換しようとするも、トシヤは相手が動く前に機銃の弾丸を集中的に浴びせ、瞬く間に車両四台を撃破した。自分達の奪った車両も差し引けば、敵の車両は残り五台だ。

「トシ! 動くよ! しっかり掴まってな!」

 いよいよ敵も不意打ちから立て直し始めると、ヴェラはアクセルを踏んで急激な速さで移動を開始した。決して広くない道を右往左往し、それに合わせてトシヤも機銃の引き金を絞る。

 機銃を受けた兵士が上体を大きく逸らし、そして地面に倒れていく。味方の死を目の当たりにしながらも、脇目も反らずに此方を攻撃する事にのみ専念する信者達の姿はやはり異様としか言えなかった。

 相手に出血を強いるも、同時に此方が受けるダメージも徐々に拡大し始めた。車体に銃弾による穴が複数開けられ始め、エンジン部にある機械系統が壊れたのか速度を示すメーターが三十キロを指したまま動かなくなってしまった。ボンネットの隙間からは黒煙が漏れ出ており、未だに爆発しないのが逆に不思議に思える。

「トシ! あとどれくらいだい!? こっちは車が悲鳴を上げてるよ!」

「まだ残っています! あと此方も機銃の弾丸が残り僅かしかありません!」

「ったく! こっちが頑張っているんだから、向こうの監獄に居る連中も援護ぐらい―――」

 愚痴を零した矢先、ヴェラの乗る車のフロントガラスの前をロケットが網スピードで通り過ぎ、そして直ぐ傍で爆発した。強い爆風が車体を押し揺らし、ギシギシという軋む音がサスペンション辺りから鳴り響く。

「今の攻撃って……!?」

「ヴェラさん! ロケットランチャーだ!!」

 トシヤの言葉を受けて大魔縁の部隊へ目を遣れば、三人程の信者がロケットランチャーを此方に向ける姿が目に入った。そして三人が一斉に発射したロケットは、ヴェラ達が乗る車両への直撃コースに乗って飛んできた。

「トシ! 車両を捨てるよ!」

 車両の放棄を決定したヴェラは素早く扉を開けて地面に這い蹲り、トシヤも荷台からそのまま受け身を取るように転がった。直後、ロケットが命中して爆発が起こり、炎に包まれた車両は二人の頭上を飛び越えるように横転した。

「トシ! 生きているかい!?」

「ええ、自分でも悪運があるなって思いますよ……!」

「瓦礫か障害物に隠れなさい! 早く!」

 トシヤに隠れるよう促すと、ヴェラは傍に生えてあったユグドラシルの木の後ろに飛び込んだ。その直後には無数の銃弾が二人の居た場所を穿ち、あと少し遅ければ銃弾の雨に晒されていたところだ。トシヤも向かい側にある車の残骸に身を隠しながら、時折顔を覗かせて相手の動向を確認しようと試みている。

「銃弾はアーマーで耐えられるかもしれませんが、ロケットランチャーは流石に無理そうですね。例え耐えられたとしても、それを身に纏った人間の内臓はグチャグチャになりそうですしね……」

「くそ、もう少しなのに……!」

 目的地が目の前なのに、其処に辿り着けない。そのもどかしさにヴェラの口調に悔しさが滲む。また他に抗う術が無いのか、無かったとしたら今の窮地をどう乗り越えるべきか……限られた頭脳の容量を打開策の閃きに全振りし、何か一手を講じようとするも時間だけが過ぎ、そして敵も近付いてくる。

 万事休すか―――焦燥と共に込み上がった諦念が頭の片隅に宿った時、陽気な男の声が二人の鼓膜を叩いた。

『待たせたな、二人とも!』

 聞き覚えのある仲間の声―――オリヴァーの言葉が鼓膜を叩いた瞬間、此方に近付きつつあった大魔縁の部隊が無数の爆発に飲み込まれた。突然の出来事に流石のヴェラも何が起こったのか理解出来ずに居ると、トシヤが爆発の原因を指差しながら教えてくれた。

「ヴェラさん! 監獄の上を見て下さい! 迫撃砲です!」

 トシヤに言われて監獄の屋上をディスプレーに拡大させると、すこには六基の迫撃砲を発射させる自衛隊の姿があった。その兵士達に混ざって、此方に満面の笑みで手を振るツーブロックの髪形をした男が居た。オリヴァーだ。それを見てヴェラは笑みを零し、手を振るオリヴァーに言葉を返した。

「見えてるよ、オリヴァー。アンタのおかげで助かったよ、有難う」

『はははは! どうだい、仲間のピンチを颯爽と救う! 救世主ヒーローオリヴァーの活躍は!?』

「オリヴァーさん一人の活躍じゃない気もしますけど?」

『細かい事は気にすんなって! それよりも建物の中に入ってくれ。アマダがヴェラに話したい事があるらしい』

「すぐに向かうわ」

 オリヴァーの通信が途切れると迫撃砲の雨も止み、少し前まで続いていた銃撃戦の喧騒が嘘だったかのような静けさが舞い戻って来た。唯一聞こえる炎の爆ぜる音をBGMにしながら、ヴェラとトシヤは仲間達が待つ監獄に向かって駆け出した。

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